ヨーロッパ通信2014(9)/フランデレンからワロンへ2014年04月18日 14時45分32秒

朝食後はたいてい、しばらくベッドに倒れています。消化器手術の後遺症のある私は、食後気分が悪くなることがしばしばなのです。乳製品たっぷりのオランダやフランス料理に近いベルギーは、危険大の地域。選んで食べているつもりの朝食がとくにそうなるのは、なぜなのでしょうか。

ヘントのベッドで目覚めた15日(火)も回復まで手間取り、出発の時間が遅れてしまいました。その日はベルギー縦断の強行日程を組んでいたため、なるべく早発ちしたかったのです。

昔の商館の立ち並ぶ河岸を歩いてフランドル伯居城に達したのが、ちょうど10時。そうしたら、待っていたように門が開くではありませんか。絶好のタイミングで入場、砦に登り、古都の眺望を楽しみました。これって、まさにツキの理論ですよね。


旧市街から駅に行くトラムに乗りました。しかし、経由は確認しておいたはずなのに、方角がどんどん駅から離れていきます。南に行かなくてはならないのに、北へ北へと行ってしまう。これはどうjしてもおかしいと思って、途中下車。しかし降りたところがどこか、わかりません。結局もとの線に乗りなおして事なきを得ましたが、こうしたこともヘントを知る一部だと思えば、楽しいものです。


その日は東のワロン地域に入って、ナミュールに泊まるよう決めていました。昼間ひとつ街を稼ぎたいと思い、西のブルージュに行くか、東のブリュッセルを順路で探索するか、迷いました。結局ブルージュにしたのは、ブリュッセルにはまた立ち寄れると思ったからです。

ブルージュは観光地的色彩が強く、人であふれていました。もちろん悪くはないが、ヘントの重量感には及ばない、というのが、私の感想です。ブリュッセルでは乗り継ぎの時間があったので、大広場と大聖堂を、大急ぎで観光。まだ明るい夜7時過ぎに、ナミュールに着きました。

ナミュールを選んだのは、最近ここの古楽アンサンブルが台頭しているので、どんなところか見ておきたかったからです。小さな街をさっと見て、8時半にホテルのレストランに入ったところ、もう食べ物は終わった、とのこと。どこかで食べられないか尋ねると、近くのレストランの名前を挙げ、そこも終わっていたらマクドナルドだ、と言うのですね(笑)。なんとか食事にありつき、翌日を楽しみに就寝しました。