《フィガロの結婚》終わりました ― 2014年12月08日 02時11分49秒
いずみホールのモーツァルト年間企画、今年のクライマックスである歌劇《フィガロの結婚》の公演が終わりました(12月6日)。全力投球してくれたみなさん、ありがとう。終演後、舞台裏に駆けつけて撮った写真をまずごらんください。

私の隣、左から3番目が、指揮者として格段の進境を示された、河原忠之さん。その愛のある指揮のもと、みんながんばりました。オペラ用にはできていないいずみホールの空間をみごとに使い、お得意のイタリア語に分け入って理に適った舞台を作り出されたのが、演出の粟國淳さんです(前列中央右)。私もずいぶん勉強になりました。

主役の方々。東からも西からも、所属にかかわらず適役をお呼びできるのが、ホールのいいところだと思っています。しかも、初顔合わせが多かったとか。左から、抜きんでた貫禄だった黒田博さん(伯爵)、ほとんど完成の域と思うほど見事だった石橋栄実さん(スザンナ)、美と気品並びなかった澤畑恵美さん(伯爵夫人)、伸びやかに新風を吹きこんだお二人、向野由美子さん(ケルビーノ)と西尾岳史さん(フィガロ)。なかなかない顔ぶれだったと思います。
やっぱり、オペラはいいですね!いずみホールならではの公演様式を目指して、続けていきたいと思います。
神の降りる瞬間 ― 2014年11月14日 14時23分51秒
いずみホール、今年のモーツァルト・シリーズ本編が始まりました。「学び深めた四重奏の世界」と題した12日(水)のコンサートは、《ハイドン・セット》の2曲(ニ短調、不協和音)とハイドンの《皇帝》を、ゲヴァントハウス弦楽四重奏団が演奏しました。
演奏は、じつに渋い。飾り気もなく見えも切らず、もちろんにこりともせず、ひたすら内方に集中する室内楽です。
もっと自由でもいいのではないか、もっと洒落ていてもいいのではないか、と思いつつ聴き始めましたが、ところどころ、神が舞い降りるとでも言いたくなるような、絶美の瞬間が訪れる。それは、何かに耳を澄ますように、すっと静かになるところ。ニ短調の四重奏曲の、ヘ長調によるアンダンテが、その意味ですばらしかったです。
地味ながら誠実かつ謙虚な、時間が経っても印象の薄れない、いい音楽でした。こういう演奏を本当に大事に聴いてくださるのが、いずみホールのお客様。終了後サイン会があり、写真も撮っていただきました。またお呼びしたいです。

【付記】9月のプレ・イベントで大阪デビューされたバロック・ヴァイオリンの須賀麻里江さんが、大阪国際音楽コンクールのアーリーミュージック部門で、1位なしの2位に入られたそうです。おめでとうございます。
「和」に学ぶ ― 2014年09月16日 14時50分08秒
13日(土)のいずみホールは、今藤政太郎プロデュース「和の音を紡ぐ」。長唄『吾妻八景』『勧進帳』を中心とする、日本伝統音楽の公演でした。
洋楽のホールにこうした公演が入ると、雰囲気ががらりと変わります。お客様に和装の方が多く、舞妓さんの姿が見えるのも、邦楽ならでは。出演の方々の礼儀正しさ、舞台上に一糸乱れず正座して気迫をみなぎらせる所作も、洋楽には見られないものです。でもこうした「礼」のありようが、本当の日本なのですね。
今藤政太郎、宮田哲男両人間国宝に率いられた演奏の透徹したみごとさは、並の洋楽では太刀打ちできないほどすばらしいものでした。私があらためて痛感したのは、日本人の音感覚・言語感覚を極限まで磨き上げたこうした芸術を、本当に大事にして、伝えていかなくてはならない、ということです。なぜなら、古いものの探究にこそ、気高さがあるからです。
今藤先生のオリジナル《舟と琴》は、古事記の一節をテキストにしています。仁徳天皇の御代に、高い樹があった。それを切って舟にしたところ、枯野(からの)という、きわめて速い舟になった。壊れたその舟を焼いて残り木から琴を作ったところ、「その音七つの里に響(とよ)みき」ということで、5行の詩が添えられています。その日本語が素朴でおおらかで、本当に心に染みる。それが多彩な和楽器の響きを交えて、写実的に音楽化されているのです。
現代文明に浮かれるだけではわからない古代の尊さを、洋楽の人たちにも知っていただきたいと思います。舞台写真がなくて残念ですが、楽屋でのツーショットを2点掲載します。

笙と竿で出演された東野珠実さん。国立音大出身。

政太郎先生から国立音大の三味線クラスを受け継がれ、学生の支持も絶大の今藤長龍郎さん。ちなみに、私の身長は170cmです。
フォルテピアノの醍醐味 ― 2014年09月05日 22時48分12秒
4日、いずみホールにおけるレクチャーコンサート「ウィーンを駆け上がるモーツァルト」は、司会をした私にとっても、この上なく楽しいものになりました。
今年のいずみホール企画はモーツァルトのウィーン時代前半を「充溢」と題して特集しています。すなわち、それは、モーツァルトがピアニストとして大成功した時代。ではモーツァルトはどんな楽器を弾いていたのか、というのがこの日のテーマでした。
移住当初使っていたのは、アウクスブルクで衝撃的な出会いを経験したシュタインの楽器。やがて購入し、メインに使ったのがヴァルターの楽器。ということで、シュタイン・タイプの楽器とヴァルター・モデルの楽器を舞台に並べ、聴き比べるというコンセプトで、プログラムを組みました。
やってみて痛感したのは、2台置いて聴き比べると、1台だけの時よりもフォルテピアノの面白さや可能性がずっとよくわかる、ということです。コンサート後、楽器の近くに集まった方が大勢おられたのが、その証明でした。
曲ごとに楽器を変え、トルコ行進曲では両方の楽器を比較し・・・というといかにも簡単なようですが、デリケートな上に操作環境のまったく異なる楽器を今度はこちら、次はあちらと弾き分けるのは、演奏者にとっては大負担。危険な綱渡りです。こうした無茶振りを安定感をもって音楽的にこなしてくれる久元祐子さんは、レクチャーコンサートの、この上ないパートナーです。構成の原案も久元さんにお願いしましたので、まこと久元さんあってこそなし得た、今回の企画でした。
シュタインとヴァルターを比べると、シュタインはよりチェンバロに近く、軽く、かつ華やか。ヴァルターは中音域の響きがぐっと充実して、奥行きと厚みがあります。ですから、ウィーン時代も進むにつれてヴァルターがふさわしくなっていくわけですが、変ロ長調K.454のヴァイオリン・ソナタを演奏するにあたって試行錯誤した結果、シュタインを採用することになったのは、意外でもあり、興味深いことでした。クラシック・ボウで弾くバロック・ヴァイオリンの響きにシュタインはとてもよく融合するが、ヴァルターはピアノ的に充実している分だけ、ガット弦との融合から遠ざかっているように思えたのです。こうしたことを実験しながら本番へ向けて作っていけるのも、レクチャーコンサートの楽しみ。無茶振りのついでに、アンコールでは、楽器をヴァルターに変えてソナタの最終楽章を演奏していただきました。
ヴァイオリンの須賀麻里江さんはひじょうによく勉強してくれて、本番が最高の出来になりました。何というか、天照大神のようなキャラでいらっしゃり(笑)、満場大喝采。ツーショットの右は、ヴァルターのフォルテピアノです。

既報の名店「ヴィヴァーチェ」で打ち上げ。今日(5日、金)は帰るだけでしたので、「降りたことのない駅に降りる」ことを東海道新幹線で実践しようと思い立ち、「こだま」に乗り換えて、掛川駅で下車。お城をめぐり、名物のとろろを食べました。その写真を、最後にお目にかけます。


【付記】
スリーショットを撮ったのでぜひ載せて欲しい、というご要望をいただきました。自分の写真は載せない主義なのですが、ご要望にお応えして。

達成感満点のお二人に比べて、私はクールに見えます。演奏者と司会の差かもしれませんね。でも内心は達成感があり、すこぶるハイテンションでした。
ダニエル・ロト、空前の《大フーガ》 ― 2014年07月05日 23時47分07秒
更新が遅れました。木曜日の夜大阪入り。金曜日10時からの、ロトさんのリハーサルに備えるためです。今回のオルガン・シリーズの中では知名度的にも上の方なので期待していましたが、リハーサルを聴き、これはモノが違うぞ、という感じがひしひし。バッハのポリフォニーがすみずみまで明晰に、確信をもって表現され、曲ごとの存在感が、ただごとではないのです。「フランス人のバッハ」どころではない、本質への肉薄です。
誠実な方で、前日はレジストレーション(音決め)に終日、時間を費やされたとか。今回は、後半の枕に置かれるオルガニストへのインタビュー内容を前もって予告しておこうと考え、そんな苦労話を後ほど伺いましょう、と申し上げて、コンサートが始まりました。
バッハ最初期の《ノイマイスター・コラール集》の曲たちが目が覚めるほど立派に響き、初期作品《レグレンツィの主題によるフーガ》が信じられないほと壮麗に盛り上がって、前半が終了。さあ、危険がいっぱいの、インタビュー・コーナーです。
ロトさんのご厚意でドイツ語でやらせていただいたインタビュー。バッハの調性への取り組みとか、最後を飾る《大フーガ》BWV542の現代音楽そこのけの内容とかに話が向かいました。正直に申しますと、私はこの日とても集中力があり、細部に至るまですべて、克明に通訳できたのです。やっていて、よしっ、という気持ちになりました。
これが悪魔のいざない、落とし穴でした。ひとしきり通訳が終わったときに頭が真っ白になり、次の話題が、すべて飛んでしまったのです。こんな話をお聞きします、とこの日に限って前振りしていましたので、お客様には、本当に申し訳ないことをしました(汗)。
前半は通して演奏されましたが、プログラムの配列から考えて、途中で拍手を入れた方がいいように思いました。ロトさんは、どちらでもお好きなように、とおっしゃいます。そこで、トリオ・ソナタ(第2番ハ短調)の前後で拍手を入れていただくよう、お客様にお願いしました。結果として、トリオ・ソナタを、新鮮な気持ちで聴くことができました。リハーサルではやや重かったトリオ・ソナタが、本番ではとても滑らかになり、私の好きな第3楽章には、なんと美しい音楽だろうと、感動をもって耳を傾けました。
その後3曲コラールがあり、エンディングの《大フーガ》になります。そこまで通して、といったんお客様に申し上げたのですが、聴きながら、これは切るべきではないか、と思い始めました。仕切り直しをしてから《大フーガ》と向かい合うべきだ、と思われたからです。
でも一度言ってしまったし、どなたかコラールの後で拍手してくださるといいが、と思っていたら、ありがたいことに、拍手が出たのですね。これはお客様の殊勲。どうやらtaiseiさんだったようです(笑)。
超名曲、ト短調の《大フーガ》は、楽曲への深い理解とエネルギーにあふれた、空前の名演奏でした。これだけのコンサートを一生のうちになかなか聴けないのではないか、と思いつつ私が思い起こしていたのは、恩師、柴田南雄先生が私に語ってくださった言葉。それは、演奏の価値を決めるのは「音楽と向かい合っている人間の大きさだ」というものでした。
終了後、ロトさんに涙ながらに抱きついてしまい、たちまち親友に(笑)。応援してくださった方たちと、ビールを飲みました。その席で「指揮はなさらないのですか」と訊いたところ、「私はやらないが、息子がやっている。フランソワ=クサヴィエ・ロトという名前だ」とのこと。「エー っ!」と驚きましたね。このブログでも紹介したすばらしい指揮者、新譜がことごとく面白く、私が一番楽しみにしている指揮者が、なんと息子さんだったとは。
「ロート」とご案内していましたが、「ロト」と修正いたしました。はっきりそう発音しておられましたので。
誠実な方で、前日はレジストレーション(音決め)に終日、時間を費やされたとか。今回は、後半の枕に置かれるオルガニストへのインタビュー内容を前もって予告しておこうと考え、そんな苦労話を後ほど伺いましょう、と申し上げて、コンサートが始まりました。
バッハ最初期の《ノイマイスター・コラール集》の曲たちが目が覚めるほど立派に響き、初期作品《レグレンツィの主題によるフーガ》が信じられないほと壮麗に盛り上がって、前半が終了。さあ、危険がいっぱいの、インタビュー・コーナーです。
ロトさんのご厚意でドイツ語でやらせていただいたインタビュー。バッハの調性への取り組みとか、最後を飾る《大フーガ》BWV542の現代音楽そこのけの内容とかに話が向かいました。正直に申しますと、私はこの日とても集中力があり、細部に至るまですべて、克明に通訳できたのです。やっていて、よしっ、という気持ちになりました。
これが悪魔のいざない、落とし穴でした。ひとしきり通訳が終わったときに頭が真っ白になり、次の話題が、すべて飛んでしまったのです。こんな話をお聞きします、とこの日に限って前振りしていましたので、お客様には、本当に申し訳ないことをしました(汗)。
前半は通して演奏されましたが、プログラムの配列から考えて、途中で拍手を入れた方がいいように思いました。ロトさんは、どちらでもお好きなように、とおっしゃいます。そこで、トリオ・ソナタ(第2番ハ短調)の前後で拍手を入れていただくよう、お客様にお願いしました。結果として、トリオ・ソナタを、新鮮な気持ちで聴くことができました。リハーサルではやや重かったトリオ・ソナタが、本番ではとても滑らかになり、私の好きな第3楽章には、なんと美しい音楽だろうと、感動をもって耳を傾けました。
その後3曲コラールがあり、エンディングの《大フーガ》になります。そこまで通して、といったんお客様に申し上げたのですが、聴きながら、これは切るべきではないか、と思い始めました。仕切り直しをしてから《大フーガ》と向かい合うべきだ、と思われたからです。
でも一度言ってしまったし、どなたかコラールの後で拍手してくださるといいが、と思っていたら、ありがたいことに、拍手が出たのですね。これはお客様の殊勲。どうやらtaiseiさんだったようです(笑)。
超名曲、ト短調の《大フーガ》は、楽曲への深い理解とエネルギーにあふれた、空前の名演奏でした。これだけのコンサートを一生のうちになかなか聴けないのではないか、と思いつつ私が思い起こしていたのは、恩師、柴田南雄先生が私に語ってくださった言葉。それは、演奏の価値を決めるのは「音楽と向かい合っている人間の大きさだ」というものでした。
終了後、ロトさんに涙ながらに抱きついてしまい、たちまち親友に(笑)。応援してくださった方たちと、ビールを飲みました。その席で「指揮はなさらないのですか」と訊いたところ、「私はやらないが、息子がやっている。フランソワ=クサヴィエ・ロトという名前だ」とのこと。「エー っ!」と驚きましたね。このブログでも紹介したすばらしい指揮者、新譜がことごとく面白く、私が一番楽しみにしている指揮者が、なんと息子さんだったとは。
「ロート」とご案内していましたが、「ロト」と修正いたしました。はっきりそう発音しておられましたので。
本質に迫るファウスト ― 2014年06月24日 22時13分42秒
今、イザベル・ファウスト&アレクサンデル・メルニコフのブラームス・ソナタ全曲演奏が終わり、いずみホールからホテルに戻ってきたところです。絶対の自信をもって採ったコンサートですが、満席には至らず。しかし演奏はヴァイオリンの概念を覆すほとんど究極的なもので、満場を驚嘆させたと言って過言ではありません。
ブログで取り上げたかどうか記憶がはっきりしませんが、先般、日本の若いヴァイオリニストたちが大挙して出演するコンサートに接しました。出てくる人、出てくる人ことごとく立派で、すっかり感心。ただその方向は、ソリストとしての堂々とした押し出しを、音でも技巧でも、ステージマナーでも作っていくことに向けられているように見えました。
ファウストは、その正反対なのです。贅肉をすべてそぎ落として、本質そのものに肉薄していく。禁欲的とさえ思える厳しさが解釈を支配していて、効果を狙うところがなく、毅然とした高貴さで、音楽が運ばれてゆきます。徹底した、内方集中。音程がとてもよく、重音が透明に響きます。弱音が徹底して使われるため、聴き手は、ピアノと織りなす繊細な音の綾へと、どこまでも引き込まれる。メルニコフのまろやかなタッチは、ヴァイオリンの心地よい受け皿です。
こういう地道な演奏がお客様の熱烈な支持を獲得するのですから、本物を求める方がいかに多いかということですね。人当たりもよい方で、長いサインの行列にも笑顔を振りまいて対応しておられました。すばらしい芸術家。またぜひ、お呼びしたいと思います。
ブログで取り上げたかどうか記憶がはっきりしませんが、先般、日本の若いヴァイオリニストたちが大挙して出演するコンサートに接しました。出てくる人、出てくる人ことごとく立派で、すっかり感心。ただその方向は、ソリストとしての堂々とした押し出しを、音でも技巧でも、ステージマナーでも作っていくことに向けられているように見えました。
ファウストは、その正反対なのです。贅肉をすべてそぎ落として、本質そのものに肉薄していく。禁欲的とさえ思える厳しさが解釈を支配していて、効果を狙うところがなく、毅然とした高貴さで、音楽が運ばれてゆきます。徹底した、内方集中。音程がとてもよく、重音が透明に響きます。弱音が徹底して使われるため、聴き手は、ピアノと織りなす繊細な音の綾へと、どこまでも引き込まれる。メルニコフのまろやかなタッチは、ヴァイオリンの心地よい受け皿です。
こういう地道な演奏がお客様の熱烈な支持を獲得するのですから、本物を求める方がいかに多いかということですね。人当たりもよい方で、長いサインの行列にも笑顔を振りまいて対応しておられました。すばらしい芸術家。またぜひ、お呼びしたいと思います。
ツーショットのお隣は・・ ― 2014年06月12日 23時54分46秒
11日(水)は、いずみホールの年間企画「モーツァルト~未来へ飛翔する精神」PartIIの記者発表のため、大阪へ。地下鉄の淀屋橋で降りると、向かいに、ビジネスマン向けの小さな本屋さんがありました。
私がそこに立ち寄ったのは、10日発売のちくま学芸文庫が、11日から書店に並び始めるという情報を得ていたため。自著が並んでいるかどうか、とりあえず入ってみました。
こんな小さいお店じゃあるわけないよな、と思いつつ探したところ、意外にも、棚に4冊並んでいたのですね。良かった、とは思ったものの、私の辞書に「幸先がいい」という言葉はありません。私に似合うのは、「竜頭蛇尾」という言葉です。その後寄った梅田の紀伊國屋書店では、さすがに山積みになっていました。しかし山が一番高かったのは、売れていないという証拠ですよね。売れなくても仕方ありませんが、筑摩書房さんと先のお仕事ができるぐらいの結果は、出せたらと思っています。
記者会見には、コンスタンティン・リフシッツさんが同席してくれました。今年度のモーツァルト・シリーズで、トリのコンサートをお願いしているのです。来年2月11日(水)の、「輝ける主役」(←ウィーン時代前半のモーツァルトのこと)と題するコンサートです。ピアノ協奏曲第15番と第23番の弾き振り、そして《ハフナー交響曲》の指揮をお願いしています。

これだけの方が来てくれると、やはり、会見が引き締まりますね。まずは私が今年の企画の狙い、概要、リフシッツさんにお願いした理由、といったことをお話ししたのですが、優秀な通訳の方がすべて内容を彼に伝えてくれましたので、彼もその意義を理解し、ばっちり、信頼関係ができてしまいました。
モーツァルトのコンチェルトは弾き振りでこそやりたい(=ピアノと楽器の直接対話を楽しみたい)と思っている私には、音楽への大きな展望をもつリフシッツさんは、最強の人材。抱負を述べる言葉は、まさに私の気持ちにぴったりのものでした。このコンサートが本当に楽しみだ、という言葉を何人もの出席者からいただき、勇気百倍です。リフシッツさんといろいろなコンサートをやりたい、という思いが募ります。
推進力溢れるオルガン ― 2014年03月23日 09時16分25秒
21日(金)は、バッハ329歳の誕生日。いずみホールで、オルガン作品全曲演奏会が開かれました。出演はアメリカ人のデイヴィッド・ヒッグスさん(56)。快活で笑顔のすてきな方です。
これが、満員御礼だったのですね。プログラムは小曲中心、ヒッグスさんの知名度も高くはなかったと思うので、完売は意外にして、ありがたいかぎり。水曜日の不ヅキは、これと関係していたのでしょうか。
抒情性に富んだブリュンドルフさん(前回)とは対照的に、ヒッグスさんの演奏はエネルギッシュで推進力に溢れ、音楽が大きく広がります。とくに印象的だったのは、ノイマイスター・コラールなど初期作品に対する闘志満々の取り組み。演奏次第で、初期曲もずいぶん立派に響くことがわかりました。《オルガン小曲集》の諸曲を原コラールとバッハ編曲をすべて対比したのもわかりやすく、最後、トッカータとフーガヘ長調BWV540が壮大な盛り上がりとなって、コンサートが終わりました。
満員のお客様が高い集中力で耳を傾けるというシチュエーションは、演奏者にとっては願ってもないもの。ヒッグスさんも大喜びしておられたので、ぜひこの勢いを保っていきたいと思います。次の出演者はダニエル・ロートさん、日にちは7月4日(金)で、大フーガを目玉に置くプログラムです。
これが、満員御礼だったのですね。プログラムは小曲中心、ヒッグスさんの知名度も高くはなかったと思うので、完売は意外にして、ありがたいかぎり。水曜日の不ヅキは、これと関係していたのでしょうか。
抒情性に富んだブリュンドルフさん(前回)とは対照的に、ヒッグスさんの演奏はエネルギッシュで推進力に溢れ、音楽が大きく広がります。とくに印象的だったのは、ノイマイスター・コラールなど初期作品に対する闘志満々の取り組み。演奏次第で、初期曲もずいぶん立派に響くことがわかりました。《オルガン小曲集》の諸曲を原コラールとバッハ編曲をすべて対比したのもわかりやすく、最後、トッカータとフーガヘ長調BWV540が壮大な盛り上がりとなって、コンサートが終わりました。
満員のお客様が高い集中力で耳を傾けるというシチュエーションは、演奏者にとっては願ってもないもの。ヒッグスさんも大喜びしておられたので、ぜひこの勢いを保っていきたいと思います。次の出演者はダニエル・ロートさん、日にちは7月4日(金)で、大フーガを目玉に置くプログラムです。
お客様に脱帽 ― 2014年03月15日 09時59分59秒
12日(水)は、いずみホールでアンドラーシュ・シフのベートーヴェン・アーベント。大ピアニスト、シフの人気がいかに高いといっても、完売で大入り袋が回ってきたのにはびっくりしました。なぜならこの日のプログラムは《ディアベリ変奏曲》をメインに、《6つのバガテル》、ソナタ第32番という、晩年の渋い曲を並べたものだったからです。
私はシフを、必ずしもベートーヴェン弾きだとは思っていません。私の中にある精神主義的、人格主義的なベートーヴェン像とシフのアプローチはだいぶ違っていて、ソナタにはあまり馴染めないうちに、前半が終わりました。
しかし後半、《ディアベリ》の面白さはすごかった。エネルギーに溢れる奔放な演奏が最高のピアニズムで展開されて、満場を圧倒。その最後、音符的には短い音を、シフは名残を惜しむかのように長く引き延ばしたのですが(鍵盤に手を置いたまま)、お客様は静寂の中、その響きが消えるまでじっと耳を澄ましていました。盛大な拍手が湧き上がったのは、その後シフが、ゆっくり身を起こしてから。コンサートの最後はかくありたい、という願いが、理想的に実現されていたのです。
シフもそのことを嬉しく受け止めていたようで、傍目にも満足感をたたえながら、《ゴルトベルク変奏曲》のアリアを演奏。それで終わりだと思ったら再びピアノに向かって、さざ波のようなアルペッジョを弾き始めました。《月光》です!
第1楽章で終わるのかな、終わらないのかな、と思っていたら、鍵盤から指を離さぬまま、拍手をそれとなく制するように、メヌエットへ。さらに、フィナーレへ!圧巻の演奏で、場内の興奮は最高潮に達しました。
辛口の後期作品をずっと聴いた後でしたので、若い頃の作品に残る甘さが何とも好ましく、《月光》ってこんなにいい曲だったのかと、あらためて思いました。お客様とシフがいっしょに作ってくれたコンサートだと思っております。
私はシフを、必ずしもベートーヴェン弾きだとは思っていません。私の中にある精神主義的、人格主義的なベートーヴェン像とシフのアプローチはだいぶ違っていて、ソナタにはあまり馴染めないうちに、前半が終わりました。
しかし後半、《ディアベリ》の面白さはすごかった。エネルギーに溢れる奔放な演奏が最高のピアニズムで展開されて、満場を圧倒。その最後、音符的には短い音を、シフは名残を惜しむかのように長く引き延ばしたのですが(鍵盤に手を置いたまま)、お客様は静寂の中、その響きが消えるまでじっと耳を澄ましていました。盛大な拍手が湧き上がったのは、その後シフが、ゆっくり身を起こしてから。コンサートの最後はかくありたい、という願いが、理想的に実現されていたのです。
シフもそのことを嬉しく受け止めていたようで、傍目にも満足感をたたえながら、《ゴルトベルク変奏曲》のアリアを演奏。それで終わりだと思ったら再びピアノに向かって、さざ波のようなアルペッジョを弾き始めました。《月光》です!
第1楽章で終わるのかな、終わらないのかな、と思っていたら、鍵盤から指を離さぬまま、拍手をそれとなく制するように、メヌエットへ。さらに、フィナーレへ!圧巻の演奏で、場内の興奮は最高潮に達しました。
辛口の後期作品をずっと聴いた後でしたので、若い頃の作品に残る甘さが何とも好ましく、《月光》ってこんなにいい曲だったのかと、あらためて思いました。お客様とシフがいっしょに作ってくれたコンサートだと思っております。
今月のイベント(大阪篇) ― 2014年03月05日 22時32分57秒
いずみホールのバッハオルガン作品全曲演奏会、変則的ですが、2ヶ月連続で開催となります。3月21日(金)、19:00から。出演はアメリカのオルガニスト、デイヴィット・ヒッグスです。
ト長調作品を中心としたブリュンドルフさんのコンサートが先日ありましたが、ヒッグスさんのコンサートは、ヘ長調を中心としています。それが「降誕の神秘」と題されているのは、クリスマスにちなむ曲が集められているから。年2回のコンサートの1つが夏、1つが3月ですので、若干の季節外れが生まれてしまいます。ちょうとバッハの誕生日なので、バッハの降誕ということでお願いします(笑)。
プログラムの骨格をなすのは、ヘ短調のプレリュードとフーガBWV534と、クリスマスにちなむヘ長調のパストラーレ、壮大きわまりないヘ長調のトッカータとフーガBWV540。パストラーレをめぐって、14曲のコラールが演奏されます。
コラールは、いずみホールのオルガンがとくに生きるジャンル。音色の彩りが美しいからです。《オルガン小曲集》からのクリスマス・コラールが、とくに聴きものだと思います。この曲集の密度の高さ、表現の緻密さは聴くほどにすばらしく、シュヴァイツァーの「音楽史上最大の出来事のひとつ」という評言も、誇張ではないと感じるようになりました。
いつものように解説とインタビューをします。いずみホールでは12日(水)にアンドラーシュ・シフのリサイタルがあり、これにも参ります。6つのバガテル、ソナタ第32番、ディアベリ変奏曲というベートーヴェン晩年のプログラム。《ディアベリ》がとくに楽しみです。
4日(火)に、ICUの補講と、打ち上げを行いました。写真を掲載します(in 吉祥寺)。音楽研究を専攻する学生さんたちのテーマは、伊福部昭、武満徹、バッハ、楽器。とても楽しく、これから授業ならいいのに、と思いました。やはり、親しみが大切です。

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