師走2011年12月06日 23時39分40秒

師走ですね。年末進行とか、納期とかいうことで、たいへん忙しくされている方が多いのではないでしょうか。かく言う私も必死です。

私の大学は授業は12月で終わるので、あと2週間というところに来ました。その頃になると万感こみ上げてくるものがある・・かな、と以前は思っていましたが、仕事の集積が半端ではなく、とにかく最後まで完遂しよう、最後の坂を登り切ろう、という一心です。この段階で手抜きをしたら、あとで後悔しますものね。

でも山登りの山頂は楽しみがありますが、私の場合は、山頂は単なる行き止まりで、何も特別なものはありません。そもそもどこが本当の山頂であるかもよくわからないのです。郵便は開いていないし、遅れている仕事もいくつか。まあ、こうした思いもここしばらくで終わりだと考え、とりあえず授業の終わりをめざしてがんばっています。

家族が減りました2011年11月25日 13時48分38秒

闘病中だったポメラニアンのルルちゃんが亡くなりました。8歳でした。発作が頻発するようになってから、いったんは動物病院に引き取られていたのですが、なんとか症状が安定したというので帰宅。以後ほとんど寝たきりでした。妻が面倒をよくみるのには、本当に感心。亡くなった日は渓子も職場を早退してきて、お寺にも二人ででかけました。

動物病院に報告にいったところ、先生は診察を止め、スタッフ全員が整列して、黙祷してくれたそうです。動物病院も商売の仕方はいろいろだと経験していますが、この規律の正しさには感動しました。ともあれ、純粋種で小さくした犬は、弱いですね。陸ちゃんは、ミックスなので元気いっぱいです。

先日、1月15日の《ロ短調ミサ曲》演奏会をFAXで受け付けるとお知らせしました。その申込用紙が研究所のホームページでダウンロードできるようになりました。http://www9.ocn.ne.jp/~bach/から、「Topics」に入って下さい。なお、アミューや国立楽器、TACの諸大学に置いてあるチラシの裏面が申込用紙になっています。アナログ派の方はご利用いただければ幸いです。

完走祈願2011年11月18日 23時34分31秒

11月27日(日)に一橋大学兼松講堂(国立)で行われる《ポッペアの戴冠》の公演、須坂と国分寺の公演の延長線上にあるものですが、私は今回、直接かかわっていません。一応名前はあり、役どころは、事前の講演と字幕作りです。

その字幕作りの作業をしました。これが思いのほか時間がかかった。それだけ、演奏箇所が増えているのです。とくに、2人の乳母の出番が大幅に復活しており、そこに押見朋子さんが起用されていますから、演出家の関与と相俟って、演劇的な面白さが出てくるだろうと思います。見てあげていただければ、と思います。

なかなか作業が終わらず、老体に鞭打って(?)、深夜に及びました。授業の準備は、今朝、早起きして。早起きはじつに辛かったですが、「もう少しの辛抱」と言い聞かせて決行しました。最終学期を楽しむというゆとりはありません。今は、早く完走してしまいたい、という一念です。終わった時どんな心境になるかは、まだ想像の外にあります。

ノルマをひと通り終えた夕方、疲労困憊になり、「疲れちゃったので」と言い残して帰宅。かかった声は、「週末、ゆっくりお休み下さい」というものでした。私、週末こそが忙しく、休めないんですけど・・・。・

気持ちは大阪市民2011年11月09日 12時04分48秒

不肖私、大阪市の「市民表彰」をいただきました。「文化功労」というセクションで、小野功龍先生や桂ざこばさんと一緒です。紹介文を見ますと、「多年にわたり、いずみホール音楽ディレクターとして、芸術性の高い公演を数多く企画し、幅広い層に人気を博すとともに、国立音楽大学教授として若手の指導育成に取り組み、音楽文化の振興と発展に寄与した」とあります。いずみホールの仕事のほとんどはスタッフの流した汗によるもので、私のしたことは何十分の一にも満たず、私がいただいては申し訳ないと強く思ったのですが、ホールの公演が評価されたのはとても嬉しいことですので、その代表と割り切り、頂戴することにしました。

担当の方からいただいた最初のお知らせが、「受けていただけると嬉しいのですが、受けていただけるでしょうか」という、きわめて丁寧なもの。もう少し「上から」で普通だと思いますので、びっくりしました。次のメールは、「申し訳ないのですが旅費が出ないので、代理の方でも結構です」という、これまた丁寧なもの。とんでもない、参ります、とお答えしましたが、本当は市民がお受けになる表彰なわけですよね。これからは大阪市民になったつもりでがんばらなければ、と思っています。

8日(火)は、じつに清々しい好天。有名な平松市長から賞状をいただき、ツーショット写真も撮影しました。柔和な笑顔がすてきな平松市長は芸術に理解のある方で、オーケストラの指揮棒を執ったことも。バランス感覚にも秀でたこういう方に市長を続けていただきたいと思い、心から応援しています、と申し上げました。投票権はないんですけれど(笑)。

地元大阪の賞をいただいたことを、たいへん光栄に思っています。ありがとうございました。

杉山先生を送る会2011年10月30日 22時57分13秒

10月29日の午後、恵泉女学園大学で行われた「杉山好先生を送る会」に参加してきました。先生を熱愛する人々がこんなにたくさんいらっしゃるのかとあらためて目を見張るようなすばらしい会で、先生も上からご覧になり、涙を流していらっしゃったのではないかと思います。

多摩センターにある恵泉女学園には初めて伺いましたが、緑が多く心が澄みわたるような、いい環境のところですね。そこのチャペルでまず、礼拝がありました。オルガン演奏(木田みなこさん)はバッハのコラール・パルティータ《おお神よ、汝慈しみに富みたもう神よ》BWV767から4つの節を選んで行われましたが、そのそれぞれの節に対応する杉山先生の訳が、配布されています。第1節と、老いの辛苦を述べる第6節、安らかな死を祈る第7節が先立って演奏され、礼拝の最後に、復活を述べる最終節が演奏されました。

先生の精魂こもった名訳を読みながらオルガン演奏を聴くうちに私の心には「信徒の幸福」と呼ぶべきものが、しみじみと実感されるように思われました(もちろん私は信徒ではないので、想像するわけですが・・・)。これは、初めての体験です。快活な笑顔をとらえた先生のすばらしい写真が、花の中に飾られています。

いくつもの著作を勉強させていただき、尊敬申し上げている荒井献先生が「奨励」(短い説教)をなさいました。その中で、先生の最近の研究成果である『ユダ福音書』の話をされ、ユダがイエスによってすでに赦されている、という見方の価値を語られたのですが、それは杉山先生との長年の友情を語る文脈の中ででした。

そのことにかかわる講演を聴かれた杉山先生は、終了後壇上に駆け上がって荒井先生の手を取り、「ユダはバッハの《マタイ受難曲》においても、放蕩息子になぞらえて赦されているんですよ!」と感激の面持ちでおっしゃったそうです。私は驚き、全身耳になってこのお話を聞いていました。なぜなら、この解釈は私が著作の中で提示し、状況証拠を引きつつ主張しているものであるからです。

ああ、杉山先生は共感してくださっていたのだな、と思い瞑目していると、荒井先生は「そのことを私は、杉山さんの弟子のひとりである礒山さんの著作ですでに知っていました」とおっしゃり、私の著作の、「東京書籍、1994年」というデータまで、付け加えてくださったのです。私はますます驚き、ああ、こういう方がこういう風に読んでくださっているんだなあ、と恐縮しつつ、深く励まされました。『ユダ福音書』のこと、これから勉強します。

その後の茶話会では、先生の思い出と恩義を綴った精一杯の文章を用意し、朗読しました。亡くなられた今、先生への感謝の思いは募るばかりです。

[付記]「私の解釈」というのはいかにも語弊がありますので修正し、正確なところを記しておきます。

杉山先生は、ユダの死を受けるバス・アリアの歌詞に以前から「放蕩息子」の訳語を使っておられましたので、この部分を、すでに赦しの文脈で捉えておられたことは間違いないと思います。私が行ったのは、その発想がどこから出てきたかの、ルーツの探索です。バッハの神学蔵書を調査した結果、そのままの用例は見つからなかったが、ユダ観の転換を窺わせる記述は随所にあり、とりわけランバッハのユダ論に、それが顕著でした。したがってユダ=放蕩息子という思い切ったたとえはバッハ/ピカンダーのオリジナルである可能性がなお残っています。しかし、ライプツィヒの牧師たちに由来する可能性もあることでしょう。いずれにせよ、そこには大きな一歩があるように思います。

朝から胃カメラ2011年10月26日 23時09分14秒

早朝に胃カメラを予約すると、たいへんです。前の日に、食事を早く摂らなくてはならない。昨日は夜8時がタイムリミットだったのですが、講演終了後、9時過ぎになってしまいました。早く起き、満員電車で聖路加病院に向かいます。もちろん、朝食を摂ることはできません。まあ、年1回のことですから、がまんもできます。

朝日新聞を買って乗車しましたが、車内で新聞は読めませんね。今朝本の広告が出ると聞いていたのですが、結局発見できませんでした。予定より早く、病院着。先日のMRIをうっかりして病院に迷惑をかけてしまったので、今日は遅れないように、万全を期して出てきました。先生にお詫びしなくてはなりません。ああ、また謝罪率が上がる。

受付で手続き。すると女性がにっこりして言うには、「今日は予約されていません」。「いや、診療ではなく、胃カメラの検査です」。すると女性はパソコンの画面を確認し、「それは明日です」と言いました。

空腹の私は、それからよろよろと、築地方面へ。あ、朝日新聞の広告も、明日のようです。病院には明日、もう一度参ります。

ヒューマニズムの傑作2011年10月16日 00時15分16秒

長いこと、「院オペ」(大学院オペラ)に付き合ってきました。チラシの推薦文を書き、当日の解説を書く、というのがノルマですが、近年は中心的な出演者たち、すなわちオペラ専攻の大学院生たちの論文指導をしていましたので、他人ごとではなくなってきていました。今年の学年は打ち上げのたびにカラオケに行くなどして仲良くしていただけに、少なからぬ身内意識をもって、聴きに行った次第です。

まず驚いたのは、二重丸で期待していた伯爵夫人役の尾形志織さんが体調不良で休演、とのニュース。みんなこの舞台に精魂を込めて作ってくるのですから、これは気の毒としか、言いようがありません。でも、こういうときこそ、私のツキの理論です。ツキを温存した人は、これからいいことが、たくさんあるはずです。

《フィガロの結婚》は、内外の実演、CD、DVDで、何度聴いたかわかりません。解説も講演も授業も、繰り返しやった作品です。それだけに、どこかでやっているから聴きに行こう、とはもうあまり思わなくなっているのですが、でもやっぱり、すばらしい作品ですね。ヒューマニズムという言葉は、この作品のためにあるかのよう。多大の時間をかけ、勉強に勉強を重ねて今日を迎えた学生たちの演奏には心に訴えるものがたくさんあり、感動をもって聴きました。2日目は行かれませんので、これが「院オペ」との付き合いの、最後になりました。

立場上、みんな良かったという感想になってしまいますので、自由なご意見は、コメントでお願いいたします。

ツキを使う(ソースカツ丼)2011年10月03日 21時47分00秒

日曜日、須坂へ。とても疲れていて、気勢が上がりません。12時近くに着き、アシスタントをずっとしてくれているまさお君と合流。彼に「相当無理をしているので、過労死が心配だ」と言ったところ、彼は「過労死というのは30代か40代の人がするもので、先生にはぜったい起こりません」と断言。なんとなく抵抗のある慰め方なんですが、どういう意味でしょう。どんなに無理をしても先生の年齢なら大丈夫だ、という意味?そうでないとすると、たとえ死んでも過労死ではなくてただの死だ、という意味になってしまいますが・・・(笑)。

元気の出る食事がしたいなあ、ということで、インドカレーを選びました。ところが、お店に行く道を勘違い。するといままで気が付かなかったところに、その名も「豚のさんぽ」という店があります。豚肉の専門店で、表に飾られているのが、ソースカツ丼。私はお店に迷う方ですがソースカツ丼のあるお店にはすぐ入ることに決めているので、この日も、即入店。じつはこのメニューの権威なのです。

若向けの盛り付けですが、じつにおいしい。大満足で食べ終わり、外に出て気づきました。明るい覇気が出て、肉食の精気が、体にみなぎっているではありませんか。こんなに変わるものでしょうか!講演もエネルギッシュにこなすことができました。こんなに影響があるのであれば、食事療法で身体を治すというのも、本当なんですね。皆さんも、暗く気持ちが沈んだらソースカツ丼、おすすめします!!!

気持よくやらせていただいている須坂のクラシック入門講座、12月11日(日)が最終回です。久元祐子さんをお呼びしてモーツァルト・プログラムのコンサートを行います。歌い手も優秀な若手を2人を呼び、オペラのアリアや二重唱、歌曲をやります。最後に《トゥナイト》という楽しい趣向ですので、遠くからでもぜひいらしてください。演奏者等は、いずれ発表します。

ツキをためる2011年10月01日 23時40分01秒

いつも「今月のイベント」というご案内をしていますが、これって意味あるのかな、という気持ちをもちつつやっていました。でも、今日、たいへん意味があることがわかりました。

そもそも今日は、裏目、裏目とまわる1日でした。朝日カルチャーに行くべく電車に乗ってメールチェックしたところ、22日の《マタイ》講座の責任者からメール。仰天の内容でした。時間は「4時からではなく2時から」であるとのこと。ダブルブッキングだったのです。

すっかり気持ちが暗くなり、教室へ。新しい方が数名いらっしゃいます、という担当者の言葉を信じて行ってみると、教室はがらんとしている。前期からの継続なのですが、半分以上の方がやめられたようなのです。内容的にはある程度自信をもっていたのですが、この状況は、内容への批判、あるいは後期の計画への批判と受け止めざるを得ません。ちょっとがっかりしましたが、まあ仕方ない、今日をしっかりやろうと、気を取り直しました。

で、ふと気がつくと、多いとは言えない受講生の中に、国立音大で聴講生をしておられる女性が混じっておられるではありませんか。いつもとてもいい反応で聞いてくださっている方でしたが、なんと朝日カルチャーまで参加してくださったようなのです。

私は、顔面蒼白。なぜなら、今日の内容は、まさにその方が聞いておられた昨日の「音楽美学概論」と、6割方重なっていたからです。最近は須坂のネタを東京で使い、ヘーゲルの授業ネタをカルチャーで使うというような使い回しを結構しており、場に合わせて改良することで、いい結果を得ていました。昨日の段階では、よし、このネタを明日使おう、とほくそ笑んでいたわけです。しかし熱心な方が掛け持ちされ、「なあんだ、同じじゃん」というのは、最悪のケース。本当に、油断は禁物ですね。なんとか補うべく、がんばりはしましたが。

午後にもはかばかしいことはなく、遅い昼食も選択を誤りました。さんざんの1日でしたが、でもこれって、いいツキがたまったということですよね?明日、いいことあるかな。

〔付記〕22日は14:00から《マタイ受難曲》の講演を行い、朝日横浜校の講座は延期させていただきます。申し訳ございません。

重なる面影2011年09月22日 23時34分26秒

連続講義「ルターとその時代」第3回は、宮谷尚美さんの「ルターとコラール」というものでした。宮谷さんは国立音大でドイツ語を教えておられますが、ルター研究を専門とし、 T.カウフマン 著『ルター 異端から改革者へ』(教文館)という訳書も出しておられる方です。

アイゼナハ、ルターの生涯、ルターの神学、そのコラール、《神はわがやぐら》などなど、完璧に準備されたお話が密度高く展開し、じつにすばらしい講義になりました。中でも、ドイツで指導された老教授が《神はわがやぐら》のテキストを朗読された映像は感動的でしたが、それはこの講義のために、わざわざドイツで収録されたものでした。

言葉に力のある、熱意にみなぎるそのお話を聴いているうちに、私には、これはどこかで聴いたことがあるなあ、という思いが兆しました。20歳の頃に駒場で聴いた、杉山好先生の講義です。若い私をゆさぶったのと同じ、ルターに関する熱烈な講義が、半世紀近くを経た今、私の眼前で展開されているのです。

杉山先生の訃報に接したばかりの時に、先生の精神が乗り移ったようなこうしたお話を聴く偶然とは何たることだろうと、私は思い、宮谷さんは杉山先生が亡くなったことをご存知なのだろうか、という思いが湧いてきました。

終了後そのことをお尋ねすると、お返事は、「先生のブログで知りました」というものでした。杉山先生とは孫弟子にあたり、面識はないとのことです。今日のことをお話したら、先生は涙を流して喜ばれるに違いない、と思いました。受け継がれてゆくものですね。