ロ短調学会(1)2008年01月03日 14時43分24秒

「I教授の家」では毎年大晦日に、1年間の十大ニュースを発表していました(このように年間の「まとめ」にこだわる理由は別途書きたいと思います)。私にとって2007年の最大の出来事は、ベルファストで開かれた《ロ短調ミサ曲》の国際シンポジウム("Understanding Bach's B-Minor Mass")に参加したことでした。それについて、連載の形でお話ししようと思います。(「ロ短調学会」と略称します。)

世界中のバッハ学者が一堂に会し、《ロ短調ミサ曲》について3日間論じ合う--こういう壮大な企画を立ち上げられたのは、ベルファスト大学教授の富田庸さんです。なぜ《マタイ受難曲》ではなくて《ロ短調ミサ曲》であるかといいますと、《ロ短調ミサ曲》には解明されていない謎が多く、この曲を基本的にどうとらえるかということについてさえ、学者間に大きな意見の相違があるためです。また、近年のバッハ研究の進展が、この作品を考えなおす上でのさまざまなきっかけを与えつつあることも確かです。私自身は、目下ザクセン選帝侯慶祝のための世俗カンタータを研究しているため、目的や背景の重なり合う《ロ短調ミサ曲》を採り上げるシンポジウムは、たいへん魅力的に映りました。

富田さんから参加の打診をいただいたのは、2006年の11月でした。すばらしい企画だとは思ったものの、おいそれとは引き受けられません。なぜなら私は、大学をドイツ語で受験したことからもわかるように、英語は苦手で(とくに会話)、これまで、まともに使ったことがなかったからです。この歳でそんなリスクを冒さなくてもいいのではないか、とも思いました。それでも結局参加を決心したのは、内容的なことに加えて、次のような理由があったからです。ひとつは、国際的に活躍されている好漢、富田さんを、日本の研究者としてできるだけ応援したい、ということ。もうひとつは、この時点で日本音楽学会の第9代会長に就任することが決まっており(2007年4月から着任)、国際的な仕事は率先してやらなければならない、と思ったことです。

シンポジウムでは、世界諸地域での受容がセッションの1つになるということでした。そこで研究発表は「《ロ短調ミサ曲》と日本人--〈普遍性〉という難題」というテーマで行うことにしました。《ロ短調ミサ曲》のすぐれた特徴として語られる「普遍性」は日本人にとって案外受け入れにくいものなのではないかと思っていましたので、そのあたりを日本人がどう考えてきたかを調べてみよう、と思ったのです。

この段階で、それまであまり気に留めていなかったひとつの事実が、大きな意味をもって浮かび上がってきました。それは、私の勤務する国立音楽大学が昭和6(1931)年に、大学の教職員・学生によって《ロ短調ミサ曲》を日本初演した、という事実です。この初演は、クラウス・プリングスハイムが芸大関係者を指揮して《マタイ受難曲》を初演する6年も前に行われました(《ヨハネ受難曲》は、同じプリングスハイムの指揮で昭和18(1943)年に初演)。私は思わぬ形で、自分の大学の歴史と出会ったわけです。(続く)

コメント

_ まさお ― 2008年01月08日 03時23分27秒

参考までに、INTERNATIONAL SYMPOSIUM "Understanding Bach's B-minor Mass" の公式ページの URL を貼っておきます。

_ まさお ― 2008年01月08日 03時24分31秒

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック