年齢2010年08月23日 23時54分53秒

いずみホールに、フレンズというファンクラブがあるのをご存じでしょうか。年2000円の会費で、いろいろな特典があります(http://www.izumihall.co.jp/)。特筆すべきは、2ヶ月ごとに発売されている情報誌『ジュピター』の充実。著者の顔ぶれといい、企画の多彩さといい、なかなかのものだと感じます。私はそこに「巻頭言」を寄せているのですが、立場もありますので、内容は熟慮して、慎重を期しています。6月号には「年齢」というエッセイを載せました。これは反響もいただきましたので、ここに公開し、アーカイヴに収めたいと思います。そこに書いている最近の価値観は、週末の合唱コンクールの審査にも明らかにあらわれ、長所も短所もあるな、とあらためて考えているところです。

「年齢」

 この4月で、64歳になった。音楽に熱中し始めてから、ほぼ50年である。若い頃、自分が歳をとったら音楽の聴き方がどう変わるか、興味をもっていた。音楽が格段によくわかるようになるかもしれないという期待をもち、遠山一行先生にお尋ねしたことを覚えている。先生のお答えは、かえってわからなくなるかもしれないよ、というものであった。

 昔ほど熱狂的に聴くことは、さすがに少なくなった。だが音楽を大所高所から聴けるようになったことは、確かだと思う。昔は縁遠く思われた晩年の作品が、おしなべて、深い内容をもつように思われてきた。また作曲家の進境なり、円熟なりというものが、肯定的に実感できるようになった。演奏家と演奏についても、同じことが言える。

 内面的なもの、求道的なものに対する共感や尊敬が増した反面、外面的なもの、効果を狙うものに対しては、否定的な気持ちが生まれてきた。若い頃を思い起こすと、管弦楽の圧倒的なクライマックス、頭髪振り乱した指揮者の熱演、歌い手の超高音や声量、目にもとまらぬ鍵盤上の技巧といったものに、それなりの興奮をかき立てられていた。ところが最近は、そうしたもの価値をもっぱら作品の様式や音響空間などとの関係から判定するようになり、過剰に思ったり不必要に思ったりすることが多くなったのである。大事なのは音楽であり作品であって、個人としてのスターではないと、最近の私は感じる。

 私自身は、これを深化であるととらえている。しかし単なる変化だと思う方もおられようし、見方からすれば、老化と言えるかもしれない。現在の私は、内面的な音楽、求道的な音楽をこそ尊重したいと思うが、そう思うようになったのは外面的なものを聴き重ねてきたからだと考えれば、外面的な音楽も必要だということになる。そう考えて流行に譲るべきか、信念に基づいて価値観を主張するのが責任か、迷うことの多い昨今である。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック