モンテヴェルディに没頭2010年09月26日 23時52分20秒

今、モンテヴェルディのオペラ《ポッペアの戴冠》の台本の翻訳に専念しています。今日も、1日やりました。

この作品の公演を年末に行うというのはご案内した通りですが、この作品、悪は栄えるともういうべき強烈なストーリーをもっていて、作者が何を表現したかったのかが、必ずしも明確ではありません。研究者にも、諸説がある。そこで自分なりの作品観を確立しなくてはならないわけですが、そのためには、翻訳で台本を読んでいるようではダメです。そこで、モンテヴェルディが省略した部分も含めてちゃんと訳そうと思い、取り組んでいるわけです。私、イタリア語は得意ではありませんが、できないわけではないので、内外の諸訳を参考にして、進めています。完成の暁には、作品論につなげていきたいと思います。

CD/DVDももちろん集めていますが、昨日買ってきた2000年ブリュッセル上演のCD(ガブリエル・ガッリード指揮)はいいですね。歌手は最上とは言えませんが、みごとな器楽編曲が行われ、生き生きしています。

それにしても、信じられないほどすばらしい作品。熱中しています。

オンライン・ゲーム初体験2010年09月20日 22時24分34秒

休日は、ありがたいですね。休めます。土曜日は、まったく仕事をしませんでした。昨日は学会の委員会に費やしました。いつものことは、申し上げなくてもいいでしょう。まあ、簡単にまとめておきますか。

時刻に会場である芸大に着くと、大学は、試験の準備で入校禁止になっている。強引に入り、いつもの教室に行ってみると、誰もいない。さて別のところだったか、誰の携帯番号も知らないが、と思案していると、委員の久保田先生から電話。専修大学のそばにスペースを借りている、とのこと。これって、たいへん幸運だったのです。なぜなら、最近はスマートフォンしかもっていないのですが、この日は充電が足りないのを懸念して、前の携帯を、珍しく持参していたのです(別番号。スマートフォンの番号をご存じの方はほとんどいません)。タクシーに飛び乗り、渋滞、到着、平身低頭・・・もうやめますが、危ないところでした。全国から主要な先生の集まる会議で、会長がいないのではどうにもなりません。ふーっ。

いつも同じ話をするな、というお声が聞こえるので、別の話題です。不肖私、初めて、オンライン・ゲームというものをやってみました。今までどうしても、見ず知らずの人とチームを編成したり対戦したりというのに抵抗があり、面白いと聞いてはいましたが、挑戦していませんでした。

そのゲームというのは、「大航海時代オンライン」。好きだったシリーズがこちらに発展しているというので、休みをいいことに、入ってみました。そうしたら、かつてにくらべ、飛躍的に発展した世界になっている。都市は精妙なグラフィックで個性的に再現されており、広大な海を波を蹴立ててゆく航海は、快適そのものです。チャットが付随しているのでチーム編成が推奨されているのですが、ひとりで歩いていても、結構楽しめそう。ネット上にある大メモリ空間が世界になっているからです。休みも終わるので、熱中しすぎないようにしなければ。

言ってみたかった言葉2010年09月18日 11時46分16秒

忙しい一週間を、何とか乗り越えました。準備の必要なイベントも多かったので、少ない時間をけっして無駄にしないようにして、早め、早めに準備しました。

!!!一度言ってみたかったことを言ってしまいました。もう一度言うぞ。「少ない時間をけっして無駄にしないようにして、早め、早めに準備しました」--美しい言葉ですね。頭ではわかっているのだがどうしてもできない、少ない時間を無駄にしては準備が間に合わなくなってしまう--という人生を、これまでずっと過ごしてきたのです。それが変わったのは、もう無理はできない、という年齢の知恵かもしれません。

金曜日は、その頂点。朝の9時から、大教室を含む授業が3つ、個人指導が延べ6人。これでもうへとへとでしたが、夕方は新宿に出て、新しいイベントの打ち合わせと、その壮行会をこなしました。今日は疲れてしまって、何をする気も起きません。久しぶりの休日だなあ、と思って調べたら、最後の休日は8月27日でした。

壮行会までやったイベントが、すばらしいのです。12月26日(日)に須坂で、モンテヴェルディのオペラ《ポッペアの戴冠》を上演します。私が音楽監督と演出を兼ね、指揮とチェンバロが渡邊順生、ヴィオラ・ダ・ガンバが平尾雅子。iBACHコレギウムの歌手たちが大挙出演します。遠くの方からも聴きに来ていただけるといいな、と思っています。え、あんた演出の素養があるの、とおっしゃるのですか?あるわけないですが、作品の本質をお届けするべく、多少の工夫をしたいと思っています(汗)。

関係ありません!2010年09月14日 23時58分35秒

 「礒山さん!」と言われれば、私は、躊躇なく振り向きます。「佐藤さん!」と呼ばれたら、世の佐藤さんはどうするのでしょう。きっと、自分かどうか、躊躇しますよね。私は、「同姓」の人が存在することに、慣れていません。

ですから、「さやか」さんという方の存在することが、たいへん気になります。「礒山」は少ないが「磯山」は多い、という方向で考えられればいいのですが、さやかさんは本当は「礒山」だ、と聞いたことがあります。

そうしたら、北海道で大麻大量所持の女性が、同じ読みだというではないですか。気になります。おそらく、このニュースに接した方は、私のことを思い出されるのではありませんか?

まあしかし、珍しい名前で特をしていることは、確かです。しかし、少ない弊害もある。音楽の世界に私と同じ名前の方がおられ、私との関係を再三聞かれて、苦り切っているという話を聞いたことがあります。恐縮です。まあ、当家には男の子がいないし、本家も女の子だけでみな姓が変わりましたので、遠からず消滅する心配ではありますが。

終戦ムード2010年09月09日 11時10分47秒

台風一過。風が残り、涼しい1日でした。かんかん照りが連日続いて、このままずっと夏でも不思議はない、と思っていたところへ、秋がすっと忍び寄る。寂しくありませんか?余計な心配をするようですが、首位争いに文字通り熱を上げていた方々のお気持ちはどうなんでしょう。張り合いを失って虚脱状態ということはありませんか、たのもーさん。

私の大学は9月が早く、この月曜日から授業が始まっています。前期より明らかにたいへんなのは、ウィーンから2名の留学生が帰国して、博論指導の学生が7人から9人に増加したことと、朝1番の授業(オペラ史)が出現したことです。時間がものすごく詰まってしまっていて、これからの1週間を乗り切るのがまずたいへん。がんばります。

食の話題を1つ。スープカレーが好きで、お店を見つけたら必ず入る私です。一番好きなのは、大切りの野菜が色とりどりに入っている野菜カレー。今日は銀座二丁目で「スパイスピエロ」という店に入りましたが、おいしかったですね!スープに黒と赤があり、黒が男性向きだそうです。銀座に行ったら、絶対寄ります。銀座通りの地下です。

首位争い2010年09月06日 22時22分20秒

あ、野球の話ではありません。野球の話もしたいのはやまやまなのですが、当該の球団が連敗で3位に落ちてしまい、話題性を失ってしまったのです。前半戦は他の球団が歯が立たないほど強かったのに、これってなんなんでしょうか。先日書いた、一寸先は闇、というやつにちがいありませんね。

今日の話題は、気温、つまり暑さの首位争いです。このところ京都の京田辺市が急浮上してきましたが、従来の三強は、埼玉県の熊谷市、群馬県の館林市、岐阜県の多治見市です。週末岐阜を訪れ、これはただごとではないと、畏怖の念を覚えました。多治見は40度だ、といううわさがめぐっていましたが、どうだったのでしょう。

私が思うのは、このようにマスコミが扱うようになると、それぞれの都市は、首位になりたいと闘争心を燃やすのではないか、ということです。どうせ暑いなら日本一になりたいと思うのが、人情ではないでしょうか。最近の飲み会に館林市の方がおられたのですが、その方は、熊谷、多治見に対して明らかに警戒心を抱いているようにお見受けしました。負けたくない!という闘魂が、表情から読み取れました。

その気持ちは、とてもよくわかります。わからないのは、首位に立ったときにどういう見返りがあるか、ということです。観光客が集まるとはどうしても思えないのですが、有名になったというそのことが、町おこしにつながっていくのでしょうか。

高尾経由、岐阜へ2010年09月05日 15時53分01秒

サントリーのパーティの楽しみは、すばらしいお酒がふるまわれることです。料理も同様すばらしいのですが、私はパーティ中は飲む+話すに専念し、帰りがけ、ラーメンを食べるのがならいになっています。

贈賞式の帰り、吉祥寺で「汁なし担々麺」を食べました。暑かったので上着を脱いでテーブル下に入れ、食後元気に「ごちそうさま!」と言って、国立まで戻ってきました。ここで気づいたのが、上着をそのままにしてきたこと。財布もそこに入っています。まだそう遅い時間ではなかったので吉祥寺まで戻り、幸いをそのままになっていた上着を取り戻して、再度帰宅しました。

この話は、書きませんでした。そう面白い話ではありませんから。なぜ今書いているかというと、今日の話題の、伏線となるからです。

4日(土)の早朝立ちで、リハーサルに間に合わせるべく、岐阜に向かいました。サラマンカ・ホールで、モーツァルトのコンサートがあるのです。なにしろ目的地は、日本最酷暑地のひとつ、岐阜。礼装を尊ぶ私もステージ衣装を着ていくのはやめ、衣装ケースを持参することにしました。

予定通りの「のぞみ」に乗車。少し走ったときに気がつきました。妙に荷物が少ないことを。衣装ケースがあったような気がするが・・・思い出しました。中央線の網棚に乗せておいたのです。

乗っているのは、新幹線。名古屋からでは、戻っても間に合いません。さあどうしようと、気が動転しました。軽装でステージに出て行くことは、私として、絶対にしたくありません。

少しして、品川停車のアナウンス。そうか、次は名古屋じゃなかったのね。では探索しようと決心し、下車。忘れものの窓口に駆け込みました。「ここは東海なので、東日本へ行ってください」「ここは品川なので、ダイヤグラムのわかる東京駅へ行ってください」などなど、探索は一筋縄ではいきませんでしたが、最終的には、私の乗った電車がリターンして到着した高尾駅で発見することができました。

その間すごく困ったのは、なぜか、エクスペリアの電源が入らなくなってしまったこと。試行錯誤の末、バッテリーをいったん外すことで復活できましたが、もし使えないままだったらどうなっただろうと、ぞっとします。まあいろいろありましたが、本番ぎりぎりに猛暑の岐阜に到着し、ぶっつけでステージに立ちました。

経緯は、同僚の皆さんに喜んでいただきました。いったい私の行動って、ノーマルなんでしょうか、それとも、アブノーマルなんでしょうか。食事を終えたときも、電車を降りるときもいろいろな考えごとをしていますから、荷物を忘れるのは、ごく自然にも思われるのですが・・・。岐阜県同調会の皆様、ご心配をおかけしました。

サントリー音楽賞贈賞式2010年09月02日 11時51分13秒

今日はホテル・オークラで、第41回サントリー音楽賞と第9回佐治敬三賞の贈賞式が行われました。受賞者は、サントリー音楽賞が大野和士さん、佐治敬三賞が作曲家集団クロノイ・プロトイです。おめでとうございます。

パンフレットに掲載された大野さんの受賞のことばがすばらしかったので、ぜひここでご紹介させてください。大野さんは、ブルーノ・ワルターの自伝にある、指揮者の人生を木にたとえるくだりを引いて、次のようにお書きになっています。

「その木が、大地である〈人間性〉に根ざし、あらゆる方向に向かって、深くしっかりと根をおろしていればいるほど、〈指揮者〉の木はいっそう高く、枝をより茂らせて、豊かに成長して花開くと(ワルターは)いっています。指揮者としての発展は、音楽的な素質にだけではなく、人間の内面全体にむけられなければならないというのです。」

その上で大野さんは、自分の指揮者としての歩みは、まだまだ道半ばにも達していないのだ、とおっしゃるのです。高いものを目指す演奏家の清らかな精神に触れて、心が燃える思いを味わいました。

続・夏田君のこと2010年08月27日 11時17分00秒

思いがけずたくさんのコメントをいただき、多様なご意見から、多くを学ばせていただきました。ありがとうございます。

かつて愛読した三島由紀夫の『天人五衰』に、高名な老弁護士(主人公)が覗き中に公園でとらえられ、「八十歳の覗き屋」として週刊誌に書かれてしまう、という場面があります。それまで築き上げてきたすべてのものがこの一行に集約されてしまった、と、三島は書いています。しばらく前「一寸先は闇」という談話を書きましたが、失敗すれば結局そうした結果になる、という認識は、私も十分もっていました。陥穽に陥る可能性は、私を含め、どなたにもある。気をつけなくてはいけません。

それでも、失敗をする人は、出てきます。失敗をした人が、貢献も能力もすべて否定されるような形で去っていく姿を、遠くから、まれには近くで、見ることがありました。そんなとき私の思うことは、処罰がどんなに必要でも、その人が貢献してきたことは、それとは離れて認めてあげたい、ということでした。夏田君は、そうした貢献が、比類なく大きい人だったわけです。aranjuezさんのおっしゃることは、夏田君に個人的に触れた方の、共通の思いだと受け止めています。彼は本当に、学生に迷惑をかけました。だって彼の授業を、これから学生は受けられないのですから。

とはいえ、彼を知らない方にそれをわかっていただくことは、むずかしいですよね。私は彼をかばっているつもりはなく、厳罰のもとに償いをしてもらうことを前提に、彼の能力と貢献も知っていただきたい、という思いからあのように書いたわけですが、彼をご存じない方は、この時点で「こういう長所もある」と書くことは彼をかばうことにほかならない、と思われるようです。そこは、私も勉強させていただきたいと思うに至りました。いずれにしろ、再発防止には厳しい態度で、万全の配慮をもって臨む決意です。

夏田君のこと2010年08月25日 23時24分20秒

軽々しくは書けないことなので触れずにおこうかと思ったのですが、どなたもご存じのことですし、思い切って書かせていただくことにしました。同僚、夏田昌和君のことです。詳細の事情はまったくわからないのですが、容疑を認めているということなので、報道を前提とします。

覚醒剤の使用はけっして許されないことで、何ということをしたのか、という思いは、当然あります。また、多方面におかけしたに違いないご迷惑に関して、同僚として、心からお詫び申し上げます。申し訳ございませんでした。

しかしこれだけは書かせてください。夏田君は圧倒的な才能、力量の持ち主で、その作曲、指揮、ピアノ、指導、文章などを通じて、大学に、学生に、桁違いの貢献をしてきました。私はまもなく定年を迎えますが、彼がいればこの先大学は大丈夫だ、と思っていたほどです。身近に知る人柄も誠実かつ穏やかで、年齢はずっと下ですが、私にとって、心から尊敬できる友人でした。

そのことを忘れたくないのです。迷惑をかけたことがどれほど責任重大でも、こんなけしからんやつがいた、という結果には、絶対したくありません。罪の償いをして、必ず再起して欲しい。そのときには、みんなでそれを応援したい。私がこれだけ言うのはよくよくのことだと、皆さん思っていただけますでしょうか。