迷惑メール ― 2008年03月15日 14時07分49秒
G-Mailの受信メールに、メインメーラー(Shuriken)には見あたらない重要メールがあることに不審を抱き、コメントでのご提案に従って、プロバイダのフィルタを停止してみました。
プロバイダでも、自動削除前にチェックすることを推奨しています。しかしプロバイダの会員サポートのページに入ってから処理しなくてはならず、面倒なので(しかも少し前まではとても重かったので)、最近はチェックをしなくなっていました。
かつてチェックしたとき、リフキン先生のメールを見つけたなあ、リュデーンさん(ソプラノ歌手)のもあったなあ、などと思ってはっとしたのは、私に来る欧文メールの多くが、ドイツ語であることです。プロバイダのフィルタは、英語以外のものも、ちゃんと精密に処理しているのでしょうか。シンポジウムの連絡が全然来ず、えっ、届いていなかったんですか、ということもありました。う~ん、急にこわくなってきました。
数日を経て、わかったこと。G-Mailerのみに入るメールは、やはり存在します(該当のものは、Yahoo-Mailで発信されていました)。なぜでしょうね。フィルタを停止して以来、迷惑メールは直接メーラーに、大群をなして押し寄せてきます。刻々と、休みなしに訪れて、どうやら、1日300通。アドレスを公開していますので、仕方がありません。
いつのまにか習慣化している、携帯電話での削除。それがぐっとたいへんになりました。しかし出勤時のノルマとして、これがやめられないのです。発泡スチロールのプチプチをつぶすのと同じような快感を感じているのかもしれません。でも、「エッチなあなたへ!」などというタイトルにはムッとしますね。お前に言われたかねえよ、ということで。
1日5回の《シャコンヌ》 ― 2008年03月16日 22時07分38秒
相模大野グリーンホールのレクチャーコンサート・シリーズ「バッハの宇宙」のために企画した「シャコンヌの祭典」が、3月12日(水)、無事終わりました。バロック・ヴァイオリンによるパルティータ第2番(演奏:川原千真)の全曲のあとに、チェンバロ編曲、メンデルスゾーン編曲(ピアノ伴奏付き)、ギター編曲、4つのヴィオラ編曲と並べましたので、お客様は《シャコンヌ》を計5回聴かれたわけです。聴くにつれ作品の深さに引き込まれた、となればいいが、悪くするとステージごとにお客様が減っていったり、もう《シャコンヌ》は一生聴きたくない、という感想をいただいたりしかねません。企画の問われるコンサートでした。
私がコンサートの成果を判断したり、個々の演奏を批評したりするわけにはいきませんので、当事者としての感想を、簡単に書かせていただきます。私はリハーサルからずっと付き合っていましたから、この日だけで10回は聴きました。もちろん、理解とともに輝きが強まりこそすれ、聴き飽きることはありませんでした(きっぱり)。この作品の内蔵する世界が、途方もなく大きいからです。
大塚直哉さんがチェンバロで演奏したステージでは、《シャコンヌ》に隠された和声がすべて析出されて壮観。平澤仁さんがあえてロマンティックに熱演したメンデルスゾーン版では、原曲との差異が、いやが上にも感じられました。巨匠・福田進一さんの貫禄のギター演奏が効果的な転換となり、最後の野平一郎編曲にたどり着きました。
4つのヴィオラ(演奏者は坂口弦太郎、丸山奏、岡さおり、青木篤子)の重奏というのはどんな響きか、ご想像になれますか。中声ばかり集めてどう処理するんだろう、と思っていたのですが、この響きが、あたかも桃源郷のようにすばらしい。やわからく厚みがあり、別世界のような甘美さで、聴き手を包み込みます。しかも《シャコンヌ》のテクスチャーは4本にみごとに振り分けられ、作品の構造を、よく聴き取ることができる。野平さんの手腕は、本当にたいしたものです。野平編曲の《シャコンヌ》はこの編曲とより現代的な編曲の2つがあるのですが、やがて第3編曲が発表されて、三部作となるそうです。
若いカルテットを縦横に指導し、きりっとしたアンサンブルを作り上げる坂口さんの姿は、若き日のギドン・クレーメルを見るよう。この演奏が締めとなって、私としても会心のコンサートが完成しました。演奏者の方々、どうもありがとうございました。
ドイツ料理 ― 2008年03月17日 23時10分57秒
ホームページをやっていた頃は、何人もの「店子」が、共同経営者として参加していました。そのうちの古株で、「押し入れ」のハンドルネームで愛されたNさんが上京。仲間たちと飲みに行きました。Nさんは大学の専任講師になられ、店子の中でも出世頭です。おめでとう。
お店は、有楽町のガード下にある、「レネップ」というドイツ料理店。加藤昌則さんに教えていただきました。飲み物も食べ物も本格的なドイツ仕込みで、よくある「ドイツ風料理」とは違います。Weissbierは白、黒(というのも変だが)と揃っており、ビール好きの方には、ぜひお薦めです。
かくいう私、40年にわたるビール党から、足を洗いました。目下、ワインにシフト中。それも、ドイツ・ワインから、イタリアなど、ラテン系のワインに好みが移ってきています。でもこのお店なら、ドイツ党に逆戻りです。ドイツきっての品質で、日本ではなかなかお目にかからないフランケンのワインが、このお店には並んでいるからです。お客様でいっぱい。私が通っても大丈夫とお見受けしました。
ウムラウトはどう打つ? ― 2008年03月18日 22時16分45秒
どんどん高機能化するアプリケーション・ソフト。皆さん、正しく使っていますか?
私はワープロやメールソフト上で、ドイツ語をよく使います。このことのために、どのぐらい面倒な思いをしたか、わかりません。
以前は、ウムラウトを入力するときにはLatinaLadyというオンラインソフトを立ち上げ、あとからフォントの整合を行っていました。最近はATOKの「独語半角」というモードに入って、無変換キーを押しながらウムラウトを打つ。案外むずかしい技術です。メーラー(Shuriken)ではその前に、フォントを変更する必要がある。書式→言語→欧米→西欧→ISO-8859-1とたどって固定し、かな漢字変換を切り、「独語半角モード」に入って、ようやくウムラウトを打つことが可能になります。たとえ1字しか該当語がなくても、そうする必要がある。こうした操作を繰り返しながら何年も、たくさんドイツ語を打ってきました。
感心しているあなた。甘いですよ。なんでそんなバカなことをしているんだ、とおっしゃるあなた。ごもっともです(敬礼)。
今日初めて気がつきました。コントロールパネルの「地域と言語のオプション」からドイツ語のキーボードをインストールすれば、言語バーをクリックするだけで、ドイツ語←→日本語を簡単に行き来できるのですね。知らなかったなあ。
とても便利な、グーグル・デスクトップ・サーチ。私もよく使います。でも、あれ、たしか書いたはずなのにどうしたんだろう、と思うことが、ときどきありました。
その理由に、今日初めて気がつきました。グーグル・デスクトップは、一太郎ファイルを検索しないのです。私の研究ファイルは、最近のは大半が一太郎。な~んだ、検索していなかったのか。
ネットを調べたら、検索が可能になる便利なツールがあることがわかりました。これをインストールし(DOSの知識を動員して奮闘)、これからインデックスの再作成をするところです。
〔付記〕一太郎ファイルを検索できるようになりました!G-Mailを導入したため、グーグル・デスクトップがこれを検索してくれるのも、大きな要素です。便利、便利。
BWV106に画期的な新説登場 ― 2008年03月20日 22時37分29秒
カンタータ第106番《神の時は最良の時》は、多くのバッハ・ファンが、愛してやまない曲。私も昨年相模大野で、マニアックな「徹底研究」コンサートを開きました。その成立事情に関するマルクス・ラタイの画期的な新説が、『バッハ年鑑Bach-Jahrbuch 2006』に発表されました。
「アクトゥス・トラギクス」(哀悼の式)と副題されるこのカンタータが、何らかの葬儀に演奏されたことは確実です。でもそれが誰の葬儀かについては、いくつかの薄弱な仮説があるのみでした。ラタイはそれを、ミュールハウゼンの市長、アードルフ・シュトレッカーAdolph Streckerの葬儀であるとします。シュトレッカーは1708年9月13日に84歳で亡くなり、16日に埋葬されました。同年2月14日に初演された市参事会員交代式用カンタータ《神は私の王》BWV71には80歳の老人への言及がありますが、それはこのシュトレッカーを念頭に置いたものだと、すでにメラメドが指摘しています。
シュトレッカーはとりわけ信仰深い人で、BWV106の出典となっているオレアーリウスの著作や神学思想に親しんだ世代に属していました。彼はかなり長い闘病の期間に、ルターの教えによりつつ死に備えることを学び、現世の苦しみと神の栄光の永遠を対比して、そのテーマによる追悼説教を望んでいたそうです。
追悼説教を行ったのはフローネ牧師(バッハの上司)で、そのタイトルは「時(Zeit)と永遠における真のキリスト者たちの救い」というものでした。これは、「神の時」という台本の冒頭(出所不明)と響き合っていますし、フローネの説教全体も、カンタータの思想と響き合っていると、ラタイは指摘します。1708年9月というとバッハはもうワイマールに移っていましたが、ミュールハウゼンとの音楽的かかわりは続いていましたので、不都合はありません。今後、通説化されるに違いない卓見だと思います。
迷惑メール後日談 ― 2008年03月22日 09時49分30秒
私はASAHII-netのアドレスにいただくメールをG-Mailに転送し、二重管理しています。それによって一定のメールがトラブルを免れた次第は、先日ご報告しました。そのさい、メインのメーラーに入らず、G-Mailの方にのみ入るメールがあって不思議だ、皆様も注意されたし、ということを言いましたよね。それに対するコメントもいただきました。この件の事情が判明しましたので、謹んでご報告します。たいへん説得力のある説明になります(きっぱり)。
対象となるのはひとりの学生さんでしたので、私はこういう事情だから「返信」を使わず、もう一度アドレスを打ち直して送って欲しい、とお願いしました。するとその方曰く、「私はG-Mailのアドレスに送っていました」とのこと。あれ、誰も知らないと思ったんだがなあ。それなら当然です(汗)。
ASAHI-netのフィルターを切って以来襲来している迷惑メールの数は、日ごとに増加しているように思われます。観察していてわかったのは、いくつかの同一メールが、ルートを変えて、さかんに入ってくること。これはもう付き合いきれないので、フィルターを復活させることにしました。
談話室のトラックバックにも、怪しげなものが届くようになりました。削除しても定期的に同じものが届くので、機械的に送信しているように思われます。公開後削除という設定を公開前削除に改めましたが、作業が面倒。トラックバックを廃止したい気持ちになってきています。もともとリンク代わりに使おうと思い、そういう使い方もしていただいているので、廃止もしにくいのですが・・・。こういう便利なシステムが、結局乗っ取られてしまうわけですね。
芸術への敬意 ― 2008年03月24日 23時07分01秒
3月12日、16日と、ヴィオラ奏者坂口弦太郎さん(N響)の出演が続きました。16日(日)のプログラムはシューマンの《アダージョとアレグロ》、日本の歌3曲、シューマンの2つの歌曲 op.91、そしてシューベルトの《アルペッジョーネ・ソナタ》でしたが、この方ならではの心にしみる音色と歌心にあふれたカンタービレを楽しみました。ヴィオラって、いいですねえ。
最近しばしば述べている「音楽には神様がいる」というテーゼに確信を抱くのは、こういう音楽に立ち会った時です。立川駅から離れた小さな公民館(地域学習館)の、体育館同然の講堂。ごくごくわずかな予算。ふらりと寄られた、地域のお客様たち。こうした条件にもかかわらず、坂口さんや、ベルリン在住のピアニスト元井美幸さん、アルト歌手の北條加奈さんがベストを尽くしたコンサートとやってくださるのは、やはり、音楽の神様に尊敬を捧げているからではないでしょうか。ありがたいことです。
芸術への敬意は、演奏家にとって、必ず必要なものです。そうしたものに欠ける人は、ヴィルトゥオーゾにはなれても、芸術家にはなれないと思う。研究にとっても同じことで、対象に対する尊敬がなければ、何のための研究かと思います。芸術に関する素朴な敬意は、どの分野でもいま、なくなりつつあるように思えてなりません。そうしたものを愚直に育てられないものか、と思案する昨今です。
声楽のCD3枚 ― 2008年03月25日 22時22分23秒
今月、新聞で選んだCDです。
まず、サントリーの《フィガロ》のスザンナ役として来日したダニエル・ドゥ・ニースの、ヘンデル・アリア集(デッカ)。燃えるように魅力的な舞台を《ジュリアス・シーザー》のDVD(クレオパトラ役)を見て驚き、すごい新人があらわれたと思っていましたので、サントリーがよく取ったものだと、感心していました。このアリア集も、コロラトゥーラの切れ味としい、爆発的な高揚感といい、たいしたもの。ものに臆するということが、そもそもない人に見えます。なんと、インタビューとギャラリーの入ったDVDがついている。頭もずいぶん良さそうですから、向こう20年は君臨するでしょう。オーケストラは、クリスティ指揮のレザール・フロリサン。
室内合唱の好きな私にうれしかったのが、ザ・シックスティーンの歌う2枚のCD(UCJ)。ロシア正教の音楽を集めた「イコン」も相当ですが、新聞には、「聖母マリアのための音楽」を採り上げました。ジョスカン、ブルックナー、フォーレらのアヴェ・マリアやサルヴェ・レジーナが高い透明度と心地よいリズム感で歌われ、至上の快感に包まれます。
同じ室内合唱の路線で、ヘンゲルブロック指揮、バルタザール・ノイマン合唱団、アンサンブルのパーセルのアンセム、葬送音楽、バッハの初期カンタータ、J.L.バッハのモテットを集めた1枚(DHM)も、楽しめました。温かさの中から、言葉がふっくりと浮かんでくるのです。第131番《深き淵より》の、久々の名演奏だと思いました。
他にも、マーラーの交響曲やリベラ・クラシカのシリーズなどいいものがあったのですが、私の持ち場である古楽の声楽にこだわった形です。
散髪はくつろいで ― 2008年03月26日 23時35分21秒
私が通っているのにつぶれないお店のご紹介です。
散髪にお金などかけたくない、というあなたとは、ここでお別れ。腕のいい人が丁寧にやってくれるお店でゆっくしたい、というあなたは、日本橋の「イガラシ」に行きましょう。
このお店、以前は京橋にありました。今の場所は、日本橋室町3-3-5、室三ビル1F(電話03-3275-3488)。三越から神田の方に少し歩き、右の路地を見ると、サインポールが回っているのが見えるはずです。ただし、料金は掲げてありません。こっそりお教えすると、6300円です。でも、その価値は十分にあると思います。
マスターの趣味は、豪快な海釣り。年賀状は、巨大な魚を釣り上げた写真と一緒に届きました。秋田産の奥さんとその妹さんがお手伝いしておられます。父親の代からの営業なので顔が広く、社長さんだの、会長さんだのが、毛の分量を問わずやってくる。無名なのは、サポセンこと齋藤正穂君ぐらいです。でも、ブログを見たあなたを歓迎してくださるそうです。ちなみに定休日は、日曜祝日と第2土曜日です。
バッハの信仰(1) ― 2008年03月28日 23時27分54秒
私の尊敬する神学者で、図書館長の先任者でもあった小田垣雅也先生の新著を読み、大いに感じるところがあったので談話に書きたい、と思っていました。
ところが、肝心の本がここしばらく見つからない。仕方がないので、署名だけでも正確に、と思い、検索してみると、先生の主宰しておられる「みずき教会」のホームページがあるのですね。そこに毎週の説教が、文章化されてアップされていることがわかりました。判明した正式の著作名は、『友あり--二重性の神学をめぐって』というものです。
同時に気づいて驚いたのは、私がメールでお送りした感想についてのコメントが、説教の中で言及されていたことです。すっかり先を越されていたわけですが、大事なことなので、こちらでも書かせていただきます。ちなみに私の談話とかかわる説教は、「信と不信」「Kさんから贈られたイースター・エッグ」の2つです。検索は、「みずき教会」でなさってください。
小田垣先生は、人生においてキリスト教信仰を深めてきた方です。そうした方が、自分の信仰には、信じられないこともたくさん含まれている、不信の要素を切り捨てることのできないのが自分の信仰だ、とおっしゃるのです。信と不信の共存、両者のダイナミズムの中に、生きた信仰の形がある、とも。
私はこの率直な述懐を読んで、電気が走るような思いをしました。なぜならこれは、私が最近「バッハのやわらかな信仰」という言葉で述べ、十分説明できていなかったことと同じことを述べている、と思ったからです。(続く)
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