大局観の仮説 ― 2010年01月19日 11時45分07秒
著書の準備のため、DVDを観ています。今日はマーラーの交響曲だったのですが、昔は藪の中に迷い込むように思われたマーラーの交響曲が、今では手に取るようにわかることに、われながらびっくり。それはなぜか、と考えるうちに、ひとつの仮説を思いつきました。
単に聴き慣れたとか、古今の音楽をたくさん聴くうちに耳ができたとかいうことだけでは、ないように思うのです。私が年を取ったことと、関係はないだろうか。先日来、時間が速く過ぎてお正月への気持ちの備えもできないことを述べていますが、このことの主因は、私が年を取ったということですよね。このことと、マーラーがよくわかることと関係があるのではないか、と思ったわけです。
つまり、年齢とともに時間感覚のレベルが上がり、長い時間をパースペクティヴをもって展望できるようになる、ということは、ないでしょうか。指揮者が齢を重ねて巨匠になるというのも、こうしたパースペクティヴを獲得するからではないか。中国で尊重される「老」というのも、こうした感覚のゆえではなかろうか。老年の知恵があるとすれば、それは大局観として恵まれるのではないだろうか。
そんなことを考え始めました。理論化は、まだこれからです。
〔付記〕この文章は1月4日に書いて、そのままにしておいたものです。いまワーグナー論をひとつ書かなくてはならないのですが、そこにこの発想を使おうかと思っています。
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