《フーガの技法》の幸福(1)2010年01月15日 22時27分59秒

14日、木曜日。今日も寒い、大阪です。打ち合わせ、会食、面談と続くうち、ふたたび不安が募ってきました。やっぱり、英語インタビューがうまくいくかどうかが、気になります。フィニーさんとどのようにフーガの分析をしたらよいかもアイデアが固まらず、不安は焦りへと転化し始めました。

4時から最後のリハーサル。「未完の四重フーガ」と「鏡像フーガ」が弾かれたあと、トークについて、しっかり打ち合わせよう、ということになりました。

クリスティさんが買ってきてくれたコーヒーを飲みながら、こちらで用意した質問を説明し、対話をシミュレーション。クリスティさんのお答えは明瞭、かつ簡潔なもので、十分理解できました。私は、すっかり安心。親切なクリスティさんは、通訳は1文ごとにするか、センテンスをまとめてするか、とおっしゃいますので、私は、センテンス2つか3つまとめての形にして欲しい、と答えました。あまり短く切られるとわからなかったときにごまかせませんし、次の文章で理解を補えることも、よくあるからです。

いよいよ本番。ステージに向かう私に、クリスティさんは、「ゆっくり話しますよ、センテンスは2つずつ区切ります」と、念押ししてくださいます。よく配慮してくださる方だなあ、と心の中で手を合わせながら、私は舞台に出て、こんな風に話を始めました。「寒いところ、バッハの遺言〔←コンサートのタイトル〕を聴きに来てくださり、ありがとうございます。しかし今日は、遺言をしんみり聞こう、というのではありません。今日は、ボストンから、情熱的で人間味にあふれたすばらしいゲストをお迎えしていますので、バッハの遺言を、熱く聞くことにいたしましょう。今日などボストンなら春のようなものだと言っておられる方、ジェイムズ・デイヴィッド・クリスティさん、どうぞ!」

マイクを握ったクリスティさんは、ボストン交響楽団との初来日の思い出から、話を始められました。しかし、打ち合わせ通りなのはそこだけ。話がどんどん発展し、センテンスもずっとつながってしまうではありませんか。もう私のことは忘れ、お客様に向かって熱く語りかけている、クリスティさんなのです。(続く)

《フーガの技法》の幸福(2)2010年01月16日 23時08分12秒

こういう打ち合わせにない発展が起こってしまうから、ステージのインタビューはこわいのです。まあなんとかなったのは、作品についての予備知識のたまもの。トークは、後半にもありました。こちらは、アシスタント兼〈鏡像フーガ〉演奏のフィニーさんに対してでしたが、フィニーさんがドイツ語に堪能でしたので、余裕をもってこなすことができました。フィニーさんには、アシスタントの役割や、師であるクリスティさんのお人柄などについてお尋ねし、テーマのピックアップ演奏などもしていただきました。

2つのインタビューのあとは客席に座り、クリスティ流配列による《フーガの技法》の完全全曲演奏を楽しみました。皆さんに告白しなくてはなりませんが、私は、《フーガの技法》が本当にすばらしい作品だと、この夜初めて思いました。こう書くと、なんだ礒山はバッハの専門家と称していて、《フーガの技法》についても書いているのに、と思われることでしょう。しかし事実として、私は《フーガの技法》が音楽としてよく理解できず、なかなか好きになれなかったのです。

しかしこの夜は、フーガの構造が、転回や拡大縮小のような技巧に至るまで手に取るようにわかり、「音による幾何学」が血の通った音楽として、眼前に展開するような思いにとらわれました。それはクリスティさんがポリフォニー声部のくっきりした弾き分けを重視し、鍵盤やストップの選択を通じて、構造を徹底して追求していたからです。このため、バッハが神の世界創造を模倣して繰り広げる壮大な秩序の世界が、生きた音響として、耳に響いてきました。《フーガの技法》を聴いて初めて、私は幸福になることができたのです。大きな体験です。

クリスティさんの演奏は、情熱と雄大さを兼ね備えたものでした。厳格な構成の作品だけにさぞ神経を使うだろうと思うのですが、演奏は曲ごとに盛り上がり、〈未完の四重フーガ〉は中でも圧巻。一般に演奏される初稿は、自筆譜の終わり7小節を省いています。じつはここで第1の主題が豪快にあらわれ、3つの主題が同時結合されたところで、バッハの筆が絶えている。クリスティさんはここも省かずに演奏され、一呼吸置いて、遺作のコラール〈あなたの御座の前にいま私は進む〉に入りました。この組み合わせはC.P.E.バッハによる初版の工夫であるわけですが、それがどれほどドラマティックな感動を呼び起こすかも、今回、初めて経験したことです。

終了後、すばらしいお人柄のクリスティさん、フィニーさんと、京橋の焼き鳥屋で祝杯。今回は英語のインタビューも含まれていて、私としてもプレッシャーが大きかったのですが、そういう責任の重い仕事に精一杯取り組み、それを通じて貴重な勉強をさせていただくことにこそ、人生の幸福はあるということがわかりました。ありがたいことです。

神の使い2010年01月17日 23時59分41秒

今日、帰国早々のクリスティさんからメール。心のこもった感謝の言葉が連ねられており、あらためて、感動してしまいました。翌日の奈良訪問がすばらしく、公園を走る鹿が、「神の使い」のように感じられたこと。ヤキトリがとても気に入り、今度はボストンでロブスターをごちそうしたいこと。コンサート後オルガンの前で撮った写真をヴォルフ先生に送る、先生もわれわれの友情の始まりをきっと喜んでくださると思う、等々。N市のNさん、ぜひ来ていただきたかったです(笑)。

16日の土曜日は、「たのくら」の例会と、新年会。湯川亜也子さんと三好優美子さん(←天使のピアノ)によるミニミニ・コンサート(フォーレの歌曲)が好評で、私も珍しく、新年会の二次会まで付き合ってしまいました。ドクターの学位取得を目前にした湯川さん、持ち前の美声に吹っ切れたような思い切りのよさが加わり、堂々のステージでした。1つ1つのステージを、それがたとえ小さな場でも大事にすることがファンを増やし、先につながります。懸命のステージに感動を覚え、また1日、よい日が加わったことを実感しました。

大局観の仮説2010年01月19日 11時45分07秒

著書の準備のため、DVDを観ています。今日はマーラーの交響曲だったのですが、昔は藪の中に迷い込むように思われたマーラーの交響曲が、今では手に取るようにわかることに、われながらびっくり。それはなぜか、と考えるうちに、ひとつの仮説を思いつきました。

単に聴き慣れたとか、古今の音楽をたくさん聴くうちに耳ができたとかいうことだけでは、ないように思うのです。私が年を取ったことと、関係はないだろうか。先日来、時間が速く過ぎてお正月への気持ちの備えもできないことを述べていますが、このことの主因は、私が年を取ったということですよね。このことと、マーラーがよくわかることと関係があるのではないか、と思ったわけです。

つまり、年齢とともに時間感覚のレベルが上がり、長い時間をパースペクティヴをもって展望できるようになる、ということは、ないでしょうか。指揮者が齢を重ねて巨匠になるというのも、こうしたパースペクティヴを獲得するからではないか。中国で尊重される「老」というのも、こうした感覚のゆえではなかろうか。老年の知恵があるとすれば、それは大局観として恵まれるのではないだろうか。

そんなことを考え始めました。理論化は、まだこれからです。

〔付記〕この文章は1月4日に書いて、そのままにしておいたものです。いまワーグナー論をひとつ書かなくてはならないのですが、そこにこの発想を使おうかと思っています。

好天に恵まれた地鎮祭2010年01月20日 21時13分48秒

「2週連続ですか」などという冷やかしを背中に浴びつつ、校庭の地鎮祭に出席しました。今週で良かった。寒く風の強かった先週に対し、今日は春のようにうららかな好天だったからです。

ずっと昔を別にすれば、地鎮祭という催しを経験するのは、初めて。見慣れぬ式次第がどういうものか見極めたいと思っていました。しかし、なんとかの儀、というかけ声で立ち上がると、頭をお下げください、と言われるため、何が起こっているのかを、確かめることができません。印象的だったのは、鍬入れ(?)のさいに、「エイッ」というかけ声を3度かけること。神主さんの美声も、たいしたものでした。

終了後、「直会」(なおらい)という宴会になりました。皆さんが口々におっしゃったのは、さい先がいい、天が味方してくれた、といった、好天への礼賛。私が大いに違和感を覚えたことは、ご訪問くださる皆様はわかってくださるでしょう。

ご存じの通り私は、地鎮祭の日がこんなにいい天気になったのでは、ツキをかなり使ってしまった、と考えるわけです。雨の日にふるえながらやるのであれば、いいツキを、しっかり後に残すことができる。じつは前日、いいことが続くと必ず悪いことがある、という典型的な経験をして、ツキの理論に対する自信を深めていたのです。

よほど自説を開陳しようかと思いましたが、思いとどまり封印。皆さん喜んでおられるのに、縁起の悪いことは申せませんからね。

今月のCD/DVD2010年01月22日 11時12分00秒

今月は、DVDを2点入れました。1位は、ブルックナーの交響曲第8番、ロヴロ・フォン・マタチッチ指揮 NHK交響楽団のライヴ映像です(NHKエンタープライズ)。これは、マタチッチの死の前年、85歳のときの伝説的名演ですが、さすがにすごいですね。「底知れぬ大きさをもつディオニュソス的ブルックナーで、豪快な中に官能がゆらめく」と書きました。これだけの指揮者が有力なポストも得ないままだったのは、なぜなのでしょうか。

2位はCDで、ワーグナーの楽劇《ワルキューレ》、ヨーゼフ・カイルベルト指揮 バイロイト祝祭劇場の1955年バイロイトのライヴです(テスタメント)。この年の《リング》はステレオ録音の全曲が発売されて話題を呼びましたが、それは第1チクルス。今回発売されたのは第2チクルスからで、ヴァルナイがジークリンデに移り、ブリュンヒルデにはメードルが起用されています。鋼のように強靱なオーケストラもさることながら、両ソプラノを始めとする往年の歌い手たちの歌唱は圧巻で、どうして昔はこうで、今はこうではないのか、と考えさせられてしまいます。

3位はDVDで、ラモーの歌劇《カストールとポリュックス》 クリストフ・ルセ指揮 レ・タラン・リリック(デノン)を入れました。続々よみがえるラモーのオペラ、どれもすばらしいですね。「うち続く軽やかなバレエ、憂いを帯びたレシとエールによる、魅惑的な神話世界の再現。ルセが生き生きと綴る」と紹介しました。

あとであっと思ったのが、当ブログで推奨した《メサイア》を忘れていたこと。余裕があれば、来月に補いたいと思います。

笠原さんの受賞2010年01月24日 08時56分27秒

23日は、池袋の立教大学へ。長期にわたって非常勤講師をつとめた大学で思い出もたくさんありますが、出かけるのは久しぶりです。今日はその上品なチャペルで、故笠原潔さんの表彰式があるのです。

立教大学がキリスト教音楽の研究者を対象に、辻荘一先生を記念する賞(学術奨励金)を制定したのが、1988年。第1回の受賞者として、『魂のエヴァンゲリスト』を出版して間もない私を選んでいただきました。私のその後の活動にとって、この賞をいただいたことの意味は大きく、たいへん感謝しています。今回は第22回目になりますが、いつからでしたでしょうか、「辻荘一・三浦アンナ記念学術奨励金」として、キリスト教芸術の研究者を広く顕彰するようになりました。その対象には、物故者も含まれています。このため、笠原さんの受賞が可能になりました。

授与式は、オルガン演奏、聖書朗読、讃美歌など、完全な礼拝スタイルで進行します。受賞者のスピーチに代えて、笠原さんが最後に手がけた放送大学のシリーズ「西洋音楽の諸問題」から、幕末の洋楽史に関する2つの部分が放映されました。私も、バッハで2回分担当させていただいたシリーズです。

久々に対面した笠原さんは若々しく、テレビ映りといい、流暢な語りといい、貴重な資料を整理して盛り込む手際といい、抜きんでたものでした。圧倒的に幅が広く、どんなことも器用にこなし、たえず行動を怠らないという得難い存在でしたので、57歳で亡くなられたのは、音楽研究の世界にとって大きな損失です。その貢献が新たに評価されて、本当によかったと思いました。

あとの予定が動かせなかったので、放映が終わると同時に退席。パーティにも出席できず、申し訳ありません。

久々のワーグナー講演(1)2010年01月25日 22時10分44秒

24日(日)は、早稲田の東京国際大学のキャンパスで、日本ワーグナー協会と新国立劇場の共催による講演を行いました。新国立劇場が「トウキョウ・リング」と呼ばれる公演を行うに先立ち、《神々の黄昏》を勉強しておこう、という趣旨です。

ワーグナー協会からのオファーは、じつはあまり受けたくなく、お断りしたこともあります。それは、最近ワーグナーの勉強をちっともしていない私にとって、私よりずっと勉強しておられる先生方が何人もいらっしゃる協会での講演は荷が重く、気が引けるからなのです。それでも今回お引き受けしたのは、理事にしていただいているのにまったくお役に立たないわけにはいかないという事情と、「入門講座」という割り切った目的設定のためでした。3回ある講座の第1回を、私が担当するのです。

持ち時間90分といえば、授業1回分。概要とあらすじを話すだけで、終わってしまいそう。それだけではいけないので、自分ならではの話題も用意しなくてはなりませんが、この時間ではできなくても仕方がない、なにしろ「入門」なんだから、ととらえることにしました。

「あらすじ」はずっと昔書いたものがあったので、それを配布して読み合わせることに決定。使えるかどうか読んでみると、これがなかなか、できあがった文章なのです。「バイロイト百年」というレコードのために書いたものなので、1976年ですから、私はドクターコースの学生。当時に比べれば文章は大いに上達したつもりでいましたが、今書けるいちばんいい文章と比べても五分五分ではないか、と思うほど。結局水準は昔と同じで、進歩していない、ということなんでしょうか。

入門だからわかりやすい話ができれば、という一念で準備していると、電話あり。なんと、協会大幹部の高辻知義先生からで、「楽しみにしていたが、仕事がはいって」という丁寧なお断りです。私は驚いて、「先生、入門講座なんですから、先生のご存じないことなどひとつも申し上げませんよ」と答えました。この調子では誰が聞きに来るかわかったものではない、と、にわかに不安になってきました。

久々のワーグナー講演(2)2010年01月26日 23時42分05秒

総論を述べ、あらすじを説明しているだけで1時間ちょっとかかると予想されますので、あとは3つほど、序幕~第1幕における音楽のポイントを、簡単にお話しすることにしました。準備は順調に進み、出発の時間に。『「救済」の音楽』(←販売用)を袋詰めし、渾身の力で運びながら、やっとの思いで、バス停のファミリーマートまでやってきました。

最後に作成したハンドアウトを、ここでコピーしようというのです。ところが、ハンドアウトを家に忘れてきたことが発覚。渾身の力で『「救済」の音楽』を運びつつ、家を往復する羽目になりました。大きくつまずいたわけですが、これで、今日は成功するんじゃないかと確信。悪いツキを使う形になったからです。

やっとの思いで会場に到着しました。すべての機器を手元で制御できる、すばらしい会場です。ほぼ満員のお客様を見渡して、がっくり。ワーグナー協会の幹部や常連の方々が、ずらりと顔をそろえておられるではないですか。90分の入門講座というから、初歩的な説明に来ているというのに・・・。

もはや、開き直るほかはありません。3時に講演を開始しました。総論、あらすじと効率よく進めてふと気がつくと、まだ3時半。パワーポイントのファイルは残り3つなのに、1時間残っているのです。講演というのはたいてい、想定以上に説明に時間がかかってしまい、用意した材料を使い切れずに終わるものです。時間を満たせずに終わるのはきわめて珍しいことで、効率よく運んだことを後悔しました。でも逆に言えば、30分で基本的な説明は十分できる、ということでもあります。

久々のワーグナー講演(3)--ブリュンヒルデの動機2010年01月27日 23時38分45秒

3つのポイントとして言及したのは、冒頭の場面、〈夜明け〉の場面、ハーゲンの〈見張りの歌〉の3箇所です。ここでは〈夜明け〉についてお話ししましょう。

いまは夫婦となったジークフリートとブリュンヒルデがやってくるところで、管弦楽は、「英雄ジークフリート」と呼ばれる動機(初出はホルンの合奏)と、「ブリュンヒルデの動機」(初出はクラリネット)を並列して出し、徐々に高揚します。「英雄ジークフリートの動機」が楽劇《ジークフリート》における角笛のモチーフの絶妙な変形であることにも驚かされますが、「ブリュンヒルデの動機」はじつに美しく、その美しさが《神々の黄昏》の支えになっている、と思えるほどです。

この旋律、なんでこんなに美しいんだろう、と思って気がついたのは、ターンの音型を除いて、全部が跳躍になっていることです。優美な旋律は順次進行が普通なので、これは不思議。和声はどうでしょう。移動ドで読むと(ハ長調に移すと)、階名は「ファーミファソファ・レーラドーレーファラー」となり、一見、サブドミナント。「英雄ジークフリート」はトニカですから、あえて流れを外しているのか、と思いました。

そこで楽譜を見たら、バスにソの音がしっかり入っている。ソ・シ・レ・ファ・ラ・ドの属十一の和音の分散なのです。なるほど、ドミナントか。それなら、この動機がトニカに向かう動きをはらみつつ「英雄ジークフリートの動機」に寄り添っていること、優美さにはかなさを加えた独特の味わいで訴えかけてくることの根拠が、よくわかります。この和音が、じつに味わい深く、美しいのです。ちなみにワーグナーは拡大されたドミナント使いの名手で、《リング》では属九の和音が頻出しますし、属十三の和音も、すでに《タンホイザー》で印象深く使われています。

そんなお話もし、たいへん気持ちよく講演を終えることができました。超重かった本も全部売れ、打ち上げ・二次会は、ワーグナー好き同士の心が通い合う、楽しい飲み会になりました。皆さん、ありがとうございました。