専門家集団の長所2010年08月15日 23時28分21秒

大相撲関係の不祥事が、マスコミをにぎわしています。新聞の論調はおおかた、外部理事長にしなければ事態は収拾できない、ということのようです。本当にそうでしょうか。今のこの事態を合理的に処理するにはそれも一案でしょうが、そうやって改革という名の合理化をされていった相撲は、やがて相撲ではなくなるのではないかと思います。

マスコミは、悪い面をとらえて攻撃します。しかし物事には両面あって、いいところも見なくちゃいけない。このご時世に相撲取りが独自の美学と行動様式で存在しているのは、力士が力士を教えるという同族集団あればこそです。外部の人間が相撲取りの作法を力士に教えることはできないし、外部の人が仕切る世界になったら、若い力士がトップをあこがれて励むというモチベーションも、成立しなくなるでしょう。相撲が格闘技とは一線を画する文化であるべきであるならば、組織に一定の自律性を許容しなくてはいけないのではないでしょうか。

私は一般論として、専門集団にはそうした自律性が必要だ、という考え方です。大学は学者の、音楽大学は音楽家の、専門集団。もちろんそうした集団の弱さはあり、外部の人を入れて企業のノウハウに学ぶということは大切です。でもだからといって、役所や会社から派遣されてきた人が上に立つべきではない。学問や芸術を極めた人、専門分野で尊敬され目標とされる人が、極力上に立つべきです。なぜなら、学問や芸術がどういうものかを本当に知るためには長期にわたる研鑽が必要で、外部から観察しているだけではけっしてわからない、したがって、そこで起こる事柄を適切に判断できない、と思うからです。

そうしたことができにくい世の中になってきました。専門家集団がその閉鎖性に甘えてきたツケが、回っているのでしょう、きっと。しかしだからといって専門家集団の長所を認めないということになれば、文化はおしまいです。