バッハの長調、短調 ― 2010年01月28日 23時14分24秒
このところ超多忙なのですが、心に充実を感じて、がんばっています。今日は、土曜日に松本で講演する《ブランデンブルク協奏曲》について、調べていました。
この曲集の大きな特徴は、6曲がいずれも長調であることです。6曲セットはバッハの定番ですが、全部長調という例は、他にない。長調対短調の統計を取ってみると、次のようになります。
《イギリス組曲》は、2:4。《フランス組曲》は、3:3。《パルティータ》も、3:3。無伴奏ヴァイオリンは、2:4。無伴奏チェロは、4:2。ヴァイオリンとチェンバロのソナタは、3:3。《平均律》は、もちろん同数です。
なぜこの曲集だけ、「6:0」という極端な形になっているのか。《ブランデンブルク協奏曲》が君主(この場合、ブランデンブルク辺境伯)への表敬を目的とし、曲ごとに異なったプログラムをもっているのではないか、と考える研究はいくつかありますが、輝ける君主のイメージを長調であらわそうとした、という見方には、たしかに説得力があります。
別の角度からしますと、バッハの場合、短調は伝統的な価値観に結びつき、長調は未来志向的な価値観に結びつく、ということはないでしょうか。対位法に特化した《フーガの技法》や《音楽の捧げもの》はどちらも短調です。一方、《ゴルトベルク変奏曲》は長調。《イタリア協奏曲》もそうですね。このあたり、少し深めてみたいと思います。
松本ブランデンブルク紀行(1)--いきなりのドラマ ― 2010年01月31日 09時44分57秒
今回の松本訪問は、松本バッハ祝祭アンサンブルによる《ブランデンブルク協奏曲》の全曲演奏に先立ち、「《ブランデンブルク協奏曲》--多様性への挑戦」と題する講演会を開くことでした。ザ・ハーモニー・ホールが、講演会をコンサートとセットにする形で企画してくれたのです。2年前、《管弦楽組曲》のコンサートにおけるトークを帯状疱疹でキャンセルしましたので、その借りをお返ししなければと思い、私なりに十分な準備をして、出発しました。
私がツキを重んじる性格であるのは、ご承知の通りです。その点で、特筆すべき出来事が、いきなり起こりました。
八王子でいったん下車し、スーパーあずさの乗車券を買いに行きました。すると、グリーン車が売り切れになっていて、一般車両が空いている気配です。普通は順序が逆ですから腑に落ちず、一応窓口で尋ねてみました。すると、1枚だけ、グリーン券が残っている、というではありませんか。「通路側になってしまってすみません」「いやかまいませんよ」といった会話を交わし、グリーン券をゲットして、ホームに急ぎました。
乗り込むと目の前に、体格のいい男女二人が仁王立ちしています。何かを警備しているな、ということを直感しました。車両に入ると、スーツ姿の人々が大勢乗っていて、ものものしい雰囲気です。自分の席を探して通路を進んでゆくと、おられましたね、日本国首相、鳩山さんが。私の席はずっと離れたところでしたが、その周囲の一般人のような感じの人々も、ほとんど警備関係であることがわかりました。甲府でみなさん、合流されましたので。
これって、すごい偶然ですよね。大量のツキを、私は消費したと思います。しかしわからないのは、このツキの消費が私にとっていいことなのか、悪いことなのか、ということでした。3人の女神に出会ったパリスの例もあります(災いのケース)。いきなり、のるかそるかのような形で始まった、今回の紀行です。(結論を先取りしますと、この出来事は、2日目に起こった痛切な出来事への伏線になりました。)
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