天平の甍2013年03月18日 22時39分50秒

高峰秀子さんのことを書いて幾日もしないうちに、未発表エッセイが発見されたというニュースが新聞に載りました。紀行文だとか。ぜひ読みたいと思いますが、それが故人の遺志に反しないことを願います。高峰エッセイ、目下は『わたしの渡世日記』に挑戦しています。

書店の棚を見渡すと、いわゆる流行作家のものがかなりのスペースを占めています。棚を占拠するような人の本は読んでおかないと、という気持ちがこれまではあったのですが、もうこの齢になったら自分の心に触れる本だけを読めばいいのだと、ようやく思うに至りました。日常会話が延々と続くような小説はやめよう!ということです。そうなると、細々と売られ続けている古典に、目が向きます。

井上靖の『天平の甍』。高名な作品ですが、初めて読みました。いいですね、心が澄み渡ります。遣唐使と共に中国に渡り、鑑真の来朝を実現する仏教僧たちの営々たる努力が綴られているわけですが、国がこれからという時代に、勉強に生涯を捧げる人たちの生きざまは、崇高そのもの。豊かな現代との落差を感じるにつけ、こういうことを文学の形で伝えてゆくことの価値を思います。

今月の「古楽の楽しみ」2013年03月19日 22時15分43秒

今月は、25日(月)から28日(木)までです。「ドイツ古楽の安らぎ」と題して、とくに有名ではないけれども、くつろいで聴ける道ばたの花のような作品を特集しました。

25日(月)は、エッカルトとプレトリウスによる、プロテスタント・コラールの編曲。民衆的で温かい作品ばかりです。エッカルトはユルゲンセン、プレトリウスはコルデスのCDを使いました。

26日(火)が、今週のイチオシ。クリストフ・ベルンハルトの《宗教ハルモニア集》を、ヴェックマンの鍵盤音楽をはさんで採り上げます。ベルンハルトはシュッツの弟子で、音楽学の世界では、『作曲法教程』という著作で知られている人です。私も若い頃この本を勉強しましたが、彼の作品は、今のいままで、聴いたことがありませんでした。しかしブレンベックのCDを手に入れて聴いてみると、なんとも美しいのですね、これが。修辞的技法を駆使したそのモテットにすっかり聴き惚れてしまい、さっそく放送で紹介することにしました。著作も、昔はシュッツの代筆のように言われていましたが、最近はオリジナリティへの評価が行われているようです。

27日(水)も、なかなかです。シュッツ以前の代表的作曲家、ハンス・レオ・ハスラーの特集。彼の作品は以前軽く採り上げましたが、今回、探していた世俗曲のCDを見つけたので、宗教曲、器楽曲と併せてプログラミングしました。古い時代なのに、じつにみずみずしい感性の音楽。とくにドイツ語の多声歌曲がすてきです。例の受難コラールの原曲などを、ネーフェル指揮、クレンデの演奏で聴いていただきます。

28日(木)はバッハつながりということで、ベームのチェンバロ組曲を2曲(演奏はステッラ)と、アルトニコルの復活祭カンタータを選びました。ベームの組曲はバッハの《フランス組曲》を指し示すような魅力的な曲ですが、アルトニコルの作品は珍しいですよね。見つけた興奮から放送に持ち込みましたが、すごくいい曲かというと、そこまでは言えないような気もします。

ではなぜ、興奮したか。アルトニコルというのはバッハの晩年の弟子で、女婿なのです。バッハの息子は多くとも、婿は彼一人。彼が本拠としたナウムブルクに去年旅行した経緯もあり、作品を聴いてみたいと思っていました。めったに聴く機会のない作品ですので、冷やかしにでも聴いていただければ幸いです。

小糸旋風が過ぎて2013年03月23日 23時40分30秒

3月20日(水)、バッハ・オルガン作品全曲演奏会第2回、小糸恵さんのコンサート。21日(木)、小糸さんをメイン・ゲストに迎えての、講演とシンポジウム。いずみホールにとっても私にとっても、何か重いものの残る、大きな出来事でした。

コンサートを聴き、マイクも向けることで、小糸さんのまことに独特な演奏様式に、ある程度のイメージをつかむことができました。チェンバロという楽器は、名手の手にかかると格段に情報量を増し、ニュアンス豊かな響きを作り出しますよね。その時大きな役割を演ずるのが、アゴーギクという微妙な速度法。言い換えると、多様性のある時間の扱いです。

小糸さんは、それをオルガンで行おうとしておられるようです。すなわち、古楽奏法のエッセンスを追究したオルガン。根本にあるのは、卓抜な時間感覚です。プログラムに並んだ曲目が、大局を見据えた時間感覚によって、積み上げられていく。コンサートの最後に演奏された《パッサカリア》では、蓄えられたエネルギーが大河のような流れを作り出し、「鳥肌が立つ」(オルガン製作者ケーニヒ氏)ような盛り上がりとなりました。穏やかな女性のどこに、こうした力がひそんでいるのでしょうか。

もう一つ重要な特徴は、卓越したレジストレーション。音色の扱いです。いずみホールのケーニヒ・オルガン(日本で唯一!)は多彩な音色の美しさを特徴とするのですが、小糸さんはそれをとことん引き出し、パルティータ(変奏曲)などでは、音色の多様性をすべて試そうとするかのように、変化に富んだ扱いをされます。しかし趣味でそうするのではなく、(たとえば北ドイツの演奏伝統に基づいてペダルで2フィートを響かせるというように)研究にもとづいて、そうされるのです。

何度も考えざるを得ないのは、これだけの力量をもった音楽家を、私も、スタッフも、ケーニヒ氏も、誰も知らなかったということです。音楽の世界ほど知名度がものをいう世界はありません。人を集め、お金を動かしていくのは、知名度のある音楽家です。しかし一方では、そんなことは煩わしいとばかりに自分の探究に打ち込み、他の誰にもマネのできない世界に到達している音楽家がいる。このことを、どう考えたらいいのでしょうか。

彼女の存在を知っていて、演奏者のリストに抜擢した、ヴォルフ先生という方がいます。そして、人選への信頼に基づいて満員の大盛況を作り出してくださった、お客様がいます。キツネにつままれたような現象ですが、事実。奇跡、と言ったら大げさでしょうか。

名伯楽、佐治晴夫先生の参加で深い内容を掘り下げることのできた、シンポジウム。そこで小糸さんが尊敬する2人の人物が披露されました。その2人とは、デカルトとニュートンだそうです。言葉もありません。

「向き合う」ということ2013年03月25日 23時53分50秒

時間の話が出ましたので、人生の雑感を。

時間というのは、人の心を癒すものですよね。心に傷ができても、時間が忘却の力を借りて痛みを薄れさせ、癒してくれます。うれしいこともいっしょに薄れていきますが、それによって人間は、新しいことに取り組む力を得ることができるのです。

しかし逆に、思い出したくないことに限って思い出す、というメカニズムを、人間はもっている(ですよね?)。先日同年配の友人から、どうも最近は過去のことばかりを思い出して、罪の思いにかられる、という趣旨のメールをもらいました。私もまったく同じなのでそう返信しましたが、これと上記のことは、どういう関係にあるのでしょうか。

私が思うに、「思い出したくないことを思い出す」のは、思い出すまいとするからだと思うのです。しっかり向き合ったことは、時間をかけることで事柄が成仏しますから、かなたに去ってくれる。ところが向き合うことを手抜き、記憶の向こうに押しやろうとした事柄は、時間をかけてもらえないため成仏していませんから、たえず成仏を求めて、存在を主張するのではないか。

だからどんなことにでもしっかり向き合いましょう、などと言っても、それは空念仏で、簡単にできることではありません。しかし、時と共に成仏しない案件が増加していくのは、困ったことです。それをどうするかという実践論が、次は必要ですよね。

東奔西走一区切り2013年03月27日 20時02分23秒

年が明けてから長距離移動する仕事が相次ぎ、楽しみを見出しながらがんばってきました。この3月に訪れた場所を思い出してみたら--「訪れる」の定義は、宿泊する、飲食する、イベントに参加する、のいずれかを満たすことで、東京都を除きます--、次のようになりました。

盛岡県:遠野(初)、釜石(初)
宮城県:加美(初)
栃木県:宇都宮
神奈川県:川崎、横浜
長野県:松本
静岡県:伊東
愛知県:名古屋、犬山
岐阜県:可児(初)
三重県:四日市(初)、桑名(初)
大阪府:大阪
兵庫県:神戸
宮崎県:宮崎

今月は中京地区に親しんだと言えそうです。写真その1は、「スーパーあずさ」の車中から撮った甲斐駒ヶ岳です(昔、登りました)。


写真その2は、桑名の九華公園。長良川河口の脇にある日本調の落ち着いた公園で、今は桜が満開でしょうね。


一番おいしかったもの。これは多分に偶然の結果ですが、伊東の「地あじ丼」を挙げたいと思います。

仕事は昨日・今日の会議で一段落。ほっとしましたがオーバーワークのきらいなしとせず、今日は全身の力が抜けるほど疲れてしまいました。明日はいいタイミングで、病院の検査です。

【付記】盛岡県などという件はない、というご指摘をいただきました(笑)。岩手県ですね、たいへん失礼しました。最近はこの調子です(汗)。

凄い自伝2013年03月29日 11時20分40秒

東奔西走にお供していた高峰秀子さんの自伝『わたしの渡世日記』(上・下、文春文庫)、読み終わりました。かつて週刊朝日に連載されたもので、誕生から子役時代、女優時代の1年1年が、克明に追想されています。

高峰さんは自伝を書くにあたり、自分のすべてをさらけ出そう、と決心されたのでしょうね。その勇気に、まず驚きます。ふつう自伝を書くとなると、ある程度までで歯止めをかけ、マイルドにまとめると思う。それだって、私など、恐ろしくてできません。ところが高峰さんは事実を赤裸々に述べ、人間関係やその愛憎を率直に綴って、美化しないのです。連載が昭和50-51年ですから、当時は今読むほど「時効」という感じはなかったのではないかと思われます。

それだけのことはあり、読み進めるにつれて、高峰秀子さんという方がいかに真剣に、本質を見据えて生きた方かということが鮮明に印象づけられ、その人間性に呪縛されてしまいます。とりわけ、ご自身の人生設計によって実現した結婚のくだりは感動的。昭和史のおさらいにもなりますので、一読をお勧めします。

映画を見る習慣のない私ですが、高峰さんの出演された映画をひとつひとつ鑑賞したくなってきました。本当は映画館で見るのがいいのでしょうね。たくさんの映画とこれだけの自伝を残された高峰さん、文字通り「不滅」の存在になられたと思います。

2013年度ご案内2013年03月30日 23時17分03秒

まだ3月ですが、4月からの仕事についてご案内しておきます。

2つの大学職のうち、大阪音大には、学期末に講演に伺うことになるでしょう。非常勤が3つあり、東京芸大の楽理科ゼミで《ヨハネ受難曲》を、聖心女子大でモーツァルトを、また冬学期には国際キリスト教大学で「人間理解論」という授業をやります。

一般の方との接点は、市民講座でということになりますね。立川の「楽しいクラシックの会」は、当面ワーグナーです。4月20日(土)から、いよいよ《ラインの黄金》に入ります(10:00~12:00、錦町地域学習館)。須坂は《ヨハネ受難曲》の継続で、4月は21日。第1部を扱います(14:00~16:30、シルキーホール)。松本は4月は休みなので、またご案内します。

朝日カルチャーセンターを増やしてしまったので、がんばらなくてはなりません。横浜校は、「エヴァンゲリスト」講座が最終章「数学的秩序の探求」に入ります。27日13:00~15:00、テーマは《クラヴィーア練習曲集第3部》です。この横浜で、「とことんわかりやすい」を標榜する、「クラシック音楽超入門」という講座を始めてしまいました。第1回は6日(土)13:00~15:00で、内容は「童謡《小さい秋みつけた》で発見する喜び」です。誰でも知っている曲を手がかりに、音楽の聴き方、親しみ方をコーチしていく予定ですが、こうした講座が成立するか否かは、神のみぞ知るです。これから音楽を聴いていきたい、という方は、受講をお待ちしています。

同じく、新宿校。世俗カンタータは終わりましたが、「《マタイ受難曲》徹底研究」はいよいよ第2部に入ります。水曜日の13:00~15:00枠で、4月は3日と17日。冒頭のアルト・アリア、次のテノール・アリアあたりにこだわりそうな今月です。

新宿校で新たに始めてしまったのが、ワーグナーの徹底研究。今期は「《タンホイザー》~美の本質を求めて」というテーマでやります。火曜日の13:00~15:00枠で隔週ですから、2日、16日、30日と3回もあります。美学や宗教に関する勉強を生かし、自分ならではの内容にするべくがんばります。

継続するのは、いずみホールの企画、サントリー芸術財団の仕事、毎日新聞の批評、NHKの放送など。手を広げすぎた観もありますが(汗)、持てる力はすべて注ぎ込むつもりですので、よろしくお願いします。