志賀高原 ― 2008年08月18日 23時19分30秒
8月は、須坂での講演のあと、近郊の山田温泉に泊まるのが習いになりました。気持ちのよい宿でくつろいだあと、今日は志賀高原へ。好天に恵まれ、空気も澄んでいたので、横手山山頂からの大展望を満喫しました。妙高、北アルプス、浅間・・・志賀高原の最高点は2300メートルほどですが、豪雪地帯なので森林限界が低く、高山の雰囲気を味わえます。久しぶりに、山好きの血が騒ぎました。
山に行かなくなって、久しくなります。昔はここに行こう、あそこに行きたい、と計画を練るのが楽しみでした。でも最近はどうも面倒になり、家にいればこれだけ仕事がはかどるな、などと思うようになってしまいました。これが年齢というものかもしれません。でも仕事のついでに機会を得て、夏の楽しみを満喫しました。貴重な1日でした。
昔の記憶 ― 2008年08月14日 23時24分40秒
ドン・アルフォンソさん、温かいお言葉ありがとうございました。20年前に書いたひとことがずっと心に生きていたなんて、感激です。
昔の本を見直したらそんなに悪くなかった、ということをブログに2度書きました。私の場合、昔の記憶が心の中でだんだん悪くなっていく傾向があるのです。ですから、昔の本をしばらく読み返していないと、いろいろ不備だらけなのではないか、と思ってしまう。世の方々はどうなのでしょうね。昔の思い出話が好きな人はたくさんいらっしゃるけど、そういう方の場合、記憶が心の中でだんだん良くなっていくのでしょうか。だとすると、昔すごい本を書いたと思っていたが、いま読むとだめじゃん、ということが起こりますね。
私のような性格だと、過去が思い出したくないことばかりになってきて、結構困ります。タイムマシンで戻ってみたら、それなりにベストを尽くして生きていたのだと思うのですが・・。このあたり、精神修養したいポイントのひとつです。
今日は、遅れに遅れていたザクセン選帝侯家のためのカンタータ解説書の原稿を仕上げ、出版社に渡しました。少しほっとし、今はCD選に精を出しています。
タクシーの乗り方 ― 2008年08月08日 23時49分48秒
ずっと以前、こんなことがありました。
食事に行こうと、何人かでタクシーに乗り合わせました。当時の助手(女性)が、まずまっすぐ、そこを右、そこを左、というように指示をしてひとしきり。クルマはデニーズに着きました。
すると運転手さんが激怒したのです。デニーズで食事するなら、なぜデニーズに食事に行くと最初から言わないのか、と。後ろにいた私は、お客にその言い方はないだろうと思いましたが、結局何も言いませんでした。
さて。JRの駅から当家までタクシーに乗ると、ポイントは3つあります。大通りをどこで曲がるか、その先にある二股をどちらに取るか、その先にある四つ角をどうするか。この3つです。
私は今まで、大通りの曲がるところを最初に指示しておき、曲がったところで二股を指示、最後に四つ角の扱いを指示、という風に、段階的にしていました。その後、二股まで事前に指示しておくように改めた。最近はさらに改めて、四つ角の処理までをすべて指示するようにしました。地元の運転手さんが多いですから、これだけで、ほとんど通じます。
そうすると、とてもスムーズになったような気がするのです。運転する側からしても、目的地が最初からはっきりイメージされているのと、どこまでいくかわからないのとでは、気持ちが全然違うでしょう。乗せてもらう方も、その方がありがたい。運転手さんがかつて怒った気持ちが、やっとわかるようになりました。
仕事再開 ― 2008年08月07日 22時55分49秒
カラオケの話題、一部にひんしゅくを買っているようですが、月曜日にまた行ってしまいました。今度は別メンツでしたが、やはり、高年齢で行くのとごく若い人と行くのでは、雰囲気が大きく異なります。しみじみしたメロディを、味わい深く歌うのが前者。強烈なリズムを爆発的なノリで歌うのが、後者です(←ものすごくうまい人がいて仰天)。その違いは大きい。高年齢の方が、今の歌は覚えられない、とおっしゃるのはよくわかります。旋律に、重きが置かれていないのですから。
延び延びになっていた仕事を、ようやく再開しました。やはり休養を取り、意欲を高めないと、本当には仕事ができません。今月のうちに、ザクセン選帝侯家のためのカンタータの本を、どうしても仕上げるつもりです。これが終われば、カンタータはすぐ終わるからと言って約束したDVDの本に取りかかれます。
また、私の第2の著作である『モーツァルトあるいは翼を得た時間』の文庫化が決まりましたので、そのチェックと補筆も行います。昨日ちょっと手を付けてみましたが、さぞ不完全なものかと思って見直すと、そうでもないですね。結局、進歩しているようで、人間、そうでもないんだとわかりました。進歩していることは意識されても、退歩している部分には、意識が及びません。差し引きのプラスが、さて、どれだけあるのか。ともあれ、その年代ならではの仕事をするのがいいようです。
なかなかの名曲 ― 2008年08月06日 12時39分20秒
大ブレーク中の《六本木》(ぎろっぽん)、いい曲ですね。忘れようにも忘れられなくなり、ネット動画を探索してしまいました。
たいへん、うまく作られている曲です。最初は、うら寂しい演歌。「ポッポ」の布石も打たれていますが、まだ目立ちません。サビに入ると突然リズミックになるが、その反復は休止なしにたたみかかけられるので、バッハのフーガで言えばストレッタのような効果になる。反復のたびに音程が上がっていくのは、「螺旋カノン」のよう(カノンじゃないけど)。しかもそのたびに、仕掛けのタイミングがずらされています。歌うの、むずかしいですよ。
鼠先輩という歌い手のキャラクターが、また卓抜ですね。一種裏街道的で、味がある。サビの躍動感、ワイルドなたたみかけ、どちらも見事です。ヒットチャート1位も、むべなるかなと思った次第です。
レパートリー ― 2008年08月04日 07時55分06秒
土曜日の夜は、カラオケに行きました。同行したのは全員二期会所属の卒業生で、歌唱力、盛り上げ力ともA級。私にわかる曲目も準備されており、たいへん楽しく過ごしました。
カラオケというとよく尋ねられるのが、「どんな曲を歌われるのですか」ということ。公表しても何の意味もありませんが、話の種に、土曜日に歌った曲を並べておきます。昔のカラオケ熱が、多少よみがえりました。
井上陽水 少年時代/三浦洸一 踊子/森田公一 青春時代/バンバン いちご白書をもう一度/ロス・インディオス 別れても好きな人/東海林太郎 隅田川/沢田研二 勝手にしやがれ/同 危険な二人/同 時の過ぎゆくままに
こんな歌でもよろしければ、ご一緒しましょう(笑)。
総天然色 ― 2008年07月17日 21時44分07秒
飲み会の季節になりました。半期進行の学期が終わったので、いくつかの単位で、打ち上げが計画されています。飲み会をやっておくと、固さが取れて、後期がスムーズに進むのです。そのためには、体調を整えておかなくてはなりません。
今日は聖路加病院の日。最近結構飲んでいたので数値の悪化を懸念していたのですが、なんと、すべてにわたって、良くなっているではないですか。先生も嬉しそうです。すっかり気をよくした私は、築地の「千秋」で二色丼のランチ。よく寄る店ですが、昨夜のテレビで、著名な声優のやっている店であることが判明しました。まぐろ専門で、おいしいですよ。市場の向かい、がんセンターの側の小路にある、カウンターだけの店です。http://www.3daime.jp/
国立に戻り、久しぶりに中国針の店へ。誠実そうな女性が、「すごいですねえ」(←硬い、の意)を連発しながら治療してくれました。外へ出ると、目がぱっちり開いて世界が総天然色。いい値段のワインを1本奮発して帰宅しました。
小論文4? ― 2008年06月30日 22時59分24秒
私はグーグル・カレンダーで予定を管理しています。昨日、6月30日すなわち今日の欄を見て、「小論文4 9:30-10:30」と書いてあることに気づきました。
ん?これ何だろ。考えたのですが、どうしてもわかりません。しかし「4」の数字といい、9:30からという時間設定といい、間違いというには、具体的すぎます。しばらく前に書き込み、そのまま忘れていたようなのです。
個人指導の学生が2人とも休んだので、午前中は行かなくてもよい流れになりました。それなら家にいた方が、諸事はかどります。助手には連絡し、びくびくしながら過ごしましたが、何事もなくお昼になりました。まさか本欄をお読みの方で、すっぽかされたが言うに言えない、という方はいらっしゃらないでしょうね?
お昼休みにこの話を同僚にしたところ、ことのほか喜んでいただきました。そのさいある方が質問していわく、その手の失敗(!)の中で最大のものは何ですか、と。私の脳裏にただちに浮かんだのは、もう時効になっているであろう、次のような光景でした。
国分寺で市民講座があり、それを待つ時間に、新宿の喫茶店で、仕事の打ち合わせをしていました。するとお店に電話がかかってきて、皆リハーサルを終えてお待ちしているのだが、とのこと。S兄弟、弦のTさんなど、そうそうたる顔ぶれのコンサートです。完全なダブルブッキングで、髪の毛が逆立つような思いを味わいました。結局トークは演奏者にまかせ、講座を完遂したのですが、わかるはずのない居場所をマネージャーが探し当てた、ということだけでも、先方の当惑のほどがわかります。
こんなことがあったせいか、以来ダブルブッキングが私のトレードマークになりました。先日も、ミスをしたある方が、「いやあ、礒山さんのお株を奪ってしまいましてね」というではないですか。そんなにしょっちゅうやっていますかね。分母が多い割には、そうないと思っているのですが。
その手があったか ― 2008年06月27日 23時03分48秒
外国語を読むときには、辞書を引きます。慣れないうちは、ほとんど全単語を引くこともある。辞書を引くこと自体が勉強で、だんだん引かなくなるのが、上達です。
ところが。最近は学生が辞書を引かず、原文をそのまま翻訳ツールにかける傾向が出てきました。当然まともな日本語にはなりません。しかし、専門書ならいざ知らず、簡単な文章なら、多少の見当はつくかもしれない。それをプリントアウトしてきて、授業を切り抜けることも、すでに行われていそうです。
これでは、語学力はつきませんよね。教師には、あらたな頭痛の種になりそうです。
けいれん ― 2008年06月23日 23時01分05秒
土曜日の夜、布団の中で、久しぶりに足がつりました。あれって、予兆がありますね。一定の準備期間を経て、ぐ~っと痛くなる。しばらく続きますが、そのあと血が通って回復するとき、天国的に気持ちがよくなります。血を吐くときが、ちょっと似ています。
死ぬときもこうなのかな、などと考えました。苦痛の後の恍惚。でも気持ちがよくなるべき段階で命がないわけだから、痛いだけ損なのかもしれません。
昔父親がよく見舞われており、私もときどき経験していましたが、最近は栄養のせいか、めったに起こりませんでした。日曜日に長野の街で「足のつる人ご相談ください」と貼ってある薬局を見つけ、なつかしく思った次第。まだ左足に後遺症があります。
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