夏田君のこと2010年08月25日 23時24分20秒

軽々しくは書けないことなので触れずにおこうかと思ったのですが、どなたもご存じのことですし、思い切って書かせていただくことにしました。同僚、夏田昌和君のことです。詳細の事情はまったくわからないのですが、容疑を認めているということなので、報道を前提とします。

覚醒剤の使用はけっして許されないことで、何ということをしたのか、という思いは、当然あります。また、多方面におかけしたに違いないご迷惑に関して、同僚として、心からお詫び申し上げます。申し訳ございませんでした。

しかしこれだけは書かせてください。夏田君は圧倒的な才能、力量の持ち主で、その作曲、指揮、ピアノ、指導、文章などを通じて、大学に、学生に、桁違いの貢献をしてきました。私はまもなく定年を迎えますが、彼がいればこの先大学は大丈夫だ、と思っていたほどです。身近に知る人柄も誠実かつ穏やかで、年齢はずっと下ですが、私にとって、心から尊敬できる友人でした。

そのことを忘れたくないのです。迷惑をかけたことがどれほど責任重大でも、こんなけしからんやつがいた、という結果には、絶対したくありません。罪の償いをして、必ず再起して欲しい。そのときには、みんなでそれを応援したい。私がこれだけ言うのはよくよくのことだと、皆さん思っていただけますでしょうか。

コメント

_ 夏田先生の昔の弟子 ― 2010年08月26日 08時39分32秒

I先生,拍手であります。こういうことを書いて下さり本当にありがとうございました。
それから,今回の夏田先生のことに限らず,ひとたび失敗した人を周りが叩くばかりになるとしたら,それは間違いと思います。自己責任とはいえご本人が一番つらいはず,むしろ,極度に落ち込むことのないよう誰かが支えるということが必ずないといけないと思います。

_ かみや ― 2010年08月26日 11時35分07秒

ご心痛お察しいたします。
私の友人で夏田さんが上野からフランス時代に後輩であった在仏の女流指揮者がおりまして、彼女が「信じられない」と絶句しておりました。彼女は兄のように夏田さんを慕っております。私も彼女の影響を受けて夏田さんの作品を聞いたり読んだり。
彼女は「夏田さんは日本の宝だ。彼がこの件で作品や活動まで忘れられたら日本の文化も消える」とまで言い切ります。今こそ支える人が必要だとももうしておりました。夏田さんに直接お会いした事はありませんが、私も同感です。
大学に対しても音楽界にたいしても、寛大なるご処置を、彼女に成り代わってお願いしたいくらいです。

_ こりお ― 2010年08月26日 15時11分56秒

はじめまして、夏田さんのことはこの事件で知った次第です。大学内部の方やその周辺にいる方にとっては助けたい気持ちはあるでしょうが、考えてみてほしいこともあります。

彼は自分の立場を自覚していなかったのではないでしょうか?音楽家としてだけではなく、人を導く立場にあることを。世の中に対する影響力の大きな立場にいることを自覚していれば薬物には手をだすことはあり得ないと思います。つまり音楽家以前に何か問題のある方だったと一般人は思います。

>>ひとたび失敗した人を周りが叩くばかりになるとしたら,それは間違いと思います。

失敗の原因が薬物です。すでに何年もの使用を経て今があるわけで、中毒状態だと思います。他のサイトをみても、覚せい剤を断ち切ることは命を削るほど難しいらしいですね。寛大なる措置を音楽界に求めるとありますが、甘いと思います。そしてご本人にとっても良くないと思います。

また才能、才能とおっしゃいますが、音楽以外の才能もなければ大学では勤まらないのではないですか?それとも大学や現代音楽界は一般人の知るところではないため、甘い考えが通用するのでしょうか?

わたくしは全く現代音楽には関わっておりませんので、素人の意見。場違いかもしれませんが書かせていただきました。失礼があればお詫びします。

_ ごくらくとんぼ ― 2010年08月26日 18時24分30秒

私は夏田さんの指揮を国立音大で聴いたことがあります。しかし、立派な音楽家だとは思っていましたが、それ以上のことは知りませんでした。
「罪の償いをして、必ず再起して欲しい。そのときには、みんなでそれを応援したい。」
「ひとたび失敗した人を周りが叩くばかりになるとしたら,それは間違いと思います。」
「大学に対しても音楽界にたいしても、寛大なるご処置を」
と夏田さんをよく知っている方々が書かれていますが、
そう思われるのは、よく理解できます。
しかし、私も「こりお」さんの意見に共感するものが多々あります。

容疑を認めており初犯でもあるので、おそらくは、早いうちに保釈となり裁判が始まります。量刑はたぶん、執行猶予が付くでしょう。
そして、社会が出来るだけ寛大な措置(1年内外の休職、謹慎?)を採ったとしても、さて、その後が大変です。
薬物というのは人体に害があるため法で禁止されているので、罪になるのです。
そして、すでに何年もの使用を経て今があるわけで、中毒状態だと思います。
薬物を求めない身体に戻るにはどうしたらよいのでしょう。しばらく入院し、その後、通院を続けなければなりません。自分に強い意志が求められます。ご家族が居られれば、その協力が必須です。しかし、「部屋で仲間と薬物をしていた」という報道もあるので、1人住まいだったのでしょうか?1人住まいの場合はなおさら大変です。絶対に再犯とならないようにしなければなりません。
夏田さんを応援している皆さん!どうしたら良いか?皆で考えましょう。
それが先決事項です。

私は心から音楽を愛する者です。
もちろん、再起して欲しいと思っています。

_ (未記入) ― 2010年08月26日 22時01分08秒

磯山先生のブログに辿り着く事が出来嬉しく思います。お近くにいらっしゃるお立場からの貴重なご意見ありがとうございます。 私はオーケストラで夏田先生に指揮を振って頂いた事があります。穏やかであり誠実なお人柄に触れておりまた先生から発するとても美しいエネルギーを弾きながら感じておりましたので、今回の件は本当にショックで悲しくてたまりません。ただそういった先生の心の辛さに気がつかなかった事に少しながらも責任を感じています。 先生はとても腰が低く遠慮がちなところがあり実際の肩書きとのギャップを感じていました。そこが良いところでもありましたが、是非作品を聴いてみたく明後日の演奏会へ行く予定でおりました。 残念でなりません。
大学は社会に出る一歩手前のであり対象になる分野の知識と先生の生き様をしっかり吸収します。活きた音楽を伝えられても生き様は伝えられない矛盾を常に抱えていたのではないでしょうか。

彼が引き寄せた世界であり選んでしまった道でありますが限界であったというシグナルと受け止め、 夏田先生からの恩恵頂いたものとして更生する為の応援団でいたいと思います。

覚醒剤は絶対に許してはなりません。知っている者は仲間を増やしてはなりません。助けを求めて下さい。 私は今回の件で強く思い身近にいる友達に伝えたいと思います。

_ 内藤正彦 ― 2010年08月26日 23時41分01秒

>迷惑をかけたことがどれほど責任重大でも、こんなけしからんやつがいた、
>という結果には、絶対したくありません。

夏田氏の今後を考えても、本当にそれで良いのでしょうか。
些か釈然としない感があります。
報道されている内容を信じる限り、決して軽く済ませて良い問題では無いと思いますが。
それは、夏田氏に優れた才能がある事とは次元の異なる話ではないでしょうか?
「罪を憎んで人を憎まず」という言葉の精神には私も賛同しますが、
それは「(犯した)罪を正視する」こと抜きでは成り立たないように思います。

_ かみや ― 2010年08月27日 00時40分03秒

私の発言が誤解を受けたようですので、釈明をさせていただきます。

「寛大な処置をお願いしたいくらい」と記しました。

夏田氏は、類い稀な「才能」による「音楽作品」「著述」「批評」「学生への講義」「アマチュア音楽家への教え」等「業績」のある芸術家です。この業績と、彼の反社会的な行為とを「混同」されてはならないという事を申し上げたいのです。

たとえば、芸術的作品の社会的評価は誰の作品であろうと普遍ではない。同時に遍くすべての人が評価するものでもない。その作品に触れたものだけがその評価をするという側面があります。もちろん評価があれば批判もあるでしょう。そのいわば地味な積み重ねが芸術を創り上げるのです。

今、私たちが触れる事の出来る「芸術」とは、いわば人間の美に対する歴史なのです。また、未来永劫、人類は美を追求して行くでしょう。

このような積み重ねは10年後に実を結ぶか、300年後に実を結ぶか分からない、気が遠くなるほどの努力に根ざしています。しかし、その積み重ねがあってこそ我々が今、あるいは未来において、芸術という文化に触れる事ができる。彼はその傑出した担い手である。是非、この点をご理解いただきたい。

私は芸術家は何をやっても許されるとは思っていません。彼は日本国民で社会と個人は法令遵守という「契約」を結んでいます。ですから、相応の罰を司法の手によって科せられ、刑を全うするのは当然ですし、薬物からの離脱と戦うに違いない。そんな事は、皆分かっている。むしろこのような事によって、改めて皆が己を戒めることです。

しかし、

彼という人が社会に与えた影響、音楽家としての業績と教えは、それらに触れた者にとっては「一生の財産」であり「あたらしい芸術の萌芽」であるかもしれないのです。そのような意味で、彼の今回の行動と音楽芸術、文化への貢献を同レベルで考えたくないのです。

再起を願い、彼を応援をしたいという気持ちは、あくまでも個人的な気持ちです。

_ こりお ― 2010年08月27日 11時41分06秒

夏田さんの貢献といっても、ほんの限られた枠での出来事のような気がします。現代音楽や芸術に縁のない人間にとっては雲の上の存在なのですよ。とても一般人の近づける世界ではないと感じました。ベートーベンの時代から芸術はわからないものなんでしょうか?

_ Clara ― 2010年08月27日 11時54分45秒

私は、大学関係者では無く、このブログの一愛読者に過ぎません。磯山様にも、昨年、「バッハ:マタイ受難曲」を聴きに行った折、ロビーでブログ読者としてのご挨拶をさせていただいただけですが、ご専門の音楽以外の所で、興味の持てるテーマがあったとき、思わずつまらぬコメントをさせていただいています。

今回の事については、磯山様が、私的にも深い関わりが有り、勝れた芸術的才能を評価しておられる方の起こした事件と、今後の行方について、大変心を痛めておられる事は、想像できますので、ブログに書かれた事は世間に向かってと言うより、その気持ちを率直に語られたものと解釈しました。
ですから、直接お付き合いのない者が、コメントするのは控えようかと思いましたが、皆様のコメントを読むうちに、やはり一言述べたくなりました。

磯山様のご心痛は、計り知れないものがあると思い、そのことに関しては、適切な言葉が浮かびません。
どうしても、言わずにおられなかったお気持ちのつらさも、想像できます。

ただ、事実と、当事者について、主に、親交のある方々の仰っている事は、一般の社会の常識から考えて、かなり甘いのではないかというのが、率直な感想です。
私の感想は、こりお」様、内藤様、未記入様のコメントに重なるところが多いのですが、更に厳しい見方といえるかも知れません。
その方が、いかに芸術的才能に恵まれ、勝れた業績を残しておられるかという事は、部外者には分かりません。
一般の人間は、「今回の行動と音楽芸術、文化への貢献を同レベルで考えたくない」という意見に代表される見方は、取れないのが普通です。
同列にみなされてしまうのが、斯うした事件を起こす事の結果であり、世間の見方のほうが、まっとうなのだと、敢えて申し上げたいのです。
その意味では、昨年の美人女優の覚醒剤事件と、何ら差はありません。
むしろ、社会的に高い立場にいる人程、その影響力の大きさと自らも含めた損失の重さを、考えなければならないのではないでしょうか。

覚醒剤に関する事件は後を絶ちません。
大学という教育現場におられる方々は、芸術論や、「寛大な処置」云々よりも、教えを受ける立場にいる若い学生たちの気持ちと、与える影響のほうを、先に考えるべきではないでしょうか。

私の言ったのは、直接ご本人及び、関係者の方々と親交のない者の感想です。
事件そのものは、司法の手で解決するでしょう。
直接関わりのある方々は、司法や世間とは、違う見方、感慨があるのは、当然ですが、それは、声を大にして表明する事ではないように思えます。
もしも、私が、自分の身近にそのような例があったとしたら、出来る事は、覚醒剤の誘惑に負けた心の弱さを共に見つめ、世間の糾弾を一緒に受け、再起の機会があるなら、その困難な道を、暖かく支えてあげる、それくらいしかないと思います。

長くなりました。
失礼な物言いがありましたらお詫びします。

_ コロナム ― 2010年08月27日 12時57分07秒

 夏田容疑者(この呼び方が不適当だとは思いません)に対する「社会的制裁」の点で寛大な処置を求めるみなさん、そのお気持ちは理解できます。しかし、納得はできません。

 擁護されるみなさんは、夏田容疑者が広くは音楽文化に、狭くは職場である大学に大いなる貢献をした才能あふれる人物「なので」、彼への社会的制裁の点では温情が必要だ、とお考えです。この考えは、裏を返せば、仮にわたくしのような平凡人が同様の罪を犯した場合は、それまでの社会・文化的貢献がない「ので」、刑事罰のみならず社会的制裁もきっちりと受けてもらう、と言っているのと同じです。あえて、強い調子で申せば、ダブルスタンダード、差別に他なりません。

 一部の擁護派の方は、「彼の業績のゆえ、温情を」と主張すると同時に「彼の今回の行動と音楽芸術、文化への貢献を同レベルで考えたくない」ともおっしゃっていますが、事件と貢献とを混同しているのは他ならぬ、この方です。なぜなら、事件によって生じる社会的制裁に「温情」を求める理由として、才能や貢献を挙げ、両者を密接に関連づけているのですから。

 世間一般の薬物事件当事者の多くは信用を失い、職を失い、家族を失い、友人を失い、名誉を失い、日陰者として生きます。夏田容疑者がそのような境遇になっても致し方ありません。それにより社会・文化に多大なる損失があっても(擁護される方はその損失を多く見積もりすぎているように感じますが)、その責任は制裁を加えた社会にあるのではなく、そのタネをまいた夏田容疑者にあります。

 才能があれば何をしても構わない、という考えに最終的には行き着くような処置を社会は選択するべきではありません。

_ I教授 ― 2010年08月27日 13時33分24秒

やはり、こうした議論になりますね。いろいろな意見をいただき、たいへん参考になりました。ただ、私の真意とかなり離れてきた部分がありますので、その点だけ確認させていただきます。

今回の出来事で彼をかばうとか、寛大な処分を願うとかいうご意見は私以外の方が書き込まれたもので、私は、そこは厳正にせざるを得ないと認識しています。彼の責任は重大であり、だからこそ、同僚としての立場から、お詫びもいたしました。それは、才能とは関係ないと思います。

私が申し上げたいのは、彼がたとえば「昔の弟子」さんのような方々に能力と熱意でどれだけ大きなものを与えてきたか、創作と演奏を通じて大学にも音楽界にもどれだけ貢献してきたかを忘れたくない、ということです。それが本当にすばらしいものであることを私はよく知っていますが、報道されているわけではありません。そのことを知っていただきたいという気持ちから、書かせていただいた次第です。

_ こりお ― 2010年08月27日 13時44分16秒

何度もすみません。書き忘れたことがあります。私はときどき芸術は特別なものではなくその人の生き様ではないかと考えることがあるんです。もし、覚せい剤がなければ作曲ができない、夏田さんがどこかで仰ってられたように「自分の弱さが招いた」とか「現実逃避するために使った」なら、曲も同じなのではないかと思うんです。

隠し仰せないものがどこかに出てくるんじゃないですか?それがいいとか悪いとかではなくて、曲の価値と人格が別という考えは違うと思います。

_ aranjuez ― 2010年08月27日 19時58分44秒

たまたま心の弱さがこういう結果になったのではないでしょうか。私は夏田先生一家に門下生としてお世話になっていました。昌和さんはいつも穏やかで理知的で優しく思いやりもあり勉強家で実力もあり、非の打ちどころがない方でした。お父様の鐘甲先生も穏やかで本当に音楽を愛している方で、理論等教授して頂きましたが愛のある先生でした。お母様の森先生も愛情があり昌和さんにたくさんの愛情をそそでいていたように思います。素晴らしい音楽世界をもっている方なので、今を乗り切りいい音楽でリベンジしてほしいと思うばかりです。ご両親のお心を思うと、痛たまれませんが、ご本人の心情もお察しします。どうか幸せな普通の生活が夏田一家に早く訪れますように心からお祈り申しあげます。人には間違いがあります。避難は要りません、持ちつ持たれつで心の助けになりたいものです。昌和さん!!!がんばってください。私は応援しています!!!
素晴らしい音楽をまた作ってください。

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