気持ちの落差 ― 2009年10月10日 22時50分39秒
今日は美学会全国大会の会場である、東大本郷へ。駒場で3年、本郷で8年を過ごした私は、その後も研究会やら非常勤講師やらでたびたび東大を訪れていましたが、今日は本当に久しぶりです。おかげで、お茶の水からの地下鉄のホームを間違えてしまいました。
本郷三丁目から赤門への道を歩くと、いろいろな思い出が蘇ってきます。しかし若い頃のことですから、さまざまなプレッシャーを感じて辛い時代だった、というのが正直なところ。時間が経つとずいぶん傍観者的になるものだな、と思いつつ、周知のキャンパスを逍遙しました。
研究室自体怖いところだったわけですが、偉い先生の揃う学会の怖さは格別で、その都度気が重く、発表ともなると緊張の極。音楽のことを述べているのに、直接かかわらないと思える(あるいは根底にあるのだが自分が気づいていない)哲学的な質問をされ、目を白黒させたことも何度かありました。
しかるに今は・・・。自分自身が年かさの世代になっていますから、存外楽な気持ちで、会場に入っていけます。それなりに責任の重い研究発表の司会を余裕綽々(?)に進めている自分をもう一人の自分が眺めて、落差に月日の経ったことを実感しました。年をとることにも、良さがあります。
お悔やみ ― 2009年10月09日 23時37分04秒
服部幸三先生が亡くなられましたね。心からお悔やみ申し上げます。今日の日本におけるバロック音楽の高い人気は、研究・教育や朝のFM番組における先生のご貢献なくしては考えられないことでした。「爽やかなバロック音楽」という有名な標語は、先生の作になるものです。
先生が東大に出講されたおりに音楽史を受講しました。たしか、修士論文を書いていたときではなかったでしょうか。近くに来いと誘ってくださったのに辞退してしまい、申し訳ないことをしました。しかし先生からは、多くを学ばせていただきました。
服部先生は日本音楽学会の第4代の会長でいらっしゃいました。私が第9代ですので、はるかな先達です。月曜日の告別式では、学会を代表してお別れして来ようと思います。
熊本 ― 2009年09月03日 23時17分32秒
熊本に来ています。四国、九州のうちで、いちども来たことがなかったのが、この熊本。原初の力強さのみなぎった都市です。街路に植えられた木も太くたくましく、銀座の柳(いまはないですが)が、いかにもひ弱に感じられます。
熊本城の広壮さは、たいしたもの。建物だけでなく周囲の環境がそのまま保全されていて、全部経巡ったら、相当な時間がかかりそうです。小腹が空いたのでラーメンを食べようと思い、やっとみつけた小さな店に入りました。そのお店は地元のお年寄り女性のおしゃべりの場となっていましたが、その言葉が、よく理解できません。いろいろな意味で、伝統が色濃く残っているのですね。でも、練習が終わったあとに行ったビア・レストランは、世界のビールをそろえて、見事なものでした。
《レクイエム》の合唱も気合いを入れて準備されていましたので、いいコンサートになりそうです。明日は、北九州です。
夏の終わり ― 2009年08月21日 22時44分46秒
惜しまれつつ亡くなった若杉弘さんは、とても付き合いやすい、魅力のある方でした。その若杉さんから伺ったお話で印象深いのは、あるときから夏休みをしっかり取るようにした、ということです。
日本人は休みもろくに取らずに働きますが、向こうの人は、長期間のバカンスを、遠慮なく取る。音楽家も同じで、音楽をまったく離れ、リゾートなどに出かけて、心ゆくまで遊ぶのだそうです。そうすると、夏が終わる頃には意欲が再燃し、音楽をやりたくてたまらなくなる。自分もそれに気づいたので、どんなにおいしい話があっても仕事を入れないのだ、というお話でした。
この話をありありと思い出したのは、明日からスケジュールがぎっしり詰まっていて、夏休みが事実上、今日で終わったからです。え、リフレッシュして意欲再燃か、ですって?
今年は外に一歩も出ず、部屋で片付けをするばかりでしたので、夏を楽しんだという感じがしません。いわゆるブルーマンデーと、同じような状態になっております。なにしろ最初の仕事が合唱コンクールで、なかなか気骨が折れるものですから・・・。
有利なはずが・・・ ― 2009年08月07日 23時08分15秒
これだけ一日中放送されると、芸能ネタに乗らざるを得ませんね。酒井法子さん、けっして嫌いなタレントではなかったので、残念です。あれだけきれいならば人生相当有利だと思いますが、それを活かせなかったのはもったいないですね。「清純派がなぜ?」(某紙)というように、意外という受け止め方がもっぱらのようです。でも考えてみれば、麻薬と容姿は関係ありませんよね。
「清純派」という言葉に関心があるのですが、酒井さんに関して、私自身には、この言葉は浮かんで来ませんでした。「清純派」って、外国語ではなんて言うんだろう。日本にのみある、今なら流行語大賞になるような造語なのでしょうか。ラファエロの描くマリア様は、究極の清純派なのか、あるいは、そう呼んでは失礼なのか。
かつてはセクシーの反意語のように思っていた私ですが、少し考えが変わってきました。秘められた色気、というのが重要な条件であることに気がついたのです。それに対して、男のあこがれが発生するのだと思います。
スペースのための投資 ― 2009年08月06日 22時22分13秒
夏休みの重要課題のひとつが、部屋の整理です。今回は、物置の収納を減らし、書庫のような働きを与えることができないかと考えて、取りかかりました。当然、たくさんのものを処分しなくてはなりません。
2つの分野を処分することに決めました。ひとつは、音楽会のプログラム。バイロイト音楽祭やバイエルン歌劇場などの立派なプログラムがたくさんあり、開くとキャスト一覧などがはさんであって、なつかしさがこみ上げてきます。役に立ちそうな解説や論文も、たくさん入っている。でも、いらない!と決めました。年をとってからますますなつかしく思う可能性は脳裏をかすめましたが、これまで活用したわけではなし、これからも活用しないだろうと瀬踏みして、一掃を決意しました。
もうひとつは、レコードです。以前レコードを大処分したとき、思い切れずに残したものがそれなりの枚数、ありました。初期に繰り返し聴いたもの、古楽に目を開いてくれたもの、かつて膨大に書いた自分の解説が載っているもの・・。昔書いた原稿は手書きですから、パソコンには残っていません。
それでも今回、そのすべてを処分することにしました。自分を納得させた理由は、スペースという貴重なものをいわば購入するために、ある程度の投資は必要だ、というものです。過去をなつかしむより、いつまでも前向きに、音楽を聴いていきたいと思います。
珍しい飲み会 ― 2009年07月28日 23時32分28秒
今夜は、最近よく使っている国立のロシア料理「スメターナ」で、前期の授業科目「歌曲作品研究」の打ち上げ。参加した学生は男女4人ずつの8人でしたが、今どき珍しい光景を目にしました。
というのは、1人置きに座った男子学生が会話を完全に主導し、女子学生が聞き役にまわっていたのです。自分の若い頃はたしかにこれが普通でしたけれども、最近の飲み会は女子学生がにぎやかに主導し、男子学生は隅でおとなしくしている、というのがほぼ定番でしたから、びっくりしました。これはこれでなかなかいい形だと思いましたが、偏見でしょうか。
何を話したかが問題ですよね。みんな音楽が大好きで、音楽について熱く語り合う、という、音大ならではの形で進みました。この話題がロンド主題であるとすれば、エピソードは、異性に関するさまざまな思いでした。楽しかったですが、「ドルチェ」がありませんので、一次会で散会です。
人を教えること ― 2009年07月27日 23時41分23秒
博士論文執筆中の学生について昨日書きましたが、まだひとつの通過点ですから、具体的な情報は結果が出るまで控えておきます。しかし私の30年を超える教師生活において、これだけ急激に成長した例は初めてで、人を教えるということについて、根本的に考え直さなくてはいけないような気がしてきました。同時に、これだけ喜びと感動をもって発表を聞いたことも、ほとんどなかったような気がします。まじめに努力する若い人には、無限の可能性があるのですね。後の人が続いてくれるといいのですが。
平謝り ― 2009年07月26日 23時09分48秒
ここ数日徐行運転させていただいていたので、今日は久しぶりに気力が出て、部屋の積み重なりを一掃しました。その結果として、たちの悪いダブルブッキングを2つ発見。「最近ダブルブッキングないですね」と残念そうに言っておられたあなた、お喜びください。必然的に、平謝りのメール2通。どちらもまだ、返事が来ていません(汗)。
今日まで大阪でJSG国際歌曲コンクールが開かれており、私の周囲からも何人か参加していました。いましがた連絡があり、博士課程在学中の山崎法子さんがシニアの部で優勝されたそうです。1つ前の土曜日に「たのくら」に出演され、たいへん好調とお見受けしましたので、もともと内容的には折り紙付きの方ですから、あるいはと思っていました。おめでとうございます。
明日は、私の大学始まって以来の、博士論文の予備審査。声楽なので私の指導ですが、当該の学生は今年度に入ってから急上昇しているので、とても楽しみです。(普通は心配するものでしょうが、今回は自信ありです。)
溝の口 ― 2009年07月25日 22時33分01秒
朝日カルチャーセンター横浜校に行く土曜日は、たいてい食事が15:00過ぎになります。いつもは横浜、ないし乗換駅の武蔵小杉で食べるのですが、今日はうまくいったのと時間に余裕があったのとで、知らない駅で降りてみようと思い、武蔵溝ノ口で下車しました。
私は大田区、東急沿線の生まれなので、「溝の口」という名前には幼少から親しみがあります。しかし駅で降りたという記憶は判然としません。そこで、どんな町かなあ、と地井武雄さんモードになって下車しました。
そうしたら、高架の駅の周囲にコンクリートの大平面が張り巡らされていて、「駅前」というものがありません。高架の広場からレストランのあるビルにそのまま入っていけるのですが、こちらは地井さんモードですから、それでは味気ない。そこで、下に下りてみました。
少し歩くうち、溝の口というのは路地が縦横にめぐらされた、たいへん入り組んだ街であることがわかってきました。これはこれで味わいですから、こういう特色を生かした再整備ができなかったものでしょうか。旅行者の目から見ると、庶民の街を押しつぶすようにして大コンクリート地帯が出現しているという気がするのです。
でも考えてみると、立川にしても橋本にしても、みんなそうですよね。すぐ慣れるといえばそれまでですが、建設優位の行政の結果でなければ幸いです。ずっと前、金沢について、似たことを書きました。投資した分、本当に便利になっているのでしょうか。費用対効果を知りたいものです。
そんなことを考えていたせいか、レストラン選びは大失敗でした。帰りは谷保で居眠りしてしまい、立川まで乗車して、花火大会の大ゆかた軍団に巻き込まれました。
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