開演30分前2012年01月15日 13時26分56秒

やっぱり、いろいろありますね。公開ゲネプロの昨日は、字幕用に用意したマックのパソコンがプロジェクターにつながらないことがわかり、ウィンドウズのパソコンを調達したり、ファイルを調整したりと、忙しい思いをしました。宗教曲に字幕が要るの、という声もありますが、私は歌詞の理解は宗教曲においてこそ必要、という考えなので、綱渡りをしても、字幕を使います。

私の情緒部分について。じつは大詰めの〈アグヌス・デーイ〉で涙が止まらなくなってしまい、演奏者から、「責任者なのだからしっかりしてください」と言われました(笑)。今日は、しっかり取り組みます。号泣を期待している方、おあいにくさまです。

もう開場しました。行ってきます(緊張)。

神の国?2012年01月13日 10時54分36秒

連日練習に付き合っていると、どうしても、《ロ短調ミサ曲》の話題になってしまいます。

精魂込めた練習が眼前に繰り広げられ、聴衆は事実上私ひとり、というのは、なかなかの気分。何度も聴き、作品が隅々まで、身体に入って来ました。すごい作品だなあ、の一念です。

バッハはもともと理想主義的なところがありますが、この作品も、とくに後半において、演奏者の都合をあまり考えていない。「ミサ曲」という偉大な歴史をもつジャンルに規範となる曲を遺そうという意識から、とりわけ自信のある曲を、努めて多様な形で集成することに全力を注いでいて、演奏者はじつに負担を強いられます。作品の起点を外部からの委嘱に求めるのか内的な構想に求めるのかという論争がありますが、回を重ねるごとに後者に傾いてくるというのが実感です。

通し演奏まで死後100年もかかったのは、ケタ違いの難しさに加えて、通して演奏するべき曲なのかどうかという躊躇もあったのではないかと想像します。それを大学の先輩たちが、昭和6年に初演したとは。こうした苦労の結果、曲がいま世界中で取り上げられるようになっていることを、バッハに教えてあげたいですね。

自分の人生の1ピークになるようなイベントですから、当日どんな思いにかられるか、見当がつきません。基本的に私は感激家なので、過度に感激を舞台上で示してしまってはまずいと、警戒しています。いざその時になれば案外クールなのかなとも思いますが、どうでしょうね。

バッハ時代の音楽論では、音楽は天国の幸せの、この世におけるVorschmack(あらかじめ味わうこと)であると言われていました。でもVorschmackそれ自体が人の考える天国の幸せなのだと、考えることもできそうです。なぜなら、イエスの唱えた「神の国」はどこか未来にあるのではなく、そのメッセージに接した者が喜びをもって信じるとすれば、そこにすでにあるのだ、という解釈を読んだことがあるからです。

そうなると、練習のひとつひとつがすでに神の国の始まりなのかな、と思えてきました。今日が最終リハーサル、明日が公開リハーサルです。

ゲネプロ公開2011年12月15日 11時25分36秒

12月1日からFAXで始まった、1月15日の《ロ短調ミサ曲》整理券の申し込み。最初の1日で200件あったとかで、すでに予定枚数を超過してしまいました。数日前から、国立音大のホームページにもキャンセル待ちの案内が出ています。

そこで、2倍以上収容力のある大ホールで開催するように変更するか、小ホールは動かさず、14日(土)のゲネプロを公開するかの打開策を検討しました。相当迷い、メンバーにも幅広く意見聴取しましたが、結論は、小ホールでのゲネプロ公開です。今までiBACHのコンサートが成功してきたのは音響のいい小ホールのおかげである、との思いが、決定打になりました。

近々、14日の整理券申し込みが始まると思いますので、ご確認ください。今までの勢いを考えるとこちらもなくなるかもしれません。ぜひ早めにお申し込みください。14日はどうしても、という方は、15日にキャンセル待ちをかけておかれではいかがでしょうか。どうぞよろしくお願いします。

振れる振り子2011年11月16日 16時48分41秒

15日の《ロ短調ミサ曲》練習で、初めて3本のトランペットとティンパニが入りました。名手島田さんを中心としたナチュラル・トランペットの効果はなかなかで、この楽器がよみがえってこその《ロ短調ミサ曲》である、との思いが湧き上がりました。その響きを至近距離から体験できる29日(火)18:00からの学内発表会を、ぜひ聴きにいらしてください。〈グローリア〉の最初と最後の合唱曲と、〈ニカイア信条〉の全曲を演奏します。会場はSPC(正門を入り、突き当りを左)です。

そんな経緯でふたたび《ロ短調ミサ曲》に気持ちが動き、両名曲の間で、振り子のように揺れる私です。企画解説でさまざまなコンサートを手がけますが、いつも迷うのは、演奏に対してどこまでアドバイスするか、ということ。プロ野球で言えば私の仕事はGMですから、現場に口を出すのはよくないことです。しかしちょっとした説明や提言がきっかけとなって演奏が引き締まることもよくあるものですから、私が上に立つ今回のような場では、あえて注文を出すことも行なっています。あまりに言いにくいような雰囲気になっているときは、結果もまた、よくないものなのです。

折しも、訳書を送付したヴォルフ先生から、お礼メール。なにもそこまで、と思うほど丁重な感謝がしたためられており、「貴兄のお名前が私の本に結びつけられるのはたいへん光栄です」とまでおっしゃってくださったのには恐縮しました。来年3月に、いずみホールにお迎えします。

1月15日(日)の《ロ短調ミサ曲》本番の、整理券頒布方式が決まりました。音楽研究所のサイトからダウンロードした申込書を大学の演奏課にFAXしていただき、先着順に受け付けるというやり方です。12月1日(木)から受け付け開始になりますが、席数が限られていますから、急いでお申し込み下さい。

富田庸氏、圧巻の講演2011年11月10日 23時04分55秒

8日(火)の夜、国立音楽大学で、富田庸さんによる《ロ短調ミサ曲》講演会が開かれました。富田さんは世界に冠たるバッハの資料研究者のひとりですが、とりわけ《ロ短調ミサ曲》に関しては、2007年にベルファルストのロ短調学会を主宰されたほどですから、オリジナルから受容史の諸段階にいたるまで、多方面に精通しておられます。講演ではそうした専門的知識が駆使されるのに加え、それを裏付ける画像が、パソコンから手品のように湧いて来る。江端伸昭さん、高野昭夫さんら「軍団」の方々のご協力もあってディスカッションは盛り上がり、あたかも学会のひとこまを見るようでした。

聴衆の中心はiBACHのメンバーでしたが(外部からも大勢)、みんな、資料研究の奥深さ、世界最先端におけるその凄さ、楽譜の背後にある研究者の作業の膨大さと複雑さ、校訂にたずさわる者同士の競争意識や相互批判の厳しさなどなど、多くのことを学んでくれたと思います。次々と登場する校訂版の比較を、内幕も交えて掘り下げてくださったのが興味深く、来年1月の公演のポリシーである「リフキン版の使用」に自信をもつことができたのも収穫でした。ありがとうございました。

最後にフロアから思いがけず、とても考えさせられる問題が提起されました。議論は、種々の背後の情報が参照可能になっている校訂楽譜の価値を認め、その使用を推奨する方向に進んでいたのですが(音楽学者は誰でもそう考えます)、ある演奏家がおっしゃるには、自分たち歌い手はいろいろ注釈の書きこまれた楽譜は見たくない、何も書いてない楽譜の方がよほどファンタジーが湧いて歌いやすい、というのです。ちなみにこの方は、バロックを専門とする、一流の歌い手です。

私がはっとしたのは、バッハ自身の楽譜が文字通り、注釈もなにもないシンプルな楽譜だからです。自筆譜ではその幾何学的な美しさがそれ自体意味をもっており、アスタリスクだの、破線だのはもちろんありません。音楽学者がよしとする重装備の楽譜がいいのか、それは研究用の楽譜であって演奏用の楽譜とは異なるべきなのか。新しい議論のテーマが与えられました。考えていきたいと思います。

iBACHで講演2011年10月25日 23時23分36秒

今日のiBACHは、《ロ短調ミサ曲》に関する私の講演会でした。聞きにいらしてくださった皆様、ありがとうございました。

今まではもう少し早い段階で、私が作品についてお話する回をもちました。今回ずっと遅れたのは、翻訳を手にとってもらってやると能率的、という思い(下心?)が働いたからです。しかしうまくいかないもので、発売の前日に、本のないまま、やる羽目になりました。

入念に準備し、相当緊張して臨んだのは、この1回のメッセージが届くか届かないかが、来年1月の演奏を、かなり左右するように思えたからです。自分ながら滑稽に思えるほどのハイテンション。マイクなしでやりましたが、新築のスタジオの音響効果がよく、なめらかに声が響きました(と思う)。じつは、NHKの最近数回が、いやになってしまうほどのしゃがれ声。もうこんな声になってしまって治らないのかな、と思っていたのです。

しかし、27曲もある長大な作品に詳細なレジュメを作成したのでは、どんなに飛ばしても、最後までいきません。休憩中に指揮者の大塚直哉さんがいらしておっしゃるには、勉強になるので来週も続けましょう、と。練習を中断して講演を続けるのは気が引けますが、作品を理解する重要性をみんなが感じてくれたのであれば、やはり必要なことだと思い、もし終えられなかったら、やらせていただくことにしました。

結局は、〈グローリア〉で討ち死に(笑)。締めに用意していたDVDの音が出ず、最後を飾れませんでしたが、こんなときに必要なのは、発想の転換です。代わりに、次回に送ろうと思っていた後半部の成立事情をお話ししました。来週は来られない方もいらっしゃるでしょうから、かえってその方が良かった面もあると思います。

ヴォルフ先生の作品観はすっかり頭に入り、自分なりの整理の仕方も、頭をもたげてきました。本は、いよいよ明日発売です。私の明日は、胃カメラの日。最近日本学術会議の連携会員というものにしていただいたので、午後はその説明会に回ります。

ついに2011年10月21日 23時28分20秒



訳書の見本ができてきました。美しい仕上がりで喜んでいます。値段は2,500円+税です。26日発売ですので、どうぞよろしく。今日、編集者の高梨公明さんとKISAKIで祝杯を挙げました。とてもよくやっていただいたのに、「あとがき」でお礼を書き忘れ、恥ずかしいかぎりです。ありがとうございました。

理念の優先2011年10月12日 00時12分22秒

マッキーさんのコメントにあった、《ロ短調ミサ曲》の〈キリエ〉がヴィルデラーのミサ曲を手本としていたという問題について、若干フォローします。

この曲とバッハの〈キリエ〉が共通しているのは、短いアダージョの序奏がついていることです。そこで合唱とオーケストラが一緒に入ること、〈キリエ・エレイソン〉のテキストが3度にわたって唱えられること、ドミナント上にフリギア終止することも共通です。主部はどちらもフーガで、同音反復を伴う主題が用いられています。〈クリステ〉が平行長調を取り、ヴァイオリンと通奏低音に伴奏された二重唱になること、第2キリエが古様式によるモテット楽曲になることも同じです。

こうした類似に加えて、バッハがヴィルデラーのミサ曲の筆写譜を作成し、ライプツィヒで演奏しているという事実が、「引用」を疑い得ないものにします。もちろん、結果はまったく異なっているわけですけれども。

わからないのは、そのことと、〈キリエ〉の3曲がおそらく旧作のカンタータ楽章の転用(パロディ)であることとが、どういう関係に立つか、ということです。原曲が見つかっていませんので、バッハが両者をどう折りあわせたのかは、不明のままです。

〈クリステ〉のファクシミリを見ていて、あることに気づきました。それは、第2ソプラノのソロが最初の2段(休符)はアルト記号で書かれ、声部の始まる3段目から、ソプラノ記号に変わっている、ということです(当時はどちらもハ音記号で記譜)。これは明らかに、原曲はソプラノとアルトの二重唱であったが、《ロ短調ミサ曲》においてソプラノ同士の2重唱に改められた、ということを意味しています。ヴォルフの指摘する「神人の同一性」が、変更の理由であろうと思います。

ここからわかるのは、バッハが時として理念を優先した作曲家であった、ということです。第2ソプラノのソロはたいへん音域が低く、普通のソプラノで響かせるのは、至難の業です。しかしバッハがこの曲をあえて2人のソプラノの二重唱としたということは、低い音のよく出るアルトの歌い手をここで使うべきではない、ということを指し示しているように思われます。

訳書、26日配本と決まりました。よろしくお願いします。

免れた立ち往生2011年10月06日 22時28分26秒

今日は、「バッハとその時代」の持ち回り授業に3度目の登板。選帝侯妃追悼カンタータのCDと《ロ短調ミサ曲》のDVDを持参する予定を立てました。演奏は決まっています。追悼カンタータ(第198番)は、レオンハルト。これが最高の演奏です。《ロ短調ミサ曲》は、ネルソン指揮のノートルダム聖歌隊のもの。ラテン語テキストのスピリットが抜群で、グレゴリオ聖歌が堂に入っており、〈クレード〉に入ると、別世界が開ける感じになります。ミサ曲テキストへの習熟がいかに演奏に生きるか、痛感させられる演奏なのです。

バッハのCDの棚に行き、まず198番のケースをゲット。皆さんなら、すぐカバンに入れますよね。私は違います。慎重な性格なので、中身を確かめるのです。(黙りなさい、講演中に開いたら中身がなくて立ち往生、という光景を数回見ましたよ、と言っている人。)

開くと、中身は空。どこかで使って、戻しておかなかったようです。力が抜けました。次にDVDの棚に移動し、《ロ短調ミサ曲》をゲット。慎重な性格なので一応中身を確かめると、これも空でした。この演奏でやりたいのに!と、落胆。でも考えてみると、NHKの仕事の後、渋谷のタワーレコードで買う手があります。そこでブロムシュテットの映像を用意し、家を出ました。

結局タワーレコードでは入手できず、ツキをためる結果になりました。よく使うものほど、こうしたことが起こります。まあ、その場で立ち往生するよりはよかったですけど。

翻訳の方は、校了になりました。しかし念のため校正を1行程増やしましたので、出版は、1週間ほど遅れそうです。10月下旬に立てていた使う予定が、どうなりますやら。完成が楽しみというより、あそこはこれでよかったか、この表記はどうだったか、と心配している段階です。とくに、テキストをドイツ語読みで表記したことが気になっています。「ザンクトゥス」をお許しください。

再校終わりました2011年09月29日 23時49分22秒

毎日必死です。《ロ短調ミサ曲》の再稿、なんとか仕上げ、今日春秋社に渡しました。初稿で大幅に手を入れましたが、それでもなんとなく座りの悪い部分、つながりがわかりにくい部分が残りました。そういう部分に見直しをかけ、完全とは言えぬまでも、かなり良くなったと思います。いくつかを著者に質問しましたが、へえ、そういう意味か、わからなかったなあ、という部分もありました。そんな質問へのヴォルフ先生のお答えは、本当にかゆいところに手が届くようで、親切。なかなかできないことです。

というわけで、10月20日出版は、ほぼ確実なものとなりました。すでに本文は私の離れ、出版社に委ねてあります。春秋社の編集は第一級のものなので、その点は安心です。でもこの仕事は、本当に勉強になりました。感謝です。

「あとがき」の最後に、こんな文章を書きました:私が国立音楽大学で主宰する「くにたちiBACHコレギウム」は、初演後80年を経た今年度(2012年1月15日)にそのリベンジ公演を行うことになり、目下その準備を行っているところである。その過程で痛感するのは、総合的作品としての《ロ短調ミサ曲》の偉大さとその演奏の困難さであり、また同時に、テキストの内容、その神学的な意味への関心と理解なくしては、その真髄に達することはできない、という認識である。

まさにその「関心と理解」を、これから作りたいと思います。