「大物」後日談 ― 2009年12月15日 01時17分21秒
最近お会いする方の妙に多くが、「1年単位の誤り」について言及されます。私が会議に1年違いで出て行ったという情報が、平素ブログを読んでくださらない方にまで、広まっているようなのです。
それが必ずしも喜べないのは、趣旨が取り違えられているように思えるからです。再確認しますが、あの談話の結論は、私が大物だ、というところにあります。会議を1年間間違えたというのは、そのことを証明する、ひとつの例にすぎないわけです。ところが、実例のみが一人歩きしているようで、言及される方々に、私を大物として見直す視線がまったく感じられないのです。遺憾な現実です。
傍証が、さらに必要なのでしょうか。もちろんあります。
食事のさい食堂に出て行く旅館と、部屋で食べられる旅館では、どちらが高級でしょうか。後者ですね。では、部屋に食事が運ばれる場合、部屋に1人がやってくる旅館と、複数がやってくる旅館は、どちらが高級でしょうか。後者ですね。まさにそれが、私の家庭で実現しているのです。
当家の台所は、本来家族が集まって食事をする空間をもっていたのですが、たくさんのものがあふれた結果、その機能を喪失しました。以来食事は、パソコンに向かっている私の部屋に運ばれてくるようになっています。食事が来ると、ノックの音ですぐわかる。そのノックの音は、しけた音ではなく、威勢がいい。ノックしているのが犬だからです。扉が開く→犬が走り込み、膝の上に飛び乗る→食事が机に置かれる→妻が去る→犬が追いかける、という流れに、毎回、必ずなっています。
これって、私が大物という証明になるでしょうか。書いていて、だんだん自信がなくなってきました。
減った店、増えた店 ― 2009年12月08日 11時14分35秒
最近こういう店が少なくなったなあ、最近こういう店がやけに多いなあ--一定の年齢に達している方は、こんな感想をそれぞれお持ちだと思います。「少なくなった店」で私がすぐ気がつくのは、古本屋です。
私自身、古本屋めぐりをまったくしなくなってしまったので、営業が困難を増しているであろうことは、想像がつきます。その結果として、学術本のリサイクルが困難になりました。これは、学者・研究者にとって、なかなか困ったことです。
図書館長をしていた時代によく、亡くなった方の立派な蔵書を寄贈したいのだが、というご希望に接しました。しかし図書館にはもはやスペースがなく、むしろ、不要な本を処分している状況。寄贈を受けられるのはごく一部の貴重書のみで、それでは寄贈する側も困ってしまう、ということをよく経験しました。死ぬまで本を買い続けることは従来学者の美徳と見なされてきたのですが、そう言って買い集めてもいられない時代になったようです。
一方、増えている店の代表格は、マッサージです。こわばった体でよちよち活動している私としては、マッサージ店の増加と多様化は、大歓迎。最近好んでいるのは、タイ式古式マッサージです。やや割高ですし、基本が120分ですから若い人にはハードルが高いかもしれませんが、高級感があって客扱いがよく、ストレッチが積極的に取り入れられているため、効果があります。
最近はマッサージ店もモダンになり、美容を前面に押し出している店も多くなりました。でもあまりしゃれた外観で、「男性もどうぞ」などと書いてあるとかえって、オレが入っていいものか、と考え込んでしまいます。不思議にそういう店は、キラキラの盛り場に集中していたりするのです。
久しぶりのNHK ― 2009年11月27日 22時54分44秒
急な依頼があり、久しぶりにNHKの収録に行ってきました。西口の待ち合わせだったので渋谷から行きましたが、渋谷からNHKまでの道に、おいしそうなお店がすごく増えているのにびっくり。私が通わないと、お店が繁盛するようですね。
いろいろな思い出が脳裏を去来しました。たいていは準備が間に合わず、息せき切って駆けつけるイメージ。放送はたいへんでしたが、とてもありがたい体験でした。ひとつは、知名度を作ってもらったこと。もうひとつは、しゃべりの技術を磨いてもらったこと。もうひとつは、世界の演奏の現在に親しませてもらったことです。NHKあっての、今の私だと思っています。
収録したのは12月6日放送の「サンデークラシックワイド」で、バッハの《クリスマス・オラトリオ》、ヘンデルの《メサイア》(抜粋)、オール《アヴェ・マリア》の合唱コンサートの3つが含まれています。スウェーデンの《クリスマス・オラトリオ》は、なかなかいい演奏だと思いました。
放送の仕事も、続けてゆく気配です。ゆとりを作ろうとしているのですが、来年も、忙しくなりそうです。
友の逝去 ― 2009年11月18日 22時58分08秒
日曜日のこと。悪い夢を見ながら重い眠りの中に沈み、、いっこうに起きられません。ようやく起き出してみると、時間はなんと、お昼の1時近く。妻が「もう少し起きてこなかったら様子を見ようと思っていた」というので、「そしたら大往生だね」と答えました。なにしろ、中川さんの例があります。
こんな経験をしたあとで、訃報が2つ舞い込みました。ひとりは私より年下のいとこ。もうひとりは少し年上の方で、ゲルマニストの山科髙康さんです。まったく予想しないことで、どちらもびっくりしました。お気の毒でなりません。山科さんはヴィオラ・ダ・ガンバの熱心な愛好家でしたので、その筋でご存じの方もおられることでしょう。
山科さんとはたしか杉山好先生の授業で知り合ったのだと思いますが、その後、マッテゾンの読書会をご一緒しました。熱心な会で、合宿も何度か。私は当時大学院生でしたが山科さんはすでに大学でドイツ語を教えておられ、当然一歩上の力をお持ちで、難解な領域に関して、たくさんのことを教えていただきました。バロック時代のドイツ語に私が一定の読解力を培えたのは、杉山先生と並んで、山科さんのおかげです。
最近はお会いするチャンスもなく、どうしておられるかなあと時々思っていましたが、ご逝去され、葬儀もお済みとのご連絡をいただきました。かつてのご恩を思い返しつつ、ご冥福をお祈りいたします。ご一緒した頃に作った『完全な楽長』の訳文は、その後私がかなり増補した段階で、放置されています。いつか、完成できるといいのですが。
一進一退 ― 2009年11月08日 22時56分03秒
おおぐまさん、お見舞いありがとうございます。皆様にはご報告しそびれてしまいましたが、いずみホールのウィーン音楽祭では、おおぐまさん、花崎薫さん、小倉喜久子さんらにより、ベートーヴェンとシューベルトのじつにすばらしい室内楽を演奏していただきました。いずみホールのシュトライヒャー・フォルテピアノを生かした企画、ぜひ続けたいと思います。
おおぐまさんは若いから回復が早いのだと思いますが、私はどうも、一進一退です(←四字熟語好き)。平熱と微熱の間を往復していて、汗がじわじわと出るここ数日です。今週は、少しずつはしょりながら進めるよりなさそうです。
どうも、休養しているとさぼっているような気がしてしまって、すっきりしません。「大事をとらせて」いただくのですが、本当は行かなくてはいけないのに、という気持ちが先に立ってしまいます。そういう方、大勢おられるのではないでしょうか。
珍しくも ― 2009年11月05日 22時15分00秒
一昨日妙に疲れたと思ったら、昨日から、のどの痛みを感じ始めました。今朝起きると、完全な風邪の症状。風邪をひかない私としては、10年に1度の椿事です。
事が容易でないのは、流行中の新型インフルエンザが私の大学にも入ってきていて、防御におおわらわの状態であること。校内放送では、インフルエンザと判明したら無断で大学に入るのはまかりならぬ、というメッセージが流れています。私がインフルエンザだったら大変です。
そこで病院で検査し、現状ではとりあえず陰性となりましたので、大学に行きました。しかし調子は悪く、授業と指導だけで会議を失礼し、帰ってきました。どうなるか目下様子を見ています。休めばいいのでしょうが、授業のスケジュールも決まっていますからそうもいかず、辛いところです。大流行のようですので、皆様もお気をつけください。
東奔西走 ― 2009年11月03日 23時37分37秒
昨日は、《マタイ受難曲》に関するレクチャーで小倉へ。新幹線で4時間、そう遠いとは思いませんでした。主催が合唱団ですので、合唱団向きのプレゼンテーションを新たに作成。反応がすこぶる活発だったのは、「マタイを50回ぐらい歌った人が複数」という、団体のキャリアもあるようです。「生きる」という言葉は60曲目のアルト・アリアにのみあらわれる、と述べたところ、同じことをずっと昔、濱田徳昭先生が言っておられたとのこと。発想が近かったんだなあと、あらためて認識しました。
帰路、オーチャードホールに寄り、大野和士指揮のリヨン国立歌劇場管による、マスネの《ウェルテル》を鑑賞。管弦楽がこぞって魂のこもった響を奏でる圧倒的な公演で、私は大感激です。マスネのすばらしさを、私は本当に、はじめて経験しました。新聞批評が当たっていますので、明日、腕によりをかけて書きたいと思います。
しかし、疲れました。へとへとです。東奔西走というほどではないが、いま、四字熟語に凝っていますので・・・。
充実した今年の学会 ― 2009年10月25日 23時33分43秒
関西支部を母体に、大阪大学で行われた、今年の学会。ここ数年でも、際立った内容であったように思います。数多い分科会が並行して行われ、内容が変化に富んでいた上、大家やベテランの方々が、何人も発表してくださいました。
皆さんがどのぐらい研究発表を大切にし、入念に準備して臨んでくださったかをよく示しているのが、ハンドアウト。じつに克明、情報量豊かなハンドアウトがすべての発表で配られ、適当に口頭で、というものは、私の見るかぎりひとつもありませんでした。バッハを中心としたセクションでは4人の名のある方々が発表されましたが、その方々の勉強ぶりもすごかった。日本の音楽学会はレベルが高い、というのが、海外の事情を知る先生方の一致した意見でした。
頭が下がったのは、ご高齢をいとわず最新の研究を発表された、皆川達夫先生。5年前の出版以降に、あるおらしょの原曲としてよりふさわしい曲を発見なさったそうで、その際の選曲は不適切でした、おわびします、と頭を下げられたのにはびっくりしました。もって範としたいと思います。
5泊6日に及ぶ大阪滞在でしたので、学会がつつがなく終了したあとは、快い安堵感に包まれました。たくさんの方々に貢献していただいたおかげです。
ダブルブッキングでは絶対ないのですが ― 2009年10月24日 23時09分30秒
絶対ダブルブッキングではないのですが、あたかもダブルブッキングのように見えるのが、しゃく。人は、私らしいよとおっしゃるでしょう。なんとも騒々しい今日一日でした。
今日は大阪大学で行われる日本音楽学会全国大会の、第一日。全国大会は学会会長の最大イベントです。もっとも重要なのが総会で、次が懇親会。朝には開会宣言もします。
ところが今日は、ウィーン音楽祭in Osakaの最終日にあたっており、《ドイツ・レクイエム》のコンサートのあと、打ち上げのパーティが開かれることになっていたのです。オーストリア大使以下、賓客もいらっしゃる。当然、私が出席しないとまずいわけです。しかしうまくいかないもので、総会とコンサートが、同じ4時の開始。懇親会は学会が5時50分から、音楽祭は6時半からで、場所は南北に遠く離れています。
当初は、学会を優先せざるを得ないと腹を決めていました。でもいざ音楽祭が始まってみると、やはりこちらも出席しなければ、という気持ちがつのるばかり。そこで、学会の懇親会に1時間出席し、全速力で移動して、パーティの中締めを務めることになりました。計算上は、なんとかなりそうです。
ところが。総会が延びて、懇親会の開始が遅くなったのがケチの付けはじめでした。挨拶と寄付者の紹介を済ませ、7時ちょっと前に脱出。経済学部前にタクシーを呼んで阪急の蛍池駅へ、そこから梅田まで乗って再びタクシーに乗る、という作戦でした。
ところがところが、夜の大阪大学はたいへんわかりにくく、経済学部がどこだかわからぬまま、外の通りに出てしまいました。朝来るのと逆方向なので、わけがわかりません。タクシーはまったく通りませんので、電話で予約したところ、待ってましたとばかり、空車が次々に来ます。そんなこんなで時間を浪費するうちに、スタッフから、悲鳴のような問い合わせが入り始めました。
なんとそっちは予定より早く始まり、そろそろ終わりそうだというのです。刻一刻電話の飛び交う、スリル満点のタクシー行になりました。
結果は、アウト。たどり着いたときには合唱団は解散しており、待っていてくれた首脳の方々とお別れするのが精一杯でした。お腹が空きましたので、森之宮の「黒らうめん」へ。これがたいへんおいしく、私の「ツキの理論」の、ささやかな実証と相成りました。
大阪情緒 ― 2009年10月23日 21時34分42秒
昨日昼間時間がありましたので、ある目的をもって、梅田界隈に出かけました。環状線で普通そのまま大阪駅に行くのですが(出発点は大阪城公園駅)、たまには知らないところで降りてみようと天満駅で下車し、梅田まで歩くことにしました。
降りて驚いたのは、アーケード商店街が、左右にずっと伸びていること。これを天神橋筋商店街といい、日本最長であるというのは、いま調べてわかった情報です。アーケード街といっても東京風にピカピカなのではなく、いかにも庶民的な味わい。小造りでちょっとごみごみしていて、昔風の情緒が漂っているのです。食事のできるところは至る所にありましたが、大阪風の甘い味付けのお店が多そう。私は「唐辛子」という字を見ると急にお腹が空いてくるような荒々しい好みなので、入りかねるまま歩いていると、ありましたね、その名も「担々」という、四川料理のお店が。ここの味は本格的で、温野菜などたいしたものでした。お勧めです。
どんどん歩いているうちに逆方向に来ていることに気づき、延々と逆戻り。大阪はとてもわかりにくいです。大阪駅周辺など、いまだにまったく方向がわかりません。ようやくたどりついた目的地は、そう、ヨドバシカメラ!買ったものはもちろん、WINDOWS7!WINDOWSの新バージョンはその日のうちに購入するというポリシーを、今回も守りました。持参しているノートパソコンに、これからインストールしてみたいと思います(ドキドキ)。
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