コンサート回顧(5):カンタータ第140番(その2) ― 2009年12月13日 23時48分07秒
カンタータ《目覚めよ》を貫く柱はコラールですが、そこに花を添えているのは、2つの愛の二重唱です。そこでは旧約『雅歌』で展開されるおおらかなテキストが霊化され、魂とイエスが求め愛し合って婚姻を結ぶ、という設定になっている。かつては「霊化」の側面がもっぱら強調される傾向もありましたが、私は、性愛のイメージも豊かに働きかけてほしいなあ、と思っていました。バッハの時代にも、その側面は魅力として強く感じられていたに違いない、と思われるからです。そこで、コンチェルティストのお二人にも、アイ・コンタクトを積極的に使ってほしい、と要望しておきました。
阿部雅子さん(ソプラノ)がその趣旨を完璧に理解して歌われたことには、正直、驚きを禁じ得ません。彼女がモンテヴェルディを専攻されたのは最近のことですが、輝きのあるピュアな声質はバロックにぴったりですし、知的な洞察力といい、落ち着いたステージ度胸といい、たいしたもの。「別人のよう」という言葉が、つい浮かんできます。でもその意味するところは、自分の内に隠れていた能力を発見し開花させて、本当の自分になった、ということでしょう。湯川亜也子さんのフォーレ研究とも通じる成長(大化け?)現象で、続く人が、どんどん出てくるといいなと思っています。
カンタータ上演のプロデュースは何度かやりましたが、今回ほど、私の方向性を演奏者たちが一丸となって追求してくれたコンサートはありませんでした。うれしいかぎりです。それはなにより、指揮とオルガンを担当した大塚直哉さんの力量のたまものです。類いまれな耳と音楽性、理論と語学力、ハーメルンの笛吹きのように人を集め、燃え立たせる大塚さんの才能こそが、コンサート成功の真の原動力でした。「日本のバッハ」として今後時代を築く人の、よき1ページとして記憶されることを願っています。
「大物」後日談 ― 2009年12月15日 01時17分21秒
最近お会いする方の妙に多くが、「1年単位の誤り」について言及されます。私が会議に1年違いで出て行ったという情報が、平素ブログを読んでくださらない方にまで、広まっているようなのです。
それが必ずしも喜べないのは、趣旨が取り違えられているように思えるからです。再確認しますが、あの談話の結論は、私が大物だ、というところにあります。会議を1年間間違えたというのは、そのことを証明する、ひとつの例にすぎないわけです。ところが、実例のみが一人歩きしているようで、言及される方々に、私を大物として見直す視線がまったく感じられないのです。遺憾な現実です。
傍証が、さらに必要なのでしょうか。もちろんあります。
食事のさい食堂に出て行く旅館と、部屋で食べられる旅館では、どちらが高級でしょうか。後者ですね。では、部屋に食事が運ばれる場合、部屋に1人がやってくる旅館と、複数がやってくる旅館は、どちらが高級でしょうか。後者ですね。まさにそれが、私の家庭で実現しているのです。
当家の台所は、本来家族が集まって食事をする空間をもっていたのですが、たくさんのものがあふれた結果、その機能を喪失しました。以来食事は、パソコンに向かっている私の部屋に運ばれてくるようになっています。食事が来ると、ノックの音ですぐわかる。そのノックの音は、しけた音ではなく、威勢がいい。ノックしているのが犬だからです。扉が開く→犬が走り込み、膝の上に飛び乗る→食事が机に置かれる→妻が去る→犬が追いかける、という流れに、毎回、必ずなっています。
これって、私が大物という証明になるでしょうか。書いていて、だんだん自信がなくなってきました。
うなぎ ― 2009年12月16日 23時38分03秒
13日は、偶数月の日曜日に開催している「すざかバッハの会」例会の当日。助手として同行してくれている齋藤正穂君と、いつも通り長野駅で待ち合わせました。軽く昼食を摂ったころ、会長の大峡さんがクルマで迎えに来てくださるのです。
昼食のメニューは、決まって、インドカレーかラーメン。刺激物をお腹に仕込むと攻めの気持ちが高まりますから、毎度鼻から息を吐きながら、張り切って会場に乗り込んでゆきます。
ところがこの日はなぜか、7年間一度も入ったことのないうなぎ屋に入ろう、という気になりました。老舗なので、味は上々。食べ終えて、これまで経験したことのないような、ふっくらとして豊かな気分になりました。
会場に入っても悠揚迫らぬ気分が持続していることに、自分でびっくり。食べ物の効用って、大きいんですね。講演はパワーポイントで行い、家からはUSBメモリだけを持って行くのですが、その日はメモリが、いくら探しても見あたらない。カレーかラーメンを食べていれば、髪の毛が逆立っただろうと思います。しかしこの日は、泰然自若。齋藤君が目を血走らせてファイルをダウンロードし、定刻に間に合わせました。
この日は、2年間続けた「バッハ最先端」の最終回でした。12回分割して講じた《マタイ受難曲》が、最終合唱に到着。こんなに長いこと、皆さん、よくつきあってくださったものですね。実行委員会の方々には毎回、献身的に働いていただきました。ありがとうございます。
来年度からは、「礒山雅のクラシック音楽談義」という講座を開始します。幅広いお話をわかりやすく提供したいと思っておりますので、またよろしくお願いします。
だってそうでしょう! ― 2009年12月18日 23時20分41秒
小沢一郎さん、威張っていますねえ。私、威張る人、大嫌いです。それと、皇室に敬意のないことを歴然と示す人に、上に立ってほしくないと思います。思想や歴史観の問題としてでなく、礼節の問題としてです。
宮内庁長官を強烈批判した記者会見で、小沢さんはさかんに、「だってそうでしょう!」という言葉を使いました。この言葉が使われる場面にテレビなどで時折遭遇しますが、シチュエーションは必ず、自己正当化を強弁するときです。自分の言ったことに自分で賛成するレトリックを、本当に自信のある人が使うはずはありません。
私は経験から、「だってそうでしょう!」と次に言わなくてはならないような意見が正当なことはあり得ない、と感じています。「だってそうでしょう!」と来たら、即座に「それは違います!」と言っても間違いないのではないかとさえ、思っているのです。
メンデルスゾーン生誕200年 ― 2009年12月19日 23時36分39秒
18日(金)、「メンデルスゾーン生誕200年記念講演とシンポジウム」に出席すべく、じつに久しぶりに、ゲーテ・インスティトゥートの「ドイツ文化会館ホール」を訪問しました。この催し、日本音楽学会関東支部の共催となっているので、応援しなければと思って出かけましたが、かなりの数の参加者の中に、学会関係者は少なかったようです。この時期の金曜日、3時半からという開催では、動けない人が多かったかもしれませんね。
催しは、映画あり、展示あり、講演あり、ラウンドテーブルありの盛りだくさんなものでした。刊行されたばかりの新しい学術的作品目録が、編者のラルフ・ヴェーナーさんによって紹介されたのが、ひとつの目玉。今後、研究に欠かせない資料になることでしょう。
その他、研究者から指揮者のクルト・マズーア氏まで錚々たる顔ぶれが並んでいましたが、日本を代表して参加した星野宏美さんの講演が、地道に積み重ねた研究を基礎とし、すぐれた判断と懇切な目配りを融合させたすばらしいものでした。星野さん、国際的音楽学者の貫禄十分で、辻荘一先生、皆川達夫先生を擁する立教大学の音楽研究がこの上なく立派に受け継がれていることを実感し、心に熱いものを覚えました。
じつはメンデルスゾーン、苦手なんですよね(笑)。勉強しなければ。
ゴルトベルクの年末 ― 2009年12月20日 23時17分39秒
19日の土曜日は、「楽しいクラシックの会」(たのくら)の、本年最終回。《ゴルトベルク変奏曲》の、「究極の聴き比べ」を行いました。
前半チェンバロ、後半ピアノに分け、3つずつの区切りで演奏者をリレーしていく、というやり方を考え、家からCDとDVDをもってゆきました。5人ずつ併せて10人になりますが、候補を絞りきれず、チェンバロ7人、ピアノ8人を持参。冒頭の〈アリア〉でオーディションをして絞り込みました。もちろん会員の挙手ですから、遊びです。ただし渡邊順生さん、レオンハルト、グールド新盤、シフあたりをシードとして分けておきました。ピアノ・セクションにおける会員諸氏の選択は、ちょっと意外なものでした。
結果的に、鈴木雅明→コープマン→ロス→レオンハルト→渡邊順生/グールド(新)→ペライア→コロリョフ(DVD)→ケンプ→シフの、豪華リレーが実現。詳しい比較は内緒にしておきますが(笑)、全体としてピアノ勢の優勢は否めないところでした。そういう曲なんですね。シフの第28変奏、第29変奏は驚くべきもので、各声部がデジタル的に、自立して聞こえてきます。完全にバッハのような頭になっているのでしょう、きっと。
午後は川崎に移動し、久しぶりにBCJの《メサイア》を聴きました。そうそう、今月のCD選は、渡邊さんの《ゴルトベルク》を、先月への補遺の形で1位にしました。これは本当にすばらしく、聴くたびに涙が出てしまいます。2位はゲルハーヘルのマーラー歌曲集(すごい切れ味)、3位はゲルギエフのショスタコーヴィチの交響曲第1番/第15番です。ゲルギエフは語り口がうまく、全然晦渋さを感じずにショスタコーヴィチを聴くことができるのですが、果たしてこれが本質であるのかどうかは、よくわかりません。
人を動かす本 ― 2009年12月22日 12時45分38秒
鶴我裕子さんと言えば、名エッセイストとして知られた、元N響ヴァイオリニスト。新装版のエッセイ集『バイオリニストは目が赤い』(新潮文庫)を手に取ってみましたが、抱腹絶倒のおもしろさです。同時に、音楽の世界、オーケストラの世界の裏側をたくさん覗くことができ、勉強になります。
面白いエッセイを書く条件は、どうやら、正直に書く、思い切って書く、ありのままの自分をさらけ出す、というあたりにありそう。鶴我さんの筆遣いは歯切れがよく天真爛漫、愛すべき女性の魅力がいっぱいです。ついいろいろなことに配慮して思い切りがにぶりがちな私としては、反省させられます。
オーケストラのヴァイオリニストというと華やかなようですが、大変なようですね。むずかしい曲の至難なパートを弾きっぱなしになることが多く、それを家で譜読みするのが、(音楽の全体がわからないだけに)難行苦行であるとか。本当にそうだろうなあと思いました。この本を読んだ人は、みなそのことをインプットしてコンサートを聴くようになります。それは、こういう面白い本に人を動かす力があることの証明ではないでしょうか。
グレゴリオ聖歌集 ― 2009年12月23日 11時17分37秒
方向音痴であることにかけてはわれながらいやになってしまうほど自信のある私ですが、土地勘をどうしてもつかめないのが四谷です。地上に上がると、2つの大きな通りがクロスしている。この4つの方向が、ひんぱんに下車しているにもかかわらず、どうしてもわからないのです。これは、私だけでしょうか。
昨日(22日)、その四谷で少し時間が空きましたので、カトリックの書店を覗くことを思い立ちました。駅の近くのサンパウロが一番大きいのですが、そこはうっかり素通り。少し先にドン・ボスコ社のショップがあります。クリスマス用品で、にぎやか。ここは実用的なものが中心で、ミサ典書や聖務日課書なども買うことができます。
とくに新しいものはなかったのでここは見るだけにし、もう少し先の2階にあるエンデルレ書店に行きました。ごく狭い売り場の奥に旧式のレジがあり、外国人の方が番をしています。ここの特色は外国語の本が充実していることで、ラテン語の聖書も、いくつかの版で並べられています。以前から欲しいなあと思っていたLiber usualisを棚に発見。さっそく購入しました。1952年版の復刻で、伝統的な礼拝で使われるグレゴリオ聖歌のテキストと楽譜が、ぎっしり収められています。高いですけどね(2万円)。
ページをめくると最初に、グローリア・パトリとマニフィカトの旋律が8つの旋法で並べられており、マニフィカトに関心があるだけに、うれしくなりました。タイトルの次には、記譜法や唱法に関する英語の説明が続いています。読書会でもやってみようかしらん。
感動的な《メサイア》 ― 2009年12月26日 23時23分37秒
今日は、朝日カルチャー横浜校の講座。対外的には今年の仕事納めでした。年末にヘンデルを聴こうということで、ヴァイオリン・ソナタイ長調、コンチェルト・グロッソ op.6-6、そして《メサイア》の抜粋でプログラムを構成しました。ヴァイオリン・ソナタには桐山建志さんと大塚直哉さんの新録音を使いましたが、すばらしいですね。ガット弦の音の美しさ、純粋さに、心を洗われます。
《メサイア》には、購入したばかりのEMIのDVDを使いました。スティーヴン・クレオベリー指揮のケンブリッジ・キングズカレッジ合唱団、エンシェント室内管弦楽団、エイリッシュ・タイナン(S)、アリス・クート(A)、アラン・クレイトン(T)、マシュー・ローズ(B)という顔ぶれによる、2009年4月のライヴ録音。これが、じついいいのです。
最近、《メサイア》という作品にやや批判的な気持ちが芽生えていて、冒頭のコメントにそれをまぜてから鑑賞を始めたのですが、低いテンションで始まった演奏が熱を帯びるにつれて引き込まれ、ついには「なんていい曲なんだろう!」という熱い感動に包まれてしまいました。もちろん、懺悔して前言撤回です。
どこがいいか。夢があるのです。音楽が音符に固まらず、希望を乗せ愛を乗せて、ふくらみをもって響いてきます。言い換えれば、救い主への思いが翼を得て飛び立つような感じ。こうなると、《メサイア》の音楽は、断然引き立ちます。少年合唱も歌い込まれていて立派でしたが、知らない人ばかりのソリストが意欲にあふれていて、じつに見事。こうした《メサイア》を年内に聴けて幸せになりました。皆様にもお勧めします。
忘年会09 ― 2009年12月27日 18時11分28秒
日曜日、久しぶりに家で休養しました。先週は、昼間の用事もずっとあった上に、忘年会が5連チャン。もうへとへとです(笑)。
火曜日は、赤坂のホテル。水曜日は、有楽町のイタリアン。木曜日は、国立のロシア料理。金曜日は、立川のスペイン料理。土曜日は、鶯谷のお寿司屋。いずれも、おいしく楽しい会でした。このうち、二次会がついたのは金曜日の立川のみ。参加者比率で女性が多かったのは、木曜日の国立のみ。同一人物で2回参加されたのは、ある有名演奏家のみでした。
忘年会は来週もう少しあり、いくつかは新年会に回っています。昔はホームページの公開オフ会というのもやっていましたが、それは中断したままです。いまドクターコースにいる戸澤史子さんには、そんな機会に初めてお会いしました。
いずれにせよ、私とこういう会をもってくださる方が大勢いらっしゃるのはうれしいことです。そういう方がいなくなるまでは、またはドクターストップがかかるまでは、飲む機会をもちたいものです。語らいが楽しいのは昔とまったく同じですが、ちょっと違ってきたのは、「記憶がない」状態に陥りやすくなったこと。ガードが甘くなって余分なことをしゃべってはいけませんので、気をつけてはいるのですが、大丈夫でしょうか。ちなみに、私は飲んでもほとんど変わらないと、基本的には言われております。異論のある方は、コメントでどうぞ(笑)。
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