ロ短調学会(9)2008年01月11日 11時51分24秒

ラウンド・テーブル「《ロ短調ミサ曲》は続き行く B-minor Mass in continuum」は、ヤン・スマツニ氏の司会で進行。イギリス、チェコ、ロシア、アメリカにおける受容史が紹介され、私にバトンがまわってきました。24番目、最後のペーパーです。動悸は早鐘のように打ち、目は血走り--となりそうですが、案外平静。出番が最後というのは気が休まらない反面、場に慣れることができ、英語も、かなりわかるようになっていたからです。人事は尽くした、という思いもありました。

司会者から日本の会長だの、著作がどうだのという紹介を受けるに到っては、開き直って、堂々とやるのみです。ペーパーは。4部構成。「日本における《ロ短調ミサ曲》の初演」(昭和6年における日本初演のいきさつ、実際、評価など)、「〈クルツィフィクスス〉の部分初演」(明治23年〔!〕に東京音楽学校の行った演奏をめぐって)、「バッハ受容のさ中で」(紹介記事や作品論をバッハ受容史とからめて概観する章)、「普遍性をめぐる視点」(「普遍性」という視点がどのように形成されたか、またそれが日本人の同曲受容にどのような意味をもつかを論じた章)の順序で、映像なども使いながら、話を進めました。

出来映え、反響は人様の判断すべきことですが、自分としては納得し、満足しています。私の錯覚でなければ、聴き手の方々に、少なからぬ関心と敬意を喚起できたと思います。質疑応答ではさすがに英語が破綻してしまいましたが、今の実力では、それは仕方のないこと。夕食後、達成感にひたりつつ、クロージング・コンサートを聴きました。教会で、John Butt指揮、The Dunedin Consort and Players(小編成のピリオド楽器アンサンブル)による全曲演奏を聴いたのですが、はじけるような生気にあふれていてすばらしく、元気をもらいました。

ふたたび大学へ戻り、富田さん以下スタッフの心づくしを受けて、打ち上げパーティ。われわれ日本人組は途中でホテルに引き上げ、絶品のギネスを飲みながら、さまざまなことを語り合いました。途中鈴木さんも加わり、大いに盛り上がった一夜でした。

コメント

_ とみた ― 2008年01月13日 23時00分22秒

今回の国際バッハシンポジウムでは、14カ国から約70名が参加してくださいましたが、そのうちの5人が日本人であったというのは特筆すべきことだと思います。(ちなみに、2年ごとに開催される国際バロック音楽学会では2004年の3人が過去最高でした。) 日本でのバッハ熱の強さですね。今回、I教授には、発表の他にも、展示物に日本初演のパンフレットや、日本語の初版譜をお貸しいただき、大変お世話になりました。深く感謝しております。

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