家族をどう書くか2010年04月01日 11時56分44秒

藤原正彦さんのエッセイを楽しみにしていますが、最近、奥様をネタにしておもしろおかしく書いた一編がありました。この手のエッセイを、ときどき、見ることがあります。土屋賢二さんのもそうですよね。

一方、ちょっとした因縁があって読んだ小説は、全然違います。これはお医者さんが主人公で、病院のことを私小説風におもしろおかしく書いてあるのですが、奥様がすごく美化されていて、もっとも美しい存在になっている。文学の世界で、両極端の類型があるわけです。皆さんは、どちらが自然だと思われるでしょうか。

私の感覚では、家族を卑下するのが日本人の伝統的な価値観だと思うのです。奥様を鬼か蛇のようにしてしまっては極端かもしれませんが、奥様を美化する、あるいは讃美する書き方には、私自身、とても抵抗があります。私個人としては、研究書の枕に「妻誰それへ」と書くのも、恥ずかしくてダメです。外国ではそれが普通だ、というのは知っていますが。

書かれた本人がどう思うか、というのは、また違いますよね。それは、よく書かれた方が嬉しく、家族円満でしょう。読み手には、いまどういう形が自然に受け入れられるのでしょうか。

コメント

_ chu-intermezzo ― 2010年04月02日 08時38分37秒

週刊新潮ですかね?だとしたら私はあのエッセイ、妻の立場としてひとこと物申したいような(笑)

私自身は、愛着がある人ほどおもしろおかしく話してしまうタイプでしたが、最近は、(愛があるにせよ)やられた方はあまり気分が良くないだろうと思い、やらないようにしています。
かつては、身内を誉めすぎると外野から冷めた目で見られるような気がしていましたが、しかし他の方がそうされているのを見ても「ケッ」なんて思うことはなく、逆に素直な気持ちで「いいなぁ」と感じるので、自分もあまり脚色をつけずに話すようになりました。

そういえば、小池百合子さんが鳩山首相の「思い」について言及していました。最後に、おもいが、軽いと(笑)
最近流行のツイッターでなんですが、ツイッター、先生もいかがですか?(笑)

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