やっとわかった《フーガの技法》2010年02月20日 11時07分46秒

この2月ほど充実した時期がいつあったか、思い出せません。仕事に連日集中できていて、体内に盛り上がるものがあります。言い換えれば妙にハイテンションです。年齢が年齢ですから、いつまで続くものか、不安を感じます。

今日の「たのくら」では、心身とも充実、という、絶好調宣言をしてしまいました。今日のテーマは、「やっとわかった、《フーガの技法》」。本当に、突然、《フーガの技法》が大好きになってきてしまったのですね。いままで、バッハ研究家を名乗りながら《フーガの技法》が理解できず、お恥ずかしい次第でした。

ベルリン古楽アカデミーのDVD、すばらしいです。ピリオド楽器でやると、やっぱり全然違いますね。抽象的にならず、生きた実践として、それぞれのフーガが響いてきます。ケラー四重奏団の演奏では4声部の並行としかきこえないところが、彼らがやると、縒り合わせた響きとして聞こえるのですね。弦楽器、管楽器、鍵盤楽器の使い分けと協力も変化に富んでおり、単調に陥っていません。

バッハが探究した数学的秩序が音楽の上に目に見えるように感じられると、《フーガの技法》の価値観は最大になると思います。不肖私、それがやっと、見えてくるようになったのです。そう聴くと最後の三重フーガは、総毛立つような思いにとらわれます。バッハの筆が途中で途絶え、主題が復帰して四重フーガになる壮大な幕切れが書かれなかったのは、なんと残念なことでしょうか。

この終曲だけは、オルガンで聴くのが最上だと、私は思います。ヴァルヒャとアランを比べてみましたが、断然ヴァルヒャがすばらしい。しかしサットマリーが録音したフーガの補完稿もいいですね。死による「中断」より、補筆でもいいから「四重」を聴きたいと、思うようになりました。

コメント

_ NAK-G ― 2010年08月21日 01時50分19秒

以前こちらでコメントさせていただきましたが掲載されなかったため、何か事情がおありのことと思っておりましたが、8月20日の付記にてご説明いただき、わかりました。
申し遅れましたが、昨年須坂でお目にかかりました長野県の中島です。その節は失礼いたしました。
大変僭越ながら、未完フーガの補筆でしたら、Michael Ferguson氏の補完自演も、なかなか豪快で聞き応えがあります。もしまだお聞きでないようでしたら、是非お試しください("Michael Ferguson fugue"で検索すると見つかると思います)。
この曲の補完は1833年に早くも行われた例もあり、出版当初からある意味この曲の「魅力」の1つであったのかもしれないと思っております。

_ I教授 ― 2010年08月21日 07時58分29秒

中島さん、未完フーガの補筆につき情報をいただき、ありがとうございます。今回のギエルミのはフォルテピアノで演奏していますので、オルガンのような迫力はありません。その点ではちょっと寂しいのですが、迫力を求める必要があるかどうかも、論点かも知れませんね。

_ NAK-G ― 2010年08月21日 09時05分30秒

早々にお返事いただきありがとうございます!
確かに、例えばグールド氏のような瞑想的に静かな演奏も捨てがたい魅力があります(私は先生と同じくオルガン派ですが)。9月のバロックの森、楽しみにしております。

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