校正に突入2011年09月06日 11時28分13秒

今日、《ロ短調ミサ曲》のゲラが出てきました。これから校正に入ります。しかしざっと見たところ、固い直訳調がまだまだ多く、簡単ではなさそうです。

すべてが順調にいったときには、10月20日ごろ出版できるとのことです。なんとかこのスケジュールで行きたいのですが、そのためには、2週間でゲラを戻さなくてはいけません。ちょうど学校も始まりますし、その時間があるとは思えないのですが、とにかくがんばります。

9月の初めに、書類をようやく整理していたときのこと。紀要論文の諸規程が出てきて、全身の力が抜けました。《ロ短調ミサ曲》に関して紀要に論文を書くことを約束し、それをすっかり忘れていたことに気づいたからです。え~、無理だよ~、と思いましたが、何とかがんばろうと思い直しました。過日イギリスの学会で発表したペーパーは日本では公開していませんので、それをベースに、今回の翻訳で学んだことをプラスして、私論に仕上げます。ご明察の通り、公表することで自分を追い込もうという作戦です。

翻訳完了2011年08月16日 00時39分25秒

いま《ロ短調ミサ曲》の翻訳を完了させ、春秋社に送付しました。できれば土曜日まで、なんとか日曜日までに済ませたかったのですが、結局、月曜日を全部使いました。朝から晩まで連日ほとんど休みなしに作業したので、へとへとです。ちょっと安心して更新しようと思ったら、大量の迷惑コメントのタイトルが、「ヤリ過ぎに注意!」ですと(笑)。いずれにしても、ひとつの仕事だけやるのはよくないですね。能率が低下します。

コンパクトな本なのですが、中身が濃いので、訳すのは相当たいへん。でも書いている方は、ケタ違いの凄さですね。世界を飛び回り、論文も次々と書く中で、よくこれだけの本を書けるものです。よほど仕事が速いのでしょうね。註で引用されている文献は、ほとんどが、21世紀のもの。つまり、ここ10年ぐらいのバッハ研究の進展がぎっしりつまった本、ということです。私も、本当に勉強になりました。

かなり完成度の高い形で入稿しましたので、9月中には、出版にこぎつけられるんじゃないかと思います。でもそれは、ゲラの直しが後期の始まりと重なることを意味しますから、9月が、殺人的なスケジュールになりそう。ともあれしばらくは、別のことをします。

《ロ短調》翻訳三昧2011年08月10日 23時17分41秒

お勤めの方も、ちらほら夏休みを取られているようですね。皆様お元気でしょうか。私は、今週は外の仕事は1つもないのですが、朝から晩まで、全力を尽くして翻訳をやっています。なんとか1日でも早く仕上げ、原稿を春秋社に入れてから、少しでも夏休みのスケジュールをもちたい、と念願しつつ。(いろいろなことを後回しにしてしまっています。関係の方、申し訳ありません。)

気力は旺盛なのですが、不思議なもので、あまり続けていると疲れて、能率が落ちてくる。しばらくがんばりますが、もうダメ、となるところがあります。今日は逆で、朝のうちは集中できず困ったのですが、午後からは上昇して、かなり進みました。今やっているのは、二度目の見直しで、原文・訳文の詳細な比較チェックと、訳のとりあえずの確定です。なんとか一両日中に最後まで行きそうなので、それから三度目の見直しに入ります。これは訳の日本語としての流れの改良と、未決定部分の熟慮、訳語の統一といった課題に対応するものです。

最大の問題のひとつは、ラテン語の発音表記です。ドイツ語発音にすべきだと思うのですが、「アグヌス・デイ」はまだしも、「キュリエ・エレイゾン」「クヴォーニアム」などとなると、違和感のある方が多いでしょうね。最終的にはヴォルフ先生のご意向も伺って決断しようと思っています。

晩節2011年08月05日 23時55分32秒

松田選手が亡くなりましたね。若くして亡くなるのは本当にお気の毒ですが、私はサッカーのことはよく知りませんので、それ自体に感慨があるわけではありません。ただ、オッと思ったのは、松本のサッカーチームが「「山雅」という名前であること。これって、私の名前の後半と同じですね。松本は、ご承知の通り私が思春期を過ごしたところですので、この一致には因縁というか、結構感じるところがありました。

なんとか翻訳原稿をお盆前に入れてしまおうと、今日は猛烈に作業しました。翻訳していてなるほどなあ、と思った一端をご紹介します。最新の「蛍光分析」を用いた自筆譜研究によると、《ロ短調ミサ曲》は厳密には完成されておらず、歌詞振りなど、細部に仕上げられていない部分があるのだそうです。ヴォルフ先生によると、バッハが危険を承知で実験段階の目の手術を受ける決心をしたのは、もう一度仕事のできる環境を取り戻そうとしたからであり、そのひとつの理由に、《ロ短調ミサ曲》にさらに手をかけたいという気持ちがあったからではないか、とのこと。視力を失ったバッハの気持ちはどうだったのか、あまり考えたことがないことに気づきました。

それとも重なりますが、人間大切なのは、引き際です。やめる人間が今のうちに国の将来を決めておこう、人事を発令しておこう、というのは、私は絶対におかしいと思う。それは、次の人にまかせるべきです。いろいろな人の引き際を見てきましたが、影響力を残そうという気持ちほど、晩節を汚すものはないと思います。

《ロ短調ミサ曲》講座始まる2011年07月23日 23時26分27秒

第4土曜日の10:00から朝日カルチャーセンター新宿校で行う《ロ短調ミサ曲》の講座、今日からスタートしました。受講生がたくさん来てくださったせいか、長年お世話をくださっている神宮司さんが、ずいぶん高揚した感じで冒頭の挨拶をしてくださったのにびっくり。私も、4ページぎっしりのレジュメを作成して臨みました。

なにぶん目下研究中、練習中の作品ですから、話すことがいくらでもあります。話していて、この作品に心から傾倒している自分を発見。〈キリエ〉がデュッセルドルフの宮廷楽長、ヴィルデラーのト短調のミサ曲(バッハが筆写し所蔵)を下敷きにして書かれていることはすでに知られていますが、前日のCDあさりで録音を発見していましたので、耳で確かめていただくことができました。たしかに似ていますが、規模や掘り下げは比較になりません。

4種のDVDをちょっとだけ比較しました。やはりジョン・ネルソン指揮、ノートルダム聖歌隊のものがすばらしいと思いますが、さきほどメールをくださった受講生からの情報ですと、手に入りにくいそうです。ネームバリューがないと損ですね。

いい講座にできそうです。これからでも、興味のある方はお越しください。

カトリックの波?2011年04月19日 09時06分16秒

情報提供を喜んでいただけましたので、もうひとつ話題を。

《ロ短調ミサ曲》がカトリック教会音楽の系譜に連なることはすでに常識だと思いますが、われわれは、バッハ=ライプツィヒ=ルター派、ザクセン選帝侯=ドレスデン=カトリックという風に峻別した上で、バッハがドレスデンのためにカトリック教会音楽を書いた、という形で認識しています。また、バッハがライプツィヒ時代の中程からカトリック教会音楽のコレクションを始め、いわゆる「古様式」の研究をしたことについては、音楽史に対するバッハの内的な関心から起こったことと考えてきました。

しかし今訳しているクリストフ・ヴォルフの著作では、外側に大きな流れがあったことが強調されています。ライプツィヒの教会がドイツ語のルター派作品一色であったわけではなく、バッハのカントル在任途中からラテン語の教会音楽を演奏することが増え、それがドイツ語のカンタータに代用されることさえ行われた。こうした流れは、礼拝制度の何らかの改革、変更と結びついているのではないか、というのです。バッハの後任のカントルはハラーという人ですが、ハラーはパレストリーナなどラテン語のミサ曲をたくさんトーマス教会、ニコライ教会で演奏しました。このことは、バッハ時代にすでに始まっていた流れの帰結ではなかったかと、ヴォルフは述べています。

そう言われると、いろいろなことが、それに結びついてきますね。バッハがライプツィヒに移って最初の数年カンタータ創作に励み、その後ほとんどやめてしまったという事実。上記カトリック教会音楽の収集と、《ロ短調ミサ曲》や小ミサ曲の創作を行ったという事実。ハラーが帝国宰相ブリュール伯爵の強い後押しでカントルに就任したという事実。

ポーランドの王位を継承するために先代の選帝侯がカトリックに改宗したこと、それによってザクセンのルター派民衆との間にきしみが生まれたことは周知の通りですが、どうやら一連の事実は、帝国文化のカトリック化が、政治的背景をもって遂行されていたことを指し示しているように見えます。本当にそう言えるかどうか、さらに研究します。

バッハの最後期2011年04月16日 22時58分16秒

『バッハ年鑑2010』に、アナトリー・P・ミルカというサンクトペテルブルクの学者が、バッハの最晩年の筆跡について、興味深い研究を発表しています。現存するバッハ最古の文字資料は1997年に発見されたJ.N.バムラーへの第2の能力証明書なのですが、これは1749年12月11日という日付をもっていて、本文は代筆、サインのみがバッハによります。同じ人物のための4月12日の証明書(本文、サインともバッハ自身)と比較すると、書体の不自由度が亢進しています。

ミルカは晩年における一連のバッハのサインを厳密に比較し、その硬化のプロセスが、眼疾ではなく脳の血行不全によるものだと推測しました。そして、第2証明書のサインの筆跡は、《ロ短調ミサ曲》の最終段階を示す〈クレド〉3曲目の二重唱の歌詞を振りなおした重唱譜の筆跡と重なる、とします。すなわち、《ロ短調ミサ曲》の完成は49年の12月、というのが彼の見解です。

ということになると、この時点でバッハの目はまだ見えていたわけですよね。ミルカによれば、50年に入ってから、バッハは《フーガの技法》の出版準備を続け、カノンの曲順を変更した。そのさいに校正本の欄外にページ数を書き入れたが、それこそがバッハの最後の筆跡だ、というのが彼の考えです。バッハの最後の作品はやはり《フーガの技法》と考えるべきだ、というわけです。

では、演奏を仕切ることは、どこまでできたのでしょうか。最後の演奏は1749年8月の市参事会員カンタータ(BWV29)の演奏であろうとするのが従来の通念で、私もそう説明しています。しかし1750年の聖金曜日は3月27日で、バッハが目の手術を受けた日は早くても3月28日ということなので、1750年に《ヨハネ受難曲》の第4稿を演奏し、それを終えてから手術を受けたという可能性も、考えられないわけではありません。その傍証となるのは、『故人略伝』が手術の時まではバッハがきわめて健康であったと述べていること、J.A.フランクという別の音楽家の能力証明書にバッハが1750年の聖霊降臨祭にはカントルとしての活動を停止していたという情報があることです(復活祭までは活動していた、とも取れる)。

真相はまだわかりませんが、概して1750年に入ってからの活動を想定する研究者が増えつつあることは、間違いないようです。

iBACHスタート2011年04月13日 22時48分28秒

12日(火)のガイダンスで、今年度の音楽研究所バッハ演奏研究プロジェクトが出発しました。今まではピアノ部門、声楽部門を並行してやってきましたが、今年は声楽部門のみとし、《ロ短調ミサ曲》の上演に集中します。コンサートは来年の1月15日(日曜日)です。

すでに書きましたように、《ロ短調ミサ曲》は国立音大が1931年(昭和6年)に、《マタイ》《ヨハネ》に先立って日本初演した作品です。その80周年記念の年度にまったく異なった水準において再演し、研究所の活動の、ひとつの仕上げにしようというわけです。全学のご支援をいただいています。

大学院の授業でもありますので、ガイダンスをやってみないと、活動の形が決まりません。幸い、力のある人たちが受講してくれましたので、ようやくスタートの準備が整いました。12月までの授業では前半を準備し、後半は、年末年始を中心に作ります。前半(1733年のキリエ、グローリア)と後半(1748-9年の〈ニケーア信経〉以下)は、事実上別の曲だという考えから、前半を若手中心、後半はベテランを交えて編成するつもりです。

これで、教員生活の最後を飾りたいと思います。ヴォルフの著作の翻訳、かなり進んできました。情報発信も、できるだけ行いたいと思います。

円熟の極み、アーノンクール!2010年10月24日 11時37分46秒

久々の生放送。行く前はもうあまり緊張することはしたくないな、と思っているのですが、始まってハイになると、やり甲斐に動かさている自分に気がつきます。《ロ短調ミサ曲》の作品と演奏に対するコメントですから、どんな方向から振られてもだいたい大丈夫だと思っては臨みましたが、そこはナマの恐ろしさ。何が起こるかわかりません。

放送でも申し上げましたし、批評にもまとめますが、80歳のアーノンクールが長身をステージにあらわしただけで、客席の姿勢が改まりました。たいへんな存在感です。演奏は、従来の観念を改めるようなものでした。情報量極大の雄弁なスタイルが後退し、聴き手が静かに耳をそばだてるような、奥行きの深い、滋味豊かなものになっているのです。円熟をさらに極めたアーノンクールの指揮によってバッハの究極の作品を聴く、忘れがたい一夜でした。

なかなか完璧の期しがたい生放送で反省もいろいろ残りましたが、NHKの方々が感動的な放送だったと真顔で言ってくださったので、ありがたくいただいて帰宅しました。もちろん、名演奏あってこそなしえたことです。いずれにしろ、《ロ短調ミサ曲》の存在が、私にとって、日に日に大きくなってきています。この曲の研究と上演を、これからの課題としたいと思います。

《ロ短調ミサ曲》のDVD2010年02月09日 23時07分58秒

《ロ短調ミサ曲》のDVD。いま、4種類手に入ると思います。

リヒター指揮、ミュンヘン・バッハ(グラモフォン)。ビラ-指揮、聖トーマス教会聖歌隊(TDK)。ブロムシュテット指揮、ゲヴァントハウス管弦楽団、合唱団(ユーロアーツ)。ジョン・ネルソン指揮、ノートルダム・ド・パリ聖歌隊&アンサンブル・オルケストラル・ド・パリ(ヴァージン)の4つです。トランペットやホルンの活躍する曲なので、ピリオド楽器のものが1つもないのがいかにも残念ですが、それはそれとして。

多分市場で人気があるのは、一にリヒター、二にビラ-ではないでしょうか。しかし私のイチオシは、最後のネルソンです。ブロムシュテットも、なかなかいいと思います。

ネルソン盤は、合唱もオーケストラもフランス人ですが、ソリストは、ツィーザク(S)、ディドナート(Ms)、テイラー(CT)、アグニュー(T)、ヘンシェル(B)と一流揃い。合唱もオーケストラも若々しくはつらつとしていて、後半に行くにつれ、強烈にノリが出ています。カトリックの聖歌隊だけに、グレゴリオ聖歌の引用はお手のもの。《ロ短調ミサ曲》はカトリックのための作品だという観念はあるとしても、ラテン的な明るさがこれほど生きる曲だというのは、初めて知りました。お薦めです。