カウントダウン16--ある精神との出会い2009年05月29日 22時46分07秒

金曜日、午後1の授業は、音楽学の1年生が相手。いまやっているのは、自分が一番感動した本を重要箇所抜き書きの形で報告しろ、という課題です。前回「涙もろい」の項でお話ししたエトヴィン・フィッシャーは、この授業で登場したのでした(彼の著作を私が模範紹介したおり)。

今日はTAの戸澤史子さんの番でした。彼女が紹介したのが、「片山敏彦著作集・第六巻『青空の眼 — 芸術論集』」(みすず書房)というもの。皆さん、片山敏彦(1898-1961)ってご存じですか?独文・仏文学者、詩人で、ロマン=ロランやヘッセの翻訳をした人。全10巻の『著作集』があるほどですから、かつては大きな存在であったはずです。

こう書いている私が、じつはまったく知らなかったのです。芸術、絵画、音楽、美をめぐる思索のエッセンスが戸澤さんによって紹介されていったのですが、えっ誰?という当惑が驚きと感嘆に変わるのに、時間はかかりませんでした。畏敬をもって芸術と向かい合い、選び抜かれた言葉で本質に迫るこのような書き手が、さほど遠くない環境に存在したとは・・・。とにかく1つだけ、美に関する文章をご紹介しましょう。

「美は仕事の中の無限の重さであり、休息の中の無限の軽さである 。それはバッハの厳密さをみちびくとともに、ドフトイエフスキーに伴って地下の闇へ降りる。美は後悔の思いをなだめ、祝祭を秩序づける。それは可能性の空間に反響する鐘の音であり、事実の中から湧く岩清水である」(「美の感想」と題する章より)。

アルフォンソさん、ご存じでしたか。モーツァルト論もすごいですよ。1930年にヨーロッパでモーツァルト体験をしたが、「その後戦後の空襲時に、モーツァルトの音楽が生と死とのあいだに架かる虹の橋だと感じられたときの一種特別な透明な感銘、文学の中ではノヴァ—リスが感じさせるのに似た感銘を今も忘れることができない。」とあります。

引用箇所だけでは、文学的、美文調、という印象を受けるかも知れませんが、すべての考察が、豊富な原典講読を通じて裏付けをもっていることが見て取れます。こういう本を古本屋から買ってきて愛読している私の弟子もたいしたものだと、思っているところです。