長野はおいしい!2012年08月20日 23時54分21秒

19日(日)は、すざかバッハの会で講演。《ロ短調ミサ曲》の〈ニカイア信条〉がテーマでしたが、《ロ短調ミサ曲》の講演も数を重ねているので、効率良く進めることができました。精読したと思しき訳書を手に、専門的かついい質問をされる方がおられたのですが、尼崎(大阪)からわざわざ来られたと伺って驚嘆。この作品を研究しておられる方の多さに驚くと同時に、つねに最高レベルの発信を心がけなくてはならないと、あらためて銘記しました。

会場に向かう前、まさお君と落ち合っての昼食。ここ数回は「豚のさんぽ」のソースかつ丼だったのですが、今回は、そのすぐ先に新しいラーメン屋があるのを発見(調べたら2010年末の開店だそうです)。「いろはのい」というそのお店で、「ひらひらーめん」という一種のワンタンを食べました。ネギが好きなので、「九条ネギのごま油和え」も注文。まさお君は「秋刀魚、合わせ味」というラーメンを選びました。斬新な発想とネーミングを駆使した若々しいお店ですが、にもかかわらず、「醤油を楽しむラーメン家」という打ち出し通りの、やさしく正統的な味わい。とても良かったです。これなら東京でも戦えますね、とまさお君。長野駅周辺、おいしい店が多いですね。

総合芸術2012年05月10日 23時23分25秒

今日は、11日のICU講演を準備しました。《ロ短調ミサ曲》の話は、最近いろいろなところでさせていただいています。ネタの使い回しのようでもありますが、その都度、進化もしているのですね。目的に合わせて準備し直すたびに新しいことに気がつき、考えが整理されます。

聖心女子大の学生の反応に、音楽は感覚的に作るものだと思っていたが、バッハはずいぶん頭を使っているようで驚いた、というものがありました。素朴な反応ですが、本質をとらえています。

たとえばキリストを扱うとき、バッハはフィーリングで音楽を付けるのではなく、「2」の象徴を使う。2は、三位一体の第二位格を指し示すと同時に、神であり人であるという二重性の表現にもなります。そこから引き出されるのは、「2が1である」というメッセージです。

〈クリステ・エレイソン〉を見てみましょう。この曲が二重唱であり、2声が並行して進むことにまず象徴的表現が見られますが、2声をどちらもソプラノにしたことが、バッハの工夫です。自筆譜を見ると、器楽の序奏の間は第2ソプラノの調号がアルト記号になっており、歌が入る段で初めて、ソプラノ記号に変化する。これはバッハが、ソプラノとアルトの二重唱を原曲とし、そのパロディとして、ソプラノ+ソプラノの二重唱を作っているためだと思われます。第2ソプラノの音域はひじょうに低く、アルトにぴったり。にもかかわらず「ソプラノ」と指定した理由は、「2が1である」ことを示すため以外に考えられません。

第1、第2ヴァイオリンがユニゾンでオブリガートを弾くのも、音を大きくする目的ではなく、「2が1である」ことを示すためです。同じことは、〈グローリア〉の二重唱〈ドミネ・デウス〉でも起こっている。バッハは自筆譜で(ドレスデン・パート譜と異なり)、フルートのオブリガートを、2本のユニゾンと指定しているのです。二人のフルーティストが最初から終わりまで一緒に吹くことを、音楽上の理由から考えるとは思えません(こちらの「2が1」は位相が違って、父と子の同一性にかかわります)。

つまりバッハの構想では、音楽と神学が結びついているのです。私は、このことがたいへん重要であると思います。人間の耳に聞こえるものだけが重要である、音楽は純粋に音楽であるべきである、という(かつてよく主張された)自律主義はバッハにはなく、バッハは音楽と音楽以外のものを結びつけることによって、より高い価値の表現を目指しているのです。調べれば調べるほど、バッハの音楽は総合芸術だ、という実感が深まります。

日常の五心2012年02月20日 08時38分28秒

4冊目を迎えた『土曜日の朝に』(「たのくら」の記念誌)を読んでいます。さすがに皆さん自分の世界をお持ちで、円熟したエッセイが多く、心を惹かれます。その中に、なるほどと膝を打つものがありました。重鎮、斉藤隆夫さんの寄稿です。

斉藤さんは、夏に法事で、曹洞宗のお寺に行かれたそうです。住職のお経に敬服し、立ち上がると壁に「日常の五心」が掲示してあることに気づかれました。次のようなものです。

一、すみませんという(反省の心)
ニ、はいという(素直な心)
三、おかげさまという(謙譲の心)
四、私がしますという(奉仕の心)
五、ありがとうという(感謝の心)

これを読んで私が反射的に思ったのは、これって、ミサ曲のテキストと同じじゃないの、ということです。同じ5章ですし、何より冒頭が、〈キリエ〉に重なります。以降も、もちろん厳密にではありませんが〈グローリア〉や〈サンクトゥス〉に類比できますよね。違うといえば、信仰箇条を列挙した〈クレド〉の存在でしょうか。宗教的な心は普遍的なものであるという《ロ短調ミサ曲》を通じての思いが、裏付けられたような気がしました。

エッセイは、含蓄深い、次のような文章で閉じられています。「私はこの古いお寺で身体も心も清められ、今後はこの『日常の五心』を心掛けて行動しようと思いつつ、小雨にけむる古寺を後にしました」。

《ロ短調ミサ曲》コンサート写真2012年02月08日 15時08分43秒

1月15日の写真ができてきました。5点選んで公開します。場所は国立音大講堂小ホールです。まず全体写真から。

右側には木管楽器、中央には通奏低音が布陣し、後ろに男声が立ちました。各パート4人ずつ。後半のチェンバロは、渡邊順生さん。

左側は弦楽器、女声。この写真は、島田俊雄さんをトップに好演だったトランペット・グループが拍手を受けているところです。

満場が涙した〈神の小羊〉。加納悦子さんの絶唱。

最後、指揮者の大塚直哉さんと握手。皆さん、ありがとう。






十年目の須坂2012年02月07日 01時22分27秒

「すざかバッハの会」の、第10年度が始まりました。子供の頃を過ごした地域であるためか、行くたびに、一種の高揚感があります。長野駅で助手のまさお君と待ち合わせ、「豚のさんぽ」でソースカツ丼。ますます高揚し、お出迎えの大峡会長と合流しました。なぜかいつも晴れていて、今日は北信三山(飯綱、黒姫、妙高)と北アルプス(鹿島槍を中心とした後立山連峰)が美しく見えます。もう、登れないかもしれませんが。

今年は《ロ短調ミサ曲》オンリーの講座ですから、コアなファンの方がごく少数、というイメージで出かけました。ところが、熱心な方が多く来てくださり、予想の2倍の入り。やっぱり、自分の知識の突き詰めた部分を開陳することで受講生は集まってくださるのだということが、よくわかりました。《ロ短調ミサ曲》についていろいろなところでお話しし、その度に話のまとまりが増してゆくのは、ありがたいことです。もっと向上させたいと思います。

須坂名物のひとつは、お雛様。会場のロビーにも、豪華なお雛様が飾ってありました。しかしお雛様の文化って、衰えましたね。昔、夢をもってお節句を迎えていたのが嘘のようです。お雛様のもっていた宗教的なオーラが失われ、単なる人形になってしまったようで、残念です。

「涙」再考2012年01月28日 23時49分51秒

もう一度だけ、涙を話題を。仲間も読んでいますので、ご容赦ください。

昨日校庭を歩いていましたら、作曲の先生(女性)に遭遇しました。その先生は《ロ短調ミサ曲》を聴いてくださっていて、本当にすばらしかった、涙が止まらなかった、とおっしゃったのです。その表情がいちだんと輝いて美しく思えたものですから、心から言ってくださっているんだな、と、嬉しく受け止めさせていただきました。

今日カルチャーに行くと、やはり複数の人が、涙が出た、というご感想。隣の人は嗚咽していた、というお話もありました。どうやら、多くの方が涙を流してくださったようなのです。

曲は、《ロ短調ミサ曲》です。オペラでヒロインが病死するといったシチュエーションとは、違いますよね。バッハでも《マタイ》であれば、死を悼むというモチーフがあります。最後の曲は「私たちは涙を流しつつひざまずき」という歌詞になっていますので、涙も自然だと思います。でもより思索的、超越的な作品である《ロ短調ミサ曲》に対する涙というのは、質が違うように感じます。

皆さん涙を流されたところは、同じではないかと思います。最後から2曲目、加納悦子さんが歌われた〈神の小羊〉です。でもそこがあれだけすばらしかったのは、それまで25曲の積み重ねがあったからこそで、〈神の小羊〉から始まったのでは、そうはいかないでしょう。もうひとつ、「コンチェルティスト方式」の効用もあったと思うのですね。加納さんが合唱のパートリーダーとして歌われ、自ら曲の流れを体験した上で、この曲を歌われたということです。全体がここを目指して進んできたという印象は、このような演奏形態を取ったからこそ、明確なものになったのではないでしょうか。

同じことは、バスの小川哲生さんやテノールの藤井雄介さんにも言えると思います。ソリストが座って待っているお客様方式では、なかなかこういかないのではないか。言い換えれば、ソリストの方々が献身的に協力してくださって成り立ったコンサートだったということです。合唱とソロの関係の見直しを、提案したいと思います。

学問と実践の共同2012年01月21日 01時34分02秒

いつまでも結果に酔えませんので、最後に。

何人もの方からおっしゃっていただいたのは、「学問と実践の共同」という観点です。その意味では私も、ひとつのモデルケースを提示できたかな、とは思っています。種々の要因がありました。場が、大学の、それも「音楽研究所」であること。メンバーの多くが論文を書いている人たちで、指揮者の大塚直哉さん(大功労者です)も楽理科の出身であること。私がはからずも《ロ短調ミサ曲》の研究に取り組み、ぴったりのタイミングで訳書を出版したこと、などなどです。少なくとも私の中では、研究と演奏が、折り重なって進行しました。

どんな音楽でも研究に取り組んで演奏に損はないと思いますが、バッハの場合、とくにそう言えると思います。バッハ自身が卓越した頭脳の持ち主で、作品が、思弁的傾向を帯びているからです。研究してはじめてわかることがたくさんあり、それが、本質と連なっています(ヴォルフ先生の評伝の副題は「学識ある音楽家」となっていますが、まさに共感します)。それを演奏にフィードバックするというのは、魅力的な課題です。

ということで、練習の過程では、ラテン語の典礼文テキストを理解すること、それにバッハがどういう音楽をつけているかを認識することを絶対条件とし、練習の合間に説明をはさんだり、気合を入れたりしました。選んだ演奏家におまかせし、口をはさまない方が感じがいいことはわかっているのですが、今回は演奏者に学びへの欲求が強くあり、アドバイスを生かそうと、いつも努めてくれましたので、研究情報の提供は、積極的に行いました。それが無駄にならなかったのは、演奏者の方々のおかげです。

よきコラボレーションの実例を、1つだけ。あのすばらしい「復活」の合唱曲を思い出してください。キリストの復活を喜ぶ音楽は爆発的に始まり、中間部で「昇天」を扱います。その最後に再臨と裁きを予告するバス・ソロが来て、統治の永遠を歌うテキストが、再現部の役割を果たします。そのテキストは、cujus regni non erit finis(その方の統治に終わりはないだろう)というものです。

通奏低音を伴ったバスのソロが一種威嚇的に進行する間、合唱は、主題の再現に備えています。バス・ソロが終わると、満を持した合唱が再現部を爆発的に歌い始める--となりそうですが、これではダメなのです。再臨し、生者と死者を裁かれるイエス。その方の、そういう統治こそが永遠だということを伝えるために、再現部の合唱はバスのソロをしっかり受けて、そのメッセージを肯定して始まらなくてはならない。具体的には、cujusに実感がこもる必要があります。この点は大塚さんがしっかり徹底してくださいましたので、説得力のある効果を挙げたのではないかと思います。それでこそ生きる、管弦楽の長い後奏なのです。

「学問と実践の共同」は、演奏上の通念とは、必ずしもなっていません。音楽は感性の領域であり、変に理屈っぽくなるのはよくない、と考える方も、たくさんおられるからです。しかし私の意見では、バッハの音楽を人間の感性にもっぱらひきつけるのは、私が言うところの人間中心主義です。それを超える領域に入っていくには、理性の共同が必要だと思っています。もちろんそのバランスが、別の課題となるわけですが。いずれにせよ、感覚を超えるものの大切さを演奏者たちと共有できての、今回の結果だったと思えてなりません。皆さん、ありがとうございました。

涙ありの打ち上げ2012年01月18日 23時16分12秒

午後の公演ですので、打ち上げは6時半から。ほぼ全員が参加し、立川のイタリアンで、にぎやかに行われました。達成感のある打ち上げほど楽しいものはありません。感謝をこめて、ワインを16本差し入れました。

普段あまり声をかける機会のない人たちとも話し、みんなが喜びと感動をもってバッハを勉強してくれていたことを実感。これで終わるのはもったいない、もっと続けたい、と多くの方がおっしゃいましたが、私の最後に合わせて設定されたプロジェクトですので、それは望めません。しかし蒔かれた種を踏み荒らすわけにはいきませんから、これからどんなことができるのか、自分なりに考えてみたいと思います。

涙をだいぶ流してしまいました。飲んだので記憶がはっきりしませんが、ひとつ覚えているのは、私にメッセージが届いている、ということで、司会者がそれを読みあげたときです。富田庸さんのイギリスからの心のこもったメッセージでかなり感動していると、司会者が、もうひとつあります、外国からです、と言って続けるのですね。あれ、誰にも言ってないが、と思ってドイツ語のメッセージに耳を傾けると、途中で分かりました。「心の友へ」と始まるそのメッセージは、ジョシュア・リフキン先生からのものです。もったいない言葉の連続に、相当泣いてしまった次第です。

でも一番嬉しかったのは、手製のアルバムをもらったことです。ドイツ風の表紙があり、開くと最初の数ページに、メンバーからのメッセージがずらりと並んでいる。その先に練習風景の写真があるのですが、ただ貼ってあるのではなく、種々切り抜きでアレンジされていて、手がかかっている。丹精の賜なのです。こんなのいつ作ったんだ、と聞くと、「声楽チームが中心になり、みんなで心を込めて作りました」という返事。私的にはじつにすばらしい活動記録で、毎日、ワインを飲みながら見入っています。みんな、ありがとう。

今日、当日のスナップ写真が回りました。私が泣いているのもばっちり写っています(別に「号泣」ではないですよ)。涙はむしろ、翌日に出てきました。あそこが、ここが頭に取り付くようになってからです。

畏怖2012年01月17日 23時08分17秒

コンサートに遠路を問わず集まってくださった方々の中に、雪深い東北在住の、大学以来の親友がいました。世界史の専門家ですが、多くを学ばせてもらった、尊敬する友人です。

その彼が送ってくれた感想メールの中に、「若い人たちの、音楽をする喜びや音楽に対する畏怖のようなものがストレートに伝わるステージでした」という部分がありました。畏怖!そうです、それが絶対あったと思うのですね。それがあったこと、それが伝わったことは、なんと嬉しいことでしょう。

公開ゲネプロで、終演後、涙の止まらぬままお話しした〈神の小羊〉のソリスト、加納悦子さん。私の賛辞に対しておっしゃったのは、すぐ次は沈黙という世界を目指している、ということでした(もう少し上手な表現でおっしゃいましたが正確に再現できません、ごめんなさい)。声を出してなんぼ、というのが声楽の世界なのに、こんなことをおっしゃる人がいるとは、と私は驚嘆し、この方はもう私のずっと先に進んでおられるなあ、と頭を垂れました。

本番も、静寂と沈潜の中で歌われるすごい〈神の小羊〉で(「神品」という言葉がぴったり)、涙する人が大勢。私はしっかりと音楽に向き合って、感動しながらも、涙は抑制できました。さて、打ち上げ。加納さんは私に、持ち前のいたずらっぽい表情で、私の聴いた最初のバッハ、すなわち堀俊輔さんの指揮による《マタイ受難曲》のあとに楽屋でなんと言ったか覚えていますか、とおっしゃいます。思い出せませんと申し上げると、私の言葉を教えてくださったのですが、それは加納さんに限って申し上げるはずのない、批判的な言辞でした。もちろんご本人もすぐに納得はされなかったようなのですが、考えるうちに理解する部分があり、今回の演奏はそれが出発点になった、とおっしゃっるのです。私は本当に驚き、そして感動しました。いっしょに作っていたのだなあ、と思えたからです。

立錐の余地もなかった打ち上げについて、次にご報告します。

今、作品について思うこと2012年01月16日 15時48分29秒

《ロ短調ミサ曲》の演奏会、無事終わりました。全員一丸となってバッハに向けて燃焼し、ベストを尽くしたことだけは間違いのないコンサートになりました。出演者や裏方の皆さん、足を運ばれた方々、その他応援してくださったすべての方に、心から御礼申し上げます。

今日は会議のため大学に来ていますが、疲労困憊、もぬけの殻です。肩の荷が下りたということもありますが、終了後の打ち上げを4次会まで重ねたことがたたりました。最後残った6人でラーメンを食べたのが、深夜の3時でした(汗)。

感想は何度かに分けて書きたいと思いますが、今日は、《ロ短調ミサ曲》という作品について、当面の結論として得た認識を述べたいと思います。

《ロ短調ミサ曲》の真髄は、やはり後半にあります。前半はまとまっていて勢いがありますが、後半は知れば知るほど深く、奥行きがある。演奏した感銘は1.5倍ぐらい大きいと確信しました。とくに〈ニカイア信条〉は、宇宙的な規模をもって完成された、音による神学絵巻です。

それ以降に並ぶ6声、8声の大合唱曲の偉容もすばらしいものですが、感動はむしろそれらにはさまれた小独唱曲にあり、その配置が絶妙であることも痛感しました。テノール、フルート、通奏低音のトリオによる〈ベネディクトゥス〉と、アルト、ヴァイオリン(ユニゾン)、通奏低音のトリオによる〈アグヌス・デーイ〉は、《ロ短調ミサ曲》の魂とも言うべき部分です。一見寄せ集めに見える後半のそのまた後半部が、寄せ集めどころか、バッハ晩年の叡智の結晶であることがようやく理解できました。

神殿空間をセラフィムが舞うように壮麗な〈ザンクトゥス〉。これは独立曲をそのままミサ曲へと取り入れたわけですが、合唱が歌いっぱなしになる消耗度の高い曲で、演奏者に大きな負担を課します。言い換えれば、そうした曲をここに置くといういことは、演奏者の都合を度外視しているようにも見えるわけです。

練習を重ねることによって私は〈ザンクトゥス〉のすばらしさを痛感するようになりましたが、同時に、《ロ短調ミサ曲》が「実用作品としてではなく、理想とするミサ曲の範例を作って次の世代に遺すという意図から集成された」とする古来の説に、一票を投じたい気持ちにもなってきました。

でもそうした範例が範例に終わらず、演奏を通じて生きたものとして体感できるようになったのが、今、この時代です。そんな時代が来るとは、バッハは想像もできなかったのではないでしょうか。