力強さは音量に依存せず ― 2008年05月18日 23時26分10秒
皆様は、ベートーヴェンの交響曲を、ピアノ・トリオ版で聴きたいと思いますか。たいていの方は、ノーとおっしゃるでしょう。ダイナミックな迫力が肝心ですからね。そのトリオが、ピリオド楽器だったら?ますます敬遠しますよね。音が、さらに小さくなりますから。
ところが。
今月のCD選のために「浜松市楽器博物館コレクションシリーズ14」(LMCD1858)と題する1枚を聴いて、度肝を抜かれてしまいました。冒頭に交響曲第2番が入っているのですが、その力強く迫力に満ちていること、また盛り上がりの白熱していること、オーケストラと比べてまったく遜色がない。いや、たいていの演奏を凌駕しています。音楽の本質的な力は、人数や音量によらない、ということがよくわかりました。カップリングのピアノ協奏曲第4番も鮮やかです。
小倉喜久子(ワルターのフォルテピアノ使用)、桐山建志、花崎薫のお三方に、心から敬意を表します。皆さんもぜひお聴きください。
虫が知らせる? ― 2008年05月21日 23時17分47秒
皆さんにも経験がおありのことだと思いますが、何か意味があるのでしょうか。
今朝、かなりゆっくり寝た感じで、はっきり目が覚めました。そうしたら、いろいろな心配事が、頭を去来し始めた。長いこと会っていない親族はどうしているだろうか、というようなことも考えました。いつにないことなので、「虫が知らせる」という言葉を思い出し、不安になりました。
ところが、時計を見ると、まだ4時なのです。3時間足らずしか、寝ていない。しかし頭が完全に冴えてしまったので起き出し、メールをたくさん書いて、仕事の処理などをしました。本欄をお読みの方にも、私からの早朝メールが届いた方がいらっしゃることでしょう。朝食後布団に入ったら、案外ゆっくり寝ることができ、夜のコンサートに差し支えずに済みました。
今のところ、何も変わったことはありません。でもよく、そういえばあの時胸が痛くなった、といった話を聞きますよね。何らかの根拠があることなのでしょうか。後日検証できればと思います。
ピアノがこんな風に響くとは! ― 2008年05月22日 22時32分45秒
昨日(21日)紀尾井ホールで、別府アルゲリッチ音楽祭の東京公演を聴きました。アルゲリッチの他、樫本大進、ミッシャ・マイスキー、ネルソン・ゲルナー、川本嘉子といった一流どころが出演し、この音楽祭が10年間積み重ねたものの大きさを実感させる、すばらしいコンサートになりました。
その全体については毎日新聞をお読みいただくとして(来週の月曜か火曜に掲載)、ここでは一点だけ、アルゲリッチのピアノの音色について書きたいと思います。
マイスキーとのグリーグのソナタにおけるアルゲリッチのピアノの音色は、私がこれまで聴いたことのないものでした。弦楽器とピアノのデュオというと、両者の原理的な違いが大きいために、別のものが合わせている、という感じになります。ところが、アルゲリッチの響きはまったく弦楽器そのもののようで、チェロと心地よく一体となり、ふくよかに、味わい深く響くのです。この音色は、アンサンブルをいつくしむ心の究極の産物のように、私には思われました。
アンサンブルの妙味にここまで深入りすれば、もうソロには興味が薄れるのかもしれません。ソロを弾いてくれなくて残念だ、などと言っていては、彼女についていけないのですね、きっと。アルゲリッチの姿には、神々しさが備わってきました。音楽の神様の域に、もう相当近づいているようです。
個人情報 ― 2008年05月24日 23時59分01秒
今日は、朝日カルチャーセンター横浜校の年度初め。カルチャーで一番長くやっているのがここで、今年度は「バロックの名曲を聴く」シリーズの後半です。
開講にあたり、じつに久しぶりの、受講生自己紹介をしました。やってよかったと痛感。多少の人間的触れ合いがなくては、こうした講座の意義も半減するからです。昔は結構密な接触もあったなあ、と思って気づいたのは、昔いつも渡していただいていた受講生名簿を、ここ数年は手にしていないことでした。個人情報を大切にする流れの一環なのでしょう。
音楽之友社の「音楽手帳」には音楽関係者の連絡先がずらりと載っていましたね。最初に載ったときにうれしかったのを覚えています。あれも、最近見ませんよね。職場の名簿も廃止され、連絡を取るのが不自由です。いまだに紳士録の調査が新聞社等から来ますが、これは弊害もありますから、レスポンスしていません。
便利が大事か、悪用を防ぐことが先か。ブログなるものも、個人情報に関しては微妙な位置にあります。今日も、家族のことを書こうかと思い、いや待て、と思い直して、こういうテーマにしている次第です。
住所は個人情報、電話番号も個人情報、ということになると、書類や郵便が捨てられない。みなさん、どうしておられるのでしょう。全部シュレッダー、というわけにもいかないし。
こういう時代ですから、OS君も張り切って保護に協力してくれています。ノートパソコンでデスクトップのフォルダを1階層下に移そうと思ったら、許可されていない、の一点張り。やれやれ、研究しなきゃ。
星 ― 2008年05月26日 23時44分50秒
今日のニュースで、火星の北極の貴重な映像が配信されていました。それなのに、さして感銘を抱かない自分に驚きます。なぜなら、小学校の頃私は天文少年で、望遠鏡を組み立て、宇宙への夢をふくらませていたからです。年をとったのでしょうか、それとも、今もう宇宙に夢を抱く人は少ないのでしょうか。
やはり、宇宙がどういうところか、科学が教えてくれたことが大きいと思う。宇宙旅行の小説に、わくわく感をもてなくなりました。もうひとつは、星を見る経験をさっぱりもてないことです。長いこと、星らしい星を見ていません。やはり星を見る経験が、人間のロマンを育てるのではないでしょうか。ワーグナーの《タンホイザー》第3幕の〈夕星の歌〉など、星を見てはるかに思いをはせる経験がなければ湧いてこない音楽だと思います。
小学校5・6年生の頃、松本の郊外から見た夜空は、ものすごいばかりの星の数でした。彗星が長大な尾で天を掃いていた光景も覚えていますが、やや暗めの星でしたから、今なら話題にならないかもしれません。最近は自然の中に泊まっても、灯火が闇を邪魔していて、星が見えないことがよくあります。昔は良かったな、と思うことのひとつです。
新合唱団立ち上げ! ― 2008年05月27日 22時35分26秒
新しい合唱団ができました。「名前はまだない」状態です。
《平均律》研究の項でご紹介した、国立音楽大学音楽研究所バッハ演奏研究プロジェクトの「声楽作品研究」部門の活動です。私はリフキンのソロ編成方式の長所を強く感じ、大阪で「バッハ・コンチェルティーノ」というグループを立ち上げていたのですが、今回は教育目的に鑑み、バッハの理想(?)に即した1パート4人の合唱を構想しました。教員でコンチェルティーノ(ソロ・グループ)を組み、若い人たちが補佐グループ(リピエーノ)で支えるという形のアンサンブルです。
外部にも門戸を開けるといいのですが、とりあえず最初は内輪で、基礎作りに徹することにしました。とはいえ、大学院修士課程の新カリキュラムに位置づけられ、博士課程の学生も4人加わりましたので、現状からすれば、強力な顔ぶれです。通奏低音を大塚直哉さんが担当。指揮者には藤井宏樹さんをお招きしました。
今日は、若いメンバーを中心に声出しをしました。私の大好きな《ヨハネ受難曲》のコラールやシュッツのモテットが眼前で音になり、思わず興奮。皆様にお聴きいただく日が楽しみです。お披露目のコンサートは、10月9日、立川アミューを予定しています。
コンチェルトの演奏法 ― 2008年05月28日 23時37分24秒
古典的なコンチェルトの場合ですが、今の演奏は、ソリスト中心になりすぎているのではないかと思っています。
古典的なコンチェルトでは、ソリストがなかなか出てきません。たいてい、管弦楽が長々と演奏しています。これは序奏、あるいは導入、というイメージで受け取られていると思いますが、それでいいのでしょうか。
ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンなど古典派の交響曲では、第1楽章はソナタ形式で書かれています。ソナタ形式の提示部は、楽譜では反復されるように指定されている。ソナタ形式がバロックの舞曲にある二部形式から発展したためで、楽曲のコンセプトを強く印象づける、という狙いもあります。そんなとき、提示部の1回目は、気合いをいれて演奏しますよね。「顔」のような部分ですから、当然です。
さて、古典的な協奏曲の場合、第1楽章はいわゆる「協奏風ソナタ形式」で書かれていて、反復にあたる部分で、ソロが入ります。管弦楽による提示部を、ソロを交えて豊かに発展させるわけです。
私は、管弦楽による提示部が交響曲なみに充実して演奏されることが、ソロの入りに対するよき前提になると思います。ところが現実には、ソロを引き立てることを目的に、控えめに、軽く演奏される場合が多い。これでは、協奏風ソナタ形式の面白さは生かされない、と思うわけです。
モーツァルトのヴァイオリン協奏曲では、ヴァイオリンが管弦楽の第1ヴァイオリンを、つねにいっしょに演奏しています(楽譜通りの場合)。要するにソロは管弦楽を率いていて、ソロが入ってくると、「その他」がソロと向かい合うわけです。ピアノ協奏曲でも、ソロは通奏低音のような形で、管弦楽の提示部に参加しています。腕をぶして待っているわけではありません。この精神は、失ってはならないのではないでしょうか。
ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲では、ソロはずっと休んで、管弦楽の提示部が終わったところで入ってきます(アインガング)。しかしそれ以前のコンチェルトでは、ソリストは管弦楽と一緒に演奏するのが本当であると思います。「弾き振り」は、それでこそ生きてくるのです。
クイズです ― 2008年05月30日 21時11分39秒
クイズ番組、テレビで多いですね。私など、商売柄万一出演して答えられなかったらみっともない、と思いますが、まるっきりできなければそれも愛嬌で、スターになれるようです。では、私から問題をひとつ。
日本橋三越で買い物をしていたら、雨が降ってきました。傘のないあなたは、なるべく地下道を歩いて、東京駅まで行きたいと思います。あなたは目的地までの間に、何度地上に出なくてはならないでしょうか。
昨日、実地に体験したことです。正解は、明日。
正解 ― 2008年05月31日 23時57分55秒
バーバー「イガラシ」を出て三越前の地下道に入ったとき、このまま地下で東京駅まで行けるのではないか、と思いました。ところが、地下道はすぐ行き止まりで、地上に出ます。出て納得。日本橋の深いところを、川が流れていたのです。日本橋を越え、再び地下道に入りましたが、それも地下鉄日本橋駅を過ぎると終わり、しばらく地上歩行と相成りました。したがって、正解は「2回」です。
たのもーさん、あなた、ね(→コメント参照)。問題をよく読んでください。私は「傘のないあなたは、なるべく地下道を歩いて、東京駅まで行きたいと思います」と設問しているのであって、「地下鉄に乗れば地上に出なくても済む」というのは、その答になるでしょうか。
私は採点も職業のひとつなので、問題の意図と外れた答は、零点です。そこで問題になるのは、この問題文に徒歩が前提とされているか否か、ということです。私は前提とされているので零点、だと思いますが、野次馬の皆様のご意見は、いかがでしょう。案外、盲点を突いた名答、という評価がなされるでしょうか。
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