楽しいシャコンヌ2010年02月15日 23時04分29秒

バレンタインデーと重なった14日の日曜日から、「すざかバッハの会」の新シリーズが始まりました。私流の、クラシック音楽入門篇です。

第1回は、「音楽の原点、変奏曲」と題しました。これは、変奏曲そのものを研究しようというより、変奏曲のもとにある変奏の原理が音楽にとっていかに重要であることを説明するために選ばれたテーマで、変奏のさらにもとにある「反復」の考察から入りました。

バッハの縛りがなくなったので、名演奏を、縦横に使うことができます。予定した素材のうち、あけてみたら別のCDが入っていたのが1つ(スウェーリンク)、使うべきCDを自分のプレーヤーから取り出し忘れてしまったものが、1つ(ブクステフーデ)。それでも、ビーバー、カヴァッリ、ベートーヴェン、シューベルト、ブルックナー、ライヒ、ラヴェルの実例を使うことができました。

どの実例がよかったかを尋ねてみますと、意外に多かったのが、カヴァッリのオペラ《カリスト》。「シャコンヌはバロック・オペラのフィナーレによく使われた」というテーゼの実例のために選んだ素材です。

ヤーコプス指揮、コンチェルト・ヴォカーレの映像が、すばらしいのです。第1幕のフィナーレでは、熊が踊る。第3幕のフィナーレでは、ニンフのカリストが熊になって星空に上げられ、「おおぐま座」となる。この部分が、どちらもシャコンヌになっています。ヤーコプスは低音を思い切り強調し、上声部を装飾的に扱うスタイルで生き生きと演奏しています。

若干理屈っぽい分析になりましたので、お客様を置いていっていないか、前半では心配でした。しかし、持って行った『救済の音楽』がすぐに売り切れたというので、安心。「よく売れて1割」というのが斯界の常識ですから、15%の数を持参した高い本がすぐに売れたというのは、面白く思っていただいた証拠だと解釈しました。須坂の皆様、ありがとうございました。

『エヴァンゲリスト』校訂第一段階終わる2010年02月16日 23時34分56秒

今日は久しぶりに、自宅にいられる日。『魂のエヴァンゲリスト』の改訂に精を出し、補章の「20世紀におけるバッハ演奏の4段階」に取り組みました。といっても、20世紀に関しては以前に書いたことがだいたい通るので、「21世紀に入って」という項目を付け加えるのが中心でした。

一応一通りチェックを終えましたが、結果として、85年の本と、大幅に異なったものとなりました。古い革袋に新しい酒を盛った、というところでしょうか。編集者の方と、書名を変更するかどうか相談しましたが、「魂のエヴァンゲリスト」を知り、文庫化を楽しみにしていてくださる方も多いという判断から、このままでいくことにしました。

とはいえ、以前はまずかったなあ、というところもたくさんあります。私のバッハの本でいちばん読まれているのは講談社現代新書の『J.S.バッハ』ですが、これも1990年なので、古くなっている。今回、新しい研究を取り入れた一般書が出せるのはとてもうれしいことです。

国立音大音楽研究所のホームページを、やっと更新しました。更新したのは、去年演奏したモテットの研究ですが、これは研究年報への準備としてやっています。よろしくお願いします。http://www9.ocn.ne.jp/~bach/

放送収録2010年02月17日 23時57分07秒

今日はNHKで、番組を2本収録。何の番組かと言いますと・・・今日解禁になったので公表しますが、この4月から、「バロックの森」を担当することになったのです。

じつはここ数年、私の弟子とその仲間たちが担当していて、意欲的にやっていました。ですから、弟子から仕事を取るような感じもあり、躊躇したのですが、再編成へのNHKの意向がはっきりしていたので、お受けすることにしました。関根敏子さん、今谷和徳さん、大塚直哉さんといっしょにやります。

入りは、「6時になりました!おはようございます」というのが定番だそうで、謹んで継承しました。第1回は3月29日の月曜日です。この日は、《暁の星》のコラールを使った曲を集めてみました。シャイト、プレトーリウス、ブクステフーデ、クーナウ、バッハです。クーナウのカンタータも、なかなかいいですね。30日の火曜日は、バッハのオルガン・トリオを特集します。トリオ・ソナタをギエルミで2曲(←すばらしい)、シュープラー・コラール集をロジェで。2人の若いディレクターの方が丁寧なサポートをしてくださるので、安心して仕事ができます。

夜は東京文化会館で、二期会公演の《オテロ》を鑑賞。福井敬さん渾身のタイトルロールで、第4幕は涙なしに見られませんでした。曲が良すぎます。

思考力を育てたい2010年02月18日 23時37分33秒

週刊誌で読む藤原正彦さんのエッセイがすばらしいので、単行本を買いました。『数学者の休憩時間』という、新潮文庫です。共感しつつ読み進めていますが、しばしば説かれているのが、論理的思考力の大切さです。

たしかに、これは大切。論文を書くような学生にはとりわけ大切で、今の受験教育、客観テストの教育では、育てることがむずかしいものです。では、どうやって育てたらいいでしょうか。

思考力は、自分で考えることを積み重ねなければ、育ちません。つまり、教師は学生に、自分で考えさせなくてはならない。考えさせ、待ち、議論し、修正するのが理想。これは、教えすぎてはいけない、ということを意味します。

ところが、同業者と話してみると、学生が考えなくて済むように手伝ってあげるのが親切、と考える方が、案外よくおられるのですね。たとえば、いまは十分な思考力をもたない子が大学に入ってくるから、手引きを十分に与えて、それを見ながらできるように、と考える方がおられて、驚いてしまいます。もちろん学生からしてみれば、親切な、いい先生です。しかし私は、この点に関しては、自分の考えを貫いていきたいと思います。

などといいながら、つい手伝ってしまうこともある、現実。先日ある学生が、訳詞を見て欲しい、と言ってきました。力のある学生だったので、ここを再考しろ、というメモを何カ所かにつけて送り返したところ、今日、見事に直った改訂稿が送られてきて、感心。嬉しい出来事でした。

息子が父親を2010年02月19日 23時15分30秒

藤原正彦さんの本には、お父さんの話がしょっちゅう出てきます。絶大な尊敬をこめて語られている。書きぶりから有名な人のようであり、誰だろうと思っていました。そうしたら、新田次郎さんなんですね。新田さんの息子さんとは知りませんでした。

それにしても、息子が父親をこんなに尊敬できるものなのかと、感心してしまいます。私は父を批判的に見ることが多く、男の子はすべからくそういうものかと思っていたからです。いずれにしても、父親が尊敬される家庭というのは理想であり、なかなか実現困難なのかな、と思ったりします。

昨日は紀尾井ホールで、東京室内歌劇場の公演を見てきました。モーツァルトの《偽の女庭師》です。詳細は新聞に書きますので控えますが、よく勉強された、とてもいい公演でした。こういう公演をこそ、応援したいと思います。

やっとわかった《フーガの技法》2010年02月20日 11時07分46秒

この2月ほど充実した時期がいつあったか、思い出せません。仕事に連日集中できていて、体内に盛り上がるものがあります。言い換えれば妙にハイテンションです。年齢が年齢ですから、いつまで続くものか、不安を感じます。

今日の「たのくら」では、心身とも充実、という、絶好調宣言をしてしまいました。今日のテーマは、「やっとわかった、《フーガの技法》」。本当に、突然、《フーガの技法》が大好きになってきてしまったのですね。いままで、バッハ研究家を名乗りながら《フーガの技法》が理解できず、お恥ずかしい次第でした。

ベルリン古楽アカデミーのDVD、すばらしいです。ピリオド楽器でやると、やっぱり全然違いますね。抽象的にならず、生きた実践として、それぞれのフーガが響いてきます。ケラー四重奏団の演奏では4声部の並行としかきこえないところが、彼らがやると、縒り合わせた響きとして聞こえるのですね。弦楽器、管楽器、鍵盤楽器の使い分けと協力も変化に富んでおり、単調に陥っていません。

バッハが探究した数学的秩序が音楽の上に目に見えるように感じられると、《フーガの技法》の価値観は最大になると思います。不肖私、それがやっと、見えてくるようになったのです。そう聴くと最後の三重フーガは、総毛立つような思いにとらわれます。バッハの筆が途中で途絶え、主題が復帰して四重フーガになる壮大な幕切れが書かれなかったのは、なんと残念なことでしょうか。

この終曲だけは、オルガンで聴くのが最上だと、私は思います。ヴァルヒャとアランを比べてみましたが、断然ヴァルヒャがすばらしい。しかしサットマリーが録音したフーガの補完稿もいいですね。死による「中断」より、補筆でもいいから「四重」を聴きたいと、思うようになりました。

死を思う日2010年02月21日 22時23分18秒

目下、勤め先の入学試験が進行中です。今日は全学的な学科の日で、朝から試験監督。昔は、1年でいちばんいやな日のひとつでした。緊張はするし、時間は経たないし。でも今は、まあ人数が減ったためもありますが、ずいぶん楽な気持ちでできるようになりました。歳を取ってよかったことのひとつがこうしたことで、人間関係も、すごく楽になっています。まあ、人間関係からくるストレスの量が職場で一定であるとすれば、私が楽になった分、どなたかに回っているのかもしれないのですが・・・。

試験監督はやることがありませんから、5分経過するのがたいへん。1日で、一番長い日です。それでも、ちゃんと過ぎ去る。人生が長くても、必ず死ぬ日が来るのと同じです。かくして学科の試験日は、毎年、死を思う日となっております。

DVDの仕事を続けていますが、今日、本当にすばらしいものと出会いました。アーノンクール指揮、フリム演出、チューリヒ歌劇場のベートーヴェン《フィデリオ》です。

私は《フィデリオ》という作品がこれまでどうしても好きになれませんでした。しかしこの《フィデリオ》は、別の曲のように聞こえます。ルーティンの澱をすっかり洗い流して、新鮮で清潔な演奏が展開されているのです。加えて、耳と目が完璧に融合している。歌劇場でこんなクリエイティヴな仕事ができるとは、驚くばかりです。生まれて初めて、《フィデリオ》に心から感動しました。カミラ・ニルンド(レオノーレ)、すばらしいですね。

大失言2010年02月24日 22時41分27秒

疲れてしまいました(笑)。ハイ・テンションでたくさん仕事をしてきましたが、どうやら限界です。今日はそのためか、大失言。

朝から、入学試験の判定会議をやっていました。今年は推薦の段階から音楽学の受験者が多く、なぜだろう、と首をひねっていたのです。もちろん、受験者減の折から、たいへん嬉しい現象です。そのことを報告する際、「ろうそくが消える前の輝き」というたとえを使ったのですが、これって、とんでもない不吉な比喩ですよね。

私としては、このたとえと、「どんな悪いことが起こるかわからないと心配しています」という言葉とが頭に浮かび、てんびんにかけた末、後者はいかにも、と思って前者にしたのです。背景にはもちろんツキの理論があるのですが、それは、皆さんご存じありません。大失言、ごめんなさい。

会議のあと学生を6人指導し、編集者にDVDの原稿を渡して、帰宅しました。いまオリンピックの映像を見ていますが、カーリングはがんばりましたね。対ドイツ戦を見て、日本女性の美しさを再認識しました。ドイツって、ほんとうにああなんです(内緒)。ともあれ、力一杯投げる競技が多い中で、静かに、力を抜いてショットするカーリングの良さが、少しずつ感じられてきました。目黒さん、やめないでね!

〔付記〕キム・ヨナの完成度の高さはすばらしいですね。たいしたものです。

楽しい飲み会2010年02月25日 23時09分26秒

「一寸先は闇」という言葉があります。この言葉を思い出さざるを得ないのが、トヨタのリコール問題。不景気の中で一人勝ちを謳歌していた優良企業がこうなってしまうのですから、世の中はわかりません。民主党政権しかり。広い意味ではこれも、ツキの理論の立証かもしれませんね。

話は飛びますが、飲み会は楽しいですね(飛びすぎ)。月曜日は、「ドイツ語つながり」という会。職場でドイツ留学経験をもつ方々が集まり、親睦を深める、という趣旨の会です。私ははじめて全面参加しましたが、思い出話も多く、盛り上がりました。「ドイツで一番好きなところはどこか」という話題を振り、みなさん思いの丈を語られました。私は、断然ベルヒテスガーデンです。湖と山と修道院のある、すばらしい保養地です。

火曜日は、脳や心理を専門とする東大教授、慶大教授と食事会(スペイン料理)。どちらも大のつく音楽好きの方で、楽しい談話に、時間の経つのを忘れました。私、楽しく飲むことには自信があります。いろいろな方とご一緒したいと思いつつ、時間の制約から、そうできないのが残念です。

プレッシャー2010年02月26日 23時09分19秒

朝から、ドクターコースの入試。受験生には申し訳ないと思いつつ、空き時間に、ワンセグでフィギュア・スケートを見ました。やっぱりワンセグでは真価がわからず、帰ってから録画で見直しましたが、キム・ヨナのすばらしさに感嘆。優雅にして流麗、これ以上ありうるのか、というところまでいっていますね。トシのせいか、涙なくしては見られません。真央ちゃんも、この相手では仕方がないでしょう。ここまで来ると、日本人、外国人は関係ありません。

さかんに言われる、プレッシャー。2人とも、国民的期待を19歳の双肩に担うわけなので、気の毒と言えば、気の毒です。でも、それこそ、本当の晴れ舞台なんですよ。期待を担い、気合いが高まるほど力が出てくる、というのが本当なのです。そこで輝けるかどうかが、将来を分けます。

これは観念で言っているのではなく、自分のささやかな経験や、周囲の芸術家たちを見ていて思うことです。ですから、リスクを忌避する人に、将来はありません。

そんな気持ちで、明日の試験に臨んでみたいと思います。あ、審査員ですが(笑)。