哀愁に至るまで2012年02月18日 23時33分54秒

「楽しいクラシックの会25周年記念パーティ」、無事終わりました。さっそく、その感想を。

25年前、私は、当時3チャンネルで放送されていた「市民大学」のために、「バロック音楽」のシリーズ番組を準備していました。そうしたら、立川市錦町の公民館が、「テレビセミナー」という企画を振ってくれたのです。実施は、放映後。そこで「呼びかけるバロック音楽」という4回の講演を企画しました。

ところが、私が大病にかかり、番組は2年延期になってしまったのです。私は3度にわたる手術と入院を経て半年間休養し、やせ細った状態に。しかしせっかくだから講座はやろう、ということで、放送に先行して実施しました。それが、受講生の熱意によって市民の自主講座と化し、継続したのでした。

公民館(今は学習館)の小さな視聴覚室を借りての勉強会のようなスタイルは、今も同じ。でもその時点では、25年も続いて立川グランドホテルで盛大なパーティを行うことになろうとは、とうてい想像できませんでした。私の仕事の発展といっしょに、会の皆さんが歩んでくれたということです。今日、4冊目の記念誌「土曜日の朝に」が完成し、配布されました。

しかし今日のパーティが盛り上がったのは、午前中のコンサートの濃密な雰囲気が持ち込まれたからに違いありません。当初は宴会の余興程度に考えていたものが発展し、セレモアつくばのご好意で武蔵野ホールをお借りして本格的なコンサートを行うことができたのはなによりでした。ホールに置かれたプレイエル、エラール、ベーゼンドルファーの3種のピアノを使い分けて、久元祐子さんがショパンとモーツァルトを演奏。いつもながらのみごとな構成と潤いに満ちた響きが共存し、まさに癒しのひとときです。私はエラールよりプレイエルの方がずっと好きですが、ベーゼンドルファーも、本当にいいですね。

後半は、小堀勇介君と大武彩子さんによるモーツァルトの歌曲とアリア、二重唱。直前の飛び入りにもかかわらず、プログラムも変更せずに歌われた大武さんの貢献には、脱帽あるのみです。《ドン・ジョヴァンニ》第2幕のドンナ・アンナのアリアがこんなに名曲だと痛感したのは、今日初めて。それは、オーケストラをピアノに置き換えて普通生まれる薄まりが、久元さんの卓越した解釈で、凝縮に置き換えられていたからです。

アンコールは2人とも、グノーの《ロメオとジュリエット》から。大武さん得意のスーパー・コロラトゥーラにも接することができました。以前ヘーゲル・ゼミで紅一点の女性について書きましたが、種明かしをしますと、それがこの大武さんです。学業も優秀な方なのです。

ハイ・テンションの1日だったので、終わる頃にはかえって「宴のあと」のような憂鬱な気分になってしまいました。歓楽極まって哀愁を知る、ともいいますね。その気分です。ありがとうございました。

真紅のバラ2012年01月27日 22時43分04秒

1月最後の金曜日は、たいてい、1日がかりの仕事になります。それは、オペラ専攻の大学院生の修了試験(アリアとアンサンブルに分かれ、今日はアンサンブル)と、その後に論文の口述試験があるからです。私の指導で論文(正式には研究報告)を書いたのは、ソプラノ6、バリトン2の8人。その全員が、声楽の先生方(著名人ばかり)の審査を受けました。今日はその前に、音楽学の修論審査も1本入りました。

ドニゼッティ、グノー、ヴェルディのオペラ名場面を、学生たちは先輩共演者(通称「助演」)の力を借りながら、全力投球でこなしてゆきます。みんながんばりましたので個別的な感想は控えますが、新国立劇場で勉強されコンクールにも入賞された先輩、高橋絵理さん(ソプラノ)の、格段にスケールを増した堂々たる歌唱にはびっくり。これから第一線に立たれることでしょう。

口述試験は、和気藹々の雰囲気のうちに進みました。先生方が立ててくださるので、私ものびのびと感想を伝えました。終了後、先生方が思いがけず別れを惜しんでくださったのには、感激。真紅のバラと好物のワインをいただき、記念写真を撮りました。「学生たちは幸せだったと思います」というお言葉は、一生忘れません。大学のオブリゲーションが終わるたびに前向きの解放感を感じて進んできましたが、今日はじめて、終わる寂しさを感じました。やっぱり、声楽魂になっているようです(笑)。

毎日芸術賞贈呈式2012年01月26日 11時06分17秒

昨日25日は、東京プリンスホテルで、第53回毎日芸術賞の贈呈式。大きな黄色の花をつけて左正面の審査員席に座りましたが、小田島雄志、高階秀爾といった大先生方のお側ではいかにも貫禄不足で、気恥ずかしいかぎり。「若輩」という言葉さえ浮かんでしまいます。

千田是也賞、毎日書評賞を合わせて7人の受賞者の方がスピーチされました。平素不案内な領域も多く、自分の住んでいる世界の狭さが痛感されて、とても勉強になりました。こうした式典、祝賀パーティーは、世界を広げるいい機会ですね。いくつか、印象に残ったことを。

石飛博光さん(書道部門)のお話によると、書は筆順に生命があり、筆順をたどってみていくことで、書き手の心に触れることができるのだそうです。う~ん、図形として見ていましたね、私は(汗)。坂茂さん(建築部門)は被災地の仮設住宅などを積極的に手がけている方ですが、地震で人は死なない、建物がこわれて死ぬ、だからそこには建築家がいなければならないのだ、と。頭の下がるお言葉でした。千田是也賞の演出家、中津留章仁さんは、支えてくれた人たちへの感謝を語る段に至り、感極まって涙されました。長身の精力的な方とお見受けしていたのに意外なやさしさの発露で、びっくりしました。どの世界にも、涙もろい方はおられるのですね。

パーティーで生・由紀さおりさんの歌を拝聴。お姉さんの安田祥子さんもいらしていました(iBACHにも同字の方がおられます)。自由時間の増えそうなこれから、なんとか、世界を広げていければと思います。

新年仕事始め2012年01月10日 11時58分30秒

今日は、《ロ短調ミサ曲》練習の再開日。大学の仕事始めです。本番まで残りわずか、準備に最善を尽くしたいと思います。

ご心配いただいていたゲネプロ公開の件、次のようになりました。14日(土)18:00からのゲネプロは規定方針通り公開しますので、ご来場の方は、国立音楽大学演奏課までお電話(042-535-9535)ください。ただ、当日時間ができたからとふらりと来てくださっても大丈夫だそうです。ご案内が遅くなりましたが、どうせ公開するのですから、大勢のお客様に聴いていただきたいと思います。

明日、大学院研究年報と学部卒論の締め切り日。これで、短期的な個人指導は終了です。成長の喜びも、忍耐もたくさんあった長年の指導でした。成績の提出もそろそろということで、前期のオムニバス授業「バッハとその時代」のレポート採点を済ませました。私がうちの大学の教員になってから初めてと思えるほどの力作揃いです。私ひとりではこうはいかなかったと思うので、先生方の協力が学生に与えるインパクトは大きいと実感しました。最後に、何かが始まる、という感触をもてる機会が得られて、良かったです。

こんなはずでは・・・2012年01月03日 22時52分59秒

皆様、三が日はどう過ごされましたか。私は、昨年12月にがんばって山を登り切ったお陰で、何年ぶりかのゆっくりしたお正月を迎えました。気持ちがゆったりすれば、日本のお正月もいいものですね!

と書きたかったのですが、現実はそうなりませんでした。すごい緊張感で大晦日からこの三が日仕事をしていたのは、ここ何年間か、記憶のないほどです。

なぜというに、8人の先生方と共同して行った「バッハとその時代」の授業内容を、本にしようというプロジェクトが実現したからなのです。他の先生方の原稿は12月半ばにきれいに揃ったのですが、私は一文字も書かないうちに、年末を迎えてしまいました。しかも14回のうち5回を私が担当したので、書かなければいけない原稿が、400字で125枚もあるのです。1月の8日が絶対のタイムリミット、ということで、必死の3が日となったのでした。メドはつきましたが、まだできていません。ほかにもいろいろ仕事がありますので、当分、この調子が続きそうです。

年賀状を、たくさんいただいています。でもこうした状況なので、今年は年賀状を失礼することにしました。お読みの方で、送ったよ、という方、申し訳ありません。その代わり、退職の通知をしかるべきタイミングで、賀状をくださったすべての方にお出ししようと思います。その頃には、すっかり余裕のある日々になっていると思うからです。ちなみに書いている原稿は、「バッハの生涯/バッハ研究の問題点」「バッハと音楽、バッハと神」「バッハと流行」「バッハの音楽頭脳」「《ロ短調ミサ曲》~宗派の対立を超えて~」の5本です。

送る2011年2011年12月31日 10時38分14秒

大晦日ですね。皆様忙しくお過ごしのことでしょう。今年もお世話になりました。このブログを支えてくださった皆様、とくに心温まるコメントを書きこんでくださった方々に、厚く御礼申し上げます。大震災の克服にはまだまだ時間がかかりそうですが、その少しでも早からんことを、皆様とご一緒に祈りたいと思います。

例年自分にとっての1年のまとめをベストテン形式でやっていますが、今年は順不同で回顧させていただきます。

4月に65歳となり、秋には、生きている時間がバッハより長くなりました。やや下降感がありますが全体として元気に過ごせましたので、それを1とします。同時に今年は、音楽大学勤務の最後の年。受講生にも恵まれて、授業も満足して終えることができました。まだ残務処理が残っていますが、一応完走と考え、2とします。同僚の方々との楽しいコンサートも、ここに含めます。

研究面においては、なんといっても《ロ短調ミサ曲》との取り組みに時間を費やし、大きな勉強をしました。その成果はヴォルフ先生の著作の翻訳出版なので、これを3とします。先生にご協力いただいているいずみホールのオルガン・シリーズが好調を維持しているのも嬉しく、これが4。いずみホールの仕事はスタッフの努力に支えられているのですが、その成果として大阪市民表彰をいただいたことが5です。ありがとうございました。

個人的にきわめて大きいのは、モンテヴェルディ《ポッペアの戴冠》の東京公演が5月に国分寺で実現できたことです。このすばらしい思い出が、6。この公演は、私が出講している立川の「楽しいクラシックの会」25周年記念のイベントでした。25年間も支えてくれている方々に感謝しつつ、これを7とします。《ポッペアの戴冠》はもともと須坂で実現した企画ですが、すざかバッハの会の連続公演は今年も続き、シリーズの締めとなる12月のコンサートは、とくに印象深いものとなりました。これが8です。

NH<の「古楽の楽しみ」は2年目に入り、バッハを中心に、モンテヴェルディ特集も行いました。これを9とし、新しい仕事としてサントリー芸術財団の理事にしていただいたことを10として加えると、ほかにもいろいろ、思い出深いイベントや出会いがあったことが思い起こされます。学会の活動、短期・単発の講演、新聞批評の仕事、文化庁の仕事などなど、いろいろな方と仕事をさせていただきました。

こう書いているうちに、来年もがんばらなくては、という思いが強くなって来ました。皆様、どうぞ良いお年をお迎えください。

幅2メートルを超える空間2011年12月29日 12時28分08秒

部屋にも、玄関にも荷物、書類、本その他が積み上がっていた、わが家の師走。日曜日に荷物を開き、本を移動させ、といった整理作業をしました。

最大の問題は、全29巻に及ぶMGG音楽大辞典の新版を購入したことです。、その幅2メートル超。大学の図書館から遠ざかることも考慮して買いましたが、本、楽譜、CD、DVD、などで乱戦状態の私の書斎にどうしたらそんなものが入り込めるのか、とうていあり得ないことと思われます。

要するに、今部屋に置いてあるものの量を、大幅に減らさなくてはならない。熟慮の上断行したのは、専門から離れた文献をことごとく物置にもってゆくことでした。それらは授業のために必要なものであり、自分の仕事には直接かかわらないからです。楽譜の中では、オペラのヴォーカル・スコアを整理対象にしました。こうして、書斎におけるバッハのシェアが、一層高まりました。

これで落着、とはいきません。最大の問題は、大学の研究室に残してある本や書類が、まだ相当あることです。スリムな書斎を夢見て、来年、整理を進めます。

東海道五拾三次2011年12月26日 09時37分27秒

いまサントリー美術館で、広重「東海道五拾三次」の展覧会をやっています(1月15日まで)。すばらしい展示ですのでご覧ください。宿場1つに対して2つか3つの絵がありますから、1分ずつ見るとしても、できれば2時間欲しいところです。

私の一番大きな感想は、まだ200年も経っていないのに、なんと世界は変わったのか、ということです。豊かな自然の中を徒歩で歩き、ところどころに宿場が出てくる、というのと、コンクリートの街並みを車が行き交い、新幹線まで走っている、というのとの違い。一生に一度伊勢神宮や京都を訪れる旅に価値を置く時代と、地球レベルで移動ができ、世界の映像や知識をいながらにして得られる時代の違い。どちらが幸福なのでしょうか。また、たかだか200年弱でこんなに変わるのであれば、この先どんな世界が、人間を待っているのでしょうか。昔の旅人の感性を失いたくないなあ、と思います。

世界の映像ですが、NHKで放映された青ナイルの源流を訪ねる旅には圧倒されました。エチオピア高原の緑豊かな大景観に接し、アイーダの〈おおわが故郷〉というアリアの意味がよくわかりました。

事実上の区切り2011年12月16日 23時24分46秒

15日(木)は、教養、語学、音楽学など9人の教員で持ちまわりしているオムニバス授業「バッハとその時代」の最終回。5度目の登板となった私は、「バッハの音楽頭脳」という話でまとめをしました。バッハの音楽に対する価値観、彼の発想の傾向と特徴、その意義といったことを分析してお話ししたのですが、よく話しているようでいて、あらためてテーマとして立ててみると思わぬ発見と展開があり、勉強になりました。このような授業を提案し、創り上げてくださった同僚の方々に、御礼申し上げます。

これが事実上の最終講義、という認識が案外広まっていたようで、学長はじめ先生方もお見えになり、なんとなく盛り上がりを感じる場となりました。終了後、リレー授業をした先生方と、KISAKIで打ち上げ。心の通じ合う、最近でもまれな楽しい飲み会になりました。

この充実感が喪失感に変わっていくのかどうか、まだわかりません。月曜日のゼミ2つで、本当の最後になります。

最初の峰2011年12月09日 16時51分21秒

最後の連山登攀、今日、最初の峰にたどり着きました。金曜日にめぐってくる「音楽美学概論」が、最終回になったのです。バッハの共同授業は来週木曜日に出番がありますが、ゼミや個人指導はともかく、クラス持ちの授業は、これが最後。そこで、自分なりの「最終講義」を行うつもりで臨みました。

学生は50人ほどですが、年配の聴講生の方が4人おられ、この方々が熱心で、牽引力になっています。学生も意図して選択した人がほとんどのようで、これまでの授業でもそうそうなかったと思えるほど、集中してくれています。もちろん、私語はまったくなし。私も毎回、A3の全面を使った詳細なレジュメを作成して、授業に備えました。

内容は、これまで折に触れ採り上げてきたテーマを整理し、掘り下げることを中心としました。「音楽とは何か」「指揮者を考える」「ハーモニーを考える」「天才を考える」「感情表現について」「美について」「耳の文化」「音楽批評--音楽に対する価値判断」「コンサート・ライフについて」「作品概念をめぐって」「音楽と時間」「流れと永遠」が各回のテーマで、今日は「最終講義」をひそかな念頭に、「音楽と人生--私の場合」というお話をしました。過去を振り返り、若い人たちに勇気やヒントを与えたい、という趣旨でした。

少し達成感と解放感の味わえた今日でした。いいクラスをもてたおかげです。