秋の海景色2012年11月16日 08時04分17秒

14日(火)は、名古屋で起床。大阪のコンサートは19:00からですから、時間があります。紀伊半島を一周しようかと思って南紀のガイドブックを買っておきましたが、一番の特急を逃がしてしまい、方針を変更して、鳥羽に行くことにしました。

伊勢志摩は訪れたことがなく、車中、スマホを駆使してにわか勉強。鳥羽駅で降りるとさっそく目に入る海景色に、心を癒されます。裏山、日和山山頂からの眺めはとくによく、いくつもの島が折り重なるように展開しているさまに、しばし見入りました。日本はいいなあ、というのが実感。知らないところがたくさんありますので、機会をとらえて訪れてみたいと思います。

海の幸豊富な土地柄で、食堂のメニューは全部食べてしまいたいと思うほど。迷った末、「アワビ丼」と地ビールを注文しました。満足したあとは伊勢神宮の外宮(げくう)を見て、大阪に移動しました。

「ウィーン音楽祭」6つ目は、ウィーン弦楽四重奏団です。これまでずいぶん貢献してくれた団体でファンも多く、客席の盛り上がりもなかなかでしたが、メンバーの高齢化による影響が演奏に出ていたことも見逃せません。今後の世代交代、どうなるでしょうか。

須坂へおいでください2012年11月18日 23時50分51秒

12月に、私がプロデュースするコンサートが2つあります。ぜひお出かけいただきたいので、1つずつご案内いたします。

12月9日(日)14:00から、須坂シルキーホール(須坂駅前)で、《ロ短調ミサ曲》講義の最終回があります。後半にコンサートを、と予定していましたが、やはり《ロ短調ミサ曲》を演奏することはむずかしく、《ロ短調ミサ曲》も入ったコンサート、という形にしました。「すざかバッハの会」の10周年にちなんで、楽しい内容のものにしました。3部構成です。

第1部は、久元祐子さんのピアノ独奏で、ベートーヴェンの第31番変イ長調のソナタと、シューベルトの即興曲変ホ長調 op.90-2。ソロと伴奏を一手に引き受けてくださる久元さんあってこそ成り立つ、この日のコンサートです。第31番のソナタはバッハとも響き合いますね。

第2部はチェンバロを用いた「バロックを歌う」。BCJの谷口洋介さんのテノールで、モンテヴェルディの〈私は黒い〉(《ヴェスプロ》から)と《ロ短調ミサ曲》の〈ベネディクトゥス〉、カンタータ第78番のレチタティーヴォとアリアというプログラムを組みました。塩嶋達美さんのトラヴェルソが付きます。

第3部は、「オペラの愉しみ」。須坂では私の周辺の歌い手がずいぶんお世話になり、《ポッペアの戴冠》まで上演してしまったわけですが、今年は、まだこの地を踏んでいない大武彩子さんをお連れすることにしました。得意の超高音コロラトゥーラを、夜の女王の第1アリア、《ホフマン物語》のオランピアのアリアで披露していただきます。加えて《カルメン》のミカエラとホセの二重唱(←大好きな曲)と、《フィガロの結婚》のマルチェッリーナとの愉快な二重唱が歌われます。

道化役マルチェッリーナは誰か。彼女の先生にあたる岩森美里さん(メゾ・ソプラノ)にご出演いただくのが、今回の自慢です。存在感満点の岩森さんには、《カルメン》のハバネラ、《サムソンとデリラ》のデリラのアリア、若干の歌曲を歌っていただきます。

須坂とその周辺には、観光の名所がたくさんあります。「豪商の館」田中本家、小布施、志賀高原を取り巻く諸温泉、もちろん長野の善光寺など。観光がてら遊びにきていただけると嬉しいです。お問い合わせは大峡喜久代さんまで(℡026-248-5326)。最後に、才色兼備の大武さんに対して、本談話室常連の方からいただいたエールを引用しておきます。

「 昨夜、大武彩子さん主演のオペラ> 《天国と地獄 抜粋、 ピアノ伴奏》を見て(聴いて)参りました。期待に違わぬコロラトゥーラの素晴らしさ!オーラが輝いておりました。コロラトゥーラの盛りは短いですから(グルベローヴァのように長持ちしてほしいですけれど)今後も、大武さんの歌唱を聴ける機会は、万障繰り合わせて聴き逃すまいと思っております。」

【付記】コンサートの前に、「《ロ短調ミサ曲》と日本人」と題する30分ほどの講演を行います。

12月12日は立川アミューへ2012年11月21日 09時33分03秒

「楽しいクラシックの会」(たのくら)のコンサート、今年は、国立音大が大きな期待を寄せる新人演奏家をご紹介します。マリンバ奏者の塚越慎子さん。今年「出光賞」を獲得され、テレビ朝日の「題名のない音楽会」にも出演されました。12月12日、19:00に、立川アミューの小ホールにおいでくだされば、ナマ塚越をご覧になれます。

「伸びる大樹 天才マリンバ奏者を聴く」と題するコンサートの曲目は、
バッハの《シャコンヌ》から始めて、一柳慧《源流》、プロコフィエフ《ロミオとジュリエット》から2曲。ここまでが前半で、私が司会します。後半は彼女がトークを交えて送る楽しい曲たちで、《リズミック・カプリス》《マイフェイバリットシングス》《カリタス》など。

昨日初挑戦の《シャコンヌ》を聴かせてもらい、細かく指導させていただきました。さすがにどんどん吸収しますね。席がまだ十分あるようですので、ぜひいらしてください。連絡先は追ってご案内します。

【付記】連絡先はまだ担当者から連絡がないのでお待ちください。しかるに、ダブルブッキングが発覚。同じ日に大阪でも講演をすることになっていました。恐縮して日にち変更をお願いしたところです。12日、立川でよろしく。

健康法2012年11月22日 10時51分05秒

定年後半年以上過ごし、健康には何が大切か、はっきりわかりました。当たり前の答ですが、身体を動かすこと、それに尽きます。

しかし。テニスをやる、ゴルフをやる、という方ならともかく、運動神経がまったくなく、平素スポーツの習慣がない私には、これは簡単なことではありません。おまけにデスクワークでいつもパソコンの前にいます。歳を取るにつれて身体を動かすのも面倒になってくる、という傾向を感じていました。

ひところ、電車で帰ってくると席から立ち上がるのも面倒、バスを降りて家まで歩くのも面倒、という時期がありました。人に見せられない、とぼとぼ姿です。昔やった山歩きを少しずつ再開すれば、とも思いますが、それも、もちろん面倒。体重の増加が、それに拍車をかけます。

活路を開いたのは、観光でした。先日お話しした法隆寺や和歌山、伊勢志摩への観光は、その一例。私は観光地に行くとどんなに疲れてもひたすら歩き回り、高いところがあると必ず登ってみる、という主義なので、ずいぶん身体を動かします。そこで気づいたのは、へとへとになるまで歩くと事後身体が軽くなり、歩く意欲にみなぎってくる、ということでした。

最近では、居住地や都心などつねに新しい街路を探索していますし、深夜の駅からも、タクシーに乗らずに歩いてしまいます。何分歩く、どのように歩く、などテレビでも健康法の指南がありますが、単純に、歩けば歩くほどいい、ということではないかと思います。伊勢神宮を訪れたさいに、東海道五十三次をやったらどうなるだろうか、と考え始めました。多分やりませんが・・・。

さあ学会!2012年11月23日 11時20分50秒

日本音楽学会の全国大会が近づいてきました。私の役割は、全国役員会(今日夕方)と総会・懇親会(土曜日)の立ち会い、クロージング・シンポジウム(日曜日15時15分から)の司会です。シンポジウムは宗教音楽とは何か、その研究はいかにあるべきかを論じるものですが、ここしばらくメールが飛び交い、準備が進んできました。パネリストの方がたいへん内容のある報告を用意してくれていますので、私の舵取りさえしっかりすれば、盛り上がるのではないかと思います。

6年の会長職の最後、多忙だった秋の一区切りともなるイベントを迎え、意外に緊張しています。会場である京都の西本願寺に向けて、これから出発します。

よき「終わり」2012年11月26日 23時18分12秒

「終わり」を強く意識した、今年の日本音楽学会全国大会。23日(金)夕方に西本願寺に隣接する聞法会館(会議スペース兼ホテル)に到着し、626号室(!)をいただきました。モーツァルトの顔を思い浮かべ、「なるほど」とつぶやく私でした。

それにしても、会場に泊まっているのは便利ですね。なにかと、部屋に戻ることができます。音楽と信仰/宗教の関係を問う今年のテーマには、聞法会館はいかにもふさわしいスペース。議論の進展を会場が後押ししてくれているように感じることが、しばしばありました。

「終わり」を意識している私にとって、弟子の活躍は嬉しいことでした。当地で僧職にあり、仏教音楽を研究している福本康之君は実行委員会の中心になっていて、人柄のよさ丸出しでサポートに走り回るばかりか、シンポジウムのコーディネーターも担当。私のもとで修士過程を終え東大美学に転じた堀朋平君は、シューベルトのマイヤーホーファー歌曲についての研究発表で、格段の充実を示しました。

優秀だった堀君が成長しつつあることはわかっていましたが、長所と短所は裏腹ですから、懸念も感じていました。しかし今回の発表は私の懸念を払拭するすばらしいもので、「コイツに教えることはもう何もないな」というのが実感。「新旧交代」という言葉が、頭に浮かびました。これからは、彼らの時代です。

会長としての業務をこなしながら気を抜くことができなかったのは、最後に私のコーディネートする「クロージング・シンポジウム」が控えていたためです。6年間の会長職の仕上げのような意味をもつイベントでしたので、失敗は許されない。「九仞の功を一簣に虧く」ということわざも、頭に浮かんでいました。

シンポジウムは、ともすれば冗長になりがちです。報告が延び、議論が尽くされずに中途半端に終わることも多いのがシンポジウム。そういう結果にだけはなりたくないと思い、パネリストの諸先生には完全原稿を書いていただくこと、時間を厳守して進めることをお願いして、準備に慎重を期しました。テーマは「宗教音楽をどのように『研究』すべきか」というものでしたが、しだいに、宗教音楽の「宗教性」とはいかなるものか、という本質的な議論が、前面に出るようになってきました。

1分1秒たりとも無駄にしないという意気込みで開始した、シンポジウム。文字通り友情出演してくださった美学者、佐々木健一さんの存在が大きく、その基調講演を受けた大角欣矢さん(キリスト教音楽研究)、田中多佳子さん(ヒンドゥ教宗教音楽研究)、藤田隆則さん(能楽研究)が、各自12分の完璧リレー。凝縮された12分の中には各自のご研究のエッセンスが投入されており、報告を、続くディスカッションを聞きながら、私は心に感動が高まるのを抑えることができませんでした。

終了後、私の退任にかかわるねぎらいを実行委員長からいただき、フロアからも拍手をいただいて、それが大会の締めくくりともなりました。夜は、福本君の予約してくれたレストランで、ちょっと張り込んだワインを飲みながら会食。全力投球したパネリストの方々の高揚感は、すごかったです。

月曜日は雨。新聞の取材を終えて、ゆっくりと帰宅しました。学会を終えると虚脱状態になると予想していましたが、案に相違して、しみじみした幸福感が心を包みました。皆様のおかげです。仏教的な意味をこめて、「ありがとう」と申し上げます。

偶然とはいいながら2012年11月28日 07時50分17秒

面白い小説を探しているのですが(ときおりお薦めもいただきます)、自分の趣味のゆえか、なかなか新しいものに出会いません。たとえば会話で何ページもつなぐようなものは、私ダメです。必然的に、内容の密度が薄くなるからです。でもそうしたものが多いですね。肩が凝らず読める、という面があるのかもしれません。

というわけで、篠田節子ワールドに帰還。『カノン』を読みました。これって、バッハの音楽が主役になっているのですね。驚いたことに、場が松本で、松本深志高校が出てくる。しかも登場人物何人かの名前が、私の思い出と重なるのです。もちろん偶然に違いないですが、他人事とは思えない設定でした。

小説には、《フーガの技法》、《音楽の捧げもの》といった作品が出てきます。しかし「無伴奏ヴァイオリンでカノンを弾く音が聞こえる」という、通奏低音のごとく繰り返される出来事がどうしても不自然に感じられ、そのひっかかりが最後まで抜けなかった、というのが正直なところです。

その後『家鳴り』という短編集を読みましたが、そこに収録されている『やどかり』という短編に感動し、珍しくも、2回続けて読んでしまいました。荒れた一家の家事を一手にあずかる女子中学生と若い教育指導員が出会う話で、即、感情移入させられました。

篠田さんの小説を読んでいると、家事に精通していることが記述の細部を輝かせ、イメージを豊かにしていることに気がつきます。まことに、女性ならではです。

「古楽の楽しみ」12月2012年11月29日 12時52分21秒

来週の月曜日からですので、ご案内します。

今年の企画の中でもっとも大きな反響をいただいたのは、チェンバロ協奏曲のシリーズです。NHKにメールをくださった方から、同じリレー演奏の企画で《平均律》を聴きたい、というご提案がありました。考えてみると、《平均律》は第2巻の抜粋を《クラヴィーア練習曲集》のシリーズの中に取り入れただけだったので、企画をいただき、第1巻を中心に、《平均律》を特集することに決めました。CDを集め、演奏時間をエクセルの一覧表にして計算するなどして4回分を構成し、すでに録音しました。面白かったです。

12月3日(月)は、第1巻の第1番ハ長調から第8番変ホ短調まで。ヴァルヒャの安定感のあるチェンバロで開始し、エトヴィン・フィッシャー、リヒテル、バレンボイムと、ロマンティックな傾向の大ピアニストを、2曲ずつ継投させました。

4日(火)は、第9番ホ長調から第16番ト短調まで。レオンハルトのチェンバロで開始し、グールド→グルダ→シフの現代路線を敷きました。シフの2011年新録音はすばらしいので、余った時間に、ハ長調と変ホ短調を追加しました。

5日(水)は個性派路線により、第17番変イ長調から第24番ロ短調まで。カークパトリックのクラヴィコードを冒頭に、シュタットフェルト→アファナシエフ→ポリーニと継投しました。締めくくりは、ポリーニのハ長調プレリュード。

6日(木)は、第2巻から、未放送の曲を選びました。第1番ハ長調と第4番嬰ハ短調を、セバスティアン・ギヨーのチェンバロで。次はロバート・レヴィンがさまざまな楽器を弾き分けた録音から、第9番ホ長調(オルガン)、第10番ホ短調(フォルテピアノ)、第11番ヘ長調(クラヴィコード)。次にピアノによる個別曲の録音から、第15番ト長調をバックハウス、第20番イ短調をエレーヌ・グリモーで。最後にシフの新録音に戻り、第19番イ長調のプレリュードと第23番ロ長調でまとめました。

アシスタントと技術さんも、聴き比べを楽しんでくれました。皆様も、お好みの演奏をお探しください。

特選盤11月2012年11月30日 23時15分28秒

京都滞在中だったのでしょうか、新聞掲載を見逃してしまいました。

原稿の締め切りは、名古屋から大阪に行く月半ばに設定されていました。その段階で一応選んだのは、アンドレアス・シュタイアーの弾くベートーヴェン《ディアベッリ変奏曲》(HM)です。この曲、どうやら流行になりそうですね。何人もの鍵盤奏者が興味を持ち、取り組んでいます。晩年にあらわれた変奏曲に関心が集中するという点で、バッハの《ゴルトベルク変奏曲》と通じるところがあります。

しかし聴き手の立場では、この曲についていくのはなかなか大変ではないでしょうか。融通無碍、晩年特有の自由さが「心赴くまま」の域に達していて、結果的に、難解な作品になっているからです。《ミサ・ソレムニス》よりその点さらに上、という感じです。

しかしシュタイアーはそれを、じつに面白く聴かせてくれます。同時代楽器(グラーフ・モデル)の軽い反応が、曲想の変化に自然に対応していることが大きいと思います。また、別の作曲家による種々の変奏がまず弾かれ、シュタイアー自身の「イントロダクション」を経てベートーヴェンに入っていく、という構想が親しみを増していることも、たしかだと思います。

大阪から帰ってみますと、届いていた新譜の中に、藤村実穂子さんの「ドイツ歌曲集Ⅱ」(フォンテック)がありました。藤村さんの「私心のない芸術」が、シューマンの《リーダークライス》やマーラー、ブラームスで、おおらかかつ繊細に(←それが共存している)、深い寂寥感を伴って展開されています。ですので《大地の歌》の感動を思い起こしつつ、選ばせていただきました。残念なのは、静かなエンディングのあとに唐突な拍手が、大きな音量でわき起こることです。カットすることはできなかったのでしょうか。