ドイツ2016淡々(7)~古都へ ― 2016年06月23日 16時50分13秒
書き忘れましたが、昨日、路上でヴォルフ先生にお会いしました。「クリストフ!変わらないね」「君もだよ、タダシ!」。Duでしゃべると、このように上下がなくなってしまいます。コーヒーを飲もうということになりましたが、今回はスケジュールが合いませんでした。
午後は、オプショナル・ツァー。例年ハレ、ナウムブルク、ヴァイセンフェルスの方角に行くのですが、今回はドレスデンを訪れて、再建された聖母教会で《ロ短調ミサ曲》を聴こう、という計画です。
それならぜひマイセンに寄りましょう、というのが、私の好み。小高いところに聳える大聖堂からのエルベ川の眺め(写真)に、皆さん、歓声を上げておられました。
陶磁器の博物館では、「マイセン焼きのパイプオルガン」を鑑賞。アウグスト侯が望んでできなかった技術が、最近ようやく可能になったのだそうです。「らしい」音は確かにしますが、本格的な演奏は、ペダルが開発されてからでしょう。居並ぶ絢爛豪華、かつ超高価な陶磁器にはあきらめの眼を向けるだけ。しかし購入されてはしゃぐ剛の方々もおられました。
ドレスデンの偉容も、初めての方には印象深かったようです。美麗な聖母教会の中に入るのは、私も始めて。明るく華やかな、バロック様式の内陣です。《ロ短調ミサ曲》の前半は、ご承知のように、ドレスデン選帝侯に捧げられたもの。合唱は聖母教会付属の合唱団、ソリストには大家クラウス・メルテンスの名前も、ということで興味を抱いて出かけましたが、なんと、ガラガラではありませんか。
演奏が始まって、その理由がわかりました。速いテンポで元気よく演奏するが、揃っていないし、一本調子。ひとりメルテンスが、格調高い美声を響かせていたのでした。
ライプツィヒ着は、夜中の12時。へとへとです。しかしホテルのバーは、2時までやっている。ちょっと疲れ安めを、といって結局元気の出てしまうのが、旅というものです(汗)。
ドイツ2016淡々(6)~名案を実行 ― 2016年06月22日 23時40分58秒
ツァー4日目(金)。今日は、午前中が市内観光、午後はフリーです。朝やはり食後気分が悪くなり、バッハ博物館から、観光の仲間入り。(写真は、宿泊している部屋からの眺めです。右に聖ニコライ教会)
募集のチラシで「飲みましょう」と呼びかけたのはいいのですが、小さなグループを回ったのでは、期限切れになってしまいます。そこで考えた、私の名案は・・・。
去年訪れてレストランが気に入っていた老舗のヒュルステン・ホテルで、ちょっとリッチなディナーを企画する。定員は最大限10名とし、まだ私とアフターで飲んでいない人を優先する。ただしこの夜をもって、一通り機会をもったことにしていただく--というものでした。
2回ホテルに赴いて打ち合わせし、万全の準備が完了。こう書くと、その会食は失敗したにちがいない、わくわくしてきたぞ、という方がおられるのではありませんか?そうはいきませんっ(きっぱり)。会食は大きく盛り上がって深夜まで続き、ワインの瓶がたくさん並んだのです。皆さん楽しい方で、毎晩集まりましたよ!
その前に聴いた、入場料はプログラム代だけという、礼拝形式のモテット・コンサート。大好きなシュッツの〈心からあなたを愛します、おお主よ〉をめざして出かけたのですが、ハレ・マドリガリステンの合唱が聖トーマス教会の響きにも助けられて美しく、心を清められました。ホルスト、レーガーらの近代プロも、なかなか。
われわれも古風なメロディを唱和し、間には講話が入りました。しかし現代の世相と結びつけ、マイクで語られる講話が、なんとなく、音楽とすれ違うのですね。これは、過去のものをどう現在に生かすかという問題とかかわってきます。昔の美しい音楽は、人間の現在を投影しなくても十分に美しいのではないか。それはそれで尊重したい、というのが、その時思ったことでした。
募集のチラシで「飲みましょう」と呼びかけたのはいいのですが、小さなグループを回ったのでは、期限切れになってしまいます。そこで考えた、私の名案は・・・。
去年訪れてレストランが気に入っていた老舗のヒュルステン・ホテルで、ちょっとリッチなディナーを企画する。定員は最大限10名とし、まだ私とアフターで飲んでいない人を優先する。ただしこの夜をもって、一通り機会をもったことにしていただく--というものでした。
2回ホテルに赴いて打ち合わせし、万全の準備が完了。こう書くと、その会食は失敗したにちがいない、わくわくしてきたぞ、という方がおられるのではありませんか?そうはいきませんっ(きっぱり)。会食は大きく盛り上がって深夜まで続き、ワインの瓶がたくさん並んだのです。皆さん楽しい方で、毎晩集まりましたよ!
その前に聴いた、入場料はプログラム代だけという、礼拝形式のモテット・コンサート。大好きなシュッツの〈心からあなたを愛します、おお主よ〉をめざして出かけたのですが、ハレ・マドリガリステンの合唱が聖トーマス教会の響きにも助けられて美しく、心を清められました。ホルスト、レーガーらの近代プロも、なかなか。
われわれも古風なメロディを唱和し、間には講話が入りました。しかし現代の世相と結びつけ、マイクで語られる講話が、なんとなく、音楽とすれ違うのですね。これは、過去のものをどう現在に生かすかという問題とかかわってきます。昔の美しい音楽は、人間の現在を投影しなくても十分に美しいのではないか。それはそれで尊重したい、というのが、その時思ったことでした。
ドイツ2016淡々(5)~《マタイ》の演奏者たち ― 2016年06月21日 16時22分31秒
音楽的に見ると、ガーディナーの指揮は、大局的な視点に立ちつつ、演奏に一貫した流れを確保する方向に向かっていました。歌い手が前奏、後奏を利用して移動することにより、ほとんどの楽曲がアタッカで進行してゆきます。こうすると、絵巻物のように物語を体験できるのですね。できれば、こうしたいものです。
コンチェルティストの割り振りは、バッハの指定通りではありませんでした。どうやら準備の段階を経て、割り振りが定まったようです。女声の中に巨漢の黒人歌手が交じっていて驚きましたが、レジナルド・モブリーというカウンターテナー。艶のある美声でアリアの先陣を切り、会場を沸かせました。
若手のソリストには指導的な棒さばきを見せたガーディナーですが、ハナ・モリソンのように彼のフレージングを熟知している人は自由に歌って、あたかも化身のよう。どの歌い手にも、器楽とのコラボをしっかり取るという古楽の基本が徹底されていました。
しかし歌い手の殊勲賞は、なんといってもジェイムズ・ギルクリスト(エヴァンゲリスト)でしょう。美声で語りかけるような唱法にますます柔軟性と起伏が加わり、大演奏の聖書場面を堂々と牽引。当代随一の、少なくとも一人ではあると思います。
ヴィオラ・ダ・ガンバは日本人女性でした。見慣れた後ろ姿と思ったら、やはり市瀬礼子さん。〈忍耐〉のテノール・アリアから入りましたが、ラド・シミを歌わせ、紡ぎ出し部分をすごい付点にする解釈で、音楽性も十分。器楽奏者の最初に起立して拍手を受けました。舞台袖で立ち話をしていると、ガーディナーが花束を届けに。このところしばしば共演しているそうです。たいしたものですね。
長くなりますが、細部の話を少し。最後のバス・アリアの中間部終わりに、「世よ出ていけ、イエスにお入りいただくのだ」という部分があります。この世ときっぱり決別し、イエスをこの身に埋葬しよう、というくだりです。
私はこの箇所が大好きなのでいつも待っているのですが、多くの演奏が、ここを素通りしてしまいます。しかしガーディナーは間奏をしだいに白熱させてここを迎え、次の器楽合奏に喜び踊るような表情を加えて、主部の再現を導きました。雑念が一掃された心の軽みをあらわしたのだと思いますが、こういう演奏は初めて聴きました。言葉への収斂の、1つの形だと思います。終曲の大団円には、感慨を込めたひときわ大きなリタルダンドが置かれて、コンサートが閉じられました。
身体の不調は曲ごとに良くなり、ついには解消。悪いことがあればいいことがある、という「ツキは一定」の理論は、やはり正しいようです。忘れがたい一日。天の声様のおかげです。
最後に、一愛好家さんがコメントで触れておられる、《ロ短調ミサ曲》新盤との関係について。私は間近でその凄みを実感しましたから、その心配から解放されました。しかし同行した方の中にお一人、13年の《ヨハネ受難曲》に比べるとやや老いを感じる、と指摘した方がおられました。言われてみると、その意見を否定することもできないように感じています。
コンチェルティストの割り振りは、バッハの指定通りではありませんでした。どうやら準備の段階を経て、割り振りが定まったようです。女声の中に巨漢の黒人歌手が交じっていて驚きましたが、レジナルド・モブリーというカウンターテナー。艶のある美声でアリアの先陣を切り、会場を沸かせました。
若手のソリストには指導的な棒さばきを見せたガーディナーですが、ハナ・モリソンのように彼のフレージングを熟知している人は自由に歌って、あたかも化身のよう。どの歌い手にも、器楽とのコラボをしっかり取るという古楽の基本が徹底されていました。
しかし歌い手の殊勲賞は、なんといってもジェイムズ・ギルクリスト(エヴァンゲリスト)でしょう。美声で語りかけるような唱法にますます柔軟性と起伏が加わり、大演奏の聖書場面を堂々と牽引。当代随一の、少なくとも一人ではあると思います。
ヴィオラ・ダ・ガンバは日本人女性でした。見慣れた後ろ姿と思ったら、やはり市瀬礼子さん。〈忍耐〉のテノール・アリアから入りましたが、ラド・シミを歌わせ、紡ぎ出し部分をすごい付点にする解釈で、音楽性も十分。器楽奏者の最初に起立して拍手を受けました。舞台袖で立ち話をしていると、ガーディナーが花束を届けに。このところしばしば共演しているそうです。たいしたものですね。
長くなりますが、細部の話を少し。最後のバス・アリアの中間部終わりに、「世よ出ていけ、イエスにお入りいただくのだ」という部分があります。この世ときっぱり決別し、イエスをこの身に埋葬しよう、というくだりです。
私はこの箇所が大好きなのでいつも待っているのですが、多くの演奏が、ここを素通りしてしまいます。しかしガーディナーは間奏をしだいに白熱させてここを迎え、次の器楽合奏に喜び踊るような表情を加えて、主部の再現を導きました。雑念が一掃された心の軽みをあらわしたのだと思いますが、こういう演奏は初めて聴きました。言葉への収斂の、1つの形だと思います。終曲の大団円には、感慨を込めたひときわ大きなリタルダンドが置かれて、コンサートが閉じられました。
身体の不調は曲ごとに良くなり、ついには解消。悪いことがあればいいことがある、という「ツキは一定」の理論は、やはり正しいようです。忘れがたい一日。天の声様のおかげです。
最後に、一愛好家さんがコメントで触れておられる、《ロ短調ミサ曲》新盤との関係について。私は間近でその凄みを実感しましたから、その心配から解放されました。しかし同行した方の中にお一人、13年の《ヨハネ受難曲》に比べるとやや老いを感じる、と指摘した方がおられました。言われてみると、その意見を否定することもできないように感じています。
ドイツ2016淡々(4)~すべてが言葉へ ― 2016年06月19日 18時40分58秒
聖トーマス教会の演奏者席は2階後方にあり、1階席からは、演奏者の姿をほとんど見ることができません。聴衆は、豊かな残響と共に舞い降りてくる響きに身を浸すわけで、それが、教会で音楽を聴く伝統的なあり方でもあります。同行の方々はそのように聴かれ、一致して、すばらしかった、感動した、とおっしゃいました。私からは、目撃してわかったことを中心にご報告します。
最大の驚きは、声楽が全員暗譜だったことです。合唱はもとより、エヴァンゲリストもイエス(シュテフェン・ローゲス)も、全員楽譜なし。しかも、アリアを歌うソリスト9名がモンテヴェルディ合唱団と共に、合唱パートを全部歌っている。人数は、彼らを含めて各パート3人(ソプラノのみ5人)×2の、28人です(+少年合唱)。
つまり、コンチェルティスト/リピエニスト方式がみごとに貫徹されていたわけです。これはソリストに大きな負担を課しますから、ソリストに著名な人が少なく若手が多かったのは、そのためかもしれません。しかしその一体感はたいへんなもので、周到に準備された公演、という印象を強くしました。楽譜をすべて自分のものとした2群の合唱から、明晰でスピリットにあふれたすごい響きが湧き上がり、教会空間にこだましてゆくのです。
ガーディナーが何を目指して音楽していたのかは、演奏者側から見ることによってよく理解できました。すべてが、「言葉」に向かっているのです。彼は(声を出していたかどうかはわかりませんが)つねに言葉を口ではっきり示しながら指揮し、表情の動きや高まり、また鎮まりをすべて、言葉の内側から引き出してゆく。言い換えれば、音楽の全体が巨大な言葉として昇華されてゆく。こういう演奏をイギリス人たちがなしうるとは・・・。イングリッシュ・バロック・ソロイスツの奏者たちが簡単な伴奏音型ひとつにも共感をこめ、有機的アンサンブルを作っていたことも印象的でした。(感想続く)
最大の驚きは、声楽が全員暗譜だったことです。合唱はもとより、エヴァンゲリストもイエス(シュテフェン・ローゲス)も、全員楽譜なし。しかも、アリアを歌うソリスト9名がモンテヴェルディ合唱団と共に、合唱パートを全部歌っている。人数は、彼らを含めて各パート3人(ソプラノのみ5人)×2の、28人です(+少年合唱)。
つまり、コンチェルティスト/リピエニスト方式がみごとに貫徹されていたわけです。これはソリストに大きな負担を課しますから、ソリストに著名な人が少なく若手が多かったのは、そのためかもしれません。しかしその一体感はたいへんなもので、周到に準備された公演、という印象を強くしました。楽譜をすべて自分のものとした2群の合唱から、明晰でスピリットにあふれたすごい響きが湧き上がり、教会空間にこだましてゆくのです。
ガーディナーが何を目指して音楽していたのかは、演奏者側から見ることによってよく理解できました。すべてが、「言葉」に向かっているのです。彼は(声を出していたかどうかはわかりませんが)つねに言葉を口ではっきり示しながら指揮し、表情の動きや高まり、また鎮まりをすべて、言葉の内側から引き出してゆく。言い換えれば、音楽の全体が巨大な言葉として昇華されてゆく。こういう演奏をイギリス人たちがなしうるとは・・・。イングリッシュ・バロック・ソロイスツの奏者たちが簡単な伴奏音型ひとつにも共感をこめ、有機的アンサンブルを作っていたことも印象的でした。(感想続く)
ドイツ2016淡々(3)~不思議な声 ― 2016年06月18日 17時26分14秒
朝日サンツァーズのバッハ詣で旅行3日目(6月16日)。この日が前半の山場です。ベルリンを出てヴィッテンベルクを観光し、ライプツィヒ入り。夜は聖トーマス教会で、ガーディナー指揮の《マタイ受難曲》を鑑賞するのです。
覚えている方もおられるでしょうが、去年の最大のトラブルは、ヴィッテンベルクで起こりました。一応振り返っておくと、観光後ライプツィヒに戻ろうと列車に乗ったところ、反対のベルリンに行ってしまった。動転してチケットを買いに走ったら、ヴィッテンベルクまで買えばいいところを、ライプツィヒまで買ってしまった。その上乗った列車が事故により迂回して大幅に遅れ、夜のコンサートに間に合うかどうか、時計とにらめっこになった--。今考えても冷や汗の出る失態を重ねたのが、去年でした。
というわけで鬼門の、ルター都市ヴィッテンベルク。今年は幸い爽やかな好天に恵まれ、失態も犯さずに、気持ちの良い散策ができました。来年の記念イヤーに向けての準備も進んでいます。去年閉まっていた聖マリア市教会(写真)にも入って、クラナッハの宗教画を堪能しました。
ライプツィヒに着き、いよいよコンサート時間(夜8時開始)が近づいてきました。ところが、その間に食べたものがいけなかったようで、気分がとても悪くなってしまったのです。
ぎりぎりまでホテルで休んで駆けつけると、まだ聴衆が長蛇の列。同業の加藤浩子さんと並ぶことになったのですが、加藤さんに「話しかけないでください」と言ってしまうほど(ごめんなさい!)、本当に気分が悪かった。トイレに駆け込む危険があったのでよほど前半を休もうかと思いましたが、チケットは無駄にできませんから、なんとかがんばろう、と思い定めました。
行かれた方はご存じでしょうが、聖トーマス教会は、席がとてもわかりにくいのです。すでに演奏者が待機している中をようやく探し当て、手前のお二人が立って道を作ってくださいました。ところが。その時。私に、不思議な声が響いてきたのです。
その声は、「汝、階段を登れ。かつてこの教会でバッハが成し遂げたことを、つぶさに見届けよ。今日、ガーディナーがなすことを見守るがよい」と言うかのようでした(後付け)。
言われるままに上がってゆくと、目前に演奏者席が開け、イングリッシュ・バロック・ソロイスツの面々が布陣している。まもなく拍手に送られて、聖トーマス教会聖歌隊の少年たちが上がってきました。続いて、モンテヴェルディ合唱団。彼らは私の右側に立ち、左前方に、エヴァンゲリスト役のジェイムズ・ギルクリスト。やがてガーディナーが長身をあらわして左側へと進み、会場に一礼しました。(続く)
ドイツ2016淡々(2) ― 2016年06月17日 22時07分17秒
気がついたことがあります。「淡々」というのは、声高に宣言するものだろうか。意識的に努めるものだろうか。やってみるとむずかしいのですね、これが。
優秀な添乗員さんにまかせて引っ込んでいるつもりが、ベルリンのレストランで、ビールの注文を仕切っている自分を発見。私が采配を振るうとどうなるかということをご存じの方は一部ですから、多くの方がとりあえず、素朴な信頼のまなざしを寄せてくださいます。
さっそく数名の方と、コンサートの後飲みましょう、という話になりました。チラシに「飲みましょう」と書いているので飲みには行くのですが、全員一度に行くと必ず失敗するので、小さなグループに分けて淡々とこなしていこう、という作戦を立てました。
雨模様のコンツェルトハウスで催されたのは、ベルリン古楽アカデミーのコンサート。「バッハとイタリア」と題され、A.スカルラッティのコンチェルトとカンタータ、ヴィヴァルディのコンチェルトとカンタータ、バッハのイタリア協奏曲、カンタータ第209番という選曲です。
ロビン・ヨハンセンという売り出し中のソプラノが共演し、華やかな笑顔とテクニックで会場を魅了。古楽アカデミーはソリスト編成で主張のあるアンサンブルを聴かせ、北の人のとらえたイタリアというテーマにふさわしい、いいコンサートになりました。事前にプログラムの予習をするというのがツアーの売りでもあるのですが、スカルラッティのリコーダー協奏曲が私の予想と別曲だった上、ヴィヴァルディのカンタータを調べ忘れるという失態。謝罪だけは、さっそく始まりました。
クーダムのホテルの近くにとてもいいお店があります。ところが、下調べの段階で閉店11時とわかり、結局、ぶっつけでお店探し。次々と店が閉まってゆく時間帯ではらはらしましたが。やっと入れたイタリア人のお店が安いながら良心的なところで、ようやく肩の荷を下ろすことができました。「2016淡々」第2日、終了。
優秀な添乗員さんにまかせて引っ込んでいるつもりが、ベルリンのレストランで、ビールの注文を仕切っている自分を発見。私が采配を振るうとどうなるかということをご存じの方は一部ですから、多くの方がとりあえず、素朴な信頼のまなざしを寄せてくださいます。
さっそく数名の方と、コンサートの後飲みましょう、という話になりました。チラシに「飲みましょう」と書いているので飲みには行くのですが、全員一度に行くと必ず失敗するので、小さなグループに分けて淡々とこなしていこう、という作戦を立てました。
雨模様のコンツェルトハウスで催されたのは、ベルリン古楽アカデミーのコンサート。「バッハとイタリア」と題され、A.スカルラッティのコンチェルトとカンタータ、ヴィヴァルディのコンチェルトとカンタータ、バッハのイタリア協奏曲、カンタータ第209番という選曲です。
ロビン・ヨハンセンという売り出し中のソプラノが共演し、華やかな笑顔とテクニックで会場を魅了。古楽アカデミーはソリスト編成で主張のあるアンサンブルを聴かせ、北の人のとらえたイタリアというテーマにふさわしい、いいコンサートになりました。事前にプログラムの予習をするというのがツアーの売りでもあるのですが、スカルラッティのリコーダー協奏曲が私の予想と別曲だった上、ヴィヴァルディのカンタータを調べ忘れるという失態。謝罪だけは、さっそく始まりました。
クーダムのホテルの近くにとてもいいお店があります。ところが、下調べの段階で閉店11時とわかり、結局、ぶっつけでお店探し。次々と店が閉まってゆく時間帯ではらはらしましたが。やっと入れたイタリア人のお店が安いながら良心的なところで、ようやく肩の荷を下ろすことができました。「2016淡々」第2日、終了。
ドイツ2016淡々(1) ― 2016年06月15日 22時42分49秒
14日羽田発のミュンヘン行きルフトハンザ機でドイツにまいりました。睡眠がよく取れたのは、淡々とした心境のなせるわざでしょうか。
ミュンヘンで最初のビールを味わい、すぐ乗り換えてベルリンに到着。
ホテルは、かつてよく泊まったホテルと同じ一角にある、しかしはるかに立派なホテルです。そこで眠り、朝食を食べ、バスで、雨のベルリンの市内観光をしました。まもなく集合してプレレクチャーをし、「ドイツとイタリア」と題された、ベルリン古楽アカデミーのコンサートに出かけます。
すべてが淡々と運ばれているものですから、ご報告jも、このように淡々としたものとなっております。最近ひんぱんに担々麺を食べて、準備をした甲斐がありました。特記すべきご報告もないまま、時計の針が回るドイツ滞在。またご連絡をさしあげます。
ミュンヘンで最初のビールを味わい、すぐ乗り換えてベルリンに到着。
ホテルは、かつてよく泊まったホテルと同じ一角にある、しかしはるかに立派なホテルです。そこで眠り、朝食を食べ、バスで、雨のベルリンの市内観光をしました。まもなく集合してプレレクチャーをし、「ドイツとイタリア」と題された、ベルリン古楽アカデミーのコンサートに出かけます。
すべてが淡々と運ばれているものですから、ご報告jも、このように淡々としたものとなっております。最近ひんぱんに担々麺を食べて、準備をした甲斐がありました。特記すべきご報告もないまま、時計の針が回るドイツ滞在。またご連絡をさしあげます。
石橋を叩いて渡るドイツかな ― 2016年06月13日 21時49分50秒
不肖私、明日から、ドイツに行ってまいります。いいなあ、とおっしゃる方もおられますが、歳のせいか面倒だ、という気持ちも。しかし詰まっていたスケジュールをなんとか消化して、準備が整いました。
ツアーの方々とごいっしょに出かけますが、今年はコンサートがいいため、お仲間がたくさん。旧知の方もおられます。ご案内の時に「飲みましょう」とも申し上げましたので、それは楽しみにしています。
しかし振り返るに、ご案内しなければ、という気持ちにかられて前に出て行くと、必ず失敗しているのです。ですので今回は、標記のごとく堅実に、淡々と毎日を過ごし、皆様の思惑も外しながら、静かにほほえみつつ、帰ってこようと思います。起伏のない旅行記になりますが、一応、お届けするつもりです。
今年は、一人の日にちがあまり取れず、足は伸ばさずに、図書館で調べ物をします。ますます見せ場のない旅となりそうで、皆様には、あらかじめお詫びしておきます。
ツアーの方々とごいっしょに出かけますが、今年はコンサートがいいため、お仲間がたくさん。旧知の方もおられます。ご案内の時に「飲みましょう」とも申し上げましたので、それは楽しみにしています。
しかし振り返るに、ご案内しなければ、という気持ちにかられて前に出て行くと、必ず失敗しているのです。ですので今回は、標記のごとく堅実に、淡々と毎日を過ごし、皆様の思惑も外しながら、静かにほほえみつつ、帰ってこようと思います。起伏のない旅行記になりますが、一応、お届けするつもりです。
今年は、一人の日にちがあまり取れず、足は伸ばさずに、図書館で調べ物をします。ますます見せ場のない旅となりそうで、皆様には、あらかじめお詫びしておきます。
ヨーロッパ真摯の旅2015(17)--写真の補い ― 2015年06月29日 23時24分41秒
かくして、19日(金)にフランクフルト空港で皆さんとお別れし、20日(土)の朝、関西国際空港に到着しました。この日いずみホールのコンサートでステージに乗ることになっていましたので、こちらに降りました。湿度の高さにびっくり。
失敗もかつてなく大きかった旅行ですが、コンサートがいずれもすばらしく、同行者にも恵まれて、充実度のたいへん大きな旅行でした。それを支えてくれたのは何といっても朝日サンツアーズの行き届いた目配りと、エース級の添乗員、叶谷真起子さんの献身の賜物だと思います。もしまた次の企画ができるようでしたら、皆様のご参加をお待ちしています。
掲載できなかったポーランドの写真、いくつか補っておきますね。
観覧車の上から、グダンスクの市街地と運河を見下ろす。
ワルシャワ旧市庁舎の塔に登り、ポーランド第一の河川、ヴィスワ川の流域を見下ろしたところ。
ワルシャワ聖アンナ教会のオルガン。
クラクフの中央広場、食事に入ったレストランから。ウェイトレスさんがとてもチャーミングで、いい食事ができました。
クラクフの公園。緑が豊かです。
ヴィスワの河畔から、ヴァヴェル城を望む(クラクフ)。今回一番気に入ったスポットで、しばらく昔を偲びました。
ヨーロッパ真摯の旅2015(16)--《ヨハネ》第2稿を見直す ― 2015年06月28日 23時57分12秒
18日(木)夜は、聖ニコライ教会で、旅行最後のコンサート。《ヨハネ受難曲》第2稿を、ヘレヴェッヘが指揮しました。これがまた、とても良かったのですね。
コレギウム・ヴォカーレ・ヘントの声楽が、まずすばらしい。音楽をしっかり見据えた、大人のアンサンブルです。モンテヴェルディ合唱団が外へ向けてあふれ出る傾向があるとすれば、こちらは、内面に成熟する傾向。しかもドロテー・ミールツ(S)、ダミアン・ギヨン(CT)、ゼバスティアン・コールヘップ(T)、ペーター・コーイ(B)という錚々たる顔ぶれがコンチェルティストとして入った、ぜいたくな16人です。それをヘレヴェッヘが並々ならぬこだわりをもって指揮し、コンサート・ミストレスのクリスティーネ・ブッシュが、表情豊かにオーケストラを引っ張ってゆきます。
私は《ヨハネ受難曲》の第2稿に、これまで抵抗を感じていました。アリアにどうしても唐突感があり、最後のコラールも、重すぎるような気がする。でもそれは、演奏のせいでもあったようですね。ヘレヴェッヘは従来から第2稿を演奏しており、すっかりそれに習熟しているので、入れ替えられたアリアや合唱曲が、「こうでなければならない」と聞こえるまでになっているのです。こうして聴くと、コラール・カンタータ創作の知見を盛り込んだ受難曲という最近の考え方も、なるほどと思えます。
イエス役のフローリアン・ベッシュは音域といい歌い振りといい、《ヨハネ》の超越的イエスにぴったり。エヴァンゲリストのトマス・ホッブスは堂々たるスケールの歌唱で、大成功の立役者でした。向こうで受難曲を聴くと、エヴァンゲリストが有名無名を問わず、揃ってうまいことに感心させられます。
でも、現段階では張り切りすぎなのですね。エヴァンゲリストは、「・・は言った」という風に、話を振らなくてはならない。話を引き立てるには、こんなに美声で立派に歌ってしまってはいけないのです。習熟して2、3割控えて歌えるようになれば、大福音書記者になる人だと思います。
コレギウム・ヴォカーレ・ヘントの声楽が、まずすばらしい。音楽をしっかり見据えた、大人のアンサンブルです。モンテヴェルディ合唱団が外へ向けてあふれ出る傾向があるとすれば、こちらは、内面に成熟する傾向。しかもドロテー・ミールツ(S)、ダミアン・ギヨン(CT)、ゼバスティアン・コールヘップ(T)、ペーター・コーイ(B)という錚々たる顔ぶれがコンチェルティストとして入った、ぜいたくな16人です。それをヘレヴェッヘが並々ならぬこだわりをもって指揮し、コンサート・ミストレスのクリスティーネ・ブッシュが、表情豊かにオーケストラを引っ張ってゆきます。
私は《ヨハネ受難曲》の第2稿に、これまで抵抗を感じていました。アリアにどうしても唐突感があり、最後のコラールも、重すぎるような気がする。でもそれは、演奏のせいでもあったようですね。ヘレヴェッヘは従来から第2稿を演奏しており、すっかりそれに習熟しているので、入れ替えられたアリアや合唱曲が、「こうでなければならない」と聞こえるまでになっているのです。こうして聴くと、コラール・カンタータ創作の知見を盛り込んだ受難曲という最近の考え方も、なるほどと思えます。
イエス役のフローリアン・ベッシュは音域といい歌い振りといい、《ヨハネ》の超越的イエスにぴったり。エヴァンゲリストのトマス・ホッブスは堂々たるスケールの歌唱で、大成功の立役者でした。向こうで受難曲を聴くと、エヴァンゲリストが有名無名を問わず、揃ってうまいことに感心させられます。
でも、現段階では張り切りすぎなのですね。エヴァンゲリストは、「・・は言った」という風に、話を振らなくてはならない。話を引き立てるには、こんなに美声で立派に歌ってしまってはいけないのです。習熟して2、3割控えて歌えるようになれば、大福音書記者になる人だと思います。
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