ヨーロッパ通信2014(11)/図書館にて2014年04月22日 23時28分43秒

フランクフルトのホテルは、アメリカ資本の、陽気な空間。お目当てのドイツ国立図書館と、同じ地下鉄(事実上トラム)の路線にあります。

図書館ではまず入館証を作ってもらい、資料を依頼。入館証の写真をお見せしようかと思いましたが、サインの公開は問題もありそうなので、やめておきます。使用料は、2日使える1日パスで、6ユーロです。

ドイツの図書館というと敷居が高いと思われるでしょうが(私にもそういう気持ちはありましたが)、じっさいには利用者本位に、親切に対応してもらえます。私の対象はDVDに所蔵されている文献なので、ネット検索のような手続きで閲覧することができました。読んだのは、バッハ時代のトーマス学校長で高名な神学者だったエルネスティに関する博士論文です。

一通り目を通し、私の期待したような内容はないことを確認しましたが、どんなことをこれから調べてゆくべきかのヒントは得ました。研究にはやはり、継続が大切です。

2日間かけるつもりが1日で済んでしまいました。夜はもうひとつ都市を稼ごうと思い、近距離列車で行けるダルムシュタットを訪れました。貧乏性のなせる業です。

ダルムシュタットは戦争で破壊され、旧市街をもたない都市。訪れたのは、現代音楽つながりというより、バッハの同時代人、グラウプナーの本拠地の空気を吸いたかったからでした。想像通り、見るところはあまりなく、関心は、レストランの物色に向かいます。ちょっと洒落たイタリアンがあったので、入ってみました。

ドイツにはたくさんのイタリア料理店がありますが、その経営には、辛いものがあると思えてなりません。経営者がイタリア人でも、ドイツ人の味覚に合わせた料理を出さなくてはならないからです。結果として私は、ドイツで食べたイタリア料理を、おいしいと思ったことがありません。入ったお店はいかにもイタリア風の雰囲気作りだったので、同情心をもちつつ、注文しました。嬉しかったのは、大好きなモンテプルチアーノの赤ワインが置かれていたことです。

注文を取りに来たのは、ドイツ語もおぼつかない、イタリア人のママさん。良さそうな人です。そこで生ハムとメロン、カラマリという定番の注文をしたところ、どちらもない、とのこと。そこでミネストローネを注文しました。すると、サラダはどうか、スパゲッティはどうか、と尋ねてきます。どうやら、このお客は払う、と思ったようなのですね。

なかなかおいしかったので、思いつくイタリア語で賛辞を連ね、支払いへ。当然チップを払うつもりでしたし、事実払ったのですが、10ユーロ札であるべきおつりに5ユーロ札を出してきたのにはびっくりしました。もちろん指摘し、あ、うっかりしました、ということにはなりましたが・・。

かつて学習したイタリア語会話の最初の方に、おつりを誤魔化すという章があったことを思い出しました。いいお店では、あったのですけれど。

ヨーロッパ通信2014(10)/ワロン地方を満喫2014年04月21日 23時52分24秒

4月16日(水)。ナミュールの朝は、快晴で明けました。ワロン地方を横断してドイツに入るのが、今日の予定。まず、ナミュール市街の南に聳える城塞に登ります。山登りの好きな私には、ぜひ訪れてみたいコースでした。

運動神経がまるでなく、身体を動かすことも怠りがちな私にとって、山登りをやっていたのは、とても大きなことでした。なにしろ今でも、上り下りがまったく苦にならないのです。高いところがあると上がってみたいメンタリティも、相変わらずです。

朝、人訪れもまれな自然公園を登ってゆきます。小鳥の声がたくさん聞こえますが、旋律性が豊かでびっくり。メシアンは、こういう鳥の声を聴いていたのですね。


「地球の歩き方」には、城塞には乗り物に乗らず、徒歩で登って欲しい、ナミュールの市街の展望は感動的だから、という投稿が載っていました。登ってゆく背中に、ナミュールの街があります。だから、登るごとに、後ろを振り返っていました。ところが、一番高い展望台に着くと、そこには砦の反対側の光景が広がっていたのです。ここもナミュールではあるのでしょうが、ムーズ河の本流に沿った地域。その向こうに、ワロン地方の豊かな自然がえんえんと。




今回の旅行で一番幸福を感じたのが、ここからの展望でした。しばらく尾根を歩き、疲れた頃小さな遊園地があったので入場料を払って入り、ハイネッケンのビールを一杯。再度強調しますが、ハイネッケンは日本で飲むより数段おいしく、すばらしいです。駅に戻り、ワロン地方の中心都市、リエージュへと向かいました。

ガイドブックでリエージュについて読み、どことなく惹かれたのが、訪問の理由。《展覧会の絵》のところじゃん、と思いましたが、気がつくと、あれはリモージュ(笑)。日本の観光客の、とても少ないところなのではないでしょうか。

でも、ここがすばらしかった。到着した駅の、とんでもなく現代的なホームには面食らいましたが(笑)。


旧市街の王宮周辺は、伝統と現代の混在する、活気にあふれたところです。女性も洗練されています。オペラ・ハウスの近くでカフェに入って昼食をしましたが、スカンピのオイル焼きのおいしさは抜群で、よく言われるベルギー料理の優秀さを実感しました。皆さん、ぜひリエージュをプランにお加えください。お薦めします。


リエージュから東へ国境を越えて、アーヘン(ドイツ)に入りました。列車待ちの時間に駅前でビールを飲んだら、女主人の怖い顔に仰天。私をにらみつけて、にこりともしません。「ダンケ」というと、噛みつくように「ビッテ」という。このあたりから、旅行が下降線に入ったようです。すぐ飛び出し、大急ぎで大聖堂を往復して、ケルン経由、フランクフルトに入りました。かつてコインロッカー事件の起こった、因縁の都会です(汗)。

ヨーロッパ通信2014(9)/フランデレンからワロンへ2014年04月18日 14時45分32秒

朝食後はたいてい、しばらくベッドに倒れています。消化器手術の後遺症のある私は、食後気分が悪くなることがしばしばなのです。乳製品たっぷりのオランダやフランス料理に近いベルギーは、危険大の地域。選んで食べているつもりの朝食がとくにそうなるのは、なぜなのでしょうか。

ヘントのベッドで目覚めた15日(火)も回復まで手間取り、出発の時間が遅れてしまいました。その日はベルギー縦断の強行日程を組んでいたため、なるべく早発ちしたかったのです。

昔の商館の立ち並ぶ河岸を歩いてフランドル伯居城に達したのが、ちょうど10時。そうしたら、待っていたように門が開くではありませんか。絶好のタイミングで入場、砦に登り、古都の眺望を楽しみました。これって、まさにツキの理論ですよね。


旧市街から駅に行くトラムに乗りました。しかし、経由は確認しておいたはずなのに、方角がどんどん駅から離れていきます。南に行かなくてはならないのに、北へ北へと行ってしまう。これはどうjしてもおかしいと思って、途中下車。しかし降りたところがどこか、わかりません。結局もとの線に乗りなおして事なきを得ましたが、こうしたこともヘントを知る一部だと思えば、楽しいものです。


その日は東のワロン地域に入って、ナミュールに泊まるよう決めていました。昼間ひとつ街を稼ぎたいと思い、西のブルージュに行くか、東のブリュッセルを順路で探索するか、迷いました。結局ブルージュにしたのは、ブリュッセルにはまた立ち寄れると思ったからです。

ブルージュは観光地的色彩が強く、人であふれていました。もちろん悪くはないが、ヘントの重量感には及ばない、というのが、私の感想です。ブリュッセルでは乗り継ぎの時間があったので、大広場と大聖堂を、大急ぎで観光。まだ明るい夜7時過ぎに、ナミュールに着きました。

ナミュールを選んだのは、最近ここの古楽アンサンブルが台頭しているので、どんなところか見ておきたかったからです。小さな街をさっと見て、8時半にホテルのレストランに入ったところ、もう食べ物は終わった、とのこと。どこかで食べられないか尋ねると、近くのレストランの名前を挙げ、そこも終わっていたらマクドナルドだ、と言うのですね(笑)。なんとか食事にありつき、翌日を楽しみに就寝しました。


ヨーロッパ通信2014(8)/ベルギーを歩く2014年04月17日 14時49分05秒

私は光栄「大航海時代」の、熱烈なプレーヤーでした。船を買って各国の港を周り、貿易をしたり、酒場に行ったりするのが大好き。世界の港の名前もずいぶんそれで覚え、地図の感覚も身につけることができました。

ですから、電脳空間でしばしば立ち寄ったアントヴェルペンの土を踏めたのは、嬉しさひとしお。内陸ですが、大きな川を、船が上ってくるのですね。美術館に行くと船の絵が多くあり、当時の帆船の精緻さに驚かされます。街は整然としていて、教会、とくに大聖堂に、抜きん出た印象がありました。外観は壮麗、中に入ればルーベンスの祭壇画というのですから、ドイツの教会はとてもかないません。ちなみに撮った写真は、デジカメの中に入っております。

ひと通り散策を終えて、ヘントへ。予約したホテルの情報がメールの中にあり、地図で場所を確認できません。仕方がないので駅からタクシーに乗り、旧市街にあるホテルに到着しました。

歩いてみてびっくり。市の中心部は、天を突くような聖堂、鐘楼、市庁舎が密集して偉容を競い、異次元の空間を作り出しているのです。ぜひ、写真を御覧ください。 

あれ、デジカメをなくしたんじゃなかったのか、ですって?確かになくしました。やむなく、スマホで撮ることにしたのです。今まで、スマホでは写真の撮り方がよくわからず、何より、ファイルをアウトプットする方法がわかりませんでした。でもやってみるとできるし、デジカメなしで済むという利点がある。解像度も、ネット用には十分です。なくして、かえって良かったのかもしれません--あれ、これって、ツキの理論そのものじゃありませんか。

ヨーロッパ通信2014(7)/一人旅始まる2014年04月16日 15時35分54秒

14日(月)、お昼前にツアーの方々と別れ、皆様(ほんの一部の方?)ご注目の個人旅行へと入りました。「ガイドブックを忘れて、どうやって旅行するの?」とご心配くださるあなた。ベネルクス三国をまとめたガイドブックを忘れたことに気がつく前、私は初めてのベルギーには情報が多いほうがいいと考えて、ベルギー・オンリーのガイドブックを成田で購入していました。しかしよく見ると女性用と謳ってあり、私には関心のない多くの記述の中から、関心のある情報を目を皿のようにして発見しなくてはならない。しかも記述の大半が、ブリュッセルに当てられています。

そんな話をしていたら、お仲間が、もう使いませんからどうぞ、と、「地球の歩き方」をプレゼントしてくれました。これは地方都市のこともじつに詳しく載っており、百人力です。

個人旅行の枠は、5泊。うち2泊は図書館での研究に当てますが、それをどこにするか。今回調べたい資料はヴォルフェンビュッテルではなく、ライプツィヒかフランクフルトの図書館にあります。ライプツィヒまで足を伸ばして、バッハゆかりの地への探訪を少しでも広げるか、ベネルクスから近いフランクフルトにするか。また、アムステルダムから直行して先に図書館へ行くか、後回しにするか。大いに迷いましたが、結局手近なベルギーを見て回り、近いフランクフルトで調べをすることにしました。ライプツィヒには、ゆっくり滞在する機会も別にあるように思ったからです。

とりあえず月曜日は、アントヴェルペンを観光してから、ヘントに泊まることにしました。宿の手配は、booking.comを使えば簡単。私は国内旅行でも国際旅行でも、いつもここで手配しています。ただ絶対の条件は、ネットがつながっていること。これが、個人旅行の生命線です。

なぜそれを強調するかと申しますと、私は、持参した貸しルーターの制限を超過して、接続を切られてしまったからなのです。メールや検索程度という認識で1日1200円のコースを契約したのですが、いざ着いてみるとそれでは足りない。この更新をするわけですし、折悪しく日本からゲラだのチラシだののチェック依頼が入って、結構な通信料に。一度警告が入り、それから控えましたが間に合わず、切られてしまいました。充電もできなくなっています。

ここから、教訓を得ました。ホテルに行ったら、有料であれ無料であれ、かならずWifiを利用すること。携帯用のルーターは、移動中のメールやマップの利用に制限すれば、快適に旅行できます。その場合も、2400円のビジネスコースを契約された方がいいと思います。ただ、切断という対応はややひっかかりますね。次の3つの対応が、技術的に可能になってほしいと思います。1.制限容量を超えると通じなくなる。2.自分で通信量を把握し、コントロールできる。3.たとえ超えても、返却時に精算できる。

え、今日は写真はないの、ですって?じつは、デジカメを紛失してしまったのです。なんとなく忍び寄る、不安の影です(汗)。

ヨーロッパ通信2014(6)/暗転・・・その後2014年04月15日 13時18分45秒

13日(日)、すなわち枝の主日は、今回の旅行にとって、もっとも大切な日でした。受難曲ツアーの締めくくりとして、18世紀オーケストラを巨匠ブリュッヘンが指揮する《ヨハネ受難曲》公演が、ロッテルダムのドゥーレン大ホールで開かれるからです。私はこの公演の存在を強調して、参加の呼びかけをしました。皆さんも気合を入れて、コンサートへの備えをなさったようです。

開演は、14時30分。会場に着いてみると、意外にお客様の姿がまばらで、事前の雰囲気が、盛り上がっていません。これって、長老のブリュッヘン様に失礼じゃないの。それとも、もう過去の人?などと思いながら、席に着きました。

プログラムを手に取り、歌い手を確認します。「18世紀オーケストラ」・・フム。「カペラ・アムステルダム」・・合唱団ね。フムフム。「指揮 ダニエル・ロイス」・・なに---っ!!!

何のために来たのか、という思い、お客様から苦情が出るのではないかという思い、ブログに何と書いたらよいのかという思いなどが、脳裏に飛び散りました。演奏は淡々と進行して、第1部が終了。ホールのサイズが大きく、向こうの方で演奏している感じで、コンセルトヘボウのリアリティには及ぶべくもありません。

休憩にはやはり、ワインやシャンパンが、フリードリンクとして提供されていました。あるお客様が、「この演奏なら飲んでもいいでしょう」とおっしゃるので、私もワインをご相伴。ただ、この演奏にはまだ伸びしろがあるような気がする。後半見違えるようによくなることもコンサートでは少なくないから、と申し上げておきました。

で、後半。心なしか引き締まった趣で、コラールがスタート。まもなく、長大な「虹のアリア」がテノール(ヤン・コボウ)にあります。ここのヴィオラ・ダモーレとチェロのトリオがものすごく美しく、私は突然、涙があふれてきました。

その涙は、演奏が終わるまで、止むことがありませんでした。飾り気のない演奏なのですが、しっかり、受難に向かっている。無駄なく、本質がおさえられているのです。進むうちにおのずと作り出されてきた内的な盛り上がりは、私には「バッハの降臨」としか受け止められませんでした。

アンデルス・ダーリンという若いエヴァンゲリストが良かったですね。細い声なのですが語りのすみずみに情感が通り、「ガバタ」「ゴルゴタ」「マリア・マグダレーナ」といった言葉が、潤いをもって立ち上がって来ます。私がとりわけ重要と見なすソプラノ・アリア《溶けて流れよ》では、アマリリス・ディールティエンスの歌と18世紀オーケストラのフルート、オーボエ・ダ・カッチャ、チェロが完璧に溶け合った響きを聴かせて、これこそ古楽の真髄。アルト(ロザンネ・ファン・サンドヴァイク)とガンバのペアもよく、カペラ・アムステルダムの合唱が、ロイスの的確な指揮のもと、最後の2曲を見事なバランスで歌い納めました。ロイスさん、ごめんなさい!

幸福この上ない気持ちで、皆さんとハイネッケン・ビールの乾杯。どうやら私の運気は再起動に成功し、ふたたび上昇しつつあるようです(汗)。


ヨーロッパ通信2014(5)/ハーグからロッテルダムへ2014年04月14日 15時13分14秒

12日(土)。4泊したアムステルダムを離れ、ロッテルダムへ。途中、デン・ハーグを観光しました。ここはアメリカで言えばワシントンにあたる都市のようで、清潔な、いい街です。まず、国会を見学。ものすごいセキュリティ・チェックを経て会議場を観ましたが、私には、あまり興味がもてません。しかし市立美術館はすばらしく、オランダ美術の威力を実感しました。17世紀は文句なしですが、16世紀もいいですね。

現地留学中のバロックj・ヴァイオリン奏者、迫間野百合(はざま・のゆり)さんが顔を出してくれました。迫間さんは昨年12月の須坂のコンサートにiBACHのメンバーとして参加されましたが、留学のため3月の立川公演には乗れませんでした。実力は折り紙つきで今後必ず活躍されると思うので、皆さん覚えてあげてください。


清楚な方に元気をいただいて、私の運気はますます上昇(汗)。目的地ロッテルダムは、日曜日に行われるマラソンの準備でにぎわっていました。私はまず海岸へ出てエラスムス橋を渡り、次にユーロマスト近くの公園に行ってみましたが、海港都市の雄大な景観と自然の美しさは格別。写真を5枚、お見せします。






この時点では、翌日曜日における運気の急変は、予想できませんでした(汗)。

ヨーロッパ通信2014(4)/金持ちケンカせず?2014年04月13日 15時35分50秒

コンセルトヘボウの音響効果は、どの席にも充実した響きがしっかり届いてくる、すばらしいものです。おまけに、2日連続の《マタイ受難曲》公演では、ビールもワインもシャンパンも、フリー・ドリンクとしてサービスされている。でもそこはがまんして、コーヒーをいただきました。写真は、コンセルトヘボウから眺める国立美術館です。


11日(金)の《マタイ》は、フィリップ・ヘレヴェッヘ指揮のコレギウム・ヴォカーレ、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団という注目の公演。旅行を企画した段階ですでにチケットは売り切れ、スタッフの努力で聴けるようになったという経緯がありました。

で、その公演がどうだったかということですが・・・。コレギウム・ヴォカーレの合唱はさすがに機動力があり、ソリストも、カウンターテナーのダミアン・ギヨンを筆頭に高レベル(他にキャロリン・サンプソン、ペーター・コーイなど、エヴァンゲリストはマクシミリアン・シュミットでイエスはトーマス・バウアー)。コンセルトヘボウ管は音色の明るい華やぎにモダン楽器らしさを感じさせるものの、バッハ演奏の要点を抑えて違和感がないのは、さすがです。

こうしてよりぬきの美しい響きが、心地よく前を過ぎていきます。でもなぜか、心に訴えて来ない。私の見るところ、理由は2つ。1つは、演奏の方向性が美しい音楽には向かっていても、受難とは、本当には向き合っていないようだ、ということ。もう1つは、金持ちケンカせずと言っては言い過ぎかもしれませんが、高い完成度に充足して、さらに上を求める真摯さが伝わってこない、ということ。ですからつい、「この演奏はもう知っているな」という感じになってしまうのです。

最後に。アムステルダム旧教会でうっかり踏みそうになった、スウェーリンクの墓石をご覧に入れます。99番という番号がついていました。




ヨーロッパ通信2014(3)/アルクマールの幸せ2014年04月12日 14時39分29秒

11日(金)は、アムステルダムからバスで北に小一時間走り、チーズの本場として知られるアルクマールを訪れました。金曜日でチーズ市が開かれていますが、私は乳製品アウトなので、それには興味がありません。写真は立派なチーズ計量館。 

アルクマールで楽しみだったのは、聖ローレンス教会のオルガン・コンサートを聴けることでした。ただし大小どちらのオルガンを使うかはわからない、とアナウンスされていました。できれば、大オルガンを聴きたい。なぜならこの楽器はフランツ・カスパル・シュニットガーの名器で、ヘルムート・ヴァルヒャを始めとする代々の名オルガニストが、コンサートに、録音に使ってきたものだからです。 

じつに堂々たる構えの大教会でした。中は意外にガランとしているのは、アムステルダムの旧教会と似ています。しかし折悪しく、改装工事が進行中。コンサートが行われる様子はなく、大小どちらがいいどころの話ではありません。私のツキもここまでか、と萎れた心境になりました。

ところが、捨てる神あれば拾う神あり。専属オルガニストであるフランク・ファン・ヴァイクさんが、小・大2つのオルガンについて自ら説明し、演奏もしてくださるというのですね。長身のとても友好的なファン・ヴァイクさん、サイドにある小さい方のオルガンから、熱を込めて説明を始められました。1511年に設置されたこの楽器はミーントーン調律だというので、まず、音階上の和音の不揃いを実験。次にスウェーリンクの作品を3曲。ペダル付きのプレリュードと、エコー・ファンタジー、そして《いと高き神にのみ栄光あれ》による変奏曲。小さなグループなのに全力投球で演奏してくださるお人柄に、まず感銘。 

次に大オルガンです。外見の美しさといい、たたずまいの壮麗さといい、堂々たるオルガン。ファン・ヴァイクさんは、この楽器との出会いがオルガニストになったきっかけであり、世界のシュニットガー・オルガンの中でも最高のもののひとつだと誇り高くおっしゃり、バッハの作品を演奏してくれることになりました。パルティータ《ようこそ、慈悲深きイエスよ》とヘ長調のプレリュードBWV540という、すごい選曲。父アルプのオルガンほどの冴えは感じませんが、ゴシック建築の空間に反響するパイプの音が地上にやわらかく降り注ぐ雰囲気は、コンサートホールでは味わえないもの。そのパワーを総動員して演奏されたヘ長調プレリュードでは、バッハのオルガン音楽の巨人的なスケールを、あらためて実感しました。

 本当に嬉しい体験でした。不肖私の運気はますます上昇しているように思えてならないのですが、いかがでしょう(汗)。

ヨーロッパ通信2014(2)/リチャード・エガー、息を呑む《マタイ》初稿2014年04月11日 13時54分30秒

市内観光や美術鑑賞の話はいずれ補うとして、コンサート・イン・コンセルトヘボウの話に参ります。


最初の鑑賞は、10日(木)の《マタイ受難曲》、リチャード・エガー指揮、エンシェント室内管に予定されていました。ところが到着後、9日(水)に同じコンセルトヘボウで、トン・コープマンとアムステルダム・バロックによる《マタイ》があると聞いて、耳を疑いました。それがわかっていたら旅行の価値は倍増し、お客様もずっと増えていただろうにと、天を仰ぎました。

ガイドさんの協力でなんとか若干のチケットを入手し、希望される方に配布。私は美術館で疲れていたこともあり、飲食組に回りました。コープマンの《マタイ》はDVDがあり、よく使ってもいますから、おそらく想定範囲とも思われました。


どうなるか想像もつかなかったのが、エガー指揮、エンシェントの《マタイ》。興味はもっていましたが、結果への確信はもてないまま、聴きに行きました。そうしたら、エガー氏いきなりのスピーチで、初稿の話をします。つまりその日は、初稿による演奏だったのです。《マタイ》の初稿は実演でも何度か聴いたことがありますが、良かったと思ったことがありません。

ところが。音楽が始まったとたん、エガーの克明な指揮のもと、緊張感ただならぬ音が押し寄せてきてびっくり。初稿が研究し尽くされていて、改訂稿の存在をなつかしむゆとりを、聴き手に与えないのです。

デンポはじつに速く、史上最速かもしれません。なによりコラールが速く、ドラマにがっちり組み込まれている。外側から悠長に入ってくるのとは大違いです。結果として、コラールの民衆性といったものは吹き飛んでいるのですが、そこが小休止にならないので、聖書場面の緊迫感が、一貫して持続される。これにこたえるエンシェントの合唱がたいしたもので、小さい役を分担した男声の声は、皆ソリスト並みです。

こうして「エガー劇場」と呼びたいような迫力満点の演奏が展開されました。これに貢献したのが、エヴァンゲリストのジェームズ・ギルクリスト。美声を完璧にコントロールし、正確そのものの発音で、言葉を、センテンスを、会場のすみずみに語りかけるように歌う。私は日頃から「エヴァンゲリストの歌唱は閉じられたものであってはならず、ドラマに開かれていなくてはならない」と言っているのですが、まさにそれが実現されています。知りませんでしたね、こんなにすごい歌手だったとは。エヴァンゲリストとしては、パドモアと双璧でしょう。アリアを歌うテノールのトマス・ホッブスも際立った美声・感性の持ち主で、これから出てくること間違いなしです。

イエスはマシュー・ローズという歌手で、ありあまる声をもつバス・バリトン。その雷のようなVox Christiは《ヨハネ》ではともかく《マタイ》では疑問にも思いましたが、エヴァンゲリストとの声の対比が狙いのうちにあるとすれば、それはみごとに達成されていました。惜しむらくは、女声2人のソロが内容希薄に思われたこと。テンポについていくので精一杯だったのかもしれません。バスはモルトマンでした。

というわけで、この上なくエキサイティングかつクリエイティヴな《マタイ》。イギリス勢を代表して来演しただけのことはあります。それで気づいたのですが、もしコープマンのコンサートの存在を事前に把握していたら、どうだったでしょうか。3日連続を避けて、エガーをパスしたかもしれないと思うのです。結果オーライ、二重丸だったということは、私のツキはまだ持続しているようです(コメントの方々、おあいにくさまです)。