失敗に学ぶ2012年10月07日 23時24分18秒

昔お教えした方とお話しする機会が、案外よくあります。授業がとても印象的だった、と何人もの方が言ってくださいますので、気をよくしてたとえばどんなことですか、と尋ねると、CDをかけようとして開いたら入っていなかったとか、間違えてもってきていた、という話をされる方がほとんど。「いいことも言っているはずなんだけどなあ」と返すのが精一杯です。

今日、久しぶりにそれをやりました。《さまよえるオランダ人》が第2幕後半にさしかかった、「たのくら」のワーグナー例会。ゼンタとオランダ人の二重唱について「私が高校生の頃、ワーグナーの音楽に本当に感動した最初の曲」とアツク紹介して、LDをかけたところ、全然別の画像が出てしまったのです。入れ違いは1枚目だけでしたので、第3幕は鑑賞することができました。

がっかりしましたが、この二重唱がいかに重要かは、逆によくわかりました。二人は非日常性の範疇にあり、モノローグだのバラードだの、一種奇矯な様式の音楽を振られていますよね。ところが実際に出会って歌うこの二重唱において、二人は深い感動をあらわし、心を通わせて救済の希望を高めてゆく。その過程で彼らは、唯一ここで美しい音楽を、心ゆくまで繰り広げるわけです。

そこが抜けてしまうと、《オランダ人》はお化けドラマになりかねない。そうならないように、やはりうまくできているわけですね。失敗してみてできる勉強もやっぱりあるなあ、と思った次第です。

講座はそのまま《タンホイザー》に入りました。《オランダ人》との間隔はたった2年ですが、格段にすばらしい作品ですね。しかし思うのですが、精神の愛と肉欲の愛の対立というテーマを、今の若い人たちはどう思うのでしょうか。古来の霊肉二元論に派生するテーマを、私はかぎりない共感と関心をもって受け止めるのですが、いまは、ヴェーヌスベルクが周囲に満ちみちている時代。「それでなぜ悪いの」で話が終わってしまうということがないのかどうか、心配になります。

終了後、東京芸術劇場へ。改装後初めて訪れましたが、エスカレーターの急角度も改善され、ステージも広々として、音楽を聴きやすい環境になっていますね。プログラムはオール・チャイコフスキーで、序曲《ロメオとジュリエット》《イタリア奇想曲》《交響曲第5番》。でも、チャイコフスキーの音楽に対して、若い頃のような気持ちをもてなくなっていることがよくわかりました。ポリフォニックな要素に乏しく、大管弦楽を動員している割に情報が少なくて、もどかしいのです(だからわかりやすい、とも言えます)。ロジェストヴェンスキーのおおらかかつ楽天的な指揮で、会場はものすごく盛り上がりましが、ムラヴィンスキーをなつかしむ気持ちにもなりました。読響のコンサート、最近続いています。