ヨーロッパ通信2014(2)/リチャード・エガー、息を呑む《マタイ》初稿 ― 2014年04月11日 13時54分30秒
市内観光や美術鑑賞の話はいずれ補うとして、コンサート・イン・コンセルトヘボウの話に参ります。
最初の鑑賞は、10日(木)の《マタイ受難曲》、リチャード・エガー指揮、エンシェント室内管に予定されていました。ところが到着後、9日(水)に同じコンセルトヘボウで、トン・コープマンとアムステルダム・バロックによる《マタイ》があると聞いて、耳を疑いました。それがわかっていたら旅行の価値は倍増し、お客様もずっと増えていただろうにと、天を仰ぎました。
ガイドさんの協力でなんとか若干のチケットを入手し、希望される方に配布。私は美術館で疲れていたこともあり、飲食組に回りました。コープマンの《マタイ》はDVDがあり、よく使ってもいますから、おそらく想定範囲とも思われました。
どうなるか想像もつかなかったのが、エガー指揮、エンシェントの《マタイ》。興味はもっていましたが、結果への確信はもてないまま、聴きに行きました。そうしたら、エガー氏いきなりのスピーチで、初稿の話をします。つまりその日は、初稿による演奏だったのです。《マタイ》の初稿は実演でも何度か聴いたことがありますが、良かったと思ったことがありません。
ところが。音楽が始まったとたん、エガーの克明な指揮のもと、緊張感ただならぬ音が押し寄せてきてびっくり。初稿が研究し尽くされていて、改訂稿の存在をなつかしむゆとりを、聴き手に与えないのです。
デンポはじつに速く、史上最速かもしれません。なによりコラールが速く、ドラマにがっちり組み込まれている。外側から悠長に入ってくるのとは大違いです。結果として、コラールの民衆性といったものは吹き飛んでいるのですが、そこが小休止にならないので、聖書場面の緊迫感が、一貫して持続される。これにこたえるエンシェントの合唱がたいしたもので、小さい役を分担した男声の声は、皆ソリスト並みです。
こうして「エガー劇場」と呼びたいような迫力満点の演奏が展開されました。これに貢献したのが、エヴァンゲリストのジェームズ・ギルクリスト。美声を完璧にコントロールし、正確そのものの発音で、言葉を、センテンスを、会場のすみずみに語りかけるように歌う。私は日頃から「エヴァンゲリストの歌唱は閉じられたものであってはならず、ドラマに開かれていなくてはならない」と言っているのですが、まさにそれが実現されています。知りませんでしたね、こんなにすごい歌手だったとは。エヴァンゲリストとしては、パドモアと双璧でしょう。アリアを歌うテノールのトマス・ホッブスも際立った美声・感性の持ち主で、これから出てくること間違いなしです。
イエスはマシュー・ローズという歌手で、ありあまる声をもつバス・バリトン。その雷のようなVox Christiは《ヨハネ》ではともかく《マタイ》では疑問にも思いましたが、エヴァンゲリストとの声の対比が狙いのうちにあるとすれば、それはみごとに達成されていました。惜しむらくは、女声2人のソロが内容希薄に思われたこと。テンポについていくので精一杯だったのかもしれません。バスはモルトマンでした。
というわけで、この上なくエキサイティングかつクリエイティヴな《マタイ》。イギリス勢を代表して来演しただけのことはあります。それで気づいたのですが、もしコープマンのコンサートの存在を事前に把握していたら、どうだったでしょうか。3日連続を避けて、エガーをパスしたかもしれないと思うのです。結果オーライ、二重丸だったということは、私のツキはまだ持続しているようです(コメントの方々、おあいにくさまです)。
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