屏風のごとき偉容 ― 2009年10月22日 21時53分36秒
ハイドンの《天地創造》、私の19年間のいずみホール生活の中でも記憶にないほどの、大きな盛り上がりになりました。「歴史的」という言葉を使われた方がおられましたが、確かにそう思います。
アマチュアの楽友協会合唱団を単独で日本に連れてきてどうなるか、じつは、ある程度不安に思っていたのです。でも、大指揮者に率いられたウィーン・フィルと常時共演している実力は、伊達ではありませんでしたね。曲が《天地創造》ともなると、ひとりひとりが何をするべきか熟知していますから、個々の説得力が積み重ねられて、77倍になる。強靱にして壮大なその合唱は、ステージの奥にがっしりした屏風が立っているような感じでした。
プリンツ氏の力が、やはり大きいようです。知的で明晰、安定感のある指揮。オーケストラの統率もじつに見事で、関西フィルのメンバーが絶賛していると聞きました。これほどの人なのに、職務が合唱指揮なので全体の指揮をする機会がひじょうに少ないのだそうです。今回指揮をおまかせして、本当に良かったと思いました。
もうひとつ驚いたのは、ソプラノの幸田浩子さん。度胸満点、切れ味のよい華麗な歌いぶりで、言葉がこれほどキラキラ生きたオラトリオ歌唱を聴いたことがないほどです。賞を総なめにしている実力が、よくわかりました。
30年ぶりの楽友協会合唱団 ― 2009年10月21日 23時19分11秒
今回のウィーン音楽祭 in Osaka、ひとつの話題は、楽友協会合唱団を招聘したことです。カラヤンのお気に入りだったこの合唱団は、1979年にカラヤンと一緒に来日して以来、まったく日本に来ていません。しかしウィーン音楽祭は楽友協会との提携で実施している企画なので、協会所属の合唱団を招聘することには、大きな意味があります。そこで、《天地創造》を同合唱団指揮者のヨハネス・プリンツ氏の指揮で、《ドイツ・レクイエム》を大植英次さんの指揮で演奏していただく企画を立て、招聘を実現しました。
張り切ってやってきた合唱団、今日は《天地創造》のリハーサル。どこかで聴いた響きだなあ、と思っていたら、数年前楽友協会の125周年のコンサートに出席したとき、合唱の1曲が、ムーティの指揮で披露されたことを思い出しました。まさに同じ響きが、いずみホールのステージに再現されていたのです。
夜は、「ウィーン楽友協会合唱団の伝統を語る」と題するシンポジウム。そのコーディネートが、今回における私の最大の仕事です。トーマス・アンギャン総監督の、合唱団の歴史と活動に関する講演のあと、指揮者プリンツ氏、代表アーデルハイト・ヒンク氏(ウィーン・フィル・コンマスの夫人)、団員ヨアヒム・ライバー氏(もの柔らかな典型的ウィーン紳士)、アンギャン氏という顔ぶれでパネルディスカッションを行い、さまざまなことを語っていただきました。進むにつれて印象づけられたのが、プリンツ氏の存在感。明晰な弁舌と真摯な姿勢に、ウィーンを背負う新しい逸材の台頭を実感しました。
最後に民族衣装の合唱団があらわれ、日本語の《紅葉》を含むアカペラ3曲を披露するに及んで、会場の温かい雰囲気は最高潮に。音楽のエッセンスを電気が走るように伝えるプリンツ氏の指揮に、脱帽です。関西の方、《天地創造》、ぜひおいでください(《ドイツ・レクイエム》は完売)。
部屋に戻ったら、クライマックス・シリーズの中継をやっていて、日本ハムが怒濤の攻撃中。スレッジの逆転サヨナラ満塁ホームランには鳥肌が立ちました。かくして、いい1日でありました。
最上の学生公演、《ドン・ジョヴァンニ》! ― 2009年10月17日 22時06分34秒
今日、国立音大大学院オペラ公演《ドン・ジョヴァンニ》の1日目がありました。例年モーツァルトのオペラを取り上げるのですが、《フィガロの結婚》だと満席に近く、他のオペラだと空席が増える。そこで、まあ土曜日だし、と、ゆっくりと出かけました。
すると、いつもよりホール周辺が騒がしく、引き返してくる人たちとすれ違うではありませんか。着いてみると、「もう一席もありません」とのお達し。関係者用の席にやっと座らせてもらいましたが、スタッフが座席探しに奔走する、文字通りの超満員です。どのホールも観客減に悩んでいる時節にこれは何としたことか、と、キツネにつままれたような気持ちでした。
しかし、このような熱気の中で始まった公演が、盛り上がらないはずはありません。過去に匹敵する例を思い出せないほど、充実した公演になりました。何よりオーケストラが流麗かつ的確で、同じ学生の演奏とは思えない。指揮者は高関健さんでしたが、一流の棒がこれほど音楽を変えてしまうものかと、驚くばかりです。
主力となったのは、院修士の2年生でした。今日出演したのは、村松恒矢(ジョヴァンニ)、大島嘉仁(レポレッロ)、高柳圭(オッターヴィオ)、柴田紗貴子(アンナ)、齊藤智子(エルヴィーラ)、清野友香莉/三井清夏(ツェルリーナ)の7名(+助演の先輩)。明るく積極的な、よく勉強する学年で、論文作成の授業がかつてなくうまくいったことは、すでに書いた通りです。その手応えが今日の演奏からもそのまま感じられ、学長は新カリキュラムの成果だとお喜びでした。たしかに、その影響はあるかもしれません。
平素は長所も短所もそれぞれに聴き、途中で見切りをつけてしまうこともよくある私ですが、今日は気迫にあふれた全力投球の演奏を最後まで気を入れて聴き、「鳥肌の立つ」思いを、再三味わいました。出演者の感動も、さぞ大きいことでしょう。明日の公演、私は参りませんが、狩野賢一(レポレッロ)、経塚果林(アンナ)、全詠玉(ツェルリーナ)と、力のある人が残っています。皆様ぜひ応援してあげてください。
プログラムの解説は私が書いていますが、そのあとに、「出演者より」というページがあります。「出演にあたっての思い」その他を記す欄です。みないいことを書いていますが、本日アンナを熱唱した柴田紗貴子さんの文章はとりわけ感動的で、ぜひ皆さんにも読んでいただきたいと思います。学生がどんな意気込みでオペラに取り組んでいるかを示す、これはとてもいい例です。
「本来なら、オッターヴィオと平凡で幸せな結婚生活を送るはずだったドンナ・アンナ。彼女は父の死という計り知れない悲しみと孤独を一気に背負い、『生きている者にとっての死』を味わうこととなります。それと同時に、憎むべきはずのドン・ジョヴァンニへの新たな感情に心は揺れ動き、自らオッターヴィオを拒絶することとなるのです。しかし彼女に与えられた旋律はそれとは裏腹に、天からの一筋の光りのような、格調高く崇高で、優雅で温かいものとなっています。これは苦悩する彼女に与えられた唯一の救いだと、私は信じています。」
先日学生たちが、「ドン・ジョヴァンニ・ワイン」なるものを、添え書きとともに届けてくれました。ラベルに、出演者の写真が刷り込まれています。これから空けて、気分良く飲みたいと思います。
気の交流 ― 2009年10月02日 22時50分52秒

楽しいクラシックの会コンサート「久元祐子の世界」、大成功のうちに終わりました。会の方々、出演者の方々、ありがとうございました。立川アミュー(小ホール)に満員のお客様に来ていただいたのはうれしかったのですが、入れずにお帰りいただいた方もあったようで、申し訳なく思います。
衆目の一致するところ、白眉はモーツァルト《ケーゲルシュタット》でしたね。これについては、久元さんのくださったメールに的確な言葉があるので、引用させていただきます。「自由闊達で魅力的な武田忠善先生のクラリネット、ひたむきでこまやかな坂口弦太郎さんのヴィオラ。まったく違う個性が出会い、音楽が生まれていく中でスリリングな快感と気の交流がありました。」本当にその通りで、音楽の中心に、久元さんの潤いに富む、温かいピアノがありました。
最後のトークで、「今日は久元さんの世界を室内楽も含めてご紹介したが、その世界の中心は久元さんではなく音楽である」という言葉が自然に出ました。心からの賛辞です。皆さん、ありがとう。
月日への実感 ― 2009年09月06日 23時45分56秒
5日、熊本のモーツァルト・コンサートは、1800席と大きいにもかかわらず音響効果のひじょうに良い県立劇場に、大勢のお客様を招いて開かれました。
この日の大学+地元のコラボレーションは、地元のアマデウス合唱団とアンサンブル・ラボ・クマモトが国音勢の参加と福田隆教授の指揮により、《レクイエム》の抜粋を演奏するというものでした。しかしこれが、気迫のこもったじつにすばらしいもので、作品のすごさを見事に表現。〈トゥーバ・ミルム〉でソプラノ(澤畑さん)が「その時、哀れな私は何と言ったらよいのか」という歌詞で入ったところでは涙が出て、以降止まりませんでした。高校生の時傾倒したこの作品にこうした形で再会し、感無量です。
演奏後、また打ち上げの席で、私が最初に非常勤で行った講義を聞かれた方、若い頃の授業を受講された方が何人も来てくださいました。積み重ねた月日を、しみじみと実感します。
6日(日)。ほとんどの先生方は高校生対象の講習会で忙しいのですが、私は担当がありません。せめて私ぐらい観光しないと熊本県に申し訳ないと思い、タクシーを借り切って阿蘇巡り(!)。雄大きわまりない自然景観を満喫しました。温泉にも入りましたよ。
戻った東京、涼しいですね。全然違います。
名前を忘れては ― 2009年09月04日 23時08分51秒
今日は北九州の八幡にある「響ホール」で、「モーツァルトの美意識」のコンサートを行いました。熊本も、北九州も猛暑。もともと暑い土地柄なのか、ちょうど今そうなっているのか、わかりませんが。
こちらで用意していく出し物に加えて、現地の卒業生組織からの出し物を取り入れ、交流を図るのが、当シリーズのコンセプトです。冒頭の《ケーゲルシュタット・トリオ》と、《魔笛》の少年役を、北九州支部の方々に担当していただきました。これがなかなかで、《魔笛》の3少年など、大きな貢献をいただいたと思います。
トーク担当の私が心配したことのひとつは、演奏者紹介。お名前を忘れたりしたら、たいへん失礼にあたります。しかし最近は、あたりまえのことがとっさに出なくなる、ということをしばしば経験していますので、油断はできません。
演奏が大きな盛り上がりのうちに終わり、私が出演者を紹介する番になりました。懸命に記憶をたどりつつなんとかフルネームでご紹介できていたのですが、最後に、精神的な深さを加え圧巻の歌唱だった長身美貌のソプラノ歌手の前で、立ち往生。懸命にプログラムのページをめくり、「澤畑恵美」という名前を発見しましたが、一生の借りを作る、大失態でした。一番間違えそうもないお名前を忘れてしまうのですから、弁解の余地はありません。
失態はともかく、4人の名歌手(澤畑、加納、経種、黒田)の歌はすばらしく、器楽の方々も本領を発揮されて、エキサイティングなコンサートになったと思います。明日は、熊本で開催します。
絶品!ギエルミ氏 ― 2009年08月28日 23時51分05秒
いずみホールのバッハ・オルガン作品連続演奏会。第6回の出演者は、初のイタリア人、ロレンツォ・ギエルミ氏でした。トリオ・ソナタのCDが好きで世界最高峰、という印象を抱いていた私は、楽しみであった反面、不安でもありました。イタリア語でインタビューはできませんし、どの程度コミュニケーションを取れるか、心配していたのです。
お会いしたとたんに、心配解消。日本人ほどの背丈で、いかにも頭のよさそうなギエルミ氏は、オルガン技術者とはフランス語で、ホールのスタッフとは英語で、私とはドイツ語で流暢にお話になります。何の不安もない、バイリンガル。リハーサルは要領よく進められましたが、じつに明晰なスタイルで貫かれ、オルガンが、これまで聴いたこともないほど、すっきり響きます。線が生き生きと絡み合い、音色選びのセンスも最高。そのことを申し上げると、自分はオルガーノ・プレーノでわーっと響かせるのが好きではなく、つねに繊細な音作りを心掛けている、とのこと。さすがのコメントです。
休憩後のインタビューでステージにお呼びすると、意外や、小走りに出てこられました。愛嬌のあるお話をしばらくされた後、手を振りながら、小走りに退場。知性派なのに、軽いノリなんですよね(笑)。洗練された演奏は後半ますます透明度を高め、アンコールのスカルラッティのソナタは最高でした。
毎回こうした演奏が続きますので、このシリーズ、本当に多くのお客様に来ていただいています。ホ短調のプレリュードとフーガに《18のコラール》の抜粋をはさむ、という今回のプログラムはきわめて渋いものだと思いますが、客席が大きく盛り上がったのはたいへん嬉しいことでした。前売りの予約も最高を記録しました。ありがとうございます。
声楽曲に歌詞はない ― 2009年07月14日 23時29分28秒
7月9日(木)、いずみホールで、1年ぶりに、「日本のうた」シリーズのコンサートを開きました。作曲家・木下牧子さんをゲストに迎え、木下さんの選による日本の名歌と、ご自身の代表作、そして人気作をたっぷり聴く。そして最後に、当日のピアニストであった加藤昌則さんの作品で締めくくるという趣向でした。木下さん、および出演者と入念に意見交換しつつ、こうしたプログラムを組み上げました。
大学3年生のときの初挑戦曲から最近作まで・・。洗練された木下ワールドの諸作品はいずれも魅力的で、日本的な美の精髄が注ぎ込まれています。ソプラノ、佐竹由美さんの芸術性の高さと安定した技術、バリトン、宮本益光さんの洞察力と性格表現もみごとで、オリジナリティのあるコンサートを作れたと思っています。
やっぱりなあ、と思ったのは、木下さんが詩の選択に大いにこだわり、高い基準で選び抜き、音楽をつけることにたっぷり時間をかけ、磨き抜いていく、ということでした。内外を問わず、多くの作曲家が、そのようにしてきたのではなかったでしょうか。
普通の歌や合唱の練習の場合はどうでしょう。まず階名や母音で歌う。歌えるようになったところで、「さあ、歌詞をつけて歌ってみましょう」ということになる。でもこれだと、歌詞は音符に振られている言葉に過ぎませんよね。実質はあくまで、音楽の方にある。これでは、詩を音楽を通してしか見ないことになります。音楽のついていないときの詩それ自身の美しさや生命力。それを愛するからこそ、作曲家はファンタジーをふくらませて、音楽をつけるのではないでしょうか。
私は、声楽曲に歌詞はないと思う。あるのは歌詞でなく、詩です。詩を詩として、できるかぎり尊重すべきです。外国語の発音を学び、辞書を引いて意味を書き込んでも、詩を生かすことはできません。急に語学に上達するわけにいかないとすれば、必要なのは暗記であり、朗唱です。それをみっちりやれば、語学の感覚はその詩その詩に即して、ある程度身につくものなのです。
あらかわバイロイト! ― 2009年05月14日 22時39分00秒
「あらかわバイロイト」。今年から始まるワーグナー音楽祭の名前です。「サンパール荒川」というホールは聞いたことがなく、じつのところ半信半疑で公開ゲネプロに出かけました(日暮里からタクシー)。公演は明日の金曜日から3日間ですが、時間がまったくとれなかったのです。
出し物は《パルジファル》。宗教的内容をもつ至難・至高の作品で、私のライフワークの1つに当たります。これがどんな風に再現されるのか。ロストック市立国民劇場との共同制作で、指揮も演出もそちらから入っていますが、私の感想は、おおフルオケだ、などという失礼なところから始まったのでした。
ところが、堂々の水準なのですね、これが。森の場面が聖堂内に変わり、不気味な礼拝場面が繰り広げられるあたりはすばらしい音楽が続きますが、田辺とおるさん(アムフォルタス)の圧巻の歌唱を得て、迫力充分でした。
こうしたイベントを地域に興すことがどのぐらい困難なことか、私にも想像がつきます。絶対に欠かせないのは、先頭に立つ人の志の高さと人間的な求心力です。その意味で、公演監督兼主役として全体を牽引しておられる田辺さんを、心から尊敬します。
明日までにCD/DVD選を仕上げなければならず焦っていましたので、重要な第2幕、感動的な第3幕は見ずに帰宅しました。ごめんなさい。
ラ・フォル・ジュルネ ― 2009年05月05日 23時08分56秒
ラ・フォル・ジュルネに行ってきました。
この企画が画期的な成功を収めていることは、皆様ご承知のとおりです。3日間バッハのプログラムがいくつもの会場で続けられ、単独の開催では絶対人を呼べないと思えるコンサートがすべて売り切れというのは、常識では考えられないことです。運営も行き届いており、バッハの普及に大きな貢献をいただいたと感じました。
3つのコンサートを聴きましたが、特筆すべき発見だったのが、ピエール・アンタイ指揮、ル・コンセール・フランセのカンタータ第93番(←こんどコレギウムで採り上げます)と第178番でした。すばらしいリズム感に乗ってメンバーが本当によく聴き合い、きめ細かく、それでいて華のある演奏を展開しています。しかもしかも、リフキン方式!フランスのバッハ演奏も、ここまで来ているのですね。
講演の会場に入ると、BGMでカンタータ第198番が流れています。うっとりするほど美しい演奏なので、思わず「誰の演奏ですか」と尋ねると、やはり来演中のフィリップ・ピエルロ指揮、リチェルカール・コンソートだとのこと。この2団体が今回の目玉だったのかもしれないと想像しました。
講演もがんばりましたが、45分という時間はやはり短く、意を尽くせずに終わってしまいました。満員の聴衆が熱心に聞いてくださっただけに残念です(自己評価:60点)。時間の使い方を、もっと勉強します。
19時45分開始で、コルボ指揮、ローザンヌ声楽・器楽アンサンブルの《マタイ受難曲》。耳当たりのよい響きと流れがあり、それなりの貫禄で指揮されていましたので、楽しまれた方も多かったかも知れません。しかし私から見ると取り組みの甘さが随所に感じられ、掘り下げという点でもの足りませんでした。そのうえ、主観的。「どうしてバッハが書いたとおりにやらないのだろう、今ではみんなそうやっているのに」ということがいくつか重なってイライラしていたところへ、第1部の最後からそのまま第2部に入り、ペトロの否認まで行って休憩になりましたので、見切りを付けて帰宅。第1部、第2部にバッハの張り巡らせた構成が、これでは台無しです。まあ、最後に感動的な盛り上がりが訪れる可能性は、あったと思いますが。
ステージの両側には巨大なスクリーンがあり、演奏者の表情が、たえず大きく映し出されていました。でもそれなら、字幕を出すべきではなかったでしょうか。演奏者の姿より、作品の内容のほうがずっと重要だと思います。
【付記】《マタイ》の座席、14列の41番でした。BACHの数(14)とJ.S.BACHの数(41)を踏まえた梶本さんのご配慮(多分)で、ぜいたくに座らせていただきました。感想もぜいたくで、申し訳ありません。
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