「別の生き方」への想像力2010年05月04日 23時43分26秒

誕生日小パーティのさいに、恒例の三択クイズをしました。問題と解答を考えるのはたいへんなので、皆さんから私に質問をしていただき、それに対して三択を用意するという形です。私からすると、若い方々が私から何を訊きたいかに、興味がありました。

複数が競合した質問で、答えをとても考えづらかったのが、生まれ変わったら何になりたいか、今の仕事でなければ何をしたいか、女性になったら何をしてみたいか系の質問でした。

考えてはみたのですが、今の仕事をしている以外の自分が、どうしても想像できません。やってみたい仕事というのも、ひとつも浮かんでこない。今の自分以外、考えられないのです。

それは、私が自分に向いた仕事をしているということでもありましょうが、それだけではないと思う。歳を取るにつれて自分が確立され、不確定部分が排除されていくために、別の生き方に対する想像力を失ってしまうのだと思うのです。若い人たちが何人もそれを訊くということは、彼らの目の前に選択肢が多く、想像力もまた豊かであることを物語っています。

歴史上の作曲家に会えるとしたら誰がいいか、今バッハがお祝いに来ているが何をプレゼントするか、といった質問もありました。私の答えは簡単で、別に会いたくない、というもの。かくも想像力を失っているのです。そういえばずっと若い頃には、バッハの演奏風景を一度見たい、と熱望した時期もありました。その後、アインシュタイアルフレート・アインシュタインの考え方に従って作曲家を現実の人格と叡智的な人格に分け、後者を追究するうちに、いつのまにか、それで十分だ、と思うようになってしまったのです。これも、加齢のひとつの形かもしれません。