今月のCD2013年08月22日 09時57分12秒

ベッリーニの歌劇《ノルマ》(デッカ)を選びました。クリティカル・エディションを使い、ピリオド楽器オーケストラ(ラ・シンティッラ管弦楽団)を起用した、異色の《ノルマ》です。あのジョヴァンニ・アントニーニ(イル・ジャルディーノ・アルモニコの指揮者兼リコーダー奏者)が指揮をしています。

古楽の波がついにここまで、という感慨を抱きますが、たしかに演奏は、従来のそれと大きく違う。新しい眼で楽譜を見直し、作品像を再構築しているというプロセスが、生々しく伝わってくるように思えるのです。そのこと自体には長所も短所もあり、道半ばの吹っ切れなさが残っていることも確かなのですが、有意義な一歩と考えて、選びました。

ピリオド楽器は質朴ですが人声をよく生かしますし、バルトリのノルマ、スミ・ジョーのアダルジーザのコロラトゥーラ対決はみごとです。ヴィヴァルディ、ロッシーニ、ベッリーニをつなぐ歴史が見えてきたように思います。

ゲルハルト・ボッセさんのブルックナー《第8》に感動したばかりのところへ、手塩にかけた神戸市室内合奏団を指揮したメンデルスゾーン《スコットランド交響曲》とベートーヴェン《第4》の実録が出ました。気持ちが清らかになる、本当にいい音楽です。大切な方だったのですね。

今月の特選盤2013年07月22日 11時13分00秒

今月は、アンドレアス・シュタイアーのチェンバロによる「憂鬱をやり過ごすために--ドイツ、フランス・バロック鍵盤作品集」(ハルモニアムンディ、金部インターナショナル発売)を選びました。演奏者にやりたいことの明確なイメージがあり、それがしっかり実現されている、というのが推薦理由です。

「憂鬱をやり過ごすために」というのはフローベルガーの組曲に出てくる注釈で、CDはこれを冒頭に置き、最後に同じフローベルガーのフェルディナント4世へのラメントを置く。その間に、ダングルベール、ルイ・クープラン、フィッシャー、クレランボーらのメランコリーに満ちた作品が並べられてゆきます。減衰するチェンバロの響きに当時の人が重ね合わせた憂鬱を、さらには「メメント・モリ」の思想を掘り下げようという、筋の通ったプログラムです。

演奏も鋭い突っ込みを感じさせるもので、すべてのフレーズに、意味があり主張があるという印象を受けます。文字通り、聴き応えのあるアンソロジーです。

CD推薦盤2013年05月24日 07時10分05秒

今月はたくさんいいものがありましたが、特選盤に選んだのは、「アルゲリッチ&フレンズ ルガーノ・フェスティヴァル・ライヴ2012」(EMI、5,000円)です。

毎年この時期に発売される3枚組ですが、今年もいいですね。なにしろ最初にモーツァルトの4手ソナタ(K.381)があり、これがピリスとアルゲリッチの連弾で、まことにすばらしいのです。平素あまり関心のない曲でしたが、この曲こんなに良かったのか、と思わせるのが、演奏の真髄です。

以降、なじみのない曲も多いですが、どれも、わくわく感を失わずに聴き通すことができます。アンサンブルからにじみ出る愉悦感に、聴き手が巻き込まれてしまうからです。アルゲリッチがこうした活動へとシフトしたこと、成功でしたね。偉大なる先見の明です。

ピリスの新録音がいくつかあり、シューベルトのソナタ、とくに最後の変ロ長調(グラモフォン)が名演奏です。淡々とした運びから、「祈り」のオーラが立ち昇ってきます。

忘れられないのが、菅きよみ、若松夏美、成田寛、鈴木秀美によるモーツァルト/フルート四重奏曲集(アルテ・デラルコ)。清澄な響きと細やかな連携で、モーツァルトの青春をまっすぐ伝えてくれます。

常連の皆様絶賛の東京クヮルテットの旧録音が、まとめて出ました。久しぶりに初期の顔ぶれによるハイドンの op.76を聴き、すっかり魅了されました。

今月の特選盤2013年04月27日 08時25分39秒

音楽史上評価のむずかしいもののひとつが、シューマンの後期作品です。再評価の要請が根強くある一方、人気曲としてなかなか浸透しないことも事実。私も、辛い思いをぬぐえない、というのが正直なところです。

そこへ、作品の問題点を十分認識しながらも、それに勝る愛をもって、技術的にも最高の充実度で後期歌曲を再現する、すばらしい録音があらわれました。加納悦子さん(メゾソプラノ)と長尾洋史さん(ピアノ)による、「メアリ・スチュアート女王の詩~シューマン・後期歌曲集」(ALM)です。 op.83の《3つの歌》から op.135の標記作品まで、34曲が収められています。

演奏には本質への鋭利な洞察力が一貫して感じられますが、それを裏付けるのが、ご本人による解説です。ぜひ全文を読まれることをお薦めした上で、すごいなあと思った最後のパラグラフを引用させていただきます。

「後期歌曲」でシューマンは「表現する」のではなく「魂が語る」ような歌を作り出した。「1840年-歌の年-」の作品たちの流麗なピアノパートは見る影もないし、骸骨のようになってしまった歌たちは「歌う」というよりは「念じる」といった感じに近い。枝葉を落とした木々のように、それらの歌曲は立ちすくみ、しかし、まだしっかりと地中深く根を張って、天を向いて立っている。(加納悦子)

今月のCD2013年02月21日 00時44分16秒

今月、すばらしいベートーヴェン/交響曲全集に出会いました。ベルナルト・ハイティンク指揮、ロンドン交響楽団の2005、6年のライヴ。三重協奏曲なども入り、6枚組で6,000円です(キング・インターナショナル)。

大都会で新幹線に乗るようなベートーヴェンもよく聴きますが、これは、その正反対。都会の喧噪を離れ、深い森の空気を吸うような、なんとも安らぎにあふれたベートーヴェンなのです。音がやわらかく、みごとなバランスで綿密に演奏されていながら、すべてが有機性を帯びて自然。自己顕示がまったくなくて、作品が、生まれ故郷に帰ったように生きている。当然ながら、《田園》が格別でした。

最近台頭しているアンドリス・ネルソンスという指揮者、いいですね。チャイコフスキーの第4交響曲の、新鮮で心のこもった演奏に感心しました(オケはバーミンガム市響)。チャイコフスキーといえば、トリフォノフがゲルギエフと共演したピアノ協奏曲第1番も聴き応えがありました。

今月の特選盤2013年01月24日 09時01分20秒

フォルテピアノが、面白くなってきましたね。楽器の修復・復元能力も進化しているのでしょうが、新世代奏者の活躍が目立ってきました。

中でもすごいなあと思うのは、南アフリカ生まれだという、クリスティアン・ベザイテンホウト。彼がフォン・デア・ゴルツ率いるフライブルク・バロック・オーケストラと組んだメンデルスゾーン少年期のピアノ協奏曲イ短調/ヴァイオリンとピアノのための協奏曲ニ短調のCD(ハルモニアムンディ)を、今月のベスト・ワンに選びました。

本来ロマンティックな持ち味のピアノに比べて、フォルテピアノはクラシック、と分類したくなります。しかしこのCDでベザイテンホウトの弾くグラーフ・モデルのフォルテピアノは感性に密着してみずみずしく、ロマン性にあふれているのです。天才少年メンデルスゾーンが才気満開で繰り広げる音たちが、変幻自在のきらめきを放っています。ここまで、できるものなのですね。

今月はいいものが結構ありました。トーマス・ヘルが詩情豊かに弾くリゲティの「ピアノのためのエチュード」(ハルモニアムンディ)、新録音と旧録音の組み合わせですが堂々たる貫禄で楽しませる、福田進一さんのピアソラ作品集(デノン)、好調を持続するロータス・カルテットのシューベルト/弦楽五重奏曲(ライヴノーツ)などなど。

今月のCD特選盤2012年12月21日 10時37分18秒

先日ある方がトークの中で、私のことを「少年のよう」とおっしゃいました。ありがたく思いましたが、私は認識型の性格で、天真爛漫ではまったくありません。ですから、10分の1ぐらいでもそういう部分があればいいなと、割り引いてお言葉を頂戴しました。

しかし出会ったのですね、少女のよう、少年のように演奏されたモーツァルトに。とはいえ若者が演奏しているわけではなく、70歳近いピアニストと、80歳近い指揮者の、人生経験すべてを突き抜けて童心が躍動するような演奏。マリア・ジョアン・ピリス(ピレシュ)とクラウディオ・アバドによる、ピアノ協奏曲第27番と第20番(グラモフォン)です。

選曲も、究極ですよね。長調と短調の対比は意図されていないようですが、作品に対する慈しみの深さが、すべてを超えています。じつは第27番の第3楽章を先日のモーツァルト・フェラインでの講演の最後に使いました。家で聴いたものを外で聴くとときおり「おや」と思う違いがあるのですが、この演奏ばかりは、古いラジカセで流したにもかかわらず、生命力に衰えがありませんでした。ぜひお薦めします。

選考課程でもうひとつ心に残ったものに、ロータス弦楽四重奏団のブラームス/弦楽四重奏第1番、第2番がありました(ライヴ・ノーツ)。ドイツの深い森のような、ブラームス特有の響きがみごとにとらえられているのです。シュトゥットガルトに住みついた方々が、ドイツでよき日々を過ごされているのだと思います。

特選盤11月2012年11月30日 23時15分28秒

京都滞在中だったのでしょうか、新聞掲載を見逃してしまいました。

原稿の締め切りは、名古屋から大阪に行く月半ばに設定されていました。その段階で一応選んだのは、アンドレアス・シュタイアーの弾くベートーヴェン《ディアベッリ変奏曲》(HM)です。この曲、どうやら流行になりそうですね。何人もの鍵盤奏者が興味を持ち、取り組んでいます。晩年にあらわれた変奏曲に関心が集中するという点で、バッハの《ゴルトベルク変奏曲》と通じるところがあります。

しかし聴き手の立場では、この曲についていくのはなかなか大変ではないでしょうか。融通無碍、晩年特有の自由さが「心赴くまま」の域に達していて、結果的に、難解な作品になっているからです。《ミサ・ソレムニス》よりその点さらに上、という感じです。

しかしシュタイアーはそれを、じつに面白く聴かせてくれます。同時代楽器(グラーフ・モデル)の軽い反応が、曲想の変化に自然に対応していることが大きいと思います。また、別の作曲家による種々の変奏がまず弾かれ、シュタイアー自身の「イントロダクション」を経てベートーヴェンに入っていく、という構想が親しみを増していることも、たしかだと思います。

大阪から帰ってみますと、届いていた新譜の中に、藤村実穂子さんの「ドイツ歌曲集Ⅱ」(フォンテック)がありました。藤村さんの「私心のない芸術」が、シューマンの《リーダークライス》やマーラー、ブラームスで、おおらかかつ繊細に(←それが共存している)、深い寂寥感を伴って展開されています。ですので《大地の歌》の感動を思い起こしつつ、選ばせていただきました。残念なのは、静かなエンディングのあとに唐突な拍手が、大きな音量でわき起こることです。カットすることはできなかったのでしょうか。

今月のCD2012年10月30日 22時53分06秒

毎日新聞に連載しているCD選。今月から形が変わり、「特選盤」1枚を選ぶようになりました。ちょっととまどっています。なぜなら、従来は「3選」でしたので、メジャーなもののほかに、目立たないいいものを含めることができたからです。しかし言及は可能ですから、少ない字数ではありますが、なるべく目を向けてゆくつもりです。

今月はたくさんの新譜がありましたが、ピアノの数が多く、いい演奏が集まっているように思えました。そこでピアノから特選盤を選び、他のいくつかにも言及する、という作戦を立てました。

アンスネス&マーラー・チェン-バー・オケによるベートーヴェンの協奏曲第1番、第3番と、シフの《平均律》第1巻、第2巻の新録音。どちらを特選盤にするか迷った末、アンスネスを選びました。彼の弾き振りで、オーケストラとのコラボレーションが、じつにみごとにできているのです。ピアノと各楽器のこのように密度高くはつらつとした連携は、指揮者を置かない演奏形態においてこそ、十全に追求できるものです。古典派のコンチェルトは、こうありたいものです。

シフの《平均律》はさすがに立派。横綱相撲ともいうべきものですね。12月の「古楽の楽しみ」で取り上げましょう。ポリーニのショパン《24の前奏曲》は熟した味わいがよく、スドビンというロシア人奏者のスカルラッティ・ソナタ集も、じつに面白いと思いました。日本人では、佐藤彦大さんの骨太な音楽に注目したいと思います。

今月のCD選2012年09月20日 10時44分49秒

ちょっと早いですが、昨日の夕刊に掲載されましたのでCD選を。今月は3人の選者がかなり重複する結果になりました。

心から感嘆した1位があります。それは、ベルクとベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を、イザベレ・ファウストが独奏、アバド指揮のモーツァルト管が共演したHM盤。今どきこんな人がいるのか、と思うような精神性の高いヴァイオリンで、すべてが作品に集中し、1音の無駄もないのです。逆に言えば付加価値的なオーラはまったくありませんから、好き嫌いが分かれるかも。YouTubeでソナタの演奏を見ましたが、自分のパートより前に音楽の全体を考えるようなところがありますね。これから目を離せないアーチストです。

生誕150年ということで、ドビュッシーの《前奏曲集》が4つもかち合いました。当然この中から1つ、と思うわけですが、ドビュッシーのピアノ曲はこうであるべきだ、という前提が私の中にあるわけではありません。そこで、1曲か2曲ずつCDを入れ替えて、丹念に比較してゆくことにしました。それぞれに個性があっていいのですが、結果的に次の曲へのわくわく感が一番高まったのは、アレクセイ・リュビモフ(ECM)。人なつこさがあり、描写に血が通っているのです。第1巻がベヒシュタイン、第2巻がスタインウェイの同時代ピアノで弾かれ、ズーエフとの2台ピアノで、《夜想曲》(ラヴェル編)と《牧神》(作曲者編)が併録されています。これも面白く聴きました。

バーンスタインがマーラーの交響曲第9番をどんなにすばらしく指揮するかは、皆さんご存じですよね。イスラエル・フィルを指揮した1985年のライヴが、新たに発表されました(ヘリコン)。来日直前のものだそうです。皆さんが注目される新譜だと思うので、さすがにすばらしいですが、3位にとどめました。