宮崎から鈴鹿へ2012年07月25日 02時00分35秒

前話に写真を公開しましたのでご覧ください。コンサート終了後は、打ち上げ。印象的だったのは、大薗家の方々の名望とまとまり、支える周囲の方々の温かさでした。ご親族には、国音卒の声楽家もいらっしゃいます。お父様の音頭で市内まで繰り出すことになり、恩師の一人、篠井寧子先生とご一緒にお伴しました。4歳のお嬢さんも最後まで元気いっぱいでしたが、将来、どうなられますやら。

翌日(土曜)はそのツケが回り、疲労困憊。早朝の飛行機に乗っての宮崎→名古屋中部空港→名古屋→白子(鈴鹿)の移動はヘロヘロでした。会場となった鈴鹿国際大学に向かう間に気づいたのですが、鈴鹿市には「磯山」という地域があるのですね。磯山4丁目、磯山2丁目、という感じで。語源は何なのでしょうか。

準備もあわただしく、13:00から講演開始。しかし、研究者の私でも最近やっとわかるようになった《ロ短調ミサ曲》について、一般の短大生に話すことは適切でなかったと反省しています。ご承知の通り、背景からテキストから成立事情から、たいへん複雑な作品だからです。学生さんにはその意味で申し訳なかったですが、合唱団から聴きに来てくださった方が何人かあったのはありがたかったです。

終了後、学長の佐治晴夫先生、お世話いただいた十津守宏さんと、あなご料理で会食。佐治先生は高名な物理学者ですが、音楽にも専門的な素養をお持ちで、音楽、宇宙、時間、存在といった事柄について、突っ込んだ識見を披露してくださいます。理系の大先生は交友範囲にいませんので、一言も聞き漏らすまいと耳を澄ますのが、毎度のこと。3冊も本をいただいて来ましたので、そのうち読書コーナーで紹介しましす。疲れましたが、実りある2日間でした。