プレッシャー2010年02月26日 23時09分19秒

朝から、ドクターコースの入試。受験生には申し訳ないと思いつつ、空き時間に、ワンセグでフィギュア・スケートを見ました。やっぱりワンセグでは真価がわからず、帰ってから録画で見直しましたが、キム・ヨナのすばらしさに感嘆。優雅にして流麗、これ以上ありうるのか、というところまでいっていますね。トシのせいか、涙なくしては見られません。真央ちゃんも、この相手では仕方がないでしょう。ここまで来ると、日本人、外国人は関係ありません。

さかんに言われる、プレッシャー。2人とも、国民的期待を19歳の双肩に担うわけなので、気の毒と言えば、気の毒です。でも、それこそ、本当の晴れ舞台なんですよ。期待を担い、気合いが高まるほど力が出てくる、というのが本当なのです。そこで輝けるかどうかが、将来を分けます。

これは観念で言っているのではなく、自分のささやかな経験や、周囲の芸術家たちを見ていて思うことです。ですから、リスクを忌避する人に、将来はありません。

そんな気持ちで、明日の試験に臨んでみたいと思います。あ、審査員ですが(笑)。

楽しい飲み会2010年02月25日 23時09分26秒

「一寸先は闇」という言葉があります。この言葉を思い出さざるを得ないのが、トヨタのリコール問題。不景気の中で一人勝ちを謳歌していた優良企業がこうなってしまうのですから、世の中はわかりません。民主党政権しかり。広い意味ではこれも、ツキの理論の立証かもしれませんね。

話は飛びますが、飲み会は楽しいですね(飛びすぎ)。月曜日は、「ドイツ語つながり」という会。職場でドイツ留学経験をもつ方々が集まり、親睦を深める、という趣旨の会です。私ははじめて全面参加しましたが、思い出話も多く、盛り上がりました。「ドイツで一番好きなところはどこか」という話題を振り、みなさん思いの丈を語られました。私は、断然ベルヒテスガーデンです。湖と山と修道院のある、すばらしい保養地です。

火曜日は、脳や心理を専門とする東大教授、慶大教授と食事会(スペイン料理)。どちらも大のつく音楽好きの方で、楽しい談話に、時間の経つのを忘れました。私、楽しく飲むことには自信があります。いろいろな方とご一緒したいと思いつつ、時間の制約から、そうできないのが残念です。

大失言2010年02月24日 22時41分27秒

疲れてしまいました(笑)。ハイ・テンションでたくさん仕事をしてきましたが、どうやら限界です。今日はそのためか、大失言。

朝から、入学試験の判定会議をやっていました。今年は推薦の段階から音楽学の受験者が多く、なぜだろう、と首をひねっていたのです。もちろん、受験者減の折から、たいへん嬉しい現象です。そのことを報告する際、「ろうそくが消える前の輝き」というたとえを使ったのですが、これって、とんでもない不吉な比喩ですよね。

私としては、このたとえと、「どんな悪いことが起こるかわからないと心配しています」という言葉とが頭に浮かび、てんびんにかけた末、後者はいかにも、と思って前者にしたのです。背景にはもちろんツキの理論があるのですが、それは、皆さんご存じありません。大失言、ごめんなさい。

会議のあと学生を6人指導し、編集者にDVDの原稿を渡して、帰宅しました。いまオリンピックの映像を見ていますが、カーリングはがんばりましたね。対ドイツ戦を見て、日本女性の美しさを再認識しました。ドイツって、ほんとうにああなんです(内緒)。ともあれ、力一杯投げる競技が多い中で、静かに、力を抜いてショットするカーリングの良さが、少しずつ感じられてきました。目黒さん、やめないでね!

〔付記〕キム・ヨナの完成度の高さはすばらしいですね。たいしたものです。

死を思う日2010年02月21日 22時23分18秒

目下、勤め先の入学試験が進行中です。今日は全学的な学科の日で、朝から試験監督。昔は、1年でいちばんいやな日のひとつでした。緊張はするし、時間は経たないし。でも今は、まあ人数が減ったためもありますが、ずいぶん楽な気持ちでできるようになりました。歳を取ってよかったことのひとつがこうしたことで、人間関係も、すごく楽になっています。まあ、人間関係からくるストレスの量が職場で一定であるとすれば、私が楽になった分、どなたかに回っているのかもしれないのですが・・・。

試験監督はやることがありませんから、5分経過するのがたいへん。1日で、一番長い日です。それでも、ちゃんと過ぎ去る。人生が長くても、必ず死ぬ日が来るのと同じです。かくして学科の試験日は、毎年、死を思う日となっております。

DVDの仕事を続けていますが、今日、本当にすばらしいものと出会いました。アーノンクール指揮、フリム演出、チューリヒ歌劇場のベートーヴェン《フィデリオ》です。

私は《フィデリオ》という作品がこれまでどうしても好きになれませんでした。しかしこの《フィデリオ》は、別の曲のように聞こえます。ルーティンの澱をすっかり洗い流して、新鮮で清潔な演奏が展開されているのです。加えて、耳と目が完璧に融合している。歌劇場でこんなクリエイティヴな仕事ができるとは、驚くばかりです。生まれて初めて、《フィデリオ》に心から感動しました。カミラ・ニルンド(レオノーレ)、すばらしいですね。

放送収録2010年02月17日 23時57分07秒

今日はNHKで、番組を2本収録。何の番組かと言いますと・・・今日解禁になったので公表しますが、この4月から、「バロックの森」を担当することになったのです。

じつはここ数年、私の弟子とその仲間たちが担当していて、意欲的にやっていました。ですから、弟子から仕事を取るような感じもあり、躊躇したのですが、再編成へのNHKの意向がはっきりしていたので、お受けすることにしました。関根敏子さん、今谷和徳さん、大塚直哉さんといっしょにやります。

入りは、「6時になりました!おはようございます」というのが定番だそうで、謹んで継承しました。第1回は3月29日の月曜日です。この日は、《暁の星》のコラールを使った曲を集めてみました。シャイト、プレトーリウス、ブクステフーデ、クーナウ、バッハです。クーナウのカンタータも、なかなかいいですね。30日の火曜日は、バッハのオルガン・トリオを特集します。トリオ・ソナタをギエルミで2曲(←すばらしい)、シュープラー・コラール集をロジェで。2人の若いディレクターの方が丁寧なサポートをしてくださるので、安心して仕事ができます。

夜は東京文化会館で、二期会公演の《オテロ》を鑑賞。福井敬さん渾身のタイトルロールで、第4幕は涙なしに見られませんでした。曲が良すぎます。

『エヴァンゲリスト』校訂第一段階終わる2010年02月16日 23時34分56秒

今日は久しぶりに、自宅にいられる日。『魂のエヴァンゲリスト』の改訂に精を出し、補章の「20世紀におけるバッハ演奏の4段階」に取り組みました。といっても、20世紀に関しては以前に書いたことがだいたい通るので、「21世紀に入って」という項目を付け加えるのが中心でした。

一応一通りチェックを終えましたが、結果として、85年の本と、大幅に異なったものとなりました。古い革袋に新しい酒を盛った、というところでしょうか。編集者の方と、書名を変更するかどうか相談しましたが、「魂のエヴァンゲリスト」を知り、文庫化を楽しみにしていてくださる方も多いという判断から、このままでいくことにしました。

とはいえ、以前はまずかったなあ、というところもたくさんあります。私のバッハの本でいちばん読まれているのは講談社現代新書の『J.S.バッハ』ですが、これも1990年なので、古くなっている。今回、新しい研究を取り入れた一般書が出せるのはとてもうれしいことです。

国立音大音楽研究所のホームページを、やっと更新しました。更新したのは、去年演奏したモテットの研究ですが、これは研究年報への準備としてやっています。よろしくお願いします。http://www9.ocn.ne.jp/~bach/

髪を切る2010年02月11日 22時10分22秒

「先生、髪を切ったんですか?」と、また言われました。言う人、全部女性です。髪を整えてからもう2週間になるのに。

違和感のある表現です。髪を切るというのは、ロングにしていた女性が突然ショートになってあらわれる、というような場合に言うのではないでしょうか。私のようなケースは、昔から、「床屋に行く」と言うのです。ですから、「先生、床屋へいらしたんですか」と言うのが、正しい日本語です。

と書いたものの、自信がなくなってきました。男の方々、いかがですか。「床屋へ行った」とおっしゃいますか、「髪を切った」とおっしゃいますか。後者は、男性の長髪が流行したグループサウンズの頃に生まれた表現なのでしょうか。そんな気もしてきました。

もうひとつあるのではないか、とおっしゃる方。わかりますよ。「美容院に行った」という類型を加えなければいけない、ということですよね。昔、友人のひとりが1万円で美容院に行っているという話を聞いて仰天したことがありますが、いま周囲にいる声楽の学生たちのうち、少なからぬ数が美容院に行くようです。そんな恥ずかしいこと、私には考えられません。美容院がいいという理由は何なんでしょうね。「ひげを剃ってくれない」ということが致命的なのではないかと思うのですが。

松本ブランデンブルク紀行(7)--痛恨の思い2010年02月06日 23時26分11秒

初日、講演会の終了後。上品なご婦人が、私を尋ねて来られました。初恋の彼女の、母であると名乗られました。私と彼女は同年齢ですから、私の母でもあり得るお年のはずですが、自然なたたずまいは、到底そんな年齢に見えません。

ご婦人は私に袋を渡されました。そこには、やっと探し当てた古い写真が入っている、とのこと。そして、自分は短歌をやるので、娘が亡くなるときに詠んだ短歌を同封しました、とおっしゃいました。便箋に綴られているようです。

ありがたく頂戴しましたが、開く勇気がありません。翌日も勇気はなかったのですが、このままでは永久に開けないと思い、勇を鼓して、開いてみました。

白い紙に包まれた写真を取り出します。2枚ありました。小さい方を見たら、ああ!まさに中学生の頃そのままの面影の、彼女です。ずいぶん若い頃のようで、もしかしたら、国立音大在学中のものかもしれません。大きい方の写真は正装で、結婚式に撮ったものと思われました。2つの写真の間には、多少の年月の開きがあるようです。

達筆の書状が添えられていました。私の幼い頃の姿が今でも懐かしく浮かぶ、と書いてあります。ご存じだったんですね、私を。そのあとに6篇の短歌が記されていました。いずれも痛ましいものですが、その中にバッハが出てくるものを発見し、衝撃を受けました。

 孫娘は涙ぬぐひてその母の柩に納むバッハの楽譜

どんな楽譜が選ばれたのか、私にはわかりません。思ったことはただひとつ、ああ、万難を排してお見舞いするのだった、ということです。その日は痛恨の思いにさいなまれ、心の晴れることがありませんでした。ご冥福をお祈りいたします。

松本ブランデンブルク紀行(6)--悲しい初恋2010年02月05日 23時51分32秒

価値のあることについて詳細に連載しているのに、「痛切」の話はどうなった、いつまで引っ張るんだ、という声が聞こえてきます。引っ張ったわけではありませんが、書いていいものかどうか迷っていたことは確かです。プライベートなことですから。

まあしかし振ってしまいましたから、書こうと思います。ことは、私の初恋に関することです。時効だから、ということにしてくださいますでしょうか。もっとも、過去のホームページにはどんどん書いていましたが・・・。内密にお願いします(って、変ですね)。

整理しておきます。中学生のとき、D組だった私は、B組にいた美女に恋をしました。彼女に恋をしていた子、何十人もいるんじゃないかと思います。彼女には特定の人がいましたから、私は、典型的な片思い。同じ音楽部ではありましたが、付き合うどころか、話をすることもほとんどありませんでした。とはいえ、情熱的な年頃です。彼女の部屋の灯が消えるのを遠くから眺め、寂しく帰った日があったことを覚えています。それはストーカーだ!などと言わないでくださいね。当時はストーカーという言葉、ありませんでしたよ。

その後、私は深志高校に進学し、彼女は蟻ヶ崎高校(当時女子校)に進学しました。大学に入る頃にはすっかり遠ざかってしまいましたが、彼女は国立音大に進学し、私がやがてその教師になるという偶然が進行していて、のちに驚きました。

ずっと時間が経ち、私の『モーツァルトあるいは翼を得た時間』の出版記念会を、松本の友人が開いてくれることになりました。その友人はその機会に、彼女との再会の場を、設定してくれたのです。私は本当に感動しましたね!昨日のことのように覚えています。

その後、松本で会合があると彼女も来てくれるようになり、「松本バッハの会」の連続講演のおりには、司会もしてくれました。とはいえ、昔とはかなり印象の異なっていた彼女に対して、昔の感情がよみがえったわけではありませんでした。

また時間が経ち、驚くべきことが起こりました。お嬢さんが、母が危篤なので会ってあげてくれないか、と言ってきたのです。ところが、連絡先を大学に問い合わせし、大学も今は本人の同意を取らないと教えないものですから、連絡が取れるまで、数日が浪費されてしまいました。彼女は結局亡くなり、私にできたことと言えば、その後松本で行われたコンサートで弔意を述べることと、ご自宅に伺ってお線香を上げることだけでした。その折りに、思い出に写真をいただけないか、と申し上げたのだと思います。今年ご主人から来た年賀状に、写真が遅れていてすみません、と書かれていましたから。

以上、起こった出来事への前提です。

笠原さんの受賞2010年01月24日 08時56分27秒

23日は、池袋の立教大学へ。長期にわたって非常勤講師をつとめた大学で思い出もたくさんありますが、出かけるのは久しぶりです。今日はその上品なチャペルで、故笠原潔さんの表彰式があるのです。

立教大学がキリスト教音楽の研究者を対象に、辻荘一先生を記念する賞(学術奨励金)を制定したのが、1988年。第1回の受賞者として、『魂のエヴァンゲリスト』を出版して間もない私を選んでいただきました。私のその後の活動にとって、この賞をいただいたことの意味は大きく、たいへん感謝しています。今回は第22回目になりますが、いつからでしたでしょうか、「辻荘一・三浦アンナ記念学術奨励金」として、キリスト教芸術の研究者を広く顕彰するようになりました。その対象には、物故者も含まれています。このため、笠原さんの受賞が可能になりました。

授与式は、オルガン演奏、聖書朗読、讃美歌など、完全な礼拝スタイルで進行します。受賞者のスピーチに代えて、笠原さんが最後に手がけた放送大学のシリーズ「西洋音楽の諸問題」から、幕末の洋楽史に関する2つの部分が放映されました。私も、バッハで2回分担当させていただいたシリーズです。

久々に対面した笠原さんは若々しく、テレビ映りといい、流暢な語りといい、貴重な資料を整理して盛り込む手際といい、抜きんでたものでした。圧倒的に幅が広く、どんなことも器用にこなし、たえず行動を怠らないという得難い存在でしたので、57歳で亡くなられたのは、音楽研究の世界にとって大きな損失です。その貢献が新たに評価されて、本当によかったと思いました。

あとの予定が動かせなかったので、放映が終わると同時に退席。パーティにも出席できず、申し訳ありません。