寿命が長い! ― 2011年01月30日 13時56分06秒
Dynabookに比べると厚みがあり、スマートさはイマイチ。しかしディスプレイといいキーボードといい、とても使いやすいです。なにより、14.5時間というバッテリー寿命の長さはすばらしい。インジケーターがなかなか減らず、安心して使えます。今日は大阪に新作オペラの公演を見に行くのですが、家を出てからずっと使っていてもう静岡県だというのに、バッテリーはまだ、ちょっと減っただけなのです。
新マシンを使った初仕事は、東京バロックスコラーズでの講演会でした。「バッハとコラール」というテーマは意外に講演したことがなく、しっかり準備をして臨みました。西大島という場所も、まったくなじみのないところでしたが、ずいぶんお客様が来てくださったのは、バロックスコラーズという団体の力量でしょうか。熱心なバッハ・ファンの方々の前でお話しし、質疑応答を行う楽しみは格別です。
ここの講演会の売りは、休憩後に行われる指揮者・三澤洋史さんとの対談。三澤さんのアイデア豊富な問いかけに対応しているうちに、自分では考えていなかった角度からの考察が生まれ、視野が広がるのです。その意味で、ディスカッションはきわめて重要だということを、ディスカッションを忌避しがちな学生さんにも考えていただきたいと思います。
須坂での指揮者論 ― 2010年10月07日 08時08分46秒
話はどうしても、外見や身振りに及びます。それらを武器にしたショー的な要素が、オーケストラ演奏会を近年ますます支えている、と思うからです。しかし私自身はそうした「見せる」要素に興味を失いつつあり、虚心坦懐に音楽に向かっている人を見ると、それだけで点をあげたくなる(逆に言えば「見せる」印象が先に来ると減点したくなる)、と思うようになっています。その意味で、自分の最近の価値観を再確認するような講座でもありました。指揮者のいない、あるいは指揮者に頼らない音楽作りにも大きな楽しみがあることを語って、講演終了。
最後に、気に入った指揮者に1票の、アンケートをしました。平等な条件での比較ではありませんからあくまで遊びですが、ワルター、アーノンクール、ヴァントの順になりました。ただしワルターは、練習風景やインタビューを少し長く使ったので、有利だったかもしれません。進行をもう少し整理して、「たのくら」でもお話しします。
今週はものすごく予定が詰まっており、かなり疲労状態なので四苦八苦です。極力がんばりますがお手柔らかにお願いいたします。
3分の感動 ― 2010年08月03日 11時56分01秒
今回はドイツ・リートの特集ということで、前半が詩をくわしく学んでからCDを聴き、後半はDVDでいろいろなリートを鑑賞する、というプランを立てました。前半の曲として選ばれたのは、シューベルトの《糸を紡ぐグレートヒェン》、シューマンの《蓮の花》、ブラームスの《子守歌》、シュトラウスの《万霊節》。後半には、ベートーヴェンの《アデライーデ》、シューベルトの《春に》、シューマンの《月夜》、ブラームスの《私の女王よ》、ヴォルフの《散歩》、シュトラウスの《明日の朝》を選びました。前半の歌はシュワルツコップ、フィッシャー=ディースカウ、エディット・マティス。後半は、フィッシャー=ディースカウ。最後に、晩年のフィッシャー=ディースカウとエッシェンバッハによる《水車小屋の娘》から、最後の2曲を聴いて、締めとしました。鬼気迫る、究極の演奏です。
私の傾倒する名曲ばかり集めているためもありますが、つくづく思ったのは、歌曲というのはなんとすばらしいのだろう、ということです。なにしろ、どの曲も、数分しかかからない。ほとんど弱音指定されている曲もあり、効果からしたら、地味。にもかからず、内部には延々と広がったファンタジーの世界があります。オペラが1時間かけて獲得する感動を、歌曲は3分で獲得できるのです。この世界を、もっと啓蒙したいと思います。
上に並べた曲のうち、私の一番好きな曲・・・と問われたとしますと、答えは《万霊節》です。第3節の「今日はどの墓の上も、花が咲き匂っている。1年に1日が、死者たちの自由になるのだ」のくだりは毎度涙なしには聴けないという感じで、困ってしまいます(笑)。
テキストの大切さ ― 2010年05月18日 23時34分06秒
今日の授業のためには「音楽と感情の関係」というテーマを選んでいました。音楽には感情を込めれば込めるほどいい、という通念は誤っていること、音楽で表現される感情は私情ではなく高められたイデア的な感情であるはずだということなどを述べ、感情に相当する言葉も歴史的に変遷し、多義的であることを注釈して、導入としました。
次に、バロックのアフェクテンレーレについてまとめようと思ったのですが、その理論的支柱になっているデカルトの『情念論』をきちんと読むべきだ、という思いが生じました。そこで時間のあるかぎり準備し、初めの方を節ごとに要約する形で紹介。久しぶりの読み直しですが、ああこういうことだったのか、という思いをしばしば抱きました。やはりテキストには、いつもあたっていなければいけませんね。来週は、学生に出してある課題をやります。プラトンの『饗宴』を、恋について自説を述べる6人になって議論しよう、という課題です。
大幅に遅れてきた学生が、二人。もちろん事情はあるのでしょうが、自分は学会のあとで疲れているときにこれだけ準備したんだ、時間通り来て聞いてくれ、と怒ってしまいました。こういう「私情」で怒ることは、平素はしないのですが・・・。夜のバッハ・プロジェクトでも、練習して来ない受講生を一喝。やっぱり、疲れてきているようです。
今年の工夫 ― 2010年04月29日 23時15分58秒
今年初めて採用したやり方があります。それは、学生に白い紙を配布し、質問のある人は出しなさい、と言っておくやり方です。クラス授業で人数が多いと、「質問ありますか」と言っても、みな遠慮してしまう。しかし紙に書かせると、ずいぶん多くの人が、なかなかいい質問を書いてきます。その主要なものをレジュメに取り込み、私なりに回答するのですが、これが、絶好の復習になる。たくさん進むより、こうして理解を確実にしていく方がいいとわかりました。
今録音している「バロックの森」は5月24日からの週で、昇天祭と聖霊降臨祭の音楽を特集しています。今日は、聖霊降臨祭の第2日、第3日を収録しました。シュテルツェルとバッハのカンタータを並べ、オルガン曲をからませていくのですが、シュテルツェルにもいい曲がありますね。『エヴァンゲリスト』新版にも書いたように、最近シュテルツェルのカンタータをバッハがライプツィヒで演奏していたことが判明しています(1736年には「年巻」を演奏したという説もある)。バッハとの違いは、多様性、複雑さ、世界の広がり、といったことでしょうか。明日の「歌曲作品研究」の授業では、シュテルツェルの名曲《お前がそばにいるならば》を取り上げる予定です。
学外新学期好発進 ― 2010年04月25日 23時37分16秒
カンタータの講演会では、話の後に三澤さんとの対談が設定され、そのあとにフロアとの質疑応答というプログラムが組まれていました。質問をいただくというのは本当にいいですね。話が深められ、聴衆の方々と、一体感をもつことができます。なにしろタイミングが良かった。『魂のエヴァンゲリスト』の改訂作業をしたばかりで、たいていの情報が、新鮮に頭に入っていましたから。バッハを深く聴いておられる方がたくさんいらっしゃることが、質問を受けてみて、実感されます。
知っていること、考えていることを率直にぶつけあう議論の場を大切に思いますが、これも芸術、学問にかかわっていられるからこそでしょうか。政治家でなくてよかったと思います。「政治家は言葉が生命」とする解説も耳にしますが、私は鳩山さんの言葉って、本当にわかりません。「きれいな海を埋め立ててはいけない」といまおっしゃることの意味は何でしょう。自分の正直な感情を、情勢への配慮なしでおっしゃっているのか、あるいは、自分だけいい子になろうとしているのか。意味がわかれば議論が起こりますが、わからなくては、議論のしようがありません。せめて、意味を知りたいと思います。
授業始まる ― 2010年04月14日 22時09分11秒
13日火曜日は、大学院の音楽美学。これまでは、美学という名前で自由にいろいろなことをやることが多かったのですが、今年は受講生の希望もあり、正攻法で行くことにしました。指導は、博論が2名と、修論7名(オペラ専攻)。これがすばらしいクラスで、楽しみです。夜は、バッハ演奏研究プロジェクトのガイダンス。声楽(iBACHコレギウム)は新人を加えて、ますます強力な陣容となりました。器楽、すなわち《ゴルトベルク変奏曲》の実習はまだ余裕がありますので、二の足を踏んでおられる方、ぜひご受講ください。
水曜日は、久々に、聖心女子大学に出講。思い出のある広尾から坂を上り、久々に、高級感あふれる構内に入りました。学生にも、気品を感じます。美学特講の枠で、前期は聖書と音楽の関係について講義します。受講生は教室一杯でしたが、制服姿の学生も多く、迫力があります(笑)。
終了後音大に回り、博論の指導2名。そう、今年は博論の指導に、時間のほとんどを費やすのです。金曜日には、講義が3つあります。充実感はありますが、完遂できるか否か、不安なしとしません。しかし、手を抜いて思わしくない結果を得るよりも、できるだけのことをしていい結果を得るべきだと、経験が語っているのです。
楽しいシャコンヌ ― 2010年02月15日 23時04分29秒
バレンタインデーと重なった14日の日曜日から、「すざかバッハの会」の新シリーズが始まりました。私流の、クラシック音楽入門篇です。
第1回は、「音楽の原点、変奏曲」と題しました。これは、変奏曲そのものを研究しようというより、変奏曲のもとにある変奏の原理が音楽にとっていかに重要であることを説明するために選ばれたテーマで、変奏のさらにもとにある「反復」の考察から入りました。
バッハの縛りがなくなったので、名演奏を、縦横に使うことができます。予定した素材のうち、あけてみたら別のCDが入っていたのが1つ(スウェーリンク)、使うべきCDを自分のプレーヤーから取り出し忘れてしまったものが、1つ(ブクステフーデ)。それでも、ビーバー、カヴァッリ、ベートーヴェン、シューベルト、ブルックナー、ライヒ、ラヴェルの実例を使うことができました。
どの実例がよかったかを尋ねてみますと、意外に多かったのが、カヴァッリのオペラ《カリスト》。「シャコンヌはバロック・オペラのフィナーレによく使われた」というテーゼの実例のために選んだ素材です。
ヤーコプス指揮、コンチェルト・ヴォカーレの映像が、すばらしいのです。第1幕のフィナーレでは、熊が踊る。第3幕のフィナーレでは、ニンフのカリストが熊になって星空に上げられ、「おおぐま座」となる。この部分が、どちらもシャコンヌになっています。ヤーコプスは低音を思い切り強調し、上声部を装飾的に扱うスタイルで生き生きと演奏しています。
若干理屈っぽい分析になりましたので、お客様を置いていっていないか、前半では心配でした。しかし、持って行った『救済の音楽』がすぐに売り切れたというので、安心。「よく売れて1割」というのが斯界の常識ですから、15%の数を持参した高い本がすぐに売れたというのは、面白く思っていただいた証拠だと解釈しました。須坂の皆様、ありがとうございました。
松本ブランデンブルク紀行(1)--いきなりのドラマ ― 2010年01月31日 09時44分57秒
今回の松本訪問は、松本バッハ祝祭アンサンブルによる《ブランデンブルク協奏曲》の全曲演奏に先立ち、「《ブランデンブルク協奏曲》--多様性への挑戦」と題する講演会を開くことでした。ザ・ハーモニー・ホールが、講演会をコンサートとセットにする形で企画してくれたのです。2年前、《管弦楽組曲》のコンサートにおけるトークを帯状疱疹でキャンセルしましたので、その借りをお返ししなければと思い、私なりに十分な準備をして、出発しました。
私がツキを重んじる性格であるのは、ご承知の通りです。その点で、特筆すべき出来事が、いきなり起こりました。
八王子でいったん下車し、スーパーあずさの乗車券を買いに行きました。すると、グリーン車が売り切れになっていて、一般車両が空いている気配です。普通は順序が逆ですから腑に落ちず、一応窓口で尋ねてみました。すると、1枚だけ、グリーン券が残っている、というではありませんか。「通路側になってしまってすみません」「いやかまいませんよ」といった会話を交わし、グリーン券をゲットして、ホームに急ぎました。
乗り込むと目の前に、体格のいい男女二人が仁王立ちしています。何かを警備しているな、ということを直感しました。車両に入ると、スーツ姿の人々が大勢乗っていて、ものものしい雰囲気です。自分の席を探して通路を進んでゆくと、おられましたね、日本国首相、鳩山さんが。私の席はずっと離れたところでしたが、その周囲の一般人のような感じの人々も、ほとんど警備関係であることがわかりました。甲府でみなさん、合流されましたので。
これって、すごい偶然ですよね。大量のツキを、私は消費したと思います。しかしわからないのは、このツキの消費が私にとっていいことなのか、悪いことなのか、ということでした。3人の女神に出会ったパリスの例もあります(災いのケース)。いきなり、のるかそるかのような形で始まった、今回の紀行です。(結論を先取りしますと、この出来事は、2日目に起こった痛切な出来事への伏線になりました。)
久々のワーグナー講演(3)--ブリュンヒルデの動機 ― 2010年01月27日 23時38分45秒
いまは夫婦となったジークフリートとブリュンヒルデがやってくるところで、管弦楽は、「英雄ジークフリート」と呼ばれる動機(初出はホルンの合奏)と、「ブリュンヒルデの動機」(初出はクラリネット)を並列して出し、徐々に高揚します。「英雄ジークフリートの動機」が楽劇《ジークフリート》における角笛のモチーフの絶妙な変形であることにも驚かされますが、「ブリュンヒルデの動機」はじつに美しく、その美しさが《神々の黄昏》の支えになっている、と思えるほどです。
この旋律、なんでこんなに美しいんだろう、と思って気がついたのは、ターンの音型を除いて、全部が跳躍になっていることです。優美な旋律は順次進行が普通なので、これは不思議。和声はどうでしょう。移動ドで読むと(ハ長調に移すと)、階名は「ファーミファソファ・レーラドーレーファラー」となり、一見、サブドミナント。「英雄ジークフリート」はトニカですから、あえて流れを外しているのか、と思いました。
そこで楽譜を見たら、バスにソの音がしっかり入っている。ソ・シ・レ・ファ・ラ・ドの属十一の和音の分散なのです。なるほど、ドミナントか。それなら、この動機がトニカに向かう動きをはらみつつ「英雄ジークフリートの動機」に寄り添っていること、優美さにはかなさを加えた独特の味わいで訴えかけてくることの根拠が、よくわかります。この和音が、じつに味わい深く、美しいのです。ちなみにワーグナーは拡大されたドミナント使いの名手で、《リング》では属九の和音が頻出しますし、属十三の和音も、すでに《タンホイザー》で印象深く使われています。
そんなお話もし、たいへん気持ちよく講演を終えることができました。超重かった本も全部売れ、打ち上げ・二次会は、ワーグナー好き同士の心が通い合う、楽しい飲み会になりました。皆さん、ありがとうございました。
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