過去の談話から(その1)~「スーパーシート」2010年07月27日 23時29分06秒

お待たせしました。過去のホームページで書き連ねた「談話」から、還暦記念誌で読者チョイスされたものを、少しずつご紹介していきます。
今日ご紹介するのは1999年1月14日に書いた第297話で、生まれて初めて航空機の「スーパーシート」に乗った体験を綴ったものです。東北大学、沖縄県立芸大と集中講義をはしごし、その帰路に起こった出来事です。

第297話「スーパーシート」

98年12月18日、集中講義を終えた私は、那覇の空港へ。2つの集中講義が隣接するという厳しいスケジュールを乗り越えたあとで、かなりの解放感がありました。そんな私が、帰路もスーパーシートを利用しようとしたとしても、それは、あなたがとやかくおっしゃることではないはずです。

今度の座席は、2階です。気分がいい。だって、エコノミーの人たちから隔離された、心なしか品位のある空間だからです。往路には利用しなかったスリッパのサービスも、帰路には利用することにしました。元を取らなくてはなりませんからね。

飲み物サービスの時間が近づくと、私は緊張してきました。今夜は、ぜひビールを飲みたい。しかし、頼み方はどうやるのがスマートだろうか。「お飲み物は何にいたしましょうか」と来たら、ただちに「ビールお願いします!」と言うべきだろうか。それとも、「何がありますか」と、ワンクッション置くべきだろうか。いきなり「ビールお願いします」では、物欲しそうに思われるかも知れない。かと言って、「何がありますか」と聞くのでは、スーパーシートに乗った事がないと思われてしまう-.-私は、周辺で進行し始めたサービスを盗み見ながら、何度もシミュレーションをして備えました。

やってきたのは、抜きん出て華やかな印象のスチュワーデスさん。彼女は緊張する私に愛想良く、「お飲み物はなににいたしましょうか、ビールもございますが」と言いました。どうです、このスマートな勧め方は。私の懸念は氷解し、ありがたく、この申し出をお受けすることにしました。ちなみに銘柄には、キリンを指定しました。

飲んでいるうちに、私の心には、新たな心配が兆してきました。それは、「2本目を頼んでいいものか、頼むとしたらどう切り出すべきか」という問題です。私はふたたびシミュレーションにとりかかりました。するとくだんの美女がやってきて曰く、「同じ銘柄のものをもう一本お持ちしましょうか」と。スマートですねえ。お客の心労を未然に予防する勧め方をしてくれるのです。私がこの申し出を泰然自若としてお受けしたことは、いうまでもありません。

こうして豊かな解放感に包まれるうち、私の心には、いっそう大きな心配が兆してきました。まだ時間はある、3本目もありうるのではないか、と思えてきたからなのです。

しかしいくらなんでも、もう1本、とは頼みにくい。どうしたら、客としての品位を落とさずに、3本目を依頼しうるか。もちろん私としても、くだんの美女の印象を損ねることは、したくありません。こうして私が思案していると、意外にも別のスチュワーデスがあらわれて、「ビールもっとお飲みになりますか」という。意表を突かれた私は、「あまりたくさん飲むのも・・」と、口篭ってしまいました。するとその方は、「どうぞいくらでも飲んでいってください」とおっしゃるではないですか。そこで私も、しめたという表情があらわれないように骨を折りながら、このお申し出をお受けすることにしました。

しばらく待っていましたが、ビールは届きません。すると最初の華やかなスチュワーデスがやってきて、「さっぱりしたウ-ロン茶でもお持ちしましょうか」と言うのですね。私は予想外の展開にうろたえながらも、「あの、別の方が、ビールをもう1本お持ちくだきるとおっしゃったのですが」と答えました。すると美女は、やや意外そうな顔をして姿を消しました(このとき、かなり傷ついた)。

しばらくして、この美女が、ビールをもってきてくれました。私は3本目にありつき、次第に上機嫌。次もぜひ全日空で空の旅を、と思い定めました。数乗れば、この方との再会も、あるかも知れない。その時彼女は、「ああ、あのスーパーシートのお客様だ」と思ってくれるでしょう。こうして飛行機は無事、羽田に着きました。

お別れです。私は1階席への階段を降りるに先立ち、彼女にこぼれるような笑顔を見せながら、お礼を言いました。ところが、言い終わるか終わらぬかのうち、私は階段から足を滑らせ、足を上にして仰向けになった形で、階段を下まで一気に滑り落ちてしまったのです。乗客がいっせいに、驚愕の視線を向けたことはいうまでもありません。

絨毯が敷かれていますので、滑降は、それなりに気持ちがよかった。下まで落ちて止まったとき、くだんのスチュワーデスは私に駆け寄り、ここは大いに強調したいのですが、私の手を握って、「お客様っ、大丈夫ですかっ」と叫びました。いまどき、すばらしい女性です。私は何事もなかったかのように立ちあがり、大丈夫です、ありがとう、とまことに紳士的な態度で述べて、悠然とその場を立ち去りました。実は、札幌で痛めていた右半身を再び強打してしまい、しばらく、半身不随(?)の生活を強いられました。

この出来事で私がもっとも懸念するのは、以後スーパーシートのビールが、2本までと決められるのではないか、ということです。そんなに酔っていたわけではありませんよ。もしかすると視線が別の方に行っていて、足元に注意が行き届かなかったのかも知れない--といずみホールの会議で反省を示したところ、社長から、札幌の転倒もそれだったのでしょう、と言われました。濡れ衣です(憤然)。

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