「考えない」傾向2010年05月10日 23時52分11秒

「相づち」への書き込み、ありがとうございます。皆さんが指摘しておられる番組の「考えさせない」傾向は、世間の「考えない傾向」とひとつのもので、学問の世界にも浸透しています。じつを申しますと、「考えることを怠る」研究に接することが増えたような気がしてなりません。私は、研究においてもっとも大切なことは「頭を使う」ことだと思っているのですが。

例を、2つあげたいと思います。第1に、アンケートの報告のようになっている論文。客観的な材料を得るためにアンケートが必要な場合はもちろんあり、心理学的な問題提起をしている場合には、その重要性は高まることでしょう。しかし、アンケートはあくまで材料であって、論文は、そこから始まるものです。結果をどう読み取り、そこからどんな洞察を得るか。でもじっさいには、このテーマにしよう、じゃアンケートで意見を聞こう、結果をまとめよう、という形でできあがる、安易な論文が多いのです。「考える」労力を払っているのは、アンケートを書いている側だ、と思うことさえあります。

第2の例は、教えられた方法によってひたすら対象を分析したり、調査したりしているものです。じつはこうした論文は相当に多く、まじめな学生がかなりの労作を仕上げる場合もある。しかし私は、自分の採っている方法を反省したり、方法を改良したり、新しい可能性に気づいたりという発展がなく、ただ1つのパターンを黙々とやっているのでは、手を使っているだけで、頭を使っていることにはならないと思うのです。厳しいかもしれませんが、そのことを強調したく思います。

研究は、多少とも、クリエイティヴなものであるべきです。そのためには、頭を使うことがなにより必要だというのが、私の考えです。