続・夏田君のこと2010年08月27日 11時17分00秒

思いがけずたくさんのコメントをいただき、多様なご意見から、多くを学ばせていただきました。ありがとうございます。

かつて愛読した三島由紀夫の『天人五衰』に、高名な老弁護士(主人公)が覗き中に公園でとらえられ、「八十歳の覗き屋」として週刊誌に書かれてしまう、という場面があります。それまで築き上げてきたすべてのものがこの一行に集約されてしまった、と、三島は書いています。しばらく前「一寸先は闇」という談話を書きましたが、失敗すれば結局そうした結果になる、という認識は、私も十分もっていました。陥穽に陥る可能性は、私を含め、どなたにもある。気をつけなくてはいけません。

それでも、失敗をする人は、出てきます。失敗をした人が、貢献も能力もすべて否定されるような形で去っていく姿を、遠くから、まれには近くで、見ることがありました。そんなとき私の思うことは、処罰がどんなに必要でも、その人が貢献してきたことは、それとは離れて認めてあげたい、ということでした。夏田君は、そうした貢献が、比類なく大きい人だったわけです。aranjuezさんのおっしゃることは、夏田君に個人的に触れた方の、共通の思いだと受け止めています。彼は本当に、学生に迷惑をかけました。だって彼の授業を、これから学生は受けられないのですから。

とはいえ、彼を知らない方にそれをわかっていただくことは、むずかしいですよね。私は彼をかばっているつもりはなく、厳罰のもとに償いをしてもらうことを前提に、彼の能力と貢献も知っていただきたい、という思いからあのように書いたわけですが、彼をご存じない方は、この時点で「こういう長所もある」と書くことは彼をかばうことにほかならない、と思われるようです。そこは、私も勉強させていただきたいと思うに至りました。いずれにしろ、再発防止には厳しい態度で、万全の配慮をもって臨む決意です。

コメント

_ こりお ― 2010年08月28日 12時01分08秒

>>厳罰のもとに償いをしてもらうことを前提に、彼の能力と貢献も知っていただきたい、という思いから

これは書いて大衆に知らしめることではないと思います。もし夏田さんという方の能力が飛び抜けて優れているなら、罪を償ったあと放っておいても社会が手を差し伸べるのではないでしょうか?

つぶれてしまうならそれまでの能力だったのではないでしょうか?

いずれにしても現代音楽界、大学教員の世界、クラシック音楽界は古くて狭い世界だと再確認しました。

_ Rudo ― 2010年08月29日 01時50分06秒

小泉吉宏さんの漫画「ブッタとシッタカブッタ」の中に、あるセリフがあります。

『どんなに偉くたって、関係がない人はなんとも思わない』

どんなに美術界で価値のある絵を描いたとしても、それがわからない人には全く価値のないものでしょう。

どんなに優れた犬を育成しても、散歩に出ればどれも同じ「犬」として周りから見られるでしょう。

世の中の人間すべてが夏田さんを知っているわけではありませんし、いくら音楽界のなかで優れた人であっても、世の中には関係のない方がたくさんいます。
それはどの分野でも同じことです。
いくら音楽の才能があったって、いくら美術の才能があったって、遠い国の森の中にすむインディアンには通じません。日本語も、英語も、何もかもが限られた世界の中で動いてるのは至極当然のことです。

彼は社会一般には「犯罪者」になってしまいました。
ただ、音楽界は彼を見放しはしないでしょう。人間が消え去った後も、その人間の曲や功績は残り続けるのですから。

_ 未記入です。 ― 2010年08月29日 17時27分47秒

こんにちわ。私もどうしても夏田先生の長所を言わずにはいられなかったので、先生と同じ事を思っていました。 ただ私に縁がない分野の方が覚醒剤使用者なのに同じように語られていたら違和感を感じると思います。とても勉強になりこのような議論の必要制を感じました。 ありがとうございます。
先生のご意見に一言付け加えさせては頂くとしましたら、私のような名を上げていない人々も才能なくとも1つくらいは小さな貢献をしています。そんな罪人に出逢った時も私達側の心に少し余白を設け、様々思い巡らす事は裁判員制度が始まった現在大切な事なのかもしれません。
夏の作曲祭も終わりに近づいていますがいろいろな場所で夏田先生が居なくても機能する体制を作り始められる事と思います。決して忘れる事なく何年、何十年かかるか分かりませんが元気な姿でお会いできる日をお待ちしたいと思います。

_ yamamoto ― 2010年08月29日 17時57分11秒

私は夏田先生を個人的には存じませんが、少なくとも先生が夏田先生をどう見ておられたか、校内での先生方の関係がどういったものか、書かれたものからある程度推測できます。
先生の決意というお話も曖昧に見えるため、おそらく退職なさっても夏田先生がいれば云々、と言ったのも本心ではないでしょう。
事件は事件として、夏田先生個人を思いやる気持ちが本当におありでしたら、不要な発言はなさらない方が賢明だと思います。

_ a_o ― 2010年08月29日 22時25分51秒

私は夏田氏という方を存じ上げず、事件の事も知らなかったのですが、I教授がここにお書き下さった事で、諸々考えを深めるきっかけをいただきました。ありがとうございます。

それにしても、覚醒剤に限らず、薬物というものはイヴを誘惑した蛇のようです。
もうこれ以上、誰も犠牲になる事が無いように。そんな世の中になるよう強く望みます。

_ I教授 ― 2010年08月29日 23時31分46秒

もちろん事件が起こる前の話ですが、私がいなくても夏田君がいればと思っていた、というのは、100%本心です。でなければ、そのようなことは書くはずがありません。

_ Omega ― 2010年08月30日 23時46分36秒

国立音楽大学が「今後につきましては、本学の規程に則り厳正に対処していく所存です」と公式ホームページで表明しているときに、同大教授である「I教授」が、

>>私がこれだけ言うのはよくよくのことだと、皆さん思っていただけますでしょうか。

などと書けば、考え違いも甚だしい特権意識、世間を甘く見た犯罪者擁護の発言と取られるのは当たり前です。大学の威信すら傷つけかねません。あまりにも不用意な、そして甘ったれた発言だと思います。「私がこれだけ言うのはよくよくのこと」などと、何様のおつもりですか? よくもぬけぬけと書けたものだと呆れています。

_ かみや ― 2010年09月01日 00時38分39秒

>>私がこれだけ言うのはよくよくのことだと、皆さん思っていただけますでしょうか。

これは、読むものに投げかけているわけで、結果オメガ(?)さんのごとく「甘ったれた発言」ととる方もいらっしゃるでしょう。しかし、「同僚としてのI教授の落胆と夏田さんの、もう教員はおろか音楽に携わることも、おそらく出来ない」という絶望を感じる方も確実にいらっしゃるのです。

I教授は、受けるべき裁きは受け、法的に処罰されることには異を唱えておられませんよ。そして、夏田さんをご存じない方ははっきり言わせてもらうならば、ここに感想を書いたところで無意味ではないですか?

音楽は特権でも雲の上でもない。大学だってそうです。社会に開いた大学にならないと生きて行けない。

私はむしろ日本の社会が閉じられていると思えてなりません。新聞の記事を鵜呑みにすれば「大学准教授」「音楽家」「作曲家」などなどの言葉の羅列。この場で夏田さんを批判されている方々は、夏田さんの何をご存知なんですか?
「音大の准教授かぁ〜。覚せい剤所持だってさぁ。ふん、これまでいいとこのボンボンでいい生活して世間知らずだから、こうなるのさ!いい気味だ!」程度に考えておられるのではないですか?

覚せい剤所持は法に触れてます。ですから、彼は少なくとも容疑者であるけれど、ものを教える立場にいたから社会的責任が増大するのですか?法は国民の上に平等なのをご存知ないのですか?

もう一つ、親と子供は一体ではないですよね。それぞれの人格もあれば個人としての権利もある。ある日親が覚せい剤所持で逮捕されたとする。そのとき子供は同じように逮捕されませんよね。社会的な自由も子供は剥奪されない。極端かもしれないが、作曲家と作品は親と子の関係なのです。

国内で行われたある音楽祭で、夏田さんの作曲した曲はこの事件によって演奏を中止された。これには、他の作曲家、音楽祭事務局、批評家等が異を唱えた。しかし、この音楽祭は企業の冠の付いたものだったので、結局、スポンサーの意向で演奏中止になったのです。いわば、親の罪で子供の自由が奪われた、わけです。

もう一度言います。批判された方々は、夏田さんの「何」を知っているのですか?

新聞の記事等で初めて「夏田」とい人がいることを知った方々、夏田さんは何を作り上げて同僚、友人、学生などに、いかに愛され、どれだけ優れた曲を作り、学生たちからどれだけ慕われていたかをご存知なんですか?

そして、
批判された方ご自分の身内でこのような容疑者は出ないと言い切れますか?ご自身は覚せい剤などの薬物依存を一生しないと言い切れますか?
日本の社会では皆さんが批判したように、容疑者の家族だ!覚せい剤所持者の親戚だ、と言われなく罵られるのですよ?

更に、覚せい剤所持で捕まった夏田容疑者には、法的な処分と薬から離脱するという苦難が待ち受けてます、夏田さんはこの大きなハードルを超えるため、これから何年、ことによったら一生を日々努力するのです。罪の償いとはそういうものです。

そのような事を考えもせずに、ただ下らぬメディアのほんの数行の記事を読んで単純反応する方々が以外と多いことに私は一種の恐ろしさを感じます。

これだけ申し上げても分からない人は分からないのでしょうね。

_ I教授 ― 2010年09月01日 10時18分13秒

皆様、たくさんのコメント、ありがとうございました。さまざまな角度からのご意見に触れ、たいへん勉強になりました。これからのことを考える上で、生かしていきます。

9月になりましたので、頭を切り換えて進みたいと思います。この2つの談話に関する議論は、一応ひと区切りとさせていただきたいのですが、よろしいでしょうか。ありがとうございました。

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