赤ちゃん時代2010年03月14日 23時54分46秒



これ、家に来たばかりの、赤ちゃん陸の写真です。先日ご紹介したものと比べて、どうでしょう。子犬の方がかわいい、という先入観をくつがえすのではないでしょうか。なお、先日「雑種」と紹介しましたが、いまは「ミックス犬」といって、立派なジャンルなんだそうですね。

「陳麻飯」のチェーン、復活しましたね。いったん閉鎖された前の店舗で、営業を再開しています。どうなっているんでしょう。やっぱりおいしいので、ときどき行きたいと思います。私は、お店がつぶれるとそのたびに、自分に落ち度があったのではないかと反省し、気が休まりません。でも先日、あのお店がつぶれた、このお店がもうないと、まったく自分に関係づけずに話しておられる方を見て、こういう人もいるのかと、感心。皆様はいかがでしょうか。

今日は、ご案内していた博士研究コンサートの、第1日でした。声楽、ピアノ、作曲と、皆さん持ち場で全力投球し、長いコンサートになりました。それぞれ良かったので個別の論評は控えますが、ひとつだけ、賛辞を。藤川志保さんのピアノでシュトラウスの op.10と op.27を歌われた高橋織子さん、類まれな気品に熟した味わいを添えて、感動的なステージでした。《献呈》に始まり、《万霊節》をはさんで《明日の朝》で終わるという美しきシュトラウスの世界を、満喫させていただきました。

結果との向き合い方2010年03月18日 23時34分41秒

しばらく更新の余裕がありませんでした。風邪をひきかかっていましたが、瀬戸際で回避できたようです。

17日、『魂のエヴァンゲリスト』の再校を返し、あとは索引のチェックをするのみとなりました。初校と再校の間でかなりまた充実させましたので、新しい情報をかなりよく取り入れた本になったと思います。手頃な文庫サイズで新しいバッハの本はないと思うので、完成を楽しみにしてます。4月12日発売です。

博士研究コンサート第2日、および大学院修了生による「新人演奏会」が終わりました。会心の出来になった人、体調不良に悩まされた人、運良く出演できた人、惜しくも出演を逃した人などさまざまですが、やっぱり広く妥当するのは、私のツキの理論です。上記のうち、たとえば「惜しくも出演を逃した人」は、ツキがたくさん残っているので、これから必ず、いいことがあります。思うような演奏ができなかった人も、うまくいけばそのままになってしまう問題点としっかり向き合えるわけなので、大きなチャンスをもらったとも、解釈できます。私としても、この人はこういう形で指導していこう、こういうところで力をつけさせようと、考えながら聴いているわけです。結果と一番上手に向き合う人が、一番大きなものを得るのだと思います。

賛辞若干。「バッハ パルティータ第6番~C.P.E.バッハのソナタ~ベートーヴェンの第30番」というホ短調=ホ長調プログラムで第2日のトリを取った和田紘平君(ピアノ)。目先の音を一生懸命弾くピアニストはたくさんいますが、この人の演奏は、つねに全体を見渡している。さすがシェンカーの研究家で、若くして大局観が磨かれているのです。脱帽ものの、格調高い演奏でした。

《新・山手線のうた-固有名によるエチュード第1番》を作曲された、中辻小百合さん。山と並べられた打楽器を奏者が叩き回るという光景は現代曲のコンサートでよく見るものですが、みんな同じように思える、ということはないでしょうか。違うんだとわかりました。才能のある人が書くと、美しく響くものですね。たいしたものです。

より熟した博士研究コンサートに比べて、新人演奏会には若い活力があふれていました。原田佳菜子さんのセンスのいい優雅なフルートが、とくに印象に残っています。

卒業式2010年03月19日 23時22分58秒

19日(金)は卒業式。湯川亜也子さんの博士号授与も併せて行われ、感慨のある式となりました。女性が9割ですから、その華やかさは、皆さん、想像されますよね。今年は洋服が皆無に近く、多数派が袴。しかし着物も、とても多かったです。不景気なのに意外に思いましたが、景気とは関係がないのでしょうかね。

しかし、知らない人が着飾っていても、それほど関心はありません。やはり、密接に指導した学生たちの最後の晴れ着姿を見たいわけです。具体的には、修士2年の声楽科14名がその対象。オペラ科9名は論文指導、歌曲科5名は、iBACHコレギウムでかかわった人たちです。

このもっとも華麗な集団は、ステージ向かって右側の一番前に布陣しています。しかるに私の席(来賓席)は左側と正対する角度になっており、該当集団を見るためには、体を左に120度ぐらいねじらないとなりません。まあ60度ぐらいなら適当に盗み見ることができますが、90度以上となるといかにも不審な行動になってしまいますので、あきらめました。「ついてないな」とも思いましたが、今月はいいこともたくさんあるので、このぐらいは許容範囲です。

夜は、お膝元の音楽学の学生たちとのお別れ会。二次会では、草食系のおとなしい男子たちを肉食系(?)の女子たちが盛大にいびる(いじる?)展開となり、いっしょになって楽しんでしまいました。これが、社会の現実です。皆さん、さようなら。

拝金主義2010年03月21日 22時35分50秒

今日は、バッハの誕生日でした。コンサートがさぞ多かったと思いますが、今年は、自宅休養とさせていただきました。将棋NHK杯の決勝戦、開幕したパ・リーグ、同じく選抜甲子園、民主党の内紛など、テレビで見るものには事欠かない1日で、少し、ゆっくりしてしまいました。

しばらく前の新聞で、最近の日本語には敬語が過多になる傾向がある、と書いてありました。たしかにそう思いますが、考えてみれば、これは不思議な現象です。なぜなら、昔の発達した敬語体系が少しずつ簡略化されてきたのが近年の歴史であったと思うからで、女性の会話とか、手紙の時候の挨拶とか、昔はずっと入り組んだ言葉の使い方をしていたんじゃないかと思います。

そうした流れが逆流し始めたというのですから、面白い。典型は、鳩山首相も得意とする、「させていただく」言葉でしょう。たとえば会議で司会者が、「始めさせていただきます」と言う。私が冒頭で、「休養させていただきました」と書く。ごく一般化しているので、疑問を感じながらも、ついこう使ってしまいます。

でも、これ以上の敬語の過剰、いわゆる「馬鹿丁寧」というのは、よろず合理化された現代生活には似合わないのではないでしょうか。私は、礼儀も好きですが、単刀直入な会話がそれ以上に好きなので(=時間が節約できる)、お愛想や丁寧語で会話のかなりが支配されることは好みません。そもそも私は、年少の人に敬語を使うことが、少ない方です。学生には、ほとんど使いません。昔職場のトップだった方で、すべての人に絶対に敬語を外さない方がおられましたが、あまり丁寧な人とは、親密になりにくいものです。

でも、正しく使われていれば、いいのです。きわめて丁寧で、しかも誤用されているのは、気持ちが悪い。比較的よくあるのが、事柄本位の会話で「そうですか」と返答すべきところを、「そうでいらっしゃいますか」と返す場合。また最近進出してきたのが、「存じません」というべきところを、「存じ上げていません」と返す場合です。「政治とカネ」がらみの会話で、お金の授受に対して「存じ上げていない」という言葉を使われると、拝金主義とはこのことか、と思わざるを得ません。複数の方が使っておられました。

敬語の使いどころ2010年03月22日 23時31分55秒

後輩や学生には敬語を使わない、と申しましたが、ぞんざいな印象を受けられたでしょうか。高校・大学と、上下関係がきちんとした環境で育ってきたので、私にはそれが自然。年長の方に丁重に接せられたりすると、逆に違和感があります。

でも私、内輪以外のところでは、必ず敬語を使っているのですよ。ていねいに、感じよく、をモットーにしています。まあいつもそう受け取ってもらえているわけではないでしょうが、そのようにして、けっして損はないと感じます。

そういう原則を立てている自分からすると、敬語を使わない人に対して違和感を覚えることがよくあります。次のような場合です。買い物や食事のとき、店員に対して。病院で、看護婦さんに対して。窓口で、係員に対して。雑用をしてくれている職員に対して。マッサージをしてくれている指圧師さんに対して、等々。オレは客だ、というスタンスで威張っている人って、案外いるものですね。

ネットの投書も、敬語であるべきではないでしょうか。私がときどき見ている趣味関連の掲示板には、敬語なしで書き込む人が何人かおり、どうも偉そうで、感じが良くありません。そんなところで威張ってどうするんだと、ここでも感じます。

リスクヘッジかどうか存じ上げておりませんが(←誤用)、若者の敬語にも、一定の効用はあるのかもしれませんね。

一品料理2010年03月23日 11時14分43秒

今日はいずみホールの記者懇談会と企画打ち合わせで、大阪に日帰りしました。このパターンはよくあるのですが、昼食が、車内になります。東京駅はお弁当の種類が豊富なので、選ぶのが楽しみ。最近、牛肉系とお寿司系(鯖寿司など)に二極化するようになってきていることに気づきました。今日は、米沢の牛肉でした。

要するに、幕の内系に手が出ないのです。駅弁の過半数は、幕の内系ですけど。これは居酒屋などでも同じで、たくさんあるのをつまみ食いするより、一品料理を好みます。育ちのせいですね。

夜は、大阪の法善寺横町(!)で、お好み焼きを食べました。お好み焼きも、拡大された一品料理のようなものだと思いますが、違うでしょうか。ミナミの雰囲気が横溢する店内もよく、おいしくいただきました。9月に開催する歌謡曲企画を、この分野に精通した十川支配人といっしょに作っています。ご期待ください。

レベルアップ2010年03月24日 23時12分12秒

どんどん支店を増やしていた「陳麻家」が一斉に閉店したこと、それがいつの間にか再開され、同じ場所で何事もなかったかのように営業していることは、申し上げましたよね。あの辛味がやみつきになった私は、今日のお昼に、再び出かけてみました。立川駅の北口から風俗街を国立方向に少し歩いたところにある「揚州商人」(←大好き)の裏側に、お店があります。

そうしたら、店の前にトラックが停まっている。あれ、休みかな、と思って回り込んでみると、なんとなんと、お店を取り壊している最中なのです。この唐突ななりゆきは、なんなのでしょうか。きっと訳ありなんでしょうが・・・。

責任感の強い私は、この出来事も、自分に結びつけてしまいます。「私が通う店は潰れる」という周知のジンクスは、これまでは、お店の営業に関することでした。ところがどうやら、それはお店の建物に関するジンクスにまで、レベルアップしたようなのです。

われながらいやになりますが、まあ、飲食の領域で良かった。私が研究指導すると学位が取れないとか、試験に落ちるとかいう専門領域のジンクスになったらたいへんです。そうか、悪いツキを、飲食の領域で使っていたんですね。

お店の人「それじゃ、私たちはとばっちりですか?」(怒) 
私「これは失礼しました」\(__ )

ギエルミさん2010年03月25日 11時23分32秒

今日は外の仕事がなかったので、3日分がんばろうと思っていたのですが、1日分ぐらいでくたびれてしまいました。だめですね、翌日回しです。

今日やった仕事は、「バロックの森」の第2回担当分。一週間の選曲を固め、月曜日、火曜日の下書きをしました。月曜日がパッヘルベルの特集、火曜日がヨハン・ヨーゼフ・フックスの特集です。

水曜日に予定したのは、ロレンツォ・ギエルミがソロと指揮をとった、ヘンデルのオルガン協奏曲 op.4でした。ご本人からいただいていたCDを使うのですが、この演奏が、すばらしい。雄大、パワフルな演奏をするオルガニストは多くとも、清潔ですっきりした、古楽的なオルガンを弾く人は、ほかにそういません。こういうCDを紹介していくことも、「バロックの森」の大事な仕事かな、と思っています。

そういうタイミングでしたので、驚きました。ギエルミさんから、メールが入ったのです。《フーガの技法》を録音したので、CDを送る、住所を教えて、というメール。いやじつはいまヘンデルのコンチェルトを聴いていたんだ、と返したことは、いうまでもありません。こうしたお付き合いも、いずみホールのオルガン・シリーズがあればこそ。最高のオルガニストを送ってくださっているクリストフ・ヴォルフ先生には、足を向けて寝られません。昔は難解に思っていたオルガンが、本当に面白いと思える昨今です。

眠れない夜2010年03月27日 03時02分35秒

皆さん、夜は、すぐ眠れますか?私は、仕事を終え、飲酒してから寝るという習慣なので、機嫌良くバタンキュー、というのがたいていです。このことは、飲まないと眠れない、眠るために飲む、というのと紙一重ですから、飲めなくなったときの夜が、恐ろしくもあります。

ところが、飲んでいるのに、眠れなくなってしまったのですね。昨日のギエルミ氏の話も、一応11時となっていますが、夜中の3時に、起き出して書きました。今日も同様。ふとんの中でぱっちりと目が覚めてしまい、いろいろなことを思い返して、気持ちが休まらないのです。

いまたいへんスケジュールが過密で、緊張している、というのもあると思います。でもそれはしばしばあったことなので、十分な説明ではありません。疲れているから早く寝ようと思って早い時間から飲み、ふとんに入って目がぱっちり、というのでは、不能率もいいところ。明日が思いやられます。え、あなたの目はぱっちりというにはふさわしくない目だ、とおっしゃるんですか?おっしゃる通り。もののたとえということにしてください。

しかし思ったことは、こういう夜を過ごしておられる方は、じつはたくさんいらっしゃるんじゃないか、ということです。重病で入院していたときに、夜がひじょうに恐ろしく、かつ長かったことを思い出します。

サックスの「ハモり」にしびれる2010年03月28日 11時20分30秒

演奏会の良さって、技術やレベルでは計れないものですね。やっぱり、気持ちです。そのことを、土曜日の「錦まつりコンサート」で、再確認しました。

題して、「サクソフォンって、おもしろい!」。出演したのは、下地啓二さんと、その門下の方々。4年生が抜けたばかりの下級生主体で、どれだけのことができるものか、不安に思わないでもありませんでした。ところが、3グループに分けて編成されたクワルテットがことごとく、見事な「ハモり」。同族楽器のグループでこれほど豊かにハモるのは、サックス以外には考えられません。予算が少ないというのに、みんなよく準備してあり、変化に富むプログラムに、全力投球しているのです。

ワン・フロアで身近に楽しむことで、私としては企画に参加することで初めてわかる、サクソフォンの面白さでした。学生たちのこの一体感は、先生の力量とお人柄によるもの。下地さんは後半のミヨー《スカラムーシュ》でソロをされ、最後のグリーグ《ホルベアの時代から》を指揮されましたが、《スカラムーシュ》の第2楽章の円熟した音色美は心の琴線に触れるもので、涙なしには聴けませんでした。じつにすばらしいコンサートだったというのが、応援してくれた「たのくら」の方々とともにした実感です。