元号のこと ― 2008年06月16日 23時27分17秒
皆さんは、日付を何かに書き込むとき、西暦で書かれますか、それとも元号を使われるでしょうか。
私は徹底して西暦です。バッハの研究に元号は不要ですから、いつしか、元号をおろそかにする気持ちに傾いていました。しかし土曜日のシンポジウムでは、「昭和40年代」という切り口を、日本の戦後芸術を考えるために提案したわけです。昭和40年代は1965年から74年までに当たるのですが、パネリストの中には、諸事西暦で頭に入っていて、元号への換算に苦労している方もおられました。
きっと若い方ほど、西暦中心になっていることでしょう。それがもちろん、グローバル・スタンダードです。でも、高い年齢層の方はどうか。明治、大正、昭和初期、昭和10年代、昭和20年代あたりは、西暦でいうより、ずっとイメージが湧きませんか?
童謡の研究をしているとき、それを大正の中期から後期に置くことで、とてもイメージがつかみやすい、という経験をしました。しかし今では、それも西暦でやるのが普通のようです。NHKの番組で竹久夢二が出てきたとき、全部西暦で紹介していましたから。
私は、元号で文化をまとめて理解するのも、日本人として大切なやり方なのではないか、と思います。それが失われるのは、残念。でもそういう私も、江戸時代、それ以前となると、元号だけではさっぱりわかりません。西暦に換算して理解します。昭和も、50年代、60年代となると怪しいもの。これも、時代の流れでしょうか。
全力投球 ― 2008年06月18日 13時08分44秒
バッハ演奏研究プロジェクトの「ピアノで弾くバッハ」部門。昨日は野平一郎先生にご出講いただきました。先生の《平均律クラヴィーア曲集》数曲の分析や考察、模範演奏が最上級のものであることはいうまでもありませんが、それにも増して印象的なのは、2時間にわたってびっしり語り演奏する、その集中力です。さぞお疲れなのではないかと思い、食事の席でそう伺ってみると、「このぐらいなら全然疲れません」とのお返事。恐れ入りました。
考えてみると、全力投球していい仕事をし、達成感なり満足感なりを得る、というのが、いちばん疲れないことなのかもしれません。あまり興味のない会議に義理で顔を出すことの方が、はるかに疲れる。居眠りをしても、罪悪感を伴うようでは、休養にならないようです(笑)。
私も全力投球を日頃心がけているつもりですが、先週の疲れがどっと出てきている状況です。今週は東大和(金)、立川(土)、須坂(日)と週末にイベントが並んでいるので、とりあえず、気分転換を図りたいと思います。
疲労雑感 ― 2008年06月19日 22時45分54秒
これじゃ疲れてたいへんだろうなあ、と思うことがよくあります。なにより、将棋。最高峰の名人戦などは2日がかりで、1日目は9時から夕方まで、2日目は9時から勝負がつくまで指す。多少の休憩はあるものの、正座して考え続けているわけですから、消耗度はたいへんでしょう。身体を動かすスポーツのほうが、まだいいように思えます。
羽生-森内戦などはいつもがっぷり四つの大勝負になりますから、終盤にゆくと鬼気迫るような感じになる。終了後にマイクを向けられても、いっこうに言葉が出てこない。心身が別の世界に入り込んで、戻ろうにも戻れない、という感じなのです。精根尽くす、というのはこういうことを言うのでしょうね。勝利まであと一歩、というところで羽生名人の手が震えることは、有名です。
しかもそういう大きな勝負が、次々に控えている。才能は集中力であり、そのあらわれは仕事の量でもある、という、たとえば火曜日に野平一郎さんに対して感じたことを、羽生さんにも感じずにはいられませんでした。
夜中のメール ― 2008年06月20日 23時47分53秒
いくら言ってもわかってもらえないこと、というのがありまして。
私のところには、学生さんからよくメールが入ります。指導の時間相談とか、質問とか。その中に、「夜分遅く失礼します」「夜遅く申し訳ありません」というのが、結構ある。私はそのたびに、「君ね、E-Mailはいつでも読めるのがいいとこなの。夜分遅く失礼は必要ないの」、と言い含めていました。
それでも、似たようなメールが次々とやってくる。私はその都度、切歯扼腕です。今日図書館で学生に会ったら、「昨日10時過ぎに、遅くて失礼かと思ったのですが、メールしました」と言うではないですか(←届いていない)。私は天を仰ぎ、慨嘆しながら、「君ね、メールはいつ出しても関係ないの。電話掛けているんじゃないんだから」と申しました。すると学生が曰く、自分の携帯はメールが来ると音が鳴るように設定しているので、ご迷惑だと思った、とのこと。
そういうことなんですね。知りませんでした。
けいれん ― 2008年06月23日 23時01分05秒
土曜日の夜、布団の中で、久しぶりに足がつりました。あれって、予兆がありますね。一定の準備期間を経て、ぐ~っと痛くなる。しばらく続きますが、そのあと血が通って回復するとき、天国的に気持ちがよくなります。血を吐くときが、ちょっと似ています。
死ぬときもこうなのかな、などと考えました。苦痛の後の恍惚。でも気持ちがよくなるべき段階で命がないわけだから、痛いだけ損なのかもしれません。
昔父親がよく見舞われており、私もときどき経験していましたが、最近は栄養のせいか、めったに起こりませんでした。日曜日に長野の街で「足のつる人ご相談ください」と貼ってある薬局を見つけ、なつかしく思った次第。まだ左足に後遺症があります。
日本語クイズ ― 2008年06月25日 16時37分22秒
新幹線の車中から、皆様にクイズです。この問題は、先週の授業で遭遇したものです。
次の2つの句は、用法はよく似ていますが、アクセントが異なります。前者は句尾が下がり、後者は句尾が上がります。それはなぜでしょうか。
生きたい←→死にたい 食べたい←→やめたい
楽しみな新人 ― 2008年06月26日 23時36分03秒
昨日は、いずみホールでアルティ弦楽四重奏団のベートーヴェンを聴きました。豊嶋、矢部、川本、上村という4人の名手がひとつの方向に心を合わせて仕上げられており、《ラズモフスキー第3番》で大きく盛り上がりました。
今日は帰路、東京文化会館で二期会のオペラ《ナクソス島のアリアドネ》を鑑賞。これは批評に書きます。「作曲家」を歌った谷口睦美さん、潤いのある声でロマンを表現してすばらしかったです。まだ新人のようですが、じつに楽しみな人があらわれたと思いました。
クイズ、学生さんが正解!「~たい」のつくもとの動詞のアクセントに左右されるのですね。私はそれに気づかず、内容的なことかと思って考えこんでいたのですが、1年生のひとりがぴしりと言い当てました。
その手があったか ― 2008年06月27日 23時03分48秒
外国語を読むときには、辞書を引きます。慣れないうちは、ほとんど全単語を引くこともある。辞書を引くこと自体が勉強で、だんだん引かなくなるのが、上達です。
ところが。最近は学生が辞書を引かず、原文をそのまま翻訳ツールにかける傾向が出てきました。当然まともな日本語にはなりません。しかし、専門書ならいざ知らず、簡単な文章なら、多少の見当はつくかもしれない。それをプリントアウトしてきて、授業を切り抜けることも、すでに行われていそうです。
これでは、語学力はつきませんよね。教師には、あらたな頭痛の種になりそうです。
大学院の現況 ― 2008年06月29日 22時31分55秒
昨日の土曜日は、朝日カルチャーの新宿校から横浜校へはしご。12:00に講義が終了、12:15新宿発、12:47横浜着、13:00から講義開始、というスケジュール。新宿駅が西口から最遠の1番線だったため少々走る羽目になりましたが、案外間に合うものですね。
しかし、やっぱり疲れました。この6月は本当に仕事が立て込んでいて、神経も使いましたので、終わったあとはぐったりしてしまいました。ほとんどがうまくいったということは、7月にツケが来るこということです(ご存じ私の理論)。でも毎回できるかぎり準備して臨みましたし、運に委ねているわけではないので、あまり心配しないことにします。
金曜日には、恒例の大学院の入試説明会がありました。正式には大学のホームページを見ていただくとして、私の個人的な立場から少し補いを。
ドクターコースができて2年立ちましたが、学生は本当に恵まれていると感じます。入学者全員に対して奨学金があり、授業料が事実上免除になる。TA(ティーチング・アシスタント)という制度が機能し始め、先生の授業に協力しながら、一定の謝礼と教歴がもらえる。実技の学生も理論の学生も、大学と一体になりながら、専門的な勉強を進められるわけです。
博士論文を書くのは大きな課題ですが、それにも、マンツーマンの指導がついています。私は声楽専攻の全員と音楽学専攻の希望者を指導するのですが、声楽の入学者が多いため、目下声楽5人、音楽学1人を指導して、大忙しです。でも実践とかかわる研究が私の本領ですから、やりがいも十分あります。みなiBACHコレギウムにかかわってくれており、バッハの専攻者も、博士、修士に1人ずついます。そんなわけで、大学につとめて初めて、盛り上がりのようなものを周囲に感じている昨今です。
修士の方も新カリキュラムになり、たとえばバッハのプロジェクトを、授業として選択することができるようになりました。奨学金も、博士ほどではありませんが、かなり充実してきています。というわけで、いっしょに勉強しましょうとお勧めしても、空手形ではないと思います。来年ドクターに入られますと、最後の年まで、私が指導できます。
小論文4? ― 2008年06月30日 22時59分24秒
私はグーグル・カレンダーで予定を管理しています。昨日、6月30日すなわち今日の欄を見て、「小論文4 9:30-10:30」と書いてあることに気づきました。
ん?これ何だろ。考えたのですが、どうしてもわかりません。しかし「4」の数字といい、9:30からという時間設定といい、間違いというには、具体的すぎます。しばらく前に書き込み、そのまま忘れていたようなのです。
個人指導の学生が2人とも休んだので、午前中は行かなくてもよい流れになりました。それなら家にいた方が、諸事はかどります。助手には連絡し、びくびくしながら過ごしましたが、何事もなくお昼になりました。まさか本欄をお読みの方で、すっぽかされたが言うに言えない、という方はいらっしゃらないでしょうね?
お昼休みにこの話を同僚にしたところ、ことのほか喜んでいただきました。そのさいある方が質問していわく、その手の失敗(!)の中で最大のものは何ですか、と。私の脳裏にただちに浮かんだのは、もう時効になっているであろう、次のような光景でした。
国分寺で市民講座があり、それを待つ時間に、新宿の喫茶店で、仕事の打ち合わせをしていました。するとお店に電話がかかってきて、皆リハーサルを終えてお待ちしているのだが、とのこと。S兄弟、弦のTさんなど、そうそうたる顔ぶれのコンサートです。完全なダブルブッキングで、髪の毛が逆立つような思いを味わいました。結局トークは演奏者にまかせ、講座を完遂したのですが、わかるはずのない居場所をマネージャーが探し当てた、ということだけでも、先方の当惑のほどがわかります。
こんなことがあったせいか、以来ダブルブッキングが私のトレードマークになりました。先日も、ミスをしたある方が、「いやあ、礒山さんのお株を奪ってしまいましてね」というではないですか。そんなにしょっちゅうやっていますかね。分母が多い割には、そうないと思っているのですが。
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