ドイツ旅行記--総括2012年07月02日 23時34分01秒

さて、総括です。

行って、本当に良かったと思う。その理由の第一は、ライプツィヒのバッハ祭で祝辞という大役を仰せつかり、それを無事にこなすことができた、ということです。鈴木さんの栄誉にはもちろん及びもつきませんが、研究者としてはとても光栄な仕事で、この人生にいい思い出ができた、という気持ちがしています。

第二の理由は、別世界のような緊張感のある10日間を過ごせた、ということです。新しいことが次々に起こり、1日を、本当に長く感じる毎日。夜10時まで明るいという条件下で昼が長く、時間を有効に使えました。体感、3倍の密度でしょうか。定年以来、時間の使い方がどこかで緩んでいましたので、それを引き締めのるに十分な、旅行の期間でした。コンサート、見学、再会などの出来事は、すべてその内容です。

第三の理由は、いつになく身体を動かせたこと。毎日相当に歩き、急いだり走ったりもしましたので、日頃不足している運動を、かなりすることができた。上記の緊張感があればこそでしょう。

帰国すると、すべてはリセットされ、日常に戻ります。さしたる成果もないまま、毎日が急ぎ足で過ぎ去ってゆく。だからこそ旅行の効用は絶大なのですが、私はドイツに住みたいとはまったく思いません。日本はいいなあというのが、いつも最後に来る感想です。

旅行中痛感したのは、自分の語学力の不足でした。なによりも友人たちとの語らいのときに、それを感じます。日本の経済事情を問われても、本当に単純な答えしか返せない。本当は、もっともっと突っ込んだ会話をしたいのです。

私は考える。残された時間を、ドイツ語の会話をもっと向上させるよう努力する、という選択肢があります。旅行するたびに、あるいはドイツ語で仕事をするたびに心に浮かぶ選択肢です。しかしある程度はできるわけなので、この人生ではこのぐらいで仕方ないと見切りをつけ、英語をパワーアップするべきではないか、とささやく声あり。しかしもうひとつの声は、違うメッセージを発します。もう歳だし、会話力はこのぐらいであきらめて、音楽の専門的な研究に、残された時間を使うべきではないか、というものです。人間の一生、できることは少ないものですね。