ヨーロッパ真摯の旅3ーグダンスク2015年06月13日 14時37分33秒

ちょっと補足します。ライプツィヒの空港から、列車で中央駅へ。そこでコインロッカーに荷物を預け、身軽になってポーランドに行ってこよう、という計画です。ところが、ライプツィヒ行きの列車が1時間以上遅れていることが判明。そこでタクシーに切り替え、無事、コインロッカーに荷物を納めました。後日、中身を取り出します(なぜか、当たり前のことを書いてしまう)。

ベルリン着が夜の10時を過ぎましたので、ここもタクシーで、空港に近いホテルへ。翌朝テーゲル空港までは、バスで一足でした。グダンスク行きの飛行機は久しぶりのプロペラ機で、お客も数えるほど。しかし、着陸直前の眺めは、見事だったですね。バルト海のくっきりした海岸線が、グダンスク市を経て、東北東へとすーっと延びているのです。その昔ドイツ騎士団は、ここを東進したわけか。いま先にはバルト三国があり、ロシアがあり、さらにフィンランドがある。バルト海の懐は深く、その文化的役割は絶大です。

運河沿いに巨大な観覧車がありましたので、そこから市街を一望。ただし新しい施設を工事中だったため、バルト海の海岸に直接行くことはできませんでした。一種不気味なレストランで(説明すると長くなりますので機会があったら後日)ニシンの入ったサラダを食べ、家族のおみやげに琥珀を買い、その日のうちにワルシャワへと移動しました。

グダンスクは、ドイツ名ダンツィヒ。重要な軍港であり、バッハのカンタータにも登場します。しかしこの日の印象では、町としてやや生気に欠けるように思われました。でも琥珀は、安いですよ!

写真が、ネクサス7のブラウザではうまく投稿できないようです。これは困った。



ヨーロッパ真摯の旅(2)ーー星の巡り2015年06月12日 15時35分19秒

最初にビジネスクラスを利用したときの感動は、いまも忘れません。その利点は精神的なものだというのが、私の持論です。

あるときそのことを指導の学生たちにとうとうと語っていたところ、あの、私、ファーストクラスに乗ったことがあるんですが、と、女子学生が遠慮がちに申告。航空会社の都合でということでしたが、座がしらけましたねえ。なぜならば、私のビジネスクラス礼賛は、ファーストクラスはこの世に存在しない、という見切りを前提としてしているのであって、じゃあファーストクラスは、という言葉がひとつでも出れば、その時点で瓦解してしまうものであるからです。

というわけで、どうしたら元がとれるか、熟慮しました。密室に入ってしまったら、あとは別れ別れ。むしろ差が出るのは、手続きの部分ではないだろうか。

エコノミーの荷物預けは、長蛇の列をなしますよね。一大難関です。そこで仮に、御常連のTAISEIさんがお客だったとしましょう。TAISEIさんはもういい加減並んで、いらいらしておられる。時間が迫ってきているので、時計を見ては、天を仰ぐ。足踏みが始まり、ため息さえ聞こえてくる。そのとき私がさっそうと現れて、ただちに荷物預けを済ませ、足取り軽く検査場へと消えていくーー。こんな情景が完成すれば、ビジネスクラスも元がとれると確信しました。

ところが、星の巡りが 悪かったようでーーー。シーズン外のせいか、エコノミーはガラガラ、にもかかわらずビジネスのお客は案外いて、行列の長さがほぼ同じだったのです(汗)。結局ビジネス、満席でした。やっぱり、景気が回復しているんでしょうか。

元をとらなければなりませんので、急いでラウンジを探し、白ワインの一気注入。行きにラウンジを活用したのは初めてで、少し元をとりました。ミュンヘン乗り継ぎでライプツィヒに、そう疲労なく到着。駅で荷物を預けて、そのままベルリンに移動、宿に入りました。翌朝、グダンスク行きの飛行機に乗るためです。

ヨーロッパ真摯の旅2015(1)2015年06月11日 15時54分51秒

私のヨーロッパ旅行は実地見聞と図書館訪問を伴っています。貧乏性なので、音楽を聴きに行くだけではもっちたいない、と思ってしまうのです。そこで、お客様がたをお送りしてからの約一週間を、勉強の時期に充てています。

でも、今年は困りました。バッハ祭のいいとこ取りをしてみると帰国がいずみホール出演のまさに当日になっていて、後ろに延ばすことができないと判明したのです。そうなると「先に行く」しか方法がありません。そこで、月曜日の聖心を終えて火曜日に発ち、國學院は補講を励行するように案配して、土曜日の合流前に、3泊の余裕を作りました。

図書館はいま差し迫って調べることがありません。そこで、実地見聞のフルモードに。バッハにとってとても重要だが、まだ訪れていないところはどこだろう、と考えていたら、ありましたね、大事なところが。ポーランドです。なにぶんバッハの領主はポーランド王ですし、世俗カンタータには、ポーランドの地名がどんどん出てくる。やはりこの目で見て、土地勘を養っておきたいところです。

調べてみると、ポーランドはやけに広く、ターゲットが点在しています。そこで訪問地をグダンスク(ダンツィヒ)、ワルシャワ、クラクフの3つに絞り、北から回ることにしました。

小心者としてかなりの期間迷ったのは、ビジネスクラスを奮発するか、エコノミーで自重するかということでした。ご承知のようにその差額はきわめて大きいですから、もし身分相応にエコノミーで行けば、差し引き、大金の収入があったのと同じことになります。老後(すでにですが)の安定、という言葉も脳裏に浮かんでくる。でも結局一度知った蜜の味は拒絶しがたく、乗ろう、でも乗って良かったと思えるだけの元をとろう、と、不肖私、決心したのでした(続く)。

梅雨入り2015年06月09日 07時43分07秒

昨日はとても蒸し暑いと思ったら、梅雨入りとか。今日は雨ですね(東京)。不快指数の高いこの時期、皆さん、お仕事たいへんお疲れさまです(合掌)。

不肖私、今日羽田から、ヨーロッパに行ってまいります。今回は図書館には寄らないので、パソコンは持参せず、タブレット+外部キーボードで更新できたらと思っています。今日はミュンヘン乗り継ぎでライプツィヒまで行き、ベルリン泊まりの予定。珍道中などと言われないよう、真摯に行ってまいります!

ヨーロッパ通信2014(17)/反響御礼2014年05月02日 09時40分58秒

このところ、外国旅行に行くたびに連載を行うようになっていました。皆様の反響に後押しされて、旅がいっそう印象的になるのも事実。同時に、皆さんに楽しんでいただける旅をしなくてはならない、というプレッシャーも、大きくなってきていました。ここもよかった、あそこもよかったというだけではご満足いただけないということを、ひしひしと感じていたからです。

しかるに今回は、機内持ち込みバッグをあざやかな手口で盗まれ、その後手ぶらになるという、大きな出来事が起こりました。愕然とする一方で、ああ、これで喜んでいただける、という安堵感が生まれたことは、既報の通りです。

出来事を喜劇的な色彩でご報告する私の脳裡には、皆様がどんな反響を寄せてくださるか、期待する気持ちが生まれていました。どうせなら、呵々大笑沸き返るような反響だといいな、という捨て鉢な気持ちもあったことは否定できません。

ところが、その反響がなかったのですね。しばらくしてtaiseiさんから、「すごいです!」というコメントが入りましたが、二の矢がない。あれほど期待感を表明しておられた何人かの方が、逼塞してしまわれたのです。どう反応したらいいか、思案しておられるご様子です。

業を煮やした私は、コメントで指名さえしながら、反響を促しました。同情してくださる方もあり、当惑しつつ慎重に言葉を選ぶ方もおられました。そりゃそうですよね。私が書く側でも、当惑すると思います。

でも逃げるのはダメ(笑)。100パーセント期待通りの、胸のすくような反応をくださったのは、taiseiさんです。これこそ男の友情、コメントのグランプリです!そこで、taiseiさんに感謝しつつ、コメントを平素読まない方にも読んでいただけるよう以下に引用して、連載の結びといたします。皆様、ありがとうございました。

「教授!すごいです!わざとでないとしたら((笑)(まさかネタのために盗難にあうとも思えませんので)、まさにツキの理論!期待にたがわぬ展開。他人の不幸を喜んでいるようで申し訳ない気持ちもしますが、教授も『安堵感』を感じておられるようですし、生命に危険の及ばない範囲のことの様なのでやっぱり『すごい!』
 さらに続きがある様子。今後どんな展開になるのかまさに『固唾をのんで』待つとはこのことです。期待しています!」(taisei)

ヨーロッパ通信2014(16)/総括2014年04月29日 23時55分30秒

自分の概念を広げてくれる、すばらしい旅行でした。ベネルクスに対する認識が乏しく、オランダとベルギーとの区別もろくについていなかったのは、恥ずかしいかぎりです。オランダとベルギーはどちらも古楽のメッカですが、じっさいにはまったく異なる世界ですね。私の見るところ、観光価値には大差があります。ベルギーが、圧倒的に上だと思います(私見です)。

なぜか。オランダは、新しい国です。17世紀に海洋国家として世界に雄飛し、みごとな市民文化を生み出した。レンブラントの宗教画、ロイスダールの風景画、ホントホルストの風俗画、ハルスの人物画・・・すばらしい美術が目白押しです。18世紀にはもう、衰えてしまったのですけれど。

でも、中世がないのです。近世の文化というのは、人間の所産として、ある程度想像がつく。しかしベルギーに行って中世の大伽藍に接すると、これは桁違いだ、と思わざるを得ません。思えばベルギーにはトゥルネー、クレルヴォといった由緒ある町があり、ルネサンス初期には、フランドル楽派の作曲家たちを輩出したわけですよね。やがて絵画には、ブリューゲル、ルーベンスが出てくる。この厚みは、行ってみて初めて実感したことです。

古い文化というのは、本当に大きな価値です。観光に訪れるわれわれは、町を訪れると何はともあれ、旧市街を目指す。そこに文化があるからです。ですから文化作りには古いものを尊重にする心がなにより大切だと、つくづく思いました。日本人も、変えよう、リセットしようとばかりしていると、将来には何も残らないことになりかねません。伝統に、伝統芸術に、敬意をもちたいと思います(画像は、リエージュ聖パウロ教会の礼拝堂)。


復活祭前のこととて、教会の祭壇画には、十字架降下、ピエタといった遺骸取り下ろしの画像が多数使われていました。オランダでも、ベルギーでもそうでした。遺骸の傷ついた足をいとおしむマグダラのマリアの姿などを見ていると、イエスの刑死がどれほどの悲嘆を周囲の人に呼び起こしたかに、思いを致さずにはいられません。

ああこれか、バッハの受難曲を貫いているものは、と思いました。こういう思いの深さから受難芸術は生まれている。ですから、受難にしっかり向き合わずしては、受難曲の感動は生まれないのです。それは洗礼を受けているかどうかの問題ではなく、想像力の問題、普遍的な宗教性の問題であると思われます。


私の鬼門フランクフルトも、中央広場のあたりはいいところです(汗)。


ヨーロッパ通信2014(15)/楽々と出国2014年04月28日 22時44分37秒

予約したホテルの名前は、なかなか覚えられないもの。直前にメールチェックをして確認するのが、いつものことでした。しかし18日(金)の場合、チェックするすべがありません。「駅前」に取ったはずだ、というのが唯一のヒントでした。

トランクをもって降り立ったユトレヒト駅。東口は長大な駅ビルになっていて、出たところに、簡易なホテルがいくつかあります。対して西口は、広々した再開発地域になっている。離れたところに、ホテルがぽつぽつ。順番に聞いていくつもりでしたが、幸い2軒目が、私の選択したホテルでした。

駅周辺はいたるところ工事中で、風の強い日だったせいか、寒々した印象。美しい街という印象は受けませんでした。一応、大聖堂とその塔の写真を掲載します。通信できないスマホの、最後のバッテリーで撮ったものです。



19日(土)。飛行機は14:40発ですが、もう観光のしようがありませんので、早々と空港に行きました。でも、空港に早く行くのはいいことですね。なにより安心。セキュリティ・チェックも、あっという間に済んでしまいました。手荷物がないのだから、当然です。でも楽ですよ!

早々と出国を済ませ、KLMのラウンジに行きました。はい、エコノミーの方は、入れてもらえないところです。厳重なチェックを要望します。

広々と静かなスペースが用意され、セルフサービスで、ハイネッケンのビールも、ワインもシャンパンも、自由に飲むことができる。飛行機で寝るためにはなるべく飲んでおこうという気持ちが働き、けっこう、たくさん飲んでしまいました。時間に合わせて動いたのでは、ここまで楽しむことはできません。次は、出発の時も、早く着きたいと思います。

買い物もしませんでしたから、行きよりもかなり少ない荷物で帰ってきました。成田でトランクを送れば、あとは手ぶらです。紛失したルーターは、案外高くつきました。まあ、いい勉強がです。帰った日本は、じつに清潔で美しいと思いました。

次は、旅行の総括をさせてください。

ヨーロッパ通信2014(14)/手ぶらと空腹2014年04月27日 09時09分17秒

事後処理をすませて、ホテルを出発。2時間ほどロスが生じました。手ぶらの旅行は、楽ですね。「珍道中」(N市のNさん)というには、気勢が上がりませんが・・。

円は鞄の中、ユーロは財布の中と分けていて、円の方が多かった。でもユーロも残りがありましたので、ケルンで、音楽と神学の文献を少し探そうと思いました。フランクフルトからケルンはICEで一駅。でも値段は高いです。ケルンでまず昼食、ビールでも飲んで頭を冷やそう、という計画を立てました。

ケルン着。国際列車は本数も少なく案外混んでいます。用意のいい私はまず指定券を確保しようと、自動販売機へ。次便は夕方になってしまいますが、文献探しにはちょうどいいか、と思いつつ、チケットを手にしました。

ところがよく見ると、発車は5分後。自動販売機の操作を間違えたようなのです。窓口で変更してもらう手もありましたが、もう行ってしまえという気になり、列車を探しました。停車中の列車は、今フランクフルトから乗ってきたICE。なんだ、停車中に切符を買い直しただけか。

ノドが渇き、眼が血走っていたかどうかわかりませんが、お腹は空いています。一等車では女性の車掌さんが食べ物を配っていましたので、ソーセージとビールを注文。腹が減っては、戦ができません。

しかし、待てど暮らせど来ないのですね。乗車が12時20分、オランダに入ってユトレヒト着が15:00でしたが、ついに配達がありませんでした。これって、怒っていいと思いません?

「泣き面に蜂」とか「水に落ちた犬は叩け」とかいう成句も浮かぶ状況でしたが、ケルンでの資料探しを割愛したのは、結局正解でした。ユトレヒトに着いたその足で、スキポール空港に行くゆとりが生まれたからです。

盗まれたバッグの中の最重要品目のひとつは航空券でしたが、これはパスポートで、無事再発行してもらうことができました。次いで、預けたままのトランクを出しに、コインロッカーへ。なにしろ前科があるのでコインロッカーにはいつも緊張しますが、これも無事に落掌。ようやくハイネッケン・ビールとサンドイッチで、昼食を摂りました。17:00近くです。

荷物と共に、再びユトレヒトへ。この日最後の懸念は、自分が泊まるホテルを探し当てられるかどうか、ということでした。言葉の問題ではありません。調べるすべがないのです。

ヨーロッパ通信2014(13)/「ツキの理論」が立証されました2014年04月24日 23時20分53秒

5泊の個人旅行に、私は機内持ち込み用のバッグをもって出発しました。必要なものをこれに詰め込み、その他の荷物はトランクに入れて、空港の大きなコインロッカーに預けたのです。観光のさいには、バッグを駅のコインロッカーへ。預かり証をなくさないよう、大いに神経を使いました。

18日(金)。早く準備が整ったので、チェックアウト。もちろんカードで支払うのですが、オランダやベルギーのホテルでは必要だったピンコードの操作が、ドイツでは必要ないのでびっくり(自動販売機で鉄道の切符を購入するさいも同様でした)。そのことでちょっとホテルマンとやりとりし、「さよなら」と言ってバッグを取ろうとしたら、バッグがないではありませんか。足の前、足とデスクの間に置いていたはずなのです。

そういえば素速い影が通り過ぎたように思い、庭に出てみましたが、誰もいません。これは盗難だ!ということになり、調べてもらうと、ホテルの監視カメラに、お客を装った男が近寄り、バッグを取って逃走する様子が、動画並みの解像度で写っているのです。まもなく、男女2人の警官がやってきました。

19歳の時に初めて渡欧してから半世紀近く経ちますが、盗難にあったのは初めて。油断がありました。手口があまりにも鮮やかだったためか、意外に腹は立ちません。すぐ感じたことは2つです。1つは、これでブログの読者にいいオチを提供できるな、という、奇妙な安堵感。もうひとつは、無事に帰れるだろうかという不安感でした。

警察の検証を待っている間、手荷物なしでどう行動できるか、考えました。不幸中の幸いは、3点あります。第1に、事件が旅行の終わり近くで起こったこと。第2に、言葉に不自由しないドイツで起こったこと。第3に、パスポートと、ユーロおよびカード類の入った財布が手元に残されたことです。スマホも残りましたが、ルーターと充電器がバッグの中なので、たいして役に立ちません。

こうして私の「ツキの理論」は立証されたわけですが、肝要なのは、ツカない時にどう切り抜けるかということです。手ぶらの私がその後どうしたかも、読んでくださいね。

ヨーロッパ通信2014(12)/旅行も大詰め2014年04月23日 23時04分33秒

図書館での調査が早く済んだため、金曜日が一日空きました。土曜日のお昼にアムステルダムにいるには、どう行動したら適切かを、いろいろ考えました。

できればハンブルクに泊まり、北ドイツを歩きたかったのですが、朝6時に出るようなスケジュールは危ないと判断。なるべく空港に近づいておこうと、ユトレヒト(オランダ)まで移動することにしました。これはまことに正しい判断であったことが、のちに判明します。高いなと思いつつ駅前のホテルを予約したことも、のちに重要な意味をもちました。そう決めましたので、金曜日は、本屋めぐりをして文献を買い集めることにしました。

旅行も、大詰めです。今回の私の旅行を、皆さんはどう受け止めておられるでしょうか。いただいたコメントを読みますと、2つの異なった見方があります。ひとつは、「CAの《ロ短調ミサ曲》で運を使い果たした教授が無事で済むわけはない。単独旅行になったら、かならず何かが起こる」とおっしゃる、Tさんの見方。もうひとつは、教授はツキの容量が大きく、旅行も無事完遂されるだろう、というKさんの見方です。

私はもちろんKさんの見方を実現するべく行動しているわけですが、私の人生訓を反映しているのは、Tさんの方です。なぜなら、「ツキの総量はどの人にも一定」というのが、雀聖・阿佐田哲也さんから学んだ、私の貴重な人生訓であるからです。

このどちらが正しいかを判定するのは、残る金曜日、ということになります。その金曜日に何があったか、あるいはなかったかは、次の更新でお話しします。