名曲!ヴィーデラウ・カンタータ2012年09月03日 08時44分47秒

2日の朝日カルチャー新宿校の世俗カンタータ講座で、《心地よきヴィーデラウよ》BWV30aを採り上げました。そのために準備したことの1つは全13曲の対訳を直近に作ったことですが、6月のドイツ旅行で現地を訪れたことも大きなことでした。この欄でも、お店すらほどんどない町で宿を探したいきさつをご報告しています。隣町からタクシーを呼んでもらって訪れた現地の閑静な一角には、小さな小さな離宮が、ぽつんと立っていました。バッハの時代には、今ある住宅もなく、田野の中だったことでしょう。この地域を与えられた荘園領主へニッケのために、52歳のバッハはカンタータを作曲し、離宮の庭園か内部で初演したわけです。

イメージを蓄えて聴くこの曲は、驚くほどみごとな作品です。運命、幸運、時、エルスター川という4人の寓意的人物が登場して「ドラマ・ペル・ムジカ」を展開し、トランペット・グループを擁する大編成の音楽が、それを彩ってゆきます。その壮大な音楽を、見聞した現地とのミスマッチを感じつつ聴いた私は、「バッハさん、あなたもとことん手抜きを知らない人ですね!」と心で呼びかけてしまいました。

聴いたCDは、晩年のレオンハルトがカフェ・ツィンマーマンとヴェルサイユ・バロック音楽センターを指揮した2007年の録音(α)です。さすがレオンハルトで、細かな響きが散りばめられた、百花繚乱の演奏になっている。彼のチェンバロ演奏は種々の微細な差別化を導入することで情報量が豊かになっているわけですが、それと同様のコンセプトが、オーケストラから伝わってきます。台頭するフランスの古楽演奏グループとの、よき出会いの記録ですね。

この演奏を聴いていて、「一糸乱れぬ」統率されたバッハ演奏を無条件によしとすることはできない、とあらためて思いました。モーツァルトが訪れたマンハイムで、地元の宮廷楽団が「一糸乱れぬ」演奏を繰り広げていたことは有名です。これは歴史上の一大進歩として語られることですが、だったらそれ以前はどうだったのか、ということになりますよね。そのことを考えるヒントがここにあるように思えました。

今月の「古楽の楽しみ」2012年09月04日 09時57分52秒

8月が「追悼音楽」という重い企画でしたので、9月は軽く楽しめるものにしたいと思い、テレマンの特集を組みました。テレマンの作品はこれまでもある程度取り上げてきましたが、ご存じのような多作家なので、音源もたくさんあります。やってみて、最近の古楽器演奏の高まりが、テレマンの音楽を着実にひたしていると実感しました。

10日(月)は30代(すなわちアイゼナハ/フランクフルト時代)の作品から、まずカンタータ《いざ来ませ、異邦人の救い主よ》。1860曲ある教会カンタータの第1174番(!)で、5曲ある同名カンタータの第1曲です。もちろんルターのコラールが使われています。もう1つは、イ短調のリコーダー組曲。有名な作品ですが、シュテーガーとベルリン古楽アカデミーによる演奏が、ポーランド色も取り入れつつ、怒涛の勢い。昔よく聴いた演奏とは別の曲のようです。

11日(火)は、テレマンの楽器の使い方に焦点を当てました。最初に、オーボエとファゴットを管楽器とする管弦楽組曲ロ短調第1番。次に、そこにフルートが加わるホ短調第3番(抜粋)。演奏はプラートゥム・インテグルム(ロシアのピリオド楽器アンサンブル)です。後半は金管を主役とし、アンサンブル・ソナタニ長調(コンチェルト・メナンテ演奏)と、《ターフェルムジーク》第3集から、2つのホルンが入る変ホ長調のコンチェルト(ムジカ・アンフィオン演奏)。いずれも楽器がよく生かされた作品で、演奏して楽しく、聴いて楽しいものです。

12日(水)は、小編成の室内楽曲を並べました。まずイ短調第5番(ポーランド風)とト長調第7番のトリオ・ソナタ(弦)を、コンチェルト・メランテの演奏で。このアンサンブル(ピリオド楽器)は、半分がベルリン・フィル、半分がベルリン古楽アカデミーの奏者なのだそうですね。ベルリン・フィルのバロック演奏もここまで来たかと、隔世の感をもちました。トリオ・ソナタからは、木管によるニ短調第4番を、イル・ガルデッリーノの演奏で加えました。

後半はソロ。《信頼のおける音楽の師》のファゴット・ソナタヘ短調(シンタグマ・アミーチ演奏)で開始し、次に、無伴奏ヴァイオリンのためのファンタジアホ短調(佐藤俊介演奏)、残った時間に、無伴奏ガンバのためのニ長調のソナタから、第2楽章を入れました(クイケン演奏)。

どうしても器楽曲が中心となりますが、13日(木)には、声楽曲を紹介することにしました。まず短いモテットを2曲、《死者は幸いである》と《われらが神は堅き砦》。演奏はヘニッヒ指揮のマクデブルク室内合唱団です。次に1730年の《マタイ受難曲》から、最後の晩餐と、十字架・埋葬の場面。フリーベルガー指揮、シュレーグル音楽ゼミナールの演奏がもう1つですが、音楽的には美しい作品です。1746年と58年の《マタイ》の音源もあったのになぜ1730年の作品を選んだかについては、いずれ改めて書きたいと思います。

ケージ問2012年09月05日 23時17分43秒

今日、9月5日は、ジョン・ケージの生誕100年の日だったそうですね。ケージといえば私の周囲にたくさんのファンがいます。しかし私は、まだ、どう聴いていいかわからないでいる段階。そこで、宮田まゆみさんの”One9”を聴きにでかけました(サントリー・ブルーローズ)。これは晩年のケージが宮田さんのために作曲した、笙独奏の大曲です。

宮田さんとは長い知り合いですが、本当に立派になられましたね。冒頭、持ち前の楚々とした口調でおっしゃるには、静かに耳を澄ます曲なのでリラックスして聴いていただきたい、とのこと。静かに耳を澄ますというのは、私が最近価値として強調していることです。私は喜び、リラックスして耳を澄まそう、と思って聴き始めました。

響いてくるのは、微妙な差異をはらみつつ進む、天国的な笙の響きです。リラックスして耳を傾けるうち、私はいつしか、ぐっすり眠ってしまいました(汗)。いびきでもかいたら大変ですから、しまったと目を覚まし、神経を張り巡らせて、響きに集中。あれ、でも緊張しちゃダメなわけですよね。音楽も、ロジックを追うようにはできていません。

そこで客席を見回すと、ここだけの話ですが、生き生きと聴いておられる方も多い一方で、かなりの人が寝ています(笑)。そこで思ったのは、ヒーリング効果で寝るのはかまわないのか、やはり寝てはいけないのか、そういうことを考えること自体必要ないのか、ということ。10~15分の曲が10曲あり、休憩なしに進行しますので、微細な変化に富むとはいえ、単調に思えることも事実。そう思って軽い諦念を覚えたところで、そうか、心を空っぽにして、無我の心境で聴けばいいのではないか、と気づきました。

でも悲しいかな凡人で、すぐに無我の心境にはなれないのです。宮田さんが精魂尽くしたたいへん立派なコンサートでしたが、私がケージの世界に入っていくには、もう少し時間がかかりそうです。

3つの目標2012年09月07日 14時31分27秒

この4月からというもの、どうにもペースをつかめずに過ごしてきました。相対的に緊張感が低下したため、能率が上がらないのです。従来よりひとつひとつの仕事を丁寧にケアできるようになり、もろもろの準備も早手回しになっていてそれはいいのですが、そのように過ごすだけでは、まとまった結果を残すには至りません。

少し緩めると、月日はどんどん過ぎてしまう。昨年より今年の体力は低下しているとしても、だからといって生産力を落としているのでは、ジリ貧です。ゆっくり過ごした1日とがんばった1日では、充実感をもって終われるのは、断然後者。やはり何かに打ち込んで達成感を得ることが自分には必要なのだと認識しました。

「今何をなさっているんですか」と問われて、答えられなかった、この半年。目標を自分自身で作り出す必要があります。そこで考え、3つの目標を設定して、勉強していくことにしました。長期的なものが1つと、中期的なものが1つ、比較的短期のものが1つ。毎日少しずつ進めていこうかと思います。3つとも、うまくいけば世の中への恩返しになるテーマですが、本当に進められるかどうかは、やってみないとわかりません。軌道に乗った段階で、いずれご案内しようと思います。

便利なClover2012年09月08日 23時26分46秒

いろいろなところでさせていただく講演や講座は、なるべく視聴覚的に進めたく、目で確認できる素材を豊富にしようと務めています。そのために必要なのは、スキャンによる画像ファイルの作成。これが大の苦手だったのですが、最近ようやく、効率良くできるようになってきました。とはいえ素人作業ですので、上手な方、アドバイスをお願いします。

情報を詰め込んだ資料を作るのに好適なのは、A3のファイル。そのために導入したブラザーの複合機JUSTIOの長所は、スキャンが手軽にできることです。そこで作ったスキャン・ファイルを、IrfanViewで整形する。全体像だけでは細部がわかりませんから、焦点の決まった拡大ファイルを最近はよく作ります。それをパワーポイントに貼り付けるか、画像として参照するかは、今のところ、一長一短に感じています。

どんどんスキャン・ファイルが増えてきますので、講演ごとに新しいフォルダを作り、使うファイルを集合させます。この作業が、案外面倒。あちこちのフォルダから、必要な画像を集めてこなくてはならないからです。

そこでCloverという中国製(?)のオンラインソフトを導入してみました。これは、Windowsのエクスプローラーにタブ機能を追加する、というシンプルなものです。これが、とても便利。ひとつの画面でフォルダからフォルダへのファイル複製を行うことができ、作業がずっと簡略化されました。

オンラインソフトの探索をしたのは久しぶりです。高機能のファイラーを使っていれば、必要のない作業だったかもしれません。こうしてできたフォルダをUSBメモリに納めて、明日は松本に持参します。そのフォルダはDropboxの中にあり、必要があれば、いつでもダウンロードできる体制になっているのです。富田庸さんの宝箱のごときパソコンにはとてもかないませんが、少しずつ充実させています。

ステージから転落(1)2012年09月11日 11時39分12秒

9日(日)、「まつもとバッハの会」の連続講座が始まりました。私は中央線沿線に住んでいますので、隣駅の立川から特急に乗ることができ、そのまま1本で、松本です。西国分寺、武蔵浦和で乗り換えて大宮にゆき、そこから新幹線に乗る長野行に比べれば、とてもすっきりしたアプローチです。ところが新幹線と在来線の速度の差が大きく、同じ時刻に着くためには、30分早く家を出なくてはなりません。

長く乗る以上座れなかったら大変なので、土曜日の晩、切符を買いに行きました。すると、残席はグリーン車においてもわずか。窓際は残り1席しかなく、そこを確保しました。

快晴。立川で社内に乗り込んでみると、たしかに一杯です。私の番号の通路側を占めているのは、とても肉付きのいい青年(大学生?)で、身体をかがめ、一心にスマホの画面を見ています。たくさんの荷物を持ち込んでいて、要塞のよう。「ちょっとすみません」と声をかけましたが、依然スマホに見入っていて、反応なし。もう一度「ちょっとすみません」と声をかけたところ、顔を上げることも声を出すこともせず、同じ姿勢のまま少し身体をよけました。そこで荷物を乗り越え、窓際の席に入りました。

青年はその後もスマホに見入り、自分の世界に没入しています。隣に他人が来たことなど、まったく眼中にないよう。私は思いましたね、そうか、これがいまよく言われる若者の一典型か、と。

ようやくスマホから離れた青年は、お弁当を食べ始めました。身体が大きいので、よく食べます。食べ終わると、テーブルはそのままにして、睡眠。私はトイレに行きたくなっていたのですが、巨体とテーブル、荷物が立ちはだかり、出るに出られません。

若いので眠りが深く、大きく右に身体を傾けるようになりました。つまり私にもたれかかってきたわけです。やわらかな肉塊がずっしり私の身体にかかり、私は窓際に押し付けられる状況。もちろん当人には何の意識もありません。私は勇気を奮い起こし、3度、力いっぱい押し返しましたが、爆睡しているのでまたもたれかかってきます。私、グリーン車代を払っているんだけどなあ。

これは松本まで行くなと覚悟しましたが、その前、塩尻で下車してくれました。見ると、お母さんが先導しています。きっとかわいがっているんでしょうね--というわけで、松本旅行、波乱の始まりとなりました(続く)。

ステージから転落(2)2012年09月12日 13時42分34秒

松本の町は、行くたびに変化します。駅前はよく整理され、えらく長かった信号の待ち時間もフツーになりました。光り輝く感じはなんだろうと思って観察してみると、ほとんどのビルが、白か白系統の色なのですね。したがって、明るく近代的な印象。ただし食処の集中度は、長野駅ほどではありません。

それでもなかなかおいしいラーメンをまさお君と食べ、タクシーで会場の「深志教育会館」へ。数年前にできたというこの建物、高名な卒業生の設計とかで、木の内装が落ち着いた雰囲気を醸し出し、講演会にはうってつけです。音響効果も優秀とか。いいですねえと感心していると、ところであなたは寄付をされましたか、という話になりました。覚えていませんとうろたえると、すぐ調べられます、とのこと。まあまあと引き止めましたが(汗)、卒業生から母校への、すばらしいプレゼントですね。恩恵に浴してしまい、恐縮です。

集まられた会員は中高年の男性中心で、いかにも知的な方々。気持ちが引き締まります。高解像度のプロジェクターを駆使しながら自筆譜をあれこれ紹介し、「バッハの仕事場を覗く」というのが、この日の課題でした。

ホールには腰の高さほどのステージがあります。しかし私はその下で、パソコンの操作をしながら話をしていました。ステージに登ろうと思ったのは、持参したファクシミリをよく見てもらおうと思ったから。胸の前に広げて説明し、思わず一歩踏み出したところ、そこには床がなかったのです。ステージの床とフロアの床の模様がまったく同じだったので、段差があることに気づきませんでした。(続く)

ステージから転落(3)2012年09月13日 23時57分46秒

ステージの高さは腰ぐらいですから、落下に要した時間は、1秒ぐらいでしょう。しかし、随分長く感じました。体感的には、5秒から10秒近くあった。その間、いろいろなことを考えました。すぐ思ったのは、これは良いネタになるな、ということ。かつての大ネタ、コインロッカーのことも、頭をよぎりました。

だから、落下中恐怖で髪の毛が逆立っていたわけでも、怪我を恐れて顔がひきつっていたわけでもないのです。むしろ、離れたところから自分を見下ろしているような、ゆったり感があった。これって、巷で言われていることですよね。高いところから落ちた人は、一生の出来事を走馬灯のように思い浮かべる、という話もあります。どうやらそれは、事実であるように思われます。

脳内モルヒネの分泌というのは、このことを言うのでしょうか。こういうとき心身が自動的にセーフモードに入るのだとすると、バンジージャンプのような恐ろしいことが気持ちがいいというのもそれによるのだろうし、死ぬときだって、案外気持がいいのかもしれません。

さて。落下しているうちに身体が一回転し、丸まった形で横倒しに着地しました。左足の親指を打ったか捻ったかしましたが、危ないところは打たなかった。まさお君の言葉を借りれば「絶妙の受け身をとった」そうで、「先生は柔道をなさったんですか!」と言う方があったぐらいです。もちろん柔道も体操もまったくダメですが、じつに幸運でした。

ちなみに転落は、講演に対して、絶妙の効果を及ぼしました。うとうとしていた方々もすっかり覚醒され、会場のテンションが上がって、大きな盛り上がりが生まれてしまったのです。

左の親指は翌日痛くなり、痛風の歩き方になってしまいました(←超遅い)。今日はもう、大分良くなっています。このオチで満足していただけるかどうかたいへん心許ないですが、読んでいただき、ありがとうございます。

〔付記〕ステージのへりに目印を入れて落下を防ぐことは、設計の段階で、じつは検討されたのだそうです。しかし建物の目的に照らして、そんな人は出ないだろう、という判断になったとか。まさかの実例を提供してしまいました。

LDも離せない2012年09月16日 22時20分13秒

LDって、大きくて重くて、とても不便。DVD時代を迎えて離れられるかと思ったら、意外に持ち歩く機会があり、ドイツ旅行の際には、その収納を考えてカバンを買いました。あ、ドイツにもっていくのではなく、国内で使うためです。

どうやらLDを大活躍させざるを得ないのが、いま「たのくら」で進行中のワーグナー・プロジェクト。折にふれて探してみましたが、ワーグナーの映像で、日本語字幕のついているものはきわめてわずかしかありません。LD時代には、そうではありませんでした。主要作品にはすべて、複数の字幕付き映像がありました。いまはいろいろなレパートリーのオペラが映像で楽しめますが、字幕のついているものはごく限られます。公演はほとんど字幕付きになっているのに、これは残念なことです。理由は、費用がかかるという一点でしょうが・・・。

今回は《さまよえるオランダ人》でしたので、何を使おうかと、所蔵のLDをチェックしてみました。すると、まだ封を切っていないものがあるではありませんか。フィンランド・サヴォンリンナ音楽祭の1989年の映像で、指揮がゼーゲルスタム。グルントへーバー(オランダ人)、ベーレンス(ゼンタ)、サルミネン(ダーラント)という一流揃いです。

視聴してみたら、これがとてもいい。演出も作品に即しており、そこに、たいへんよくできた字幕がついています。作品の解説と鑑賞には、こうしたものが役に立つのです。(海の出てこない演出はもちろん、オランダ人とダーラントが瓜2つ、という演出も困ります。2人は両極、と説明しますし、そう理解するべきですから。)

映像でオペラを楽しむ時代であればこそ、字幕を望みたいですね。ちなみに私の中で、ワーグナー熱が再燃しています。それは13日(木)に、二期会による《パルジファル》のじつにすばらしい公演を鑑賞したため。これについては新聞に思い切り書きますので、そちらをご覧ください。飯守泰次郎さん、ワーグナーへの愛にあふれて、すごいです。尊敬します。

整形外科へ2012年09月18日 16時43分10秒

「ステージからの転落」全3話はたくさんのアクセスをいただいたのですが、結末が結末なので、満足された方は少なかったようです。「なあんだと思った」と正直におっしゃる方、「つい期待してしまいまして」と恐縮される方、「コインロッカーの時も結局開いちゃったんですよね」と先例を指摘される方。私は、ああ皆さんに支えていただいているんだなあとあらためて思いつつ、事態に責任を感じていました。

痛みは日に日に薄らぎ、それほど不自由なしに歩けるようになってきました。ところがここ2~3日、思い出したように患部が腫れて、痛みが出てきたのです。そういえば、後から痛みが出ることがあるから気をつけるように、と、何人かの方から言われていました。

骨折が疑われましたので、ついに整形外科へ。道中、ブログのレイアウトが頭に浮かびます。タイトルは直截に「骨折しました!」とすべきだろうか。それとも「転落後日談」というふうにぼかすべきだろうか。いずれにしてもネタが取れ、満足率も上がるのであれば、よしとしなくてはなりません。

レントゲンを撮りましたが、骨折はしておらず、患部をひねったことによる痛みだろう、ということになりました。患部に水かお湯を吹き付ける治療法がよく、あとは安静と湿布だそうです。オチはつきませんが、多少とも前進、とお考えください(汗)。