希有の体験2014年04月01日 23時27分23秒

合唱団CANTUS ANIMAEといっしょに1年がかりで準備してきた《ロ短調ミサ曲》の公演が、3月29日(土)、渋谷のさくらホールで行われました。私は監修、当事者なので、客観的な報告にはならないかもしれませんが、感じたことを率直に報告させていただきます。まず、リハーサル風景から。


指揮者雨森文也さんと合唱団のお考えで、徹底的に勉強しようという前提で始まった企画。言い換えれば、研究と実践の共同ということになります。私のレクチャーは、延べ18時間に及んだとか。話せるだけのことを話しておき、あとは自由に発展していただこう、というのが、私の前提。しかしその後の猛練習(週に3回、4回、5回と有志が集まったとか)が研究成果にたえず立ち戻り、私の提言を確認し合って進められたということを教えられ、びっくりしました。もちろん、研究と実践の位相は違います。私の考えがすべて実践されたということではなく、私の考えが演奏者にも深く共有されて、真のコラボレーションが実現されたと考えています。こんなすばらしいことが、人生に何度もあるとは思えません。


何よりそれは、テキスト、すなわちラテン語典礼文の完璧な理解にあらわれていました。私は、これほどテキストの内容がよく把握され、演奏の方向がテキストに即して統一されていた《ロ短調ミサ曲》を、少なくとも身近では、聴いたことがありません。全曲を通じて演奏から感じられた豊かな情感と潤いは、テキスト理解のたまものです。こう書いていると身びいきもあるかなと思うわけですが、世界を聴き歩き、高い理解力をお持ちのtaiseiさんが、三本の指に入る、とまでおっしゃってくださいましたので、一定の客観性はあるかなと思います。テキストへの努力の垣間見える画像を、ひとつ。


私が心配していたことのひとつは、意欲と若さにあふれる合唱が独走し、ピリオド楽器の合奏を圧倒してしまうのではないかということでした。ところが、まったくそうではなかった。合唱はつねに抑制され、器楽に耳を傾けて、響きを共にする姿勢に貫かれていました。これは、合奏の側にも言えることです。結果として、落ち着いて柔らかい響きが確保され、ピリオド楽器ならではの陰影が、実現されていました。打ち上げで、客分の方々から「CAの平素の演奏とはまったく違う」「自分を聴かせるのではなく、バッハを聴かせる演奏になっていた」という感想が寄せられたのは、そのためでしょう。こういう風に生かせるのであれば、ピリオド楽器を使って、本当に良かったです。コンマスの大西律子さんが、適切な人選で、いいオーケストラを組んでくれました。


期待でもあり、懸念でもあったのは、私の手駒である若い声楽家が、コンチェルティストの大役を担ったこと。《ロ短調ミサ曲》の合唱を歌い、ソロも歌うほど困難なチャレンジは、ほかにありません。しかし合唱の練習に少し付き合ってくれれば、という期待を含めて依頼した5人が、合唱団に溶け込んだばかりか、パート練習まで積み重ねたという献身的な対応をしてくれたのにはびっくりし、感動しました。それによって、彼らも、大きな勉強をしたわけです。課題はもちろん残るにしても、大健闘だったと思います。その晴れやかな達成感があらわれた終了後の写真をどうぞ。左から、大野彰展君(テノール)、安田祥子さん(ソプラノ1)、川辺茜さん(ソプラノ2)、高橋幸恵さん(アルト)、小藤洋平君(バス)。


こんなありがたい体験をさせていただき、ツキを使い果たして、しばし放心状態になった私でした。《ロ短調ミサ曲》の偉大さに、身も心も奪われる体験でした。