LDも離せない2012年09月16日 22時20分13秒

LDって、大きくて重くて、とても不便。DVD時代を迎えて離れられるかと思ったら、意外に持ち歩く機会があり、ドイツ旅行の際には、その収納を考えてカバンを買いました。あ、ドイツにもっていくのではなく、国内で使うためです。

どうやらLDを大活躍させざるを得ないのが、いま「たのくら」で進行中のワーグナー・プロジェクト。折にふれて探してみましたが、ワーグナーの映像で、日本語字幕のついているものはきわめてわずかしかありません。LD時代には、そうではありませんでした。主要作品にはすべて、複数の字幕付き映像がありました。いまはいろいろなレパートリーのオペラが映像で楽しめますが、字幕のついているものはごく限られます。公演はほとんど字幕付きになっているのに、これは残念なことです。理由は、費用がかかるという一点でしょうが・・・。

今回は《さまよえるオランダ人》でしたので、何を使おうかと、所蔵のLDをチェックしてみました。すると、まだ封を切っていないものがあるではありませんか。フィンランド・サヴォンリンナ音楽祭の1989年の映像で、指揮がゼーゲルスタム。グルントへーバー(オランダ人)、ベーレンス(ゼンタ)、サルミネン(ダーラント)という一流揃いです。

視聴してみたら、これがとてもいい。演出も作品に即しており、そこに、たいへんよくできた字幕がついています。作品の解説と鑑賞には、こうしたものが役に立つのです。(海の出てこない演出はもちろん、オランダ人とダーラントが瓜2つ、という演出も困ります。2人は両極、と説明しますし、そう理解するべきですから。)

映像でオペラを楽しむ時代であればこそ、字幕を望みたいですね。ちなみに私の中で、ワーグナー熱が再燃しています。それは13日(木)に、二期会による《パルジファル》のじつにすばらしい公演を鑑賞したため。これについては新聞に思い切り書きますので、そちらをご覧ください。飯守泰次郎さん、ワーグナーへの愛にあふれて、すごいです。尊敬します。

ステージから転落(3)2012年09月13日 23時57分46秒

ステージの高さは腰ぐらいですから、落下に要した時間は、1秒ぐらいでしょう。しかし、随分長く感じました。体感的には、5秒から10秒近くあった。その間、いろいろなことを考えました。すぐ思ったのは、これは良いネタになるな、ということ。かつての大ネタ、コインロッカーのことも、頭をよぎりました。

だから、落下中恐怖で髪の毛が逆立っていたわけでも、怪我を恐れて顔がひきつっていたわけでもないのです。むしろ、離れたところから自分を見下ろしているような、ゆったり感があった。これって、巷で言われていることですよね。高いところから落ちた人は、一生の出来事を走馬灯のように思い浮かべる、という話もあります。どうやらそれは、事実であるように思われます。

脳内モルヒネの分泌というのは、このことを言うのでしょうか。こういうとき心身が自動的にセーフモードに入るのだとすると、バンジージャンプのような恐ろしいことが気持ちがいいというのもそれによるのだろうし、死ぬときだって、案外気持がいいのかもしれません。

さて。落下しているうちに身体が一回転し、丸まった形で横倒しに着地しました。左足の親指を打ったか捻ったかしましたが、危ないところは打たなかった。まさお君の言葉を借りれば「絶妙の受け身をとった」そうで、「先生は柔道をなさったんですか!」と言う方があったぐらいです。もちろん柔道も体操もまったくダメですが、じつに幸運でした。

ちなみに転落は、講演に対して、絶妙の効果を及ぼしました。うとうとしていた方々もすっかり覚醒され、会場のテンションが上がって、大きな盛り上がりが生まれてしまったのです。

左の親指は翌日痛くなり、痛風の歩き方になってしまいました(←超遅い)。今日はもう、大分良くなっています。このオチで満足していただけるかどうかたいへん心許ないですが、読んでいただき、ありがとうございます。

〔付記〕ステージのへりに目印を入れて落下を防ぐことは、設計の段階で、じつは検討されたのだそうです。しかし建物の目的に照らして、そんな人は出ないだろう、という判断になったとか。まさかの実例を提供してしまいました。

ステージから転落(2)2012年09月12日 13時42分34秒

松本の町は、行くたびに変化します。駅前はよく整理され、えらく長かった信号の待ち時間もフツーになりました。光り輝く感じはなんだろうと思って観察してみると、ほとんどのビルが、白か白系統の色なのですね。したがって、明るく近代的な印象。ただし食処の集中度は、長野駅ほどではありません。

それでもなかなかおいしいラーメンをまさお君と食べ、タクシーで会場の「深志教育会館」へ。数年前にできたというこの建物、高名な卒業生の設計とかで、木の内装が落ち着いた雰囲気を醸し出し、講演会にはうってつけです。音響効果も優秀とか。いいですねえと感心していると、ところであなたは寄付をされましたか、という話になりました。覚えていませんとうろたえると、すぐ調べられます、とのこと。まあまあと引き止めましたが(汗)、卒業生から母校への、すばらしいプレゼントですね。恩恵に浴してしまい、恐縮です。

集まられた会員は中高年の男性中心で、いかにも知的な方々。気持ちが引き締まります。高解像度のプロジェクターを駆使しながら自筆譜をあれこれ紹介し、「バッハの仕事場を覗く」というのが、この日の課題でした。

ホールには腰の高さほどのステージがあります。しかし私はその下で、パソコンの操作をしながら話をしていました。ステージに登ろうと思ったのは、持参したファクシミリをよく見てもらおうと思ったから。胸の前に広げて説明し、思わず一歩踏み出したところ、そこには床がなかったのです。ステージの床とフロアの床の模様がまったく同じだったので、段差があることに気づきませんでした。(続く)

ステージから転落(1)2012年09月11日 11時39分12秒

9日(日)、「まつもとバッハの会」の連続講座が始まりました。私は中央線沿線に住んでいますので、隣駅の立川から特急に乗ることができ、そのまま1本で、松本です。西国分寺、武蔵浦和で乗り換えて大宮にゆき、そこから新幹線に乗る長野行に比べれば、とてもすっきりしたアプローチです。ところが新幹線と在来線の速度の差が大きく、同じ時刻に着くためには、30分早く家を出なくてはなりません。

長く乗る以上座れなかったら大変なので、土曜日の晩、切符を買いに行きました。すると、残席はグリーン車においてもわずか。窓際は残り1席しかなく、そこを確保しました。

快晴。立川で社内に乗り込んでみると、たしかに一杯です。私の番号の通路側を占めているのは、とても肉付きのいい青年(大学生?)で、身体をかがめ、一心にスマホの画面を見ています。たくさんの荷物を持ち込んでいて、要塞のよう。「ちょっとすみません」と声をかけましたが、依然スマホに見入っていて、反応なし。もう一度「ちょっとすみません」と声をかけたところ、顔を上げることも声を出すこともせず、同じ姿勢のまま少し身体をよけました。そこで荷物を乗り越え、窓際の席に入りました。

青年はその後もスマホに見入り、自分の世界に没入しています。隣に他人が来たことなど、まったく眼中にないよう。私は思いましたね、そうか、これがいまよく言われる若者の一典型か、と。

ようやくスマホから離れた青年は、お弁当を食べ始めました。身体が大きいので、よく食べます。食べ終わると、テーブルはそのままにして、睡眠。私はトイレに行きたくなっていたのですが、巨体とテーブル、荷物が立ちはだかり、出るに出られません。

若いので眠りが深く、大きく右に身体を傾けるようになりました。つまり私にもたれかかってきたわけです。やわらかな肉塊がずっしり私の身体にかかり、私は窓際に押し付けられる状況。もちろん当人には何の意識もありません。私は勇気を奮い起こし、3度、力いっぱい押し返しましたが、爆睡しているのでまたもたれかかってきます。私、グリーン車代を払っているんだけどなあ。

これは松本まで行くなと覚悟しましたが、その前、塩尻で下車してくれました。見ると、お母さんが先導しています。きっとかわいがっているんでしょうね--というわけで、松本旅行、波乱の始まりとなりました(続く)。

洒落たカフェ2012年05月28日 22時37分07秒

27日(日)は、先日出版した『教養としてのバッハ』(アルテスパブリッシング)の紹介を兼ねて、共同執筆者の久保田慶一さん、佐藤真一さんとともに、「トークショー」(!)を開催しました。

場所は、原宿から千駄ヶ谷方面に進んだところにある『ビブリオテック』。いまは、こういう空間があるのですね。高級な図書館というか、蔵書を楽しめるカフェで、とても気持ちのよいところです。ここで開催されている「文明講座」の第25回を、私たちのために提供してくださったのです。

私は、司会を兼任。今回の本のできるまで、こうした本だからこそわかったことわかること、その一部の音源付き内容紹介、最近の演奏をめぐってなど、さまざまな話題を提供しました。合計180歳を越える3人では「トークショー」の洒脱さなど望めないのですが、それでも並々でない盛り上がりを実感したのは、満員の、しかも若い方の多いお客様が打てば響くノリのよさで対応してくださったからでした。

着くまではとても疲れていた私も一気にノリが出て、大阪に続いて付き合ってくれたまさお君からも、「絶好調」のお墨付きをいただきました。やっぱりこういう発信が、自分の生きがいであるようです。帰ってきたら、また疲れちゃったのですけれど。

学んだこと2012年01月07日 23時48分44秒

新年早々の難関と認識していた6日、7日の講演3連チャン、乗り切りました!前門の虎、後門の狼といいますが、虎に当たる、日本合唱指揮者協会の講演についてご報告します。

一番前で聴いていた音楽学出身の弟子に「先生、緊張していましたね」と見破られたほど、じつは緊張していました。専門家の方々の前で「バッハ研究家の指揮者論」などというテーマを掲げてしまい、「釈迦に説法」という言葉がたえず脳裏に浮かんでいたからです。総会開催中待機していましたが、ふと気がつくと、靴下のくるぶしのところに、大穴が開いている(汗)。犬の顔を思い浮かべ、弱ったなあと思いましたが、そこで皆様、私の理論です!これはツキを温存する、吉兆なのではないか。いずれにせよ、穴が見えないように立ちまわらなくてはなりません。

準備は、音源や映像に至るまでしっかり済ませてあり、プリントも配布。そこで話を始めました。しかしその内容というのが私の最近の考えを反映していて、カリスマ指揮者対オーケストラという20世紀的形態に対する疑問が、随所に反映されているのですね。「指揮者の功罪」とか、「モーツァルトの協奏曲に指揮者は必要か」といった項目が出てきます。こんなこと言っちゃっていいのかなあ、と絶えず思うのですが、舌鋒がどんどん鋭くなって、ブレーキが利かない(笑)。今から考えると、聞き手の方々に乗せられていたのだと思います。私の論点には皆さんすでに意識をもたれていて、食い入るように、聞いてくださったのです。

終了後、人生でもそう何度もなかったと思われる、長く心のこもった拍手をいただきました。感激。懇親会で先生方とお話しし、私が気づかなかったことも、いろいろと勉強できました。で、本当に思ったのは、こうした講演のときにはやはり自分の問題意識を率直にぶつけるべきだ、ということ。当たり障りなくエールを贈るより、絶対そのほうがいいですね。問題提起をすることで始まる議論が大切だし、そういう内容を求めて、皆さん付き合ってくださっているとわかりました。

その意味では、聞いてくださった方々のお力で、盛り上げていただいたと思っています。先に向けて、勇気を得ました。

「授業」の終わり2011年12月21日 12時51分24秒

19日(月)で、すべての授業が終わりました。最後は総合ゼミと呼ばれる合同授業の司会でしたが、午前中は大学院の音楽美学で、これはとくに印象深いものとなりました。そこで、思い出を記しておきたいと思います。

私は音楽美学の担当者として大学に呼ばれましたので、一番重要なのは、本来、音楽美学系の授業でした。しかし学生たちの興味やニーズに合わせて講義することがむずかしく、わかりやすくしかも内容のある授業をどうしたらできるか、苦労しました。とくに困ったのが、大学院です。院ともなれば少し本格的にやりたいが、受講する学生にはその用意がない、という状況になりがちだったからです。

最後ぐらいは直球で、と思っていた今年、願ってもない受講生に恵まれました。まれにみる哲学能力をもつ男子学生(音楽学)と、声楽だが理解力のとても高い女子学生。そこに、一般大学の博士課程に席を置く聴講生(最終段階ではさらに、研究会を幅広く主催する碩学の卒業生)が加わったのです。そこでようやく、前期カント、後期ヘーゲルを材料とする授業が可能になりました。

私自身がたいへん勉強になり、もっと早くやるべきだったかとも思いますが、最後にこのようにできたことを感謝するべきでしょう。後期は、私がテキストの要所を抜粋・編集し、必要に応じて原語を添えたプリントを配布。それを読み合わせてからディスカッションする、という方法で進めました。その準備のため、日曜日が制約されたのはやむを得ません。諸芸術を概観したあと音楽の章を少し詳しく扱い、文学の章は展望したのみで、タイムリミットになりました。

ベースに使ったのは長谷川宏さんの訳された『美学講義』ですが、この訳に対するこちらの対応にも弁証法的発展があるのだから、面白いものです。この訳はきわめてこなれていて、少し慣れると、かなりむずかしい部分でも、スーッと入ってくる。大したものです。しかしちょっとひっかかるところ、正確に確かめたいところで原文と対比すると、その思い切った意訳に驚き、しばしば、このドイツ語がなんでこういう日本語になるのだろう、と考えこむ。自分流に訳し直してみたところも、少しあります。しかし何度かそういうことやっているうちに、飛躍しているように見える訳文にもそれなりの根拠があることがわかってきて、なるほどそれもありか、と再評価する。わかりやすい訳をありがたく使わせていただきながら適宜原文を参照するのが、結局便利なやり方であることがわかりました。これだけの本、訳文がすべてを伝えることは望めません。

前期のカントでは、違う経験をしました。何種類かの訳を調べましたが、みな、ドイツ語の概念に日本語の概念を1対1で対応させるという、アカデミックな直訳方式です。したがって訳の互いに相違する範囲が限定されていて、結局どれもむずかしい。原文がいちばんわかりやすい、と言ってもいいほどで、やはり原文なしでは読むことができません。(どなたか、カントを思い切り意訳して、大事なところは大筋で平易に理解できるようにする、という試みをされないものでしょうか。研究者としてはとてもやりにくいことではありますが。)

月曜日の朝いつも面白いなあと思っていたのは、男女の見かけの差異です。すなわち、紅一点の方の外見が、残りの人たちを、何もそこまで、というほど引き離しているのです。これって納まりのいい形だし、男性たちもそこにモチベーションを見出しているように見受けたのですが(反論があればどうぞ)、いつも私は洒落たことわざを脳裏に浮かべては、微笑ましく思っていたのでした。

須坂の一区切り2011年12月19日 00時12分15秒

「すざかバッハの会」主催で開催している音楽入門講座が、11日の日曜日で、2年間の区切りを迎えました。音楽美学のエッセンスをまとめたような講演を30分ほど行い、あとは、2部構成のコンサート。第1部は久元祐子さんのピアノで、モーツァルトの幻想曲と変ロ長調ソナタ、そしてJ.C.バッハのニ長調ソナタ。いつもながら配慮の行き届いた、温かく優雅な演奏でした。ごく自然に聞こえるのですが、裏に回っている部分にも音楽的脈絡がしっかり与えられていて、含蓄が深いのです。

第2部は配下の若手、小堀勇介君のテノールと種谷典子さんのソプラノで、モーツァルトの歌曲とアリア、二重唱。二人の若々しい声がホールを一杯に満たし、熱烈な喝采をいただきました。アンコールに《トゥナイト》を用意していたのですが、これをやると、モーツァルトが飛んでしまいますね。青春っていいなあと、少し感傷的な気持ちになりました。

須坂の講座、これで9年も続いたのだから、驚きです。ぜひ続けたいというお気持ちをいただいて、来年は「《ロ短調ミサ曲》のすべて」というテーマでやらせていただくことにしました。豊かな自然と人情を味わえる、貴重な機会です。もう、体の一部になってしまっています。

モーツァルトもやらなくては2011年07月16日 23時24分55秒

暑い中を、講演を2つこなしました。

午後は、2年ぶりに、モーツァルティアン・フェラインへ。今回は「《魔笛》の価値観」と題して、わかりやすいように見える《魔笛》の中にあるさまざまな謎や問題について私見を述べる、という構成にしました。「作品研究」の授業で《魔笛》を取り上げたさいに、台本や楽譜を見直して作っておいたノートがあるのですが、それを基礎に、作品論を再構築しようという趣旨でした。こういう作業をすると、気がつくことが、いろいろあるものです。

終了後、会食へ。そこでわかったのは、私の本を愛読してくださっている方、このブログも常連として訪れてくださっている方が、ずいぶんたくさんいらっしゃることでした。ありがたいことですね、励みになります。

私のモーツァルト研究への期待も、ずいぶんいただきました。でも、最近さぼっているんですよね。秋に出版予定の海老澤先生の記念論文集にも、私が提供したのは、モンテヴェルディの論文です。定年になったら、少しは力が割けるでしょうか。こういう気持ちの良い会でいい講演をするためにも、勉強は続けたいと思います。

今学期の授業2011年04月11日 23時35分18秒

今日から、授業開始です。10:40からの2時間目(私の大学では3・4限と言います)にいきなり置かれていたのは、大学院の音楽美学でした。例年、これはいちばんやりにくい授業です。音楽美学に本格的な関心をもっている学生はやはり少数ですので、硬派でいくか、さまざまな応用(美学的視点を交えた作品解釈のような)で関心をつなぐかの選択を迫られます。それはどんな学生が選択するかによりますから、教室に行くのが、とても心配なのです。

去年は硬派を目指したのですが、ちょっと反省が残る結果だったものですから、今年はその分、余分に心配していました。そうしたら、少数ですが優秀な受講者が揃い、彼らの要求によって、カントの『判断力批判』を読むことから始めよう、ということになりました。しっかりやります。

火曜日は、13:00から、モンテヴェルディの作品研究をやります。さまざまな「作品研究」の授業をやってきましたが、最初にして最後のモンテヴェルディ研究です。どう考えても、聴講者は少なそうですけど・・・。

金曜日の10:40からは、毎年前期にやっている「ドイツ歌曲作品研究」の授業です。これは例年通りの進め方をするつもりです。その他はじつにすべて個人指導で、のべ18人を相手にします。