久々のワーグナー講演(2)2010年01月26日 23時42分05秒

総論を述べ、あらすじを説明しているだけで1時間ちょっとかかると予想されますので、あとは3つほど、序幕~第1幕における音楽のポイントを、簡単にお話しすることにしました。準備は順調に進み、出発の時間に。『「救済」の音楽』(←販売用)を袋詰めし、渾身の力で運びながら、やっとの思いで、バス停のファミリーマートまでやってきました。

最後に作成したハンドアウトを、ここでコピーしようというのです。ところが、ハンドアウトを家に忘れてきたことが発覚。渾身の力で『「救済」の音楽』を運びつつ、家を往復する羽目になりました。大きくつまずいたわけですが、これで、今日は成功するんじゃないかと確信。悪いツキを使う形になったからです。

やっとの思いで会場に到着しました。すべての機器を手元で制御できる、すばらしい会場です。ほぼ満員のお客様を見渡して、がっくり。ワーグナー協会の幹部や常連の方々が、ずらりと顔をそろえておられるではないですか。90分の入門講座というから、初歩的な説明に来ているというのに・・・。

もはや、開き直るほかはありません。3時に講演を開始しました。総論、あらすじと効率よく進めてふと気がつくと、まだ3時半。パワーポイントのファイルは残り3つなのに、1時間残っているのです。講演というのはたいてい、想定以上に説明に時間がかかってしまい、用意した材料を使い切れずに終わるものです。時間を満たせずに終わるのはきわめて珍しいことで、効率よく運んだことを後悔しました。でも逆に言えば、30分で基本的な説明は十分できる、ということでもあります。

久々のワーグナー講演(1)2010年01月25日 22時10分44秒

24日(日)は、早稲田の東京国際大学のキャンパスで、日本ワーグナー協会と新国立劇場の共催による講演を行いました。新国立劇場が「トウキョウ・リング」と呼ばれる公演を行うに先立ち、《神々の黄昏》を勉強しておこう、という趣旨です。

ワーグナー協会からのオファーは、じつはあまり受けたくなく、お断りしたこともあります。それは、最近ワーグナーの勉強をちっともしていない私にとって、私よりずっと勉強しておられる先生方が何人もいらっしゃる協会での講演は荷が重く、気が引けるからなのです。それでも今回お引き受けしたのは、理事にしていただいているのにまったくお役に立たないわけにはいかないという事情と、「入門講座」という割り切った目的設定のためでした。3回ある講座の第1回を、私が担当するのです。

持ち時間90分といえば、授業1回分。概要とあらすじを話すだけで、終わってしまいそう。それだけではいけないので、自分ならではの話題も用意しなくてはなりませんが、この時間ではできなくても仕方がない、なにしろ「入門」なんだから、ととらえることにしました。

「あらすじ」はずっと昔書いたものがあったので、それを配布して読み合わせることに決定。使えるかどうか読んでみると、これがなかなか、できあがった文章なのです。「バイロイト百年」というレコードのために書いたものなので、1976年ですから、私はドクターコースの学生。当時に比べれば文章は大いに上達したつもりでいましたが、今書けるいちばんいい文章と比べても五分五分ではないか、と思うほど。結局水準は昔と同じで、進歩していない、ということなんでしょうか。

入門だからわかりやすい話ができれば、という一念で準備していると、電話あり。なんと、協会大幹部の高辻知義先生からで、「楽しみにしていたが、仕事がはいって」という丁寧なお断りです。私は驚いて、「先生、入門講座なんですから、先生のご存じないことなどひとつも申し上げませんよ」と答えました。この調子では誰が聞きに来るかわかったものではない、と、にわかに不安になってきました。

神の使い2010年01月17日 23時59分41秒

今日、帰国早々のクリスティさんからメール。心のこもった感謝の言葉が連ねられており、あらためて、感動してしまいました。翌日の奈良訪問がすばらしく、公園を走る鹿が、「神の使い」のように感じられたこと。ヤキトリがとても気に入り、今度はボストンでロブスターをごちそうしたいこと。コンサート後オルガンの前で撮った写真をヴォルフ先生に送る、先生もわれわれの友情の始まりをきっと喜んでくださると思う、等々。N市のNさん、ぜひ来ていただきたかったです(笑)。

16日の土曜日は、「たのくら」の例会と、新年会。湯川亜也子さんと三好優美子さん(←天使のピアノ)によるミニミニ・コンサート(フォーレの歌曲)が好評で、私も珍しく、新年会の二次会まで付き合ってしまいました。ドクターの学位取得を目前にした湯川さん、持ち前の美声に吹っ切れたような思い切りのよさが加わり、堂々のステージでした。1つ1つのステージを、それがたとえ小さな場でも大事にすることがファンを増やし、先につながります。懸命のステージに感動を覚え、また1日、よい日が加わったことを実感しました。

うなぎ2009年12月16日 23時38分03秒

13日は、偶数月の日曜日に開催している「すざかバッハの会」例会の当日。助手として同行してくれている齋藤正穂君と、いつも通り長野駅で待ち合わせました。軽く昼食を摂ったころ、会長の大峡さんがクルマで迎えに来てくださるのです。

昼食のメニューは、決まって、インドカレーかラーメン。刺激物をお腹に仕込むと攻めの気持ちが高まりますから、毎度鼻から息を吐きながら、張り切って会場に乗り込んでゆきます。

ところがこの日はなぜか、7年間一度も入ったことのないうなぎ屋に入ろう、という気になりました。老舗なので、味は上々。食べ終えて、これまで経験したことのないような、ふっくらとして豊かな気分になりました。

会場に入っても悠揚迫らぬ気分が持続していることに、自分でびっくり。食べ物の効用って、大きいんですね。講演はパワーポイントで行い、家からはUSBメモリだけを持って行くのですが、その日はメモリが、いくら探しても見あたらない。カレーかラーメンを食べていれば、髪の毛が逆立っただろうと思います。しかしこの日は、泰然自若。齋藤君が目を血走らせてファイルをダウンロードし、定刻に間に合わせました。

この日は、2年間続けた「バッハ最先端」の最終回でした。12回分割して講じた《マタイ受難曲》が、最終合唱に到着。こんなに長いこと、皆さん、よくつきあってくださったものですね。実行委員会の方々には毎回、献身的に働いていただきました。ありがとうございます。

来年度からは、「礒山雅のクラシック音楽談義」という講座を開始します。幅広いお話をわかりやすく提供したいと思っておりますので、またよろしくお願いします。

齢23年2009年04月20日 23時39分56秒

今月から、「楽しいクラシックの会」(通称たのくら)が、23年目に入りました。毎月1回やっているクラシック音楽の講義が23年も続くというのは、われながら信じられないことです。立川駅から歩いて15分近くかかる学習館(錦町)を場所としているだけに、なおさら。場所を提供している市の支援、さまざまな役職をボランティアでこなしている会員の方々の尽力たまもので、ありがたいかぎりです。

4月から来られた新しい会員の方が、「楽しいクラシックの会」という名前にしては内容がずいぶん専門的だ、とおっしゃっいました。たしかに名称と内容のある種のギャップは、私も当初から感じていたことです。なごやかに、冗談をまじえつつ進めているという意味では「楽しい」という看板に偽りがあるわけではないのですが、話している内容は、それなりの専門性を含んでいる。皆さんに「来てよかった」と思っていただこうと思うと、どうしても、そうなってしまうのです。

音楽は、どの芸術と比べても、説明に、専門的な語彙を必要とします。それをどのぐらい使って良いか、いけないかは、執筆や放送のおりに、いつも問題になることです。全然使わなければわかりやすいが、それでは、突っ込んだ話ができない。かといって、専門用語をその都度説明するためのスペースは用意されていない。以前この欄で楽譜の使用について書いたことが、専門用語についても当てはまるわけです。

私は、できることなら「専門的なことをわかりやすく」発信したい、と念願しています。しかしそのことは困難ですので、専門用語を知らなくても何となくわかる、という前提で、知識のある人に対する情報提示も、一種の確信犯で、行うようにしています。クラシック音楽は知識を深めることで面白さが増すのが売りですから、専門用語を使わない発信には、限界がある(と思う)。わかる人にその先を、という原則があればこその23年ではないかと思うのですが、いかがでしょう。

今期も、講義あり、鑑賞あり、実演あり、旅行ありの楽しい1年でありたいと思います。

仕事納め2008年12月30日 22時42分33秒

カンタータ第21番の二重唱を演奏する3人

かつてない過密スケジュールとなった、この12月。緊張が続いていましたが、28日(日)のすざかバッハの会講演で、ようやく仕事納めとなりました。

この日はハーフ・コンサートが計画されているため、新幹線には演奏者たちと同乗。混乱でかなり遅れましたが、到着した長野は雪化粧で、珍しいほどの厳冬ムードになっています。ここで講演を続けて、ちょうど6年。たのくらの市民講座22年と並ぶ、息の長い企画になりました。現地の方々のご努力に、感謝するばかりです。

出演は、チェンバロの大塚直哉さんを中心に、ソプラノの小島芙美子さんと、バリトンの小藤洋平君(大・小・小トリオ)。皆くにたちiBACHコレギウムのメンバーです。プログラムは、大塚さんが《平均律》第2巻の嬰ヘ短調、を弾いた後、小島さんがBWV82のレチタティーヴォとアリア(AMB版)、小藤君がカンタータ第203番を歌い、最後をカンタータ第21番の二重唱で締める、というものでした。

大塚さんの流麗でファンタジー豊かな演奏はいつもながらの見事さですが、若い二人も健闘してくれて、心温まる仕事納めとなりました。小島さんの歌からはいつでも「心のきれいさ」が感じられ、小藤君の声からはやさしさと慈しみが感じられるのが嬉しいところです。魂とイエスの二重唱(←21番)をやると、ぴったり。アンコールの《マタイ》のコラールが、今年の響き納めになりました。

福岡にて2008年12月25日 09時08分30秒

冬に福岡に来たことが、あったかどうか。暗く冷たい日が続いています。さながら北陸。ここが演歌のふるさとであることを納得しました。

飛行機が苦手なものですから、早朝の新幹線で来て、さっそく授業。1日目は3コマ、2日目からは4コマずつあり、開始が10時半、終わりが6時10分です。私の場合は音楽が助けてくれますが、話だけで進む領域の場合は、先生も学生も、さぞたいへんでしょう。

さまざまな学部、専攻から集まった学生さんたちが、静かに、真剣に耳を傾けてくれています。質問も的を射たものが多く、さすがに旧帝大。独特だと思ったのは、研究室に学生が常駐していて、先生方と混じり合って食事をしたり、仕事をしたりしていることでした。とてもいい雰囲気です。

昨夜はクリスマス・イヴ。ちょっとだけ賑わう中洲で、お世話いただいている東口豊先生(アドルノ専攻)とワインを飲みました。「タルタルとフロマージュ」という私には信じがたいつまみで飲んだのですが(←フレンチが苦手)、夢のようにおいしかったです。

1日目は伝記と作品目録の話。2日目は器楽曲の諸問題、3日目は声楽曲の諸問題を講じました。今日は《マタイ受難曲》を取り上げて締めくくります。

神様は強い?2008年12月20日 23時06分08秒

柴さん、守谷藩さん、書き込みありがとうございます。BWV213のCD、楽しみになさってください。

今日は「たのくら」こと「楽しいクラシックの会」の今年最後の例会と、忘年会でした。これで、22年。本当によく続きますね。継続は力なり、とはよく言ったものです。私も本当にリラックスして楽しくできるのが、この会です。

今日は、バッハのカンタータ第147番(と《マニフィカト》)をとりあげたのですが、鑑賞にあたり、聖書の当該部分を、岩波訳で朗読しました。そうしたら、次のようなところがありました。

「飢える者たちを良きもので満たし、富んだ者らを空手で追い払われました」。「空手」には「からて」とルビが振ってあります。オッ、神様は空手もやるのか、と思ったあなた。力道山じゃあるまいし、心を入れ替えてください。じつは私もそう読んでしまい、おかしくて立ち往生しました。

〔付記〕《マニフィカト》の最後で、冒頭の楽想が戻ってきますね。あそこが総毛立つほど感動的だと、『バロック音楽名曲鑑賞事典』に書きました。そこが「初めにあったように」という歌詞に対応していることに、今日やっと気づきました。

木曽川を越えて2008年12月13日 23時13分45秒

好天の旅。名古屋から近鉄に乗り換え、木曽川を越えて白子へ。木曽川はほとんど河口に近いそうで、新幹線から見るよりはるかに大きく、いくら渡っても終わらない。続く長良川も、揖斐川を吸収して大河になっています。増水したら、こわいに違いありません。私、川が好きなので、見てみたい気もします。

白子でお迎えくださった車に乗り、鈴鹿短大へ。ここで、短大と市の主宰するセミナーが行われているのです。今日は「バッハの宗教性を考える」というテーマで、カンタータ第199番などを例に取りながら、話をしました。最近の持論である「バッハのやわらかな信仰」(固い信仰の反義語として)をめぐるもので、時間もほどよく収まり、自分としては会心の出来でした。お世話いただいた方々、受講してくださった方々、ありがとうございました。

終了後、見覚えのあるすてきな方が来たと思ったら、10年ほど前に卒論を指導したM.K.さん。今はこちらで家庭をもち、お子さんもいらっしゃるとか。こういう再会のあるのが、出張講演のいいところですね。帰路には、三重牛を賞味しました。

予定を消化するごとに、残り日数が減っていきます。まだ急ぎの仕事が多く、予断を許しません。

授業、本格開始2008年09月12日 22時23分18秒

まだ休みの大学も多いことと思いますが、われわれのところでは月曜日から、授業が始まっています。私も今日から、フル稼働になりました。金曜日の午前中は、「作品研究」。今年は《フィガロの結婚》を採り上げます。

今朝ちょっと緊張していたのには、2つ理由がありました。1つは、今期から始まったTA(ティーチング・アシスタント)という制度が、私の授業にも適用されたこと。研究と演奏を選考する3人の大学院生から補助を受けられるようになり、気が引き締まります。実演も含めていきましょう。

今日は概論のあと、ウィーン時代のオペラの序曲を少しずつ紹介し、《フィガロ》の序曲から幕開けをさまざまな演出で見て終わりました。150以上の受講生というのは私の大学では最近珍しいのですが、水を打ったように静かに聞いてくれたのには、驚くやら嬉しいやら。

午後は音楽学のゼミが2つと、個人指導2人。1年生のゼミでは「本によって記述が違うのはなぜか、それにどう対処すべきか」という話をしたのですが、「通説対新説」を紹介する一例として、バッハの無伴奏ヴァイオリン曲とチェロ曲はどちらが先にできたか、という問題を採り上げました。

両方を少しずつ学生に聴いてもらい、どちらが先だと思うか、その理由はなぜか、という風に問いかけたところ、この答えられるはずもない難問にじつにみごとな判断を示した学生がいて、驚嘆。明日「たのくら」で無伴奏を採り上げますから、同じようにやってみましょう。いい滑り出しになった今期です。