天平の甍 ― 2013年03月18日 22時39分50秒
高峰秀子さんのことを書いて幾日もしないうちに、未発表エッセイが発見されたというニュースが新聞に載りました。紀行文だとか。ぜひ読みたいと思いますが、それが故人の遺志に反しないことを願います。高峰エッセイ、目下は『わたしの渡世日記』に挑戦しています。
書店の棚を見渡すと、いわゆる流行作家のものがかなりのスペースを占めています。棚を占拠するような人の本は読んでおかないと、という気持ちがこれまではあったのですが、もうこの齢になったら自分の心に触れる本だけを読めばいいのだと、ようやく思うに至りました。日常会話が延々と続くような小説はやめよう!ということです。そうなると、細々と売られ続けている古典に、目が向きます。
井上靖の『天平の甍』。高名な作品ですが、初めて読みました。いいですね、心が澄み渡ります。遣唐使と共に中国に渡り、鑑真の来朝を実現する仏教僧たちの営々たる努力が綴られているわけですが、国がこれからという時代に、勉強に生涯を捧げる人たちの生きざまは、崇高そのもの。豊かな現代との落差を感じるにつけ、こういうことを文学の形で伝えてゆくことの価値を思います。
書店の棚を見渡すと、いわゆる流行作家のものがかなりのスペースを占めています。棚を占拠するような人の本は読んでおかないと、という気持ちがこれまではあったのですが、もうこの齢になったら自分の心に触れる本だけを読めばいいのだと、ようやく思うに至りました。日常会話が延々と続くような小説はやめよう!ということです。そうなると、細々と売られ続けている古典に、目が向きます。
井上靖の『天平の甍』。高名な作品ですが、初めて読みました。いいですね、心が澄み渡ります。遣唐使と共に中国に渡り、鑑真の来朝を実現する仏教僧たちの営々たる努力が綴られているわけですが、国がこれからという時代に、勉強に生涯を捧げる人たちの生きざまは、崇高そのもの。豊かな現代との落差を感じるにつけ、こういうことを文学の形で伝えてゆくことの価値を思います。
コメント
_ T.K. ― 2013年03月22日 22時48分36秒
_ I招聘教授 ― 2013年03月24日 00時18分14秒
T.K.さん、ありがとうございます。励まされるのは、こちらです。これからも、できるだけの仕事をしてゆきたいと思います。
_ マダムやよい ― 2013年03月24日 01時55分53秒
中・高時代の自分第1番作家が井上靖でした。
楼蘭、額田王・・10歳の頃 夢の中で高向玄理と共に遣隋船で海を渡った私の 第2次歴女デヴューが『天平の甍』を読んだ時です。 T.Kさんが仰るように若者の心の琴線に触れる瑞々しい文体とテーマが 今この歳になって読み返しても色褪せないのは 素晴らしい事ですネ! 読めなくなるまで擦り切れて幾度と買い換えた 読書レパートリー中の作品の一つです。
楼蘭、額田王・・10歳の頃 夢の中で高向玄理と共に遣隋船で海を渡った私の 第2次歴女デヴューが『天平の甍』を読んだ時です。 T.Kさんが仰るように若者の心の琴線に触れる瑞々しい文体とテーマが 今この歳になって読み返しても色褪せないのは 素晴らしい事ですネ! 読めなくなるまで擦り切れて幾度と買い換えた 読書レパートリー中の作品の一つです。
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目下私の愛読書はI教授の著書です。この春は毎日目の奥と頭の芯が重苦しくなるような厄介な仕事を抱えてしまいましたが、仕事の手を休めてI教授の書かれた本を読むと、励まされると同時に、自分の研究対象に向かう厳しい姿勢を行間から感じて、「自分も頑張ろう」と思わされるのです。
かつて私に御送り下さった「バッハ=魂のエヴァンゲリスト」や「モーツァルト あるいは翼を得た時間」なども繰りかえし読み直そうと、実家の書棚から持って来ました。「マタイ受難曲」は言うまでもありませんが、心血を注がれた研究の様子が1行々から伝わってきます。それは私がI教授と御逢いしなかった二十数年間の御研鑚を何よりも雄弁に物語っています。
「良い仕事(作品)を残すということは、こういうことなんだ」と思うと、I教授には遠く及ばぬ身でありながら、自分も頑張ろうという気にさせられます。
BGMにしてはいけませんが、この春は上記の厄介な仕事をしながら、バッハの教会カンタータ全曲を何度も聞く機会を得ました。音楽における言葉の重要さを感じました。
「やっぱり音楽って良いものだなァ」と思いつつ、また少し勉強してみようと思っています。